旅人

旅大好き 人生は旅よ
あと 何回行けるかな~

モンガダ兵舎

2015-11-27 | 
サンチャゴ・デ・キューバ市内にあります。
元米軍兵器庫でした。
1953年7月26日 カストロは弟のラウロ・カストロと共に兵舎の武器と、通信機器の奪取を企てますが、失敗に終わり、死刑の判決を受けます。
1959年パティスタ政権転覆と同時に釈放されました。
今は 「7月26日」を独立運動の日と名付け特別な日になっています。



サンチャゴ・デ・キューバ

2015-11-24 | 
グアンタナモの観光が済み、更に西へ85キロ走り、
サンチャゴ・デ・キューバに向かいました。
今日のホテル




第5日 (11月10日) 朝の散歩から


サンチャゴ・デ・キューバは、キューバ第2の都市であり、革命の狼煙はここから上がりました。
隣国ハイチよりフランス人が多く移住してきているのでなんとなく今までの都市と違い垢抜けています。
街の建物もスペインとフランス様式が混在しています。
旧市街は、コロニアルな建物が坂の町に並びとても絵になる風景です。

グアンタナモ

2015-11-23 | 
第4日目 (11月09日 )
バラゴアから山脈を越えカリブ海沿いのグアンタナモへ。(150キロ 3時間)


ここにはアメリカの基地が、今も存在します。
米西戦争の結果得た永久租借地です。アメリカは、キューバに金貨2000枚/年 支払う約束ですが、カストロは受け取りを拒否し、未だに至っています。
今は悪名高いグアンタナモ収容所になつています。アルカイダ・テロリスト達が、今も収容されています。青い海、明るい空とは無縁の施設が今もあります。ふと沖縄を思いました。

更に西へ サンチャゴ・デ・キューバまで (85キロ 2時間) バスは走ります。

仲間の1人のハッピーバースデーでした。ディナーでみんなで祝いました。

バラコア

2015-11-22 | 
第3日(11月 8日 土)

朝からハバナ空港よりキューバ最東端の街 バラコアに向かいました。
バラコアは コロンブスが初めて到着した(1492年) 都市です。


キューバはスペインからの2度の独立戦争の後(2度とも敗戦)、は スペインに勝利した、アメリカの植民地となりました(1902年)。その後の カストロ、チエ・ゲバラによる革命の成功(1,959年) により社会主義国家となって、今に至っています。
この地には プンタ要塞

独立広場

教会

バラコア市歴史博物館

などを見学しました。

明日は更に西へ、カリブ海に面するグアンタナモへ向かいます。

キューバ1日目の観光ビニャーレスの谷

2015-11-21 | 
世界遺産に指定の ビニャーレスの谷は、ハバナから西、220キロの所にあります。(ピナール・デル・リオ州)

朝9時バスで向かいました。快晴。気温は25℃ 気配はないけど傘、カメラ、イヤホンは必携です。



キューバは葉巻の生産が盛んです。途中
葉タバコの生産者の農場に寄りました。

農地の赤さに吃驚!


ラム酒工場にも。

他に、砂糖、コーヒーの産地でもあります。

昼食は、ローカルなレストラン(プレヒストリー・ムラル)にて。


食後、自己紹介の時間がありました。南は長崎佐世保市から京都、名古屋、神戸、埼玉、東京、千葉、福島、仙台まで、19人の旅が始まりました。キューバの明るい空のように、友好に溢れた旅になりますように!

レストランの近くの岩壁に書かれた壁画。
インディオの谷のボート見学は、余りの長蛇にパスと決まり残念!

ハバナに到着

2015-11-20 | 
11月6日 羽田空港から、18時50分 発のエア・カナダでカナダのトロント空港に向かいました。
所要時間は11時55分。時差は-14時間。現地時間は、日本の 半日前の更に2時間前。と、イメージするまで時間がかかりました。トロント着16時30分。
トロントまでは順調でしたが、着後、航空機を乗り変えハバナへ向かう飛行機の搭乗が なかなか始まらない。
暑いし、蒸すし、なんとなく前途が不安になりました。
3時間は待たされたでしょうか。それでもその日のうちになんとかハバナのホテルにはいりました。
みんなグッタリ!あらもしかして私だけ?
足を伸ばしてぐっすり寝てしましました。


帰国しました。

2015-11-19 | 
13日間のキューバの旅から帰りました。
風邪をお土産に持ち帰りました。あいにく風邪薬が切れていましたので、蜂蜜とオリーブ油を喉に流し込み、喉の痛みを止めています。
まる1日経って、やっと喉の痛みは治まりました。

又今日から日常が始まります。


キューバの空は綺麗でした。まあ空は経済封鎖も 戦闘も 関係ないですからね。
街はまだまだ復興、修復の段階でとても綺麗とはいえませんでした。
でも人々は、陽気に歌い踊っていました。不平、不足を言いながら暮らすより、前向きな気分になれ、復興も早まるような気がします。かっての日本にもあったな!こんな時代が。

羽田空港にて

2015-11-06 | 
羽田空港カナダ空港ロビーに居ます。


トロントから里帰りの女性(1930年生)とお友達に、
別の旅行社からカナダへ旅行に参加の、若い女性の方ともお友達になりました。
これで、更に楽しい旅行になりそうよ。




日常

2015-11-03 | 生活
今日から 54冊目の(天声人語の書き写しノート) にはいりました。
4年6ヶ月が過ぎた事!我ながら褒めてあげたい、
この間色々学びました。社会的な大きな事件もありました。

天声人語は私にとっては、いい教師です。

ブログは、今日3712日目を迎えました。10年2ヶ月になるトホホ。
毎日コツコツ、これが私流。あと何回?は それは 考えないことにします。
1日が無事終了すれば、喜びです。

ぼくの家は 『世界遺産』

2015-11-02 | 私の本棚
久し振りの雨で、何時も静かな部屋が更に落ち着いた空気です。



小松義夫著 [ぼくの家は世界遺産]
世界にはいろいろな家があり、暮らし方があり、
四角四面の、幾何学的な家を見つめ直す時間を貰いました。

曲がった柱、壁のない家、藁の家、泥の家、、、
自然を取り入れた家には、心安らぐものがある。
と、著者は言う。

世界の不思議な家を巡り、生活を見、[ちがうもの] に感動。だんだん消えていく暮らしを留めたいと思う著者。

[不思議は素敵!] と楽しんでる著者に共感しました。

私の旅行も、原点はここにあるかも。