子供の頃
「人はなぜ生きてるの?」
「人間の生きる目的って何?」
という漠然とした問いに、真っすぐ答えてくれる大人は
僕の周りには1人も居なかった。
高校生の頃になって
偶然見たニュース番組で
「僕が何故生まれてきたのか知ってる?」
「僕はママに会うために産まれてきたんだよ」という赤ん坊の何気無い一言が
哲学的な命題の答えになっている事を知った。
思春期の頃、僕は胸の奥の方で
誰も答えてくれる大人が居ないのなら、
せめて自分くらいは
「人間の生きる目的は○○なんだよ。」
と自分の子供に教えられる大人になりたいと思った。
同時にそれは、答えを出せない大人に生きる価値が無いという
極端な解釈や思想にも繋がっている。
今日、ぼくは自分の生きる意味がなんなのか
何も応える事が出来ないいい加減な人間になってしまっている
大人らしくもなく、子供らしくもない、
ただの無価値な人になってしまっている
今はそれが少しだけ恥ずかしい。
そう思いながら、僕は就職活動の入り口に立とうとしている。
はたして僕は就職すべきなんだろうか?
背中で語るカッコいい大人を目指してるわけじゃない
ただ、子供の頃の自分に会わせても、恥ずかしくない人でありたい
周りの人なんかどうでもいいと思っているくせに
自分の形と影を見つめて気にしている
本当の自分を知りたくても今は見つめる勇気が無いのかもしれない。
「人はなぜ生きてるの?」
「人間の生きる目的って何?」
という漠然とした問いに、真っすぐ答えてくれる大人は
僕の周りには1人も居なかった。
高校生の頃になって
偶然見たニュース番組で
「僕が何故生まれてきたのか知ってる?」
「僕はママに会うために産まれてきたんだよ」という赤ん坊の何気無い一言が
哲学的な命題の答えになっている事を知った。
思春期の頃、僕は胸の奥の方で
誰も答えてくれる大人が居ないのなら、
せめて自分くらいは
「人間の生きる目的は○○なんだよ。」
と自分の子供に教えられる大人になりたいと思った。
同時にそれは、答えを出せない大人に生きる価値が無いという
極端な解釈や思想にも繋がっている。
今日、ぼくは自分の生きる意味がなんなのか
何も応える事が出来ないいい加減な人間になってしまっている
大人らしくもなく、子供らしくもない、
ただの無価値な人になってしまっている
今はそれが少しだけ恥ずかしい。
そう思いながら、僕は就職活動の入り口に立とうとしている。
はたして僕は就職すべきなんだろうか?
背中で語るカッコいい大人を目指してるわけじゃない
ただ、子供の頃の自分に会わせても、恥ずかしくない人でありたい
周りの人なんかどうでもいいと思っているくせに
自分の形と影を見つめて気にしている
本当の自分を知りたくても今は見つめる勇気が無いのかもしれない。