旅人

旅大好き 人生は旅よ
あと 何回行けるかな~

ミャンマーへ

2015-03-26 | 

明日からミャンマーに出掛けます。正式名称は ミャンマー連邦  首都ヤンゴン(戦いの終わりの意)

成田からソウル乗り継ぎで、ヤンゴン国際空港へ。

昔学校で習った名称は (ラングーン) でしたけど。

2日目  バスで ヤンゴン郊外シュエダウン村へ。 シュエミエッマン・パゴダ(仏塔) 見学。

その後素朴なミャンマーの姿を残す古都 (9世紀ピュー族国家の中心地)  ピイに向かいます。

3日目  バスで シュエサンドー・パゴダ(三大仏塔の一つ)に。 巡礼スポットです。

その後ボートでアカウタウン石窟へ。

4日目  バスで 古都バガンに。途中 世界遺産の古代ピュー族の遺跡、ベイタノ遺跡へ。

その後バガンへ。  夕刻、馬車に乗ってバガンの夕暮れの風景に浸ります。

5日目  午前、古都バガンの観光。後  イラワジ河(エーヤワデイ川)   クルーズ船「パウカン号」に乗船。

2泊3日のイラワジ河クルーズが始まります。  夕刻船は素朴な農村、シュエピーター村に寄港。

6日目  昼頃  素朴なヤンダボ村に着岸。村の散策。その後聖地サガイン(マンダレー)に。

7日目  サガインで下船。バスにて「ビルマの竪琴」の舞台になった木造橋 〈ウーペイン橋〉を見学。その後マンダレーへ。マンダレー発の国内機で ヘイホーへ。

バスにてインレー湖畔のホテルへ。途中カックー遺跡に立ち寄りながら。

8日目  ボートにてインレイ湖周辺の見学。午後少数民族 《パダウン族=首長族》の人々を訪ねます。

9日目  バスにてヘイホー空港へ。W9ー201でヤンゴンに戻り、市内觀光。

深夜ヤンゴン国際空港よりソウルへ。

10日目  ソウル乗り継ぎで成田に帰国します。

 

 


昨日の夕刊で吃驚!

2015-03-23 | 生活

朝日新聞の23日夕刊版に、母校の61年前の写真が掲載されていました。

[【『銅像をたどって』戦後70年  ⒉ 】ひっそり「出征」した金次郎

集団疎開の壮行会。 二宮金次郎の像は校庭の目立つ所に設置されることが多かった

=1944年、東京都品川区の城南第二国民学校。]

当時金属回収令がでて、お寺の鐘、柵に使われていた鎖、金歯、金縁眼鏡、鐘火鉢

しまいには、鍋、釜まで対象になりました。二宮金次郎も回収されていきました。

当時私は4年生。この写真は、これから学童疎開を始めるキャンペーンに取られたものです。

この学校は、学童疎開が他校より早くから始まりましたから。

虫眼鏡で見たけど、自分を探すことは出来なかった。

みんなこんな格好をしていたなあ~ と  当時の明るい色のない写真を懐かしみました。

 

卒業旅行は勿論、卒業式もありません。 証書もないな~。

こんな時代があった事など  もう忘れ去られようとしています。  怖い!

なんか こんな時代が見えて来ている  この頃なのです。怖い!


越生梅林

2015-03-22 | 生活

近くに在りながら、機会の無かった越生梅林に出掛けました。

ここは 関東三大梅林の一つと言われています。起源は1400年頃と言われ

ここには九州大宰府から菅原道真公の霊を分祀した梅園神社があります。

その時に植えられた梅の木が始まりだそうです。相当な古木も何本かありました。

梅の木は生命力が強いですね。相当枯れたり、倒れていたりしていても、立派な花を咲かせています

健気さに圧倒されてしまいました。梅まつりも今日でお終いです。

足を伸ばし黒山三滝も見てきました。男滝、女滝、とあと一つ滝の幅は左程でもないのですが勢いはありました。

オゾン一杯をかんじることができ、気持ちのいい散策になりました。

 

 


100歳の華麗なる冒険

2015-03-19 | 映画

〈NPO法人  市民シアター・エフ〉が経営する映画館で、上映中の映画です。

 原作は 『窓から逃げた100歳老人』スエーデンの  ヨナス・ヨナサン の作品です。

原作は だいぶ前に読んでいたので、どんな風に映画化されたのか、興味満々でした。

大体原作本を読んでから映画化されたものを観ると、何か物足りないものがあるのが、

今までの経験でした。  が、この映画は原作より面白くて、映画の中にのめり込みました。

老人アラン・カールソンは、老人ホームでの100歳の誕生パーティーのケーキよりも、

大好きなウオッカが飲みたいと、スリッパのまま窓から逃げ出します。

人気のない駅で降り立ったアランに、トイレに行きたい男が、大きなスーツケースを預けます。

そこに思いがけずバスが来たので、アランはカバンを持ったまま飛び乗る。といっても100歳の老人ですからよたよたと。そこからドタバタ捕物帳が始まります。

実は男はギャングの一団員。追い掛ける団員は、一人づつ、事故に遭い 死んでくれる。

ギャング一団に追われ続けるその間に アランの少年時代から100歳までの、アランの生涯が見えてくる。

アランの高度な爆発技術が、時のアメリカ、ソ連の原爆製造に迄関わってくるから面白い。

この映画は原作より面白い。原作は読むのに苦労しましたから、映画をお薦めします。

ドタバタ喜劇なんだけれど? 老人の無欲なヤンチャに笑ってしまう。楽しい時間でした。

 

この本は スウエーデンで、ベストセラーになりました。


春も其処まで

2015-03-14 | 私の本棚

我が家の梅林です。梅林は大袈裟かな?  ちらちら花も散り始めました。

咲くまでの時間は長~く感じるけど、咲いたらあとは早い!

次は桜を待ち続ける。毎年同じサイクルで、季節を感じます。

今日友人から、「大阪造幣局の通り抜け桜を観に行かない?」 とお誘い受けました。

勿論喜んで!

いつもテレビでしか見ていないので、今からワクワクした気分に成れた一日になりました。


機内のサプライズ

2015-03-13 | 

12月18日~8日間の旅も無事終え、エミレーツ航空にて ドバイから成田に飛びました。

深夜2時55分発。時差5時間。所要時間 約9時間25分。予定では成田着は17時 20分の予定です。

無事到着し、機内での動きが始まりました。エミレーツ航空機のCAさんんと目が合い、挨拶をしました。

彼女は自分の首に巻いていたスカーフを外すと、私の首に巻いてくれました。

次は帽子。そしてカメラに収め、写真を即渡してくださいました。

あれよあれよの間の出来事でした。お陰さまで今私の手元にこの写真が残されました。

こんなサービスを受けたのは初めての経験でした。

 

ア~  こんな寝ぼけ顏でなければなあ~    残念!

でも忘れられない思い出が、帰りの一瞬に一つ増えました。

CAさん  ありがとうございました!

細かい心遣いをしてくださった添乗員の黒澤三沙子さん有難うございました。


アラブ首長国連邦

2015-03-10 | 

 さすが石油王国に相応しいな~と感じる程の 空港の広さ、豪華さに圧倒されてしまいました。広いせいか人間もあんまり込み合ってはおりません。

最も年末まで1週間と迫った今日のせいかもしれませんね。

観光は ドバイ博物館  (この地の先住民たちの暮らしなど) 今のアラブは想像できないでしょうね。

アブラ乗船   (小型の蒸気船で湾内一周)  静かなペルシャ湾の一画を楽しみました。

スパイス&ゴールドスーク  (スパイス市場・金の売買市場) 時の相場+細工代で売ってくれます。手持ちの金も、買ってくれるし、他の品と交換も可とか

 世界一大きな指輪とか。ギネスにも登場。

ドバイモール (世界一大きなショッピングモール)

ブルージュ・ハリファ  (世界一高い塔  828M 160階   夜景・噴水ショー)  前売りチケットの人たちで、エレベーターの前には長蛇の列ができておりました。160階までのエレベーターの所要時間も世界一とか あったいう間についていました。

UAE. この国は7首長国連邦で成り立っていて、交代に国王を務めるそうです。

隣国は東にオマーン  西南にサウジアラビア。北はペルシャ湾に面しています。

首都はアブダビ。

自国民の比率は低く殆ど海外からの移民だそうです。

医療費・学費は 全て無料とのこと。もちろん税金なんて無いんでしょうね。

自国民と海外からの移住者との 恩恵の差はあるようですが。

  


ベツレヘム

2015-03-07 | 

エルサレム旧市街の観光後、バスでベツレヘムに向かいました。

南へ10キロ、人口2万5千人の小高い丘にある街でした。

着いた時はすでに薄暮の中で、街の中心広場には大きなクリスマスツリーが、

でんと、飾られているのが印象的でした。

明日はイヴ、それにしては静かな雰囲気の街でした。


嘆きの壁

2015-03-03 | 

この壁はヘロデ大王時代の(BC20)のソロモン神殿の一部分なのです。ユダヤ教徒にとっては神殿に変わる聖地です。

地下や 周辺には 何倍もの遺産がまだ眠っていると言われています。

第二次ユダヤ戦争に負けたユダヤ教徒の 立ち入りは禁止となり、

以来1967年の 第三次中東戦争によって、ユダヤ教徒の軍が勝ち やっと奪還することが出来るまで 1900年の年月がかかりました。

教徒たちは 失われたエルサレム神殿を思い、哀しんで 祈るため (嘆きの壁) と名付けて復興を祈ってきました。

壁に蔦わる樹木から落ちる滴を、神の涙  と信者たちは今も信じて祈っています。

今日も信者は壁に額を付け一心に祈る人、離れて祈る人、椅子に掛け聖典を開き長い間祈る人、祈る姿は様々でした。

広場には 黒づくめで シルクハットを被る人、キッパを被る人、白布を被る人、腰に白い紐を巻き、垂らしている少年たちの姿がありました。

それぞれに意味があるのでしょうね

壁に寄るにはちょっと勇気がいりました。壁は左右に分けられ左は男、右は女性と分けられています。

宗教は違いますが、私も世界の平和を祈りました。今日の青空のようにいつまでも三大宗教の

調和が保たれますように!


岩のドーム

2015-03-02 | 

聖墳墓教会・ 嘆きの壁・岩のドーム、 と、三大宗教の聖地が集まっているところが、

 ここ神殿の丘です。岩のドームは、イスラム教第3の聖地となっています。(メデイナ・メッカ・岩のドーム)

開祖ムハンマドが、天使ガブリエルに導かれ昇天した際に残された、

足跡がついた聖なる岩が、このドームの中心に祀ってあるとか。中は見られませんでした。

ガイドの話です。外部はオスマン帝国のスレイマン一世の命により、大理石とトルコ製タイルで貼り付けられています。

ユダヤ教から派生したキリスト教。更にそこから派生したイスラム教。私には一家にしか見えませんが?

因みにイスラムとは「平和であること。唯一神アッラーにお縋りする」というアラビア語だそうです

本来のイスラムに戻れないのでしょうか?


ビアドロローサ

2015-03-01 | 

 

キリスト教信者なら、または聖書を通読されている方には馴染みのある言葉でしょう。

しかし私は恥ずかしながら、この地に来て初めて知りました。ほんとに無知!

12月22日に エルサレムの旧市街地を走る、キリストが刑を受ける為に歩いた道です。

 ユダヤ教大祭司に有罪を言い渡されたイエスは、総督の官邸から刑場のゴルゴダの丘の丘まで歩きました。

途中14の「留」(ステーション) イエスが立ち止まった場所ということかな。が、あって 

其処には由来を示した金属板が取り付けられておりました

第1留      総督官邸跡  今は学校になっていました。

第2留      イエスが鞭で打たれた場所。自分の処刑の為の十字架を背負い刑場に向かう。

第3留       拷問を受け衰弱したイエスが倒れた場所。

・・・・・・・と続きます。なぜイエスが罪人になったのか?  教徒は何故教祖を救おうとしなかったのか?

幼稚な疑問を心に抱えながら、私は歩き続けました。

 

因みに第3留以下は次のようでした。

第4留    母マリアが最後にイエスを見た場所。     第5留    シモンがイエスに代わり十字架を背負った。

第6留     ヴェロニカが イエスの顔を拭った。      第7留     イエスが2度目に倒れた所。

第8留      イエスが嘆き悲しむ人達に、「私のために泣くな」と 話しかけた。

第9留      3度目に倒れたところ。                     第10留    イエスが衣服を剥ぎ取られ十字架につけられた。

第11留     聖墳墓教会の中にあります。              第12留    イエスが息を引き取った。(聖墳墓教会内)

第13留マリアの悲しみの像がある教会 。(聖墳墓教会内)            第14留     イエスの墓。(聖墳墓教会内)

時は12月22日でした。此処は世界遺産に登録されています。スークの中の1㎞程の巡礼道でした。