旅人

旅大好き 人生は旅よ
あと 何回行けるかな~

あい

2015-02-22 | 私の本棚

夕食後から読み始めた  高田 郁著  [あい]  、に 引き込まれて読み続け、気付いたら午前2時でした。

読み終えてこんな幸福な氣持ちになれたのは久しぶりでした。

物語の主人公の 関 寛斎・あい  は実在した人物です。寛斎は既に書物になっていますが、妻あいについては、資料が乏しいので寛斎の書き物を通して、高田 郁 は あい を想像し書いたと、後記にありました。この書は あい が主人公です。

関 寛斎・あい 夫妻の 名利を求めず、浄く生き抜いた夫婦の物語は、私の心に強く響きました。

幕末から明治維新へと、激動の時代を 'あい' は 蘭方医の夫を 愛し、励まし、夫の意思を遂げさせ るべく、 いつの時代も最高の理解者となって支え続けました。

いつも明るく物事を捉え、いつも前向きのあいは  寛斎の太陽となっていたのでしょうね。

この妻無くして 寛斎は 後世に名を残す人物にはなり得なかったかなと、私には思えました。

最後は北海道の開拓者になる夫に付き従いその地で生涯を終えています。

厳しい人生であったけれど、あいは心残りなく人生全うし 他界されたと思います。

今の政治家に、 だけで無く 私達の心にも、寛斎や あい の心意気が多少でもあったら!

もっと幸せな日本になるのになぁ~!  夢で終わらせたくはない!


水素水

2015-02-21 | 生活

やっと申告作業が片好き、机の上も、部屋も綺麗にすっきり。

私の為の一年が始まります。しばらくお休みしていたジムに出かけました。

今まで何も無かった所に、水販売機が置かれていました。その名も水素水。

そういえば先日の新聞に、[来るか水素社会]  の記事を見たのを思い出しました。

学校で初めて覚えた化学記号はH20でした。地球上で最も軽い気体を溶剤を遣って液体に変える特殊な技術が開発され、世界の油田で原油を採掘する時に出る 大量の水素を液化して日本に運ぶ構想があるという記事でした。発電などにも利用するという。

液化水素社会の始まりですね。

私も試しに購入してみました。  口当たりはまあまあ、新鮮さを感じてしまうのは

気のせい?

体内の活性酸素を除去し、リンパの流れが良くなるとか。飲んでいる人もジム内で 多く見かけました。運動と水素  相乗効果があるといいですね。しばらく続けてみます。


エルサレム シオンの丘

2015-02-13 | 

いよいよ    イスラエルの首都エルサレムの観光が始まりました。

思ったより入国審査がスムーズにいったようで、夕刻に近いけれど、観光することになりました。現地ガイドは長年当地に居住されている日本人の男性 信夫さん。

シオンの丘に向かいました。第2神殿時代に祭祀や貴族が住んでいた所です。

狭い坂道を登っていくと見えてきました。

マリア永眠教会   聖母マリアを祀っています。

ダビデ王の墓     石棺   ビロウドの布で覆われています。夕刻にもかかわらず大勢の人たちが、棺に手を掛け祈りを込めています。

最後の晩餐の部屋   こんな部屋と気抜けする程でした。

この地は、ローマ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の聖地がそれぞれに有ります。

今日も3宗教の信者達が青れぞれの聖地で、信仰に励んでいます。


ヨルダン国境を越えイスラエルへ

2015-02-12 | 

死海浮遊体験後 ホリデーインホテルにて、昼食。

バスでヨルダン側の国境に向かいました。バスで30分。そこで出国税 15$ 払いました。

ヨルダン河に架かる キング フセイン橋を渡り切ると、そこはイスラエルの国でした。

国境は簡単に渡ったけれど、入国はそうはいかないようです。





 


添乗員さんはじめ皆、イスラエルには  スムーズに入国できるのか ハラハラドキドキしながら関門所に向かいました。  なんせ問題多い国としてのイメージがありますので。


前持って  イスラエル入国の際の注意がありました。
その1、「2~3時間掛かることもあります。」
その2、 「国境越えの際は、カバンからカメラを出さないように!」  

              カメラは見えただけでも駄目のようです。

大きな、一見倉庫のような建物に入りました。
荷物、身体検査を通り抜け、セキュリティー検査の為  更に並びます。誘導、看板が無いので皆  まごまごし、混雑を一層高めている感じです。


パスポートを出しました。パラパラめくった後、入国印を別紙に押した ボーダー・コントロール・カードがパスポートと共に返されました。これをイミグレと言うらしい。パスポートに直接印を押されると、後々の旅行に差し支えがあるみたいです。それだけ 世界の国に危険と見られているのだろうと想像しました。

次は      ボーダー・コントロール・カードをチェックされます。これではまだ済まないようだ。

次は      パスポートのチェック。   カードを切られました。これで無事終わったようです。

次は  各自自分のスーツケースを探し、ガイドさんの待つバスに向かいました。

外はまだ明るかった。ベテランそうな日本人ガイドさんの顔を見て、添乗員さんはじめみんなホットし 気が  緩んでいくのが分かりました。  

長年当地に居住されている、男性の信夫さん!  今日からよろしくお願いします。!

 




ヨルダン 死海

2015-02-11 | 



3日目は胸ワクワクの、死海での 浮遊体験を致します。
この歳で、とも 思いましたが この機を逃しては、2度とチヤンスは無いでしょうね。

水着に着替えて水辺へ。時は12月、時間は9時ですが水はなまぬるいのです。空には雲ひとつない晴天。カナヅチ天国です。

死海は 地球上で、1番低い海、海抜➖420m。塩分濃度30%。勿論生物は住めません。低いので、流出しない、きつい太陽の光で水分蒸発。などの理由で塩分濃度が高くなるのですが、此処でも最近 水分低下の問題が 起きているようです。

まず事前に、注意がありました。濡れた手で顔に触れ無い。特に眼には気をつけ付けて。カメラ・機器には触れ無いこと。気温は 21/11度 晴れ



そろりそろりと入りました。まず仰向けに、と思うのですが、身体はくるりんと回転し 、思うようになかなかいきません、その内両手でバランスをとることがいいと学習しました。一旦仰向けに浮いてしまえば、後は身体の力を抜き、空との会話を楽しみました。


水から上がり、次は泥パック。地中深くから掘り出した泥を塗ります。
顔、首、胸にと全身塗りたくりました。
子供に帰ったように、みなはしゃぎまくりました。

時は12月21日、数組のお家族のみ 貸し切り状態の海でした。お~最高!



出会った羊たち


ヨルダン ペトラ遺跡 2

2015-02-10 | 

エル・ハズネを過ぎると視界が開け景色が変わりました。


トイレ拝借のサンドボトル屋に寄り、



劇場跡、王家の墓、ニンフェウム(泉)、列柱道路、

一般人の墓、凱旋門を過ぎて、ランチレストランに着きました。

45分の徒歩程でした。
此処迄はまずまず平らな道でした。此処から向かうエド・ディルが、難関・・900段の階段を登らねばなりません。









ナバタイ最後の王ラベル2世が、先王オボダスを祀る為建立。H45m W50mのシンブルなファサード。ヘレニズム様式。修道院の教会。
視界は広く、天下を取った気分になれます。


ヨルダン ペトラ遺跡 1

2015-02-09 | 
3日目はたっぷり1日ペトラ遺跡観光です。ヨルダンと言えばペトラ遺跡と言われます。
勿論世界遺産に登録されています。インディ・ジョーンズの映画のロケ地でも有名です。



入り口からシーク入り口まで、私は馬に乗りました。まだ心配な脚をかばう為です。
料金は10分のところですが $5 かかりました。



シーク入り口から数千年前に地震と雨の侵食で出来た天然の峡谷が続きます。途中 ドゥシャラ神祭檀があり、徒歩45分程でエル・ハズネ(宮殿) が見えてきました。
道は整備されていて歩きは思っていたより楽でした。岩の色も 峡谷の形も様々で、時を忘れて歩きました。



狭い峡谷の隙間を抜けるとエル・ハズネが、突如表れました。宝物殿は H40m W28m 岩を彫り作り上げています。光の加減で 薔薇色になるそうです。が
私の見た時は オレンジに近い明るい色をしていました。




12本の太い円柱中にファサド・多種の彫刻があります。2000年余り前に繁栄したナバタイ王国の都だったので、存在感おお有りです。

周囲には小さな土産物屋があり、観光用のラクダも居ました。





以下はシークの岩石の姿です。







ヨルダンの旅 ネボ山

2015-02-08 | 
改めてヨルダンの旅を 総括したいと思います。

成田からエミレーツ航空機で ヨルダンの首都アンマンに向かったのは
昨年12月18日でした。
まずアラブ首長国連邦のドバイに向かい、乗り継いで ヨルダンの首都アンマンに 19日午後降りました。

アンマン空港は、ドバイ空港の豪華絢爛さはなく、機能優先の落ち着きを持った空港でした。
勿論、警察官、軍隊等の姿は全く見られませんでした。。
今回の日本人2人の誘拐等考えられない静かな雰囲気でした。

アンマンから1時間程バスに乗り、モーゼが息を引き取ったと言われる「ネボ山」に向かいました。

車窓から見える景色は、砂漠っぽく茶色の風景が続きました。









ネボ山は 海抜800mの丘のような処。
モーゼは、エジプト脱出後、紅海を渡りシナイ山で十戒を受け、「約束の地」カナンに向かう、けど到達出来ずにこの地で 亡くなりました。
山頂からは 聖地の全景、北にモーゼの泉の涸れ谷、西に ヨルダン渓谷が眺望されました。
聖堂の中は修理中でした。
此処には大きな修道院が有ったらしく、発掘しているようでした。
ヨハネ.パウロ2世の訪問記念の碑もありました。


これからよろしくお願いします。

2015-02-06 | 生活



10年余りお付き合いしました、愛車プレミオとお別れの日がきました。
朝日の中に引き取られていきました。
長い間ありがとう! お陰様で足の不便も感じず、何処にでも出かけられ 元気をいっぱい与えて貰いました。
第2の持ち主にも 愛されますように祈っています。有難うございました。

これからお世話になりますアクアさま、優しく、安全運転でいきますのでよろしくお願いします!
車は私にとって元気に暮らせる源です。
周囲に優しい気持ちで接し、1年でも長くお付き合い出来るようにしたいと思います。

さあて 試運転がてら、ジムに出かけます。