若い時には 自死せねばならぬ程の 先生の心が理解出来ませんでした。
人の心の奥が、如何に深いものかが 年齢と共に読めるようになった今は、先生のこころの動き方が
興味深く、毎朝「こころ」 を切り取って こころノートに保存しています。
佐世保の高校生事件は、本当に 理解に苦しみます。 楽しかるべき若さなのに? 彼女の心の奥には、
何が潜んでいたのでしょう。心の病いだったのでしょうか?
(嬉しい! 愉しい!)の心の扉は、開かなかったの?
多くの人達を、悲嘆の底に落としました。かける言葉もみつかりません。 ただただ悲しい。
映画からは、伺い知れなかった物語の流れが、よく分かり、 杏奈がマーニーに、強く惹かれることも、
育ての親との確執の訳も、確り納得いきました。 映画だけでは読めない部分も多かったので。
しめっ地屋敷に越して来た、新しい住人リンぜー家との交流で、アンナは自分の過去を知ることが出来、
それに連れて 育ての親の愛情も、素直に受け入れられる様になりました。
アンナの生みの母は、マーニーの一人娘として育ちましたが、マーニーと同様、親と離れた環境で育ったため?
アンナの養育は マーニーに任せ、再婚相手と新婚旅行途上交通事故で亡くなっていたのです。
無関心・無感動 怒りだけが渦巻いていたアンナ。 静養のため赴いたリトル・オーバートンでの、夏休みが、
彼女を見事に成長させました。リンぜー一家の人達との触れ合いが、アンナの心を氷解していくさまが
この本によりよく理解出来ました。
原作者 ジョーン・G・ロビンソン (1910~1988)(イギリス) は、デザインの仕事から、児童書を書く様になりました。
他に 「すえっこメリーメリー」 「クリスマスってなあに?」 などがあります。
面白かったので 早速 孫娘に送ります。
iPadから送信 皐月
プレゼント
帰国後、描かれたそうです。手描きをすると一層思い出が深まる と 仰っています。
写真とまた違った、温もりと、柔らかな空気を 感じます。
K・Tさま有難うございました。
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イギリスの児童文学者 ジョン・G・ロビンソンの作品と聞いていたので 楽しみに出かけました。
杏奈、叔母さん(育ての親)、マーニー(杏奈にだけ見えてる湿地屋敷に住む金髪の少女)、叔母さんの友人夫婦
(杏奈を夏休みの間預かった。湿地屋敷が見える海辺に住む木工芸家)等等が主な出演者。
杏奈(10歳くらい?)は、他人に心を閉ざす少女で、叔母は心配し、転地療法は?と友人夫婦に預けます。
其処で杏奈は無人と聞いてる湿地屋敷を見つけ 何故か見たことある様な 不思議な気持ちを覚えます。
杏奈とマーニーは他人には言えない心の悩みを打ち明け合います。
マーニーの存在が杏奈を強く変えていきます。
少女時代にありがちな自己否定感から、自己肯定に変化していく過程が、色々な事件を通して見せてくれました。
叔母に対する疑惑も溶け、迎えに来た叔母と、元気に成った杏奈が 明るい顔で家に帰ります。
スタジオジブリの作品。処は北海道。美しい画像だけでも満腹です。
そうそう マーニーは、杏奈のお祖母さんなんですよ。
作品のせいか?夏休みに入ったせいか? 観客にお子様が多かったわ。孫にも見せたいな!
昼寝で回復
暫くご無沙汰しているからな~ 溜まってるわ。
帰国後は早朝時の2時間は、植木屋さんの真似事をして、後は昼寝か読書しています。
この暑さには 私にとって 昼寝が 最高の回復力源 になっています。
iPadより送信
帰国
6日目の観光で、この旅の予定全て終わりました。
7日目 早朝6時15分 ホテルを出てシャーロットタウンの空港へ。新人の研修を兼ねてのチェックイン業務に
イライラするほど時間が掛かりました。 日本では考えられない。
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丁寧なガイドをして下さったひろみさんとも此処でお別れです。
何時も辛くなる時間です。
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ニューヨーク・ジョン・F・ケネディへ向け出発。
アメリカの 空港の入国セキュリティは厳しいと 聞いていましたが、
良く観察してみていると日本人観光客には、それほどでもないみたいに感じました。
これも憲法9条のお陰かな? 外国にでると何時も感じる時があります。
乗り継ぎの時間待ちは、デルタ航空のラウンジを使用。こんな所が この旅行会社のいい所です。
酒類以外飲みほうだい、食べ放題で、時間待ちの辛さがありません。
飛行時間12時間30分で 、成田着 17時30分 でした。予定より少し早く着きました。
長旅でしたが、疲れは左程に感ぜずに、無事帰宅いたしました。
長いお付き合い 本当に 有難うございました。
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午後シャーロットタウンに戻り、自由行動になります。私と友はミュージカル鑑賞を
選びました。昼食もそこそこに コンフェレーションせんたーに向かいました。開場間近なので、長蛇の列でした。
タイトルは 'ANNE of GREEN GABLES' 夏季の今の時期のみ上演されるようです。
アンがこの地の人達にあいされていることが、実感出来た場所でした。
オーウェル村はプリンスエドワード島の歴史遺産を1895年当時のままに保存し、
紹介しています
墓地、教会、学校、公会堂、雑貨屋、鍛冶屋、馬小屋、、、が村内に紹介されていました。
小学1年生から高校1年の過程まで教えていました。優秀な生徒が多く輩出したとあります。1895年開校。アンもこんな学校で教えていたんでしょうね
雑貨屋 1856年アイルランドから移住したクラーク兄弟が始めました。
1905年まで経営されていました。始めは物々交換の場、次第に販売品を置くようになり
郵便局の役目まで果たしていました。
マシュウが アンにプレゼントしたちょうちん袖の服もこんなお店
店の経営者が奥に住んでいました。ビクトリア調の客間には村人達が集まって
賑やかに会話が弾んだことでしょう。
クラーク家の女主人の作業道具
当時は物々交換で、時給出来ないものを求めて店に出かけます。
売り上げ金は、貸方として、それぞれの勘定口座に書き入れておく方式でした。
今日7月1日は カナダの建国記念日。皆さん休日です。
私たちは東南地区の灯台へバスでドライブします。
パンミューラー・アイランド灯台。小さくて可愛いでしょう。灯台内はギフトショップ。
可愛い手づくり品がならんでいます。
更に南下し ケープベア灯台に。1912年 タイタニック号から 最初に遭難信号を
受信した 灯台で有名です。
島でただ一軒のワイナリーによりました。葡萄だけでなく PEI産の果物のワインなど
あり、皆さんで試飲を暫し楽しみました。
海のそばのイタリアンで軽い、早めの夕食を取り
ピークス・ワークよりサンセットクルーズに向かいました。
漁船を改造したボートでシャーロット湾をクルーズ。
落日までの夕景、海から見たシャーロットタウンの街、を楽しみました。
19朝食後、ぶらぶらとホテル周辺を散策し、あらためて全員で徒歩で行ける
ビクトリア様式の実業家の邸宅のビーコンズフィールドへ向かいました。
19世紀 造船業で成功した人が建てた美しい邸宅です。
向かい側に建つ副総督公邸の外観とお庭を見学。
次にシャーロットタウンの中心部へ。
州議事堂(プロヴィンス・ハウス) 1864年にカナダ連邦の結成する為に初めて植民地の、代表者会議が開催された場所です。
「連邦誕生の間」はほぼ当時のままに保存されていました。
外では明日のカナダデーの催しのリハーサルが、賑やかに行われていました。
其の後は自由行動。私と友はベンチに腰掛け人間観察をすることにしました。
昼食は PEI Preserve Company と呼ばれるジャム工房の運営するレストランで。川のほとりの、明るいレストランでした。
島内産のベリーなど、手づくりジャム、メープルシロップなど、売店は賑わっていました。
夕食は シャーロットタウンのステーキハウスで。お味の満足度は低かったですね。