老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

夜景

2009-11-09 09:30:01 | ベトナム
ホーチミンシティではこの人民委員会の建物とかレンガ造りのカテドラルとか中央郵便局とか、はたまたホテルではコンチネンタルとかマジェスティックとかグランドとかの植民地時代の建物が夜になるとライトアップされてキレイである。ハノイの人民委員会も湖のほとりにあって堂々とした建物だがかなりジンミンイインカイ的に装飾とかもないソッケない雰囲気で、カテドラルはカテドラルで石貼りの外観がカビで薄ぎたなく汚れているし、ホテルもソフィテルメトロポール以外は建物的にたいしたホテルはない。だからといってホーチミンシティがよくてハノイが悪いということでは全然なくて、ワタシには町としてはハノイのほうが数段おもしろいのだが、それはヨーロッパ的な秩序を好むかアジア的な混沌を好むかによって評価が分かれるところであると思う。

ヒトもハノイとホーチミンシティではぜんぜん違っていて、コレに関しては政治的な要因が大きいと思うのでこういうところではあまり書かないほうがいいのかもしれないが、ニッポンから来たガイジンのワタシにはホーチミンシティのほうがやりやすい。5,6人を見ただけで全体を判断するのは無理と思われるかもしれないが、おそらくコレは当たっている。ハノイのヒトは他人の指示に従ってジブンの考えを曲げるようなことを徹底的に嫌う。バイクに乗っているときに他人に絶対道を譲らないのと同じように何を言ってもジブンのやり方を変えない。もちろんニッポンにも同じようなニンゲンはいるが、ハノイでは10人中8人がこういうタイプである。そういうのをダキョウを許さないシンがしっかりしたヒトという言い方もあるが、ワタシにはまわりの見えない視野の狭い脳ミソの硬直したニンゲンとしか見えない。交差点でじっと睨みあう姿は角を突き合わす牛のようで愚かとしか思えない。

コッチに来て何度もブチ切れて、その場では飼い主におこられた犬のようにヒレ伏してユルシを求めるかのようにふるまうがすぐに元に戻る。そうやってだんだんこっちが衰弱していくのを待っている。ほんとうにたいしたジンミンなのである。

ホーチミンシティ市民劇場

2009-11-08 18:55:19 | アート
きのうの夜はホーチミンシティでもう一泊してコレに行ってきた。TOYOTAがスポンサーになって東南アジアの何カ国かでヨーロッパの楽団とアジアの若い音楽家とのコンサートを開くという毎年恒例の催しで、ことしは日本にも去年の暮れに来ているチェコのプラハ・チェンバー・オーケストラ、略してなぜかPKOがマレーシア、タイ、ブルネイ、台湾、ホーチミンシティ、ソウルとまわって行く。きのうはベトナムだからということだろうと思うが、ベトナム人の若いソプラノ歌手、Nguyen Bich Thuyサンが2曲歌った。
1週間前にコッチに住んでいるヒトに頼んで切符を買ったのだが、ほぼ売り切れ状態で隅っこの通路沿いのがやっととれた。ところがフタをあけたら真ん中のいちばんいいところに空席がポッカリあって、どうせ商売の付き合いで配ったのがムダになったということだろう。タダ券を配るというのは結局誰のタメにもならない。

会場はホーチミンシティのオペラハウス。今の正式名称はハノイと同じように市民劇場となっている。フランス統治時代の1898年に建てられたバロック調の建物だが、ケッコウ大ざっぱなデザインで、東京で言えば神宮外苑の絵画館のような印象。きれいに塗装はされていてあんな薄汚くはないが、雰囲気的にはなんともこちらのキモチを寄せ付けないそっけない建物である。
写真は客席部分の天井でUFOを下から見たような、といってはあまりにシロート的なコメントだが、コレくらいしか写真に撮りたくなるようなモノがなかった。
とはいえ演奏はヨカッた。少なくともコッチで何度か聞いたベトナム国立交響楽団のようにひとりひとりが勝手に自己主張しあうような聴きにくさはなかったし、Thuyチャンの歌もそこそこ聴けた。ただもうひとりチェコ人のソプラノ歌手、Marie Fajtovaサンが別の2曲を歌ったのだが、、コッチのほうはお目目のあたりから強い遠赤外線がでていて骨の芯まで熱くなる感じ。しびれマスた。

コンサートが終わってロビーでヨーロッパ系の知り合いにあいさつしたりしていかにもコクサイ人みたいなキモチで外に出た。ホーチミンの夜はハノイに比べれば田舎の農道と銀座通りくらいの違いがある。オネーさんたちがソコココに立ってガンマー線を放射してくる。目が合うともうおしまいで翌日、硬直してサイゴン川に浮かぶことになる。空とか見ながら何とかホテルにたどり着いて、さっき、ハノイのウチに帰ってきたところ。

泥河

2009-11-07 07:26:21 | 窓際
今週末はホーチミンシティ。きのう1日に3件おザシキがあって一部を今日に持ち越した。でもって今晩はたまたまコッチのオペラハウスでチェコのオーケストラのコンサートがあるのでちょっと覗いてみるか、という感じであしたの昼に向こうに帰る。
コッチは1年中夏できのうも32~3℃はあった。夕方にハゲしいスコールがあって夜には涼しくなったが空気がドロっとした感じで歩き回るのはツラい。オマケに先週マッサージを受けたのが今頃になってその反動で首筋から両腕がシビれて水平から上に上がらない。2,3年前にも同じようなことがあってその時は脳コウソクの前兆じゃないかと思って医者に行ったらひと目見るなりそんなことはないと言われて、ただ肩が凝ってるのは間違いなくて血が流れやすくなる薬をもらった。コッチでは恐ろしくてなかなか医者にも行けない。

写真はホーチンミンに行く途中のただの風景。ベトナムは細長いのですぐ向こうはラオスとカンボジアが見えている、はず。湖、というか泥ウミから泥の河が流れ出して大地を潤している、はず。水田では稲が実って、農民は収穫を祝う踊りを踊りながら酒でも飲んでいる、はず。そばには水牛使いの少年がいるがその少年のなかにはワタシのことなどコレっぽッチも存在していない。

ガンボ

2009-11-03 00:55:02 | 料理
ガンボ大阪、ガンボの宿、ガンボルギーニにがんボクメツ、、だんだんクルシくなってきた。そんなことはどうでもいい。ジブンで書いておいてなんだが。ニッポンがまた祝日と聞いて、アホらしくなって自縛、いや、自爆したくなっただけ。
というわけでコレはそれとは関係なく、この前ニッポンで食べたエビのガンボ。横浜そごうのガンボ&オイスターバーで食べまスた。ガンボはコレにも書いてある通りアメリカ南部の料理でオクラを使ってとろみをつけたシチューのようなモノをご飯にかけて食べる料理。早い話がブッカケご飯。かなり濃い味でこういうのばっかり食べていると、下半身がよく育ったショウガみたいに平たく横に広がったデブになるんだろう。

ブッカケご飯で思い出したが30年前に高田馬場の駅前から細い坂を下りるところのビルの半地下に豚肉かけご飯のうまい店があって、店は中華系なのだがだいたい昼に行くとみんなその豚肉かけご飯を食べていた。豚の角煮ではないのだが形はあんなのが3個くらいと玉ねぎだったかなにかがとろみのついたタレと一緒にどんぶりご飯に乗っかって出てくる。ワタシの三大マボロシの味のひとつ。
ちなみに他の二つは立川駅前の高島屋の食品売り場にあった屋台のような店の持ち帰りソース焼きそばと、蒲田の専門学校街の近くの、ついこの前まであったとんかつ屋の昼のとんかつ定食。どれも今はもうない。

ついでに忘れないように書いておくと死ぬ前にもう一度食べたいのは渋谷から六本木のほうに行く坂を上がったところにあるドイツワインの店のニシンの酢付け。白ワインと一緒に食べると死ぬほどうまい。それと新潟の糸魚川の駅から海のほうに向かって、広い商店街に面した坪庭のある古い家がそのまま店になっている蕎麦屋のカレー南蛮。たたみに座って食べる。糸魚川では寿司屋で食べたカニ鍋もうまかった、あと、唐津のイカの刺身とか、別に唐津まで行かなくても博多で十分うまいし、ミュンヘンのカテドラルの広場で食べたソーセージも忘れられない味。あとはサンマ。今頃ニッポンじゃ1匹100円もしないんだろうがアレはコッチでは食べられない。
小倉駅のホームで食べたカシワ蕎麦もネギがシゃキシャキしてうまかった。駅蕎麦なら鶴見駅のイカ天ソバも舌がしびれるくらい辛くてうまい。ラーメンならナゴヤの鶴舞駅のガード下の玉ねぎスープのが何度食べても飽きないし、西麻布の裏道でよく食べたマーボーナスご飯も忘れられないがコレはこの前探したらもうなかった。自由が丘の中華料理屋のジャージャー麺も思い出したようにたまに食べたくなる。地震が起きる前の神戸で食べた1人前3万円のステーキも値段を忘れさせるくらいうまかった。今もあるかは分からない。

どこどこのナントカという店は三ツ星ヨ、みたいな話にはまったく興味ないのだが、ジブンなりにアレはホントにうまかったというのが、思い出すだけでこんなにあった。できることならもう一度、死ぬ前にもう一度、食べたいものだ。

『tokyo sonata』

2009-11-02 00:53:21 | 映画
今週のHanoi Cinematequeはアジア映画特集で、ニッポンからはコレが出ている。ハノイでニッポン映画が上映されるのは珍しいのでニッポン人がおおぜい来ているかと思ったらワタシ一人。あとはオウベイかよ、みたいな。ニッポン人代表として、カレ等とは別のところで笑ってやるぞと、ややチカラが入った。
ただストーリーがあまりに異様というか、悲惨な話をおもしろおかしく見せようというのはわかるが、これでもかこれでもかっていうくらい、最後のほうはあり得ない展開で、しまいにはもう好きなようにして、って言いたくなるようなはなし。いくつかの批評でアトアジが悪いって書いてあったのはこういうことか、と。ただそれほどでもなかった。

作者の言いたいのは権威の失墜みたいなことが、もともと権威なんてないんじゃないの、みたいなことで、学校のセンセとか父親とか、権威だけで生きてるようなヒト達がそこから権威を奪ったらただみっともない笑いモノにすぎない、みたいなことか。学校のセンセは電車の中でエロマンガを読んでるところを生徒に見られて権威を失うし、父親は会社でリストラされて毎日炊き出しに並んでやっと掃除のシゴトを見つけて、そこを家族に見られてひたすら逃げまくる。
で、話としてはそうやってぼろぼろになってもう一度はじめからやり直したいとココロの底から思ったら、ホントに初めからやり直すみたいに、一度死んで生き返って崩壊した家族が再生する。
うんざりするようなあり得ない展開なんだが、こうやって外国でガイジンとして見ているとコレがニッポン的なココロ温まる話なんだとミョーに納得できたりして。。

欧米ジンはこういうのを見て、ニッポンってホントにわからないって思うに違いない。ワタシが見てもありえない話。それを役所広司とかキョンキョンとか香川テルユキとかがすっとぼけて演じている。
みんなもう一度やり直したいと繰り返し言う。ニッポン人はみんなもう一度初めからやり直したいと思っている。そういうふうにガイジンには受け取られたと思う。

2008年、ニッポン映画。クロサワ・キヨシ監督。

ボウリング海苔巻き

2009-11-01 06:18:21 | ベトナム
木曜の午後にニッポンから帰って金曜の朝便でホーチミンへ出張。カラダが濡れた毛布のように重い。引きずって歩いている感じ。ニッポンでは特に書いておくようなコトは何もなく、とにかくホトホト疲れた。もう二度とウマを引き連れて行くのはイヤ。
カレ等のガイネンに周りに合わせるとか他人の迷惑を考えるとか、はたまたヒトと譲り合うとか、テキパキモノを進めるとか、、そういう外界とか時間の巾とかと調和していこうという考えは一切ないのをあらためて思い知らされた。やれやれ。

それはそれとしてホーチミンではもう少しヒトは柔軟で、韓国料理屋の海苔巻きだってこんな感じで出てくる。スタッフとの打ち合わせも実にスムーズで言ったことはちゃんとやるし、こうすればもっとよくなる、みたいなこともときどき出てきてココは別の国かと思うくらい。
じっさい気候は別の国のように違っていてホーチミンは雨期と乾期の二つの季節しかなく早い話1年中夏だが、ハノイはコレから湿った寒い冬に入る。ヒトビトはダウンジャケットを着てあの夏のスケスケ感はどこに行ってしまったの、みたいな。

それもそれとして、今日はほんとに久しぶりのコッチでの休日。市場でトウモロコシを買って茹でて食べようかとか、夕方にはいつもの店で生ビールのんで焼きソバ食べて、そのあとはアノ欧米系映画館でニッポン映画をやるので見に行こうかとか、それもアトアジが悪いことで有名な映画で、そのアトアジの悪さを引きずってまた1週間に突入。。