旅人

旅大好き 人生は旅よ
あと 何回行けるかな~

2日目 デりー観光 ラージ・ガード レッドフォート 

2008-11-30 | 
 昼食はチョール・バザールで。

  ナンを チキン・豆・ほうれん草・じゃがいも 
のカレーで頂きました。

レッド・フォード 世界遺産 

  レッドフォード 名のとうり赤砂岩の城
5代皇帝 シャー・ジャーハンが建立しました。

ガージラート

  マハトマ・ガンジーが眠る記念碑です。

  ガイドさんの話に依ると、
何処か外国の高官がお参りした時このように花で飾られるのだそうです。
ラッキーでした。

  インドは 牛・コブラ・ねずみ・
(従って猫はいません。)象・・を大事にします。

  バスでニューデリー駅に来ました。

  この荷物皆列車に積み込みます。

  日本のような駅舎は見当たりません。
人と荷物を掻き分け、ホームに向います。

  私達の荷物はポーターさんが
バスから ホームまで運んでくれました。助かりました。

  車内に乗り込みました。  左側上下で4席 
右側上下で2席 席幅70cm位で 落ちるのではないかと心配しました。
シーツと毛布を貰って・・お休みなさい。 寝られるか心配!!
一応 2等車なんですけどね~・・・

2日目  フマユーン廟 (世界文化遺産)

2008-11-29 | 
クトウプミナールから フマユーン廟へ行きました。 

  観光地巡りに オートリクシャが 
良く使われています。乗り合いも可能。一応メーターは 付いているようですが、話し合いで決めてるようです。
戦前 日本から輸入されて以来 いまだ使われ 名前も日本式です。
道は でこぼこ、乗るには 相当覚悟が要ります。

 世界文化遺産モニュメント

  チケット売り場 入場時間の設定がいかにもインド式
Sunrise To Sunset 日の出から日没まで。
でも考えてみれば最も合理的ですね。 料金は先と同じでした。
因みにインド人は Rs10(20円)でした。

  この門から中に入ります。
ムガル朝 2代のフマユーン帝の墓朝。ムガル様式と言われています。
材料は 赤砂岩・大理石(白・黒・黄)に宝石を はめ込んでいます。

  前景です。中央に王冠をイメージしたドーム・
左右対称な塔 タージマハールは これに倣っています。
フマユーンは 1565年に 建立されています。

  後景です。周囲は手入れの行き届いた花壇です。

  棺が安置された部屋

  大理石の皇帝の棺です。

  学校に行けない子供も 多く居るようです。

  日本語で”こんにちわ” と挨拶受けました。
日本語も もう 勉強してるのね。将来高級官僚になれる子供達かな?

2日目  デりー観光  ホテルから クトゥヴミナールへ(11/21)

2008-11-28 | 
  ホテル・エントランス

  ホテル・ロビーマン

  ホテルの前は 高速道路建設中
あと数年後は 全てが変わっているんだろうな~ と 予測させます。
街中を歩く時はマスクが必携。砂塵が凄いです。

  添乗員さん・現地ガイドさんと共に
左端は 夫ではありません。念のため。

クトゥプミナール
  チケット売り場 入場料 Rs250/人
(約500円) ビデオ持ち込み料 Rs25(50円)
但しこの料金は外国人向けの設定です。

世界遺産モニュメント 

  1193年にクトゥプウッディーン・アイバクが 
ヒンズー教徒に勝った 戦勝記念塔として建設。
高さ72.5M 初め100Mだったそうですが、飛行機によって 破壊されました。
第一層=北向きで ヒンズー様式 2~3層=東向き・イスラム様式
下3層は赤砂岩・・上は大理石と砂岩。

  柱・壁には コーランの文句を
図案化し 彫刻してあります。



  鉄柱 7.2M グプタ朝時代 4世紀に建立。
いまだ錆びず 健在なのは純度100%だからと言われている。
当時の技術の高さが判る 柱です。

  インドの小学生も見学に・・
多分エリート校でしょう。 皆懐こく手を振り 挨拶を交わしました。
先生も ニコニコ顔で 応えてくれました。 
Namaste (ナマステ) 今日わ の合唱でした。

 成田~ニューデリー 空港へ(11/20)

2008-11-27 | 
  JL471便 この飛行機に搭乗します。 
11時20分発。 直行便です。
  機内の昼食は 早速カレーです。
ご飯は 外米 スプーンで食べました。辛味は日本人向けでした。

  現在位置を確認しつつ。九州・上海・・の上空を・・

  ヒマラヤ連峰が、見えてきました。

  機内にて 入国カード を作成。

インドは インド国査証(ビザ・インド大使館にて取得)も未だ必要でした。
17時35分到着。
時差は3時間30分なので 現地時間ではPM4時着。所要時間 6時間半です。

  到着前に軽くおやつが出ました。

  空港からホテルへ向うバスの車窓から。
ピーパー・ピーパー クラクションの音が凄い。信号なんて見当たりません。
我勝ちの運転です。

  今夜のお部屋 ホテル・クレモント 

やっと静かな環境になりました。明日は 朝食6・5時~  荷物だし8.00時  
出発9.00時です。  お休みなさい。

燃油サーチャージ

2008-11-19 | 
         

ガソリン今日は117円になっております。

明日から インドへ行きますが 燃油サーチャージ50300円は 相変わらずですし
円高になっても 旅行代も 相変わらずです。


何時から反映するのか?  早く値下げして欲しいわ。

では 行って参ります。


シロタ家の20世紀

2008-11-18 | ニュース
          

NHKラジオの深夜便 ”心の時代”(18日 午前4時) 
「よみがえる記憶の中の人々~記録映画に惹かれて」 で
藤原智子さんのお話し聞いて感動しました。

藤原さんは ドキュメンタリー映画監督で、”ベアテの贈り物” につづいて
この作品を完成しました。
暫く前までは 岩波ホールで上映されていたのですが、
機会を逃してしまいました。本当に残念です。

”シロタ家の20世紀”
ロシアで生れた ユダヤ人 レオ・シロタは、山田耕作の願いで 
1929年にピアニスト育成と演奏活動のため来日しました。

娘ベアテは 戦中アメリカで学び、両親に 会いたいために
GHQの 職員として 戦後日本に来ました。 
そして日本国憲法作成に 関わった唯一の女性です。


”ベアテの贈り物”は 彼女が憲法に盛り込んでくれた、24条の
男女平等の 贈り物の ドキュメントです。 

レオの弟達は、 ナチス強制収容・戦死・戦治犯等で亡くなりました。

シロタ家の人達が辿った 夫々の人生は 現代史 そのままです。

この映画は 監督が言ってましたが、幾つもの幸運に依って出来ました。
その一つ・制作資金に行き詰まっていた時、
レオ・シロタの 愛弟子 藤田晴子さんの 遺産で 賄う事ができた由。
旧い資料の発掘等 多くの人の協力が ありました。
監督の 筋の通った思いが 多くの人達の協力に 繋がったのでしょう。

平和の尊さを あらためて 感じる映画だと思います。

12月に 札幌で上映予定があります。出来たら飛んでいってでも  
見たい気持ちです。

憲法九条は しっかり護らねばいけないと あらためて思います。

シロタ家の公式webサイト




黄葉

2008-11-17 | 植物
今日も温かな小春日和でした。

いつもは気にもせず 通り過ぎている神社なんですが、
余りの黄葉の美しさに 車を止めて見入ってしまいました。

疲れ切った頭に 優しい木の葉が舞って来ました。

同じ思いの人たちでしょう 何人か佇んでおりました。

怖い絵 2

2008-11-15 | 私の本棚
            

1の順に読みたかったのですが、前後しました。でもそれは関係無いみたいです。

20編の絵の解説です。「ピカソ・泣く女」 「カレーニョ・デ・ミランダ カルロス2世」  
「ベラスケス・ ラス・メニーナス」  「ファン・エイク  アルノフィニ夫妻の肖像」・・
は馴染みがありましたが、今まで何処を見てたのでしょうとの思いが有りました。

中でも「ミレーの晩鐘」 の絵でした。夕暮れ仕事を終えた農夫婦が 
祈りを捧げ、神に感謝している図 が 今までの私の感想でした。

ミレーには賛否両論の画家も多く、ゴッホの様に神の如く崇める人もいれば、
ボードレールの様に 哀れな農民が嫌味だ と貶す人もいる。

特にダリの分析は極端で吃驚。 絵の中のジャガイモ籠は実はわが子の御棺であって
埋葬後の 嘆き悲しみの 祈りをしている絵であると。
又農婦が如何にエロティックであるかと。

ダリの妄想と言ってしまえない部分もあり、目からウロコでした。

見たこと無い絵も多く有りました。又これらの絵をあらためて見てみたくなりました。

2008-11-14 | 植物
すっかり枝が満になり、気になっておりました。
ブログ友の お義父上が今日 手入れに来てくださいました。

下の枝まで 太陽の光が通るようになり すっきりしました。

有難う。

メンテナンス

2008-11-13 | 生活
気持ちのいい小春日和の日になりました。こんな日は 心も軽くなります。

頼んでいた ストーブのお掃除の人が見えました。

          

名前はベートーベンだそうです。 今日知りました。
ベートーベンと 一緒に暮らせるのは 楽しいもんです。