一晩経って、新たな気持ちで練習に向かう。
ひとり稽古となる小半時、さまざまな考えが巡った。
物事は、角度を変えれば違った見え方になる。
竹弓のほうが手抜きでいいなんて、どうしても納得がいかなかったけど。
昨日否定した “チャラい射” は、もしかしたら “円熟” じゃないかと思い至ったとき、
霧が晴れたような気がした。
弓に抵抗しない引き方で、自身の身体にも無理がないのは
ある意味、真の自然体で、調和のとれた射なのかもしれない。
真面目に、丁寧に、心気を注いで力の限り引く。
込めた力と心の分だけ達成感を感じて、
自然体が物足りないと思ってしまうのは、私の若さ故なんだろう。
無心や自然体で大舞台に立てるほど、私のココロは成熟していない。
緊張感や勝負の機微を楽しみ、心が燃えてしまうから。
それを醍醐味と感じるタイプだから、今は主戦場にマッチしていると思う。
2つの選手権を通して、本当に貴重なことが実感できました。
体験した “自然体スタイル” は、もう少し自分を練ってから追求するとしよう。
ただ、1つだけ。
会における水面のイメージは、大きなヒラメキをくれた。
今後も、浮かべていきたいと思います。
ひとり稽古となる小半時、さまざまな考えが巡った。
物事は、角度を変えれば違った見え方になる。
竹弓のほうが手抜きでいいなんて、どうしても納得がいかなかったけど。
昨日否定した “チャラい射” は、もしかしたら “円熟” じゃないかと思い至ったとき、
霧が晴れたような気がした。
弓に抵抗しない引き方で、自身の身体にも無理がないのは
ある意味、真の自然体で、調和のとれた射なのかもしれない。
真面目に、丁寧に、心気を注いで力の限り引く。
込めた力と心の分だけ達成感を感じて、
自然体が物足りないと思ってしまうのは、私の若さ故なんだろう。
無心や自然体で大舞台に立てるほど、私のココロは成熟していない。
緊張感や勝負の機微を楽しみ、心が燃えてしまうから。
それを醍醐味と感じるタイプだから、今は主戦場にマッチしていると思う。
2つの選手権を通して、本当に貴重なことが実感できました。
体験した “自然体スタイル” は、もう少し自分を練ってから追求するとしよう。
ただ、1つだけ。
会における水面のイメージは、大きなヒラメキをくれた。
今後も、浮かべていきたいと思います。