旅人

旅大好き 人生は旅よ
あと 何回行けるかな~

盂蘭盆会

2014-07-31 | 
盆さまお迎えの準備が出来ました。

ゆっくり過ごして頂ける様に、何時もの暮らしで。

iPadから送信 皐月

こころ

2014-07-30 | ニュース
朝日新聞の連載小説、夏目漱石の 「こころ」 毎日楽しく読んでいます。

若い時には 自死せねばならぬ程の 先生の心が理解出来ませんでした。

人の心の奥が、如何に深いものかが 年齢と共に読めるようになった今は、先生のこころの動き方が

興味深く、毎朝「こころ」 を切り取って こころノートに保存しています。


佐世保の高校生事件は、本当に 理解に苦しみます。 楽しかるべき若さなのに? 彼女の心の奥には、

何が潜んでいたのでしょう。心の病いだったのでしょうか?

(嬉しい! 愉しい!)の心の扉は、開かなかったの?

多くの人達を、悲嘆の底に落としました。かける言葉もみつかりません。 ただただ悲しい。

続 思い出のマーニー

2014-07-27 | 私の本棚
岩波少年文庫版を購入し読んでみました。

映画からは、伺い知れなかった物語の流れが、よく分かり、 杏奈がマーニーに、強く惹かれることも、

育ての親との確執の訳も、確り納得いきました。 映画だけでは読めない部分も多かったので。

しめっ地屋敷に越して来た、新しい住人リンぜー家との交流で、アンナは自分の過去を知ることが出来、

それに連れて 育ての親の愛情も、素直に受け入れられる様になりました。

アンナの生みの母は、マーニーの一人娘として育ちましたが、マーニーと同様、親と離れた環境で育ったため?

アンナの養育は マーニーに任せ、再婚相手と新婚旅行途上交通事故で亡くなっていたのです。

無関心・無感動 怒りだけが渦巻いていたアンナ。 静養のため赴いたリトル・オーバートンでの、夏休みが、

彼女を見事に成長させました。リンぜー一家の人達との触れ合いが、アンナの心を氷解していくさまが

この本によりよく理解出来ました。

原作者 ジョーン・G・ロビンソン (1910~1988)(イギリス) は、デザインの仕事から、児童書を書く様になりました。

他に 「すえっこメリーメリー」 「クリスマスってなあに?」 などがあります。

面白かったので 早速 孫娘に送ります。







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プレゼント

2014-07-24 | 
旅友から 、グリーンゲイブルスと シァーロットタウンのビクトリア湾の風景画を頂きました。

帰国後、描かれたそうです。手描きをすると一層思い出が深まる と 仰っています。

写真とまた違った、温もりと、柔らかな空気を 感じます。

K・Tさま有難うございました。

思い出のマーニー

2014-07-21 | 映画


イギリスの児童文学者 ジョン・G・ロビンソンの作品と聞いていたので 楽しみに出かけました。

杏奈、叔母さん(育ての親)、マーニー(杏奈にだけ見えてる湿地屋敷に住む金髪の少女)、叔母さんの友人夫婦

(杏奈を夏休みの間預かった。湿地屋敷が見える海辺に住む木工芸家)等等が主な出演者。

杏奈(10歳くらい?)は、他人に心を閉ざす少女で、叔母は心配し、転地療法は?と友人夫婦に預けます。

其処で杏奈は無人と聞いてる湿地屋敷を見つけ 何故か見たことある様な 不思議な気持ちを覚えます。

杏奈とマーニーは他人には言えない心の悩みを打ち明け合います。

マーニーの存在が杏奈を強く変えていきます。

少女時代にありがちな自己否定感から、自己肯定に変化していく過程が、色々な事件を通して見せてくれました。

叔母に対する疑惑も溶け、迎えに来た叔母と、元気に成った杏奈が 明るい顔で家に帰ります。

スタジオジブリの作品。処は北海道。美しい画像だけでも満腹です。

そうそう マーニーは、杏奈のお祖母さんなんですよ。

作品のせいか?夏休みに入ったせいか? 観客にお子様が多かったわ。孫にも見せたいな!

昼寝で回復

2014-07-20 | 
「読んで無い本があったら 持っていっていいよ。」 の娘の声で、居間のテーブルの下をゴソゴソ。

暫くご無沙汰しているからな~ 溜まってるわ。


帰国後は早朝時の2時間は、植木屋さんの真似事をして、後は昼寝か読書しています。

この暑さには 私にとって 昼寝が 最高の回復力源 になっています。


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帰国

2014-07-20 | 

6日目の観光で、この旅の予定全て終わりました。

7日目 早朝6時15分 ホテルを出てシャーロットタウンの空港へ。新人の研修を兼ねてのチェックイン業務に

イライラするほど時間が掛かりました。 日本では考えられない。





丁寧なガイドをして下さったひろみさんとも此処でお別れです。

何時も辛くなる時間です。





ニューヨーク・ジョン・F・ケネディへ向け出発。

アメリカの 空港の入国セキュリティは厳しいと 聞いていましたが、

良く観察してみていると日本人観光客には、それほどでもないみたいに感じました。

これも憲法9条のお陰かな? 外国にでると何時も感じる時があります。

乗り継ぎの時間待ちは、デルタ航空のラウンジを使用。こんな所が この旅行会社のいい所です。

酒類以外飲みほうだい、食べ放題で、時間待ちの辛さがありません。

飛行時間12時間30分で 、成田着 17時30分 でした。予定より少し早く着きました。

長旅でしたが、疲れは左程に感ぜずに、無事帰宅いたしました。

長いお付き合い 本当に 有難うございました。

6日目 観光

2014-07-19 | 
6日目観光も これでおわりました。 思い思いに過ごした1日でした。 夕食は海沿いのレストランで、PEIの特産ロブスター料理です。 前菜は シーフードチャウダー メイン料理は ロブスター料理 デザートは ストロベリールバーブパイ ロブスターの食べ方は、ご親切に手元のシートに、絵いりで解説されていました。 両手を駆使して 奮闘です。子供の食事の後のような卓上の様に、皆大笑でした。

6日目観光 ミュージカル鑑賞

2014-07-18 | 

午後シャーロットタウンに戻り、自由行動になります。私と友はミュージカル鑑賞を

選びました。昼食もそこそこに コンフェレーションせんたーに向かいました。開場間近なので、長蛇の列でした。

タイトルは 'ANNE of  GREEN  GABLES'  夏季の今の時期のみ上演されるようです。

アンがこの地の人達にあいされていることが、実感出来た場所でした。


6日目 観光 オーウェルコーナー歴史村

2014-07-17 | 

オーウェル村はプリンスエドワード島の歴史遺産を1895年当時のままに保存し、

紹介しています

墓地、教会、学校、公会堂、雑貨屋、鍛冶屋、馬小屋、、、が村内に紹介されていました。

 

小学1年生から高校1年の過程まで教えていました。優秀な生徒が多く輩出したとあります。1895年開校。アンもこんな学校で教えていたんでしょうね

 雑貨屋 1856年アイルランドから移住したクラーク兄弟が始めました。

1905年まで経営されていました。始めは物々交換の場、次第に販売品を置くようになり

郵便局の役目まで果たしていました。 

 マシュウが アンにプレゼントしたちょうちん袖の服もこんなお店

 

店の経営者が奥に住んでいました。ビクトリア調の客間には村人達が集まって

賑やかに会話が弾んだことでしょう。

 

クラーク家の女主人の作業道具

当時は物々交換で、時給出来ないものを求めて店に出かけます。

売り上げ金は、貸方として、それぞれの勘定口座に書き入れておく方式でした。


6日目観光 キング地区の灯台巡り

2014-07-16 | 

今日7月1日は カナダの建国記念日。皆さん休日です。

私たちは東南地区の灯台へバスでドライブします。

パンミューラー・アイランド灯台。小さくて可愛いでしょう。灯台内はギフトショップ。

可愛い手づくり品がならんでいます。

更に南下し ケープベア灯台に。1912年 タイタニック号から 最初に遭難信号を

受信した 灯台で有名です。

島でただ一軒のワイナリーによりました。葡萄だけでなく PEI産の果物のワインなど

あり、皆さんで試飲を暫し楽しみました。


5日目 シャーロットタウンの街歩き

2014-07-14 | 

19朝食後、ぶらぶらとホテル周辺を散策し、あらためて全員で徒歩で行ける

ビクトリア様式の実業家の邸宅のビーコンズフィールドへ向かいました。

19世紀 造船業で成功した人が建てた美しい邸宅です。

 

向かい側に建つ副総督公邸の外観とお庭を見学。

 

次にシャーロットタウンの中心部へ。

州議事堂(プロヴィンス・ハウス) 1864年にカナダ連邦の結成する為に初めて植民地の、代表者会議が開催された場所です。

「連邦誕生の間」はほぼ当時のままに保存されていました。

 

外では明日のカナダデーの催しのリハーサルが、賑やかに行われていました。

其の後は自由行動。私と友はベンチに腰掛け人間観察をすることにしました。


4日目 食事

2014-07-13 | 

昼食は PEI Preserve Company と呼ばれるジャム工房の運営するレストランで。川のほとりの、明るいレストランでした。

島内産のベリーなど、手づくりジャム、メープルシロップなど、売店は賑わっていました。

 

 

 

 

夕食は シャーロットタウンのステーキハウスで。お味の満足度は低かったですね。