老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『The Tillman Story』

2010-09-09 01:48:51 | 映画
アメリカで最近公開されてマイナーながら話題になっている映画がハノイの路地裏の映画館で見れる。情報化社会における世界のフラット化というのかな。その一方でアフガニスタンの山岳地帯で起きていることはその場にいるヒト以外はだれも知らないから、誰かの都合のいいように話がでっちあげられる。そしてそのウソの話がネットに乗って世界中でものがたりが共有される。それはあくまでもモノガタリ、ウソのつくり話かもしれないという映画。

映画といってもドキュメンタリーで、最近アメリカで主流になっている、アカデミー賞まで獲ったイルカ漁映画に代表される、善悪を初めから決めつけた独善的軽薄ドキュメンタリーとは違う。だから今年のサンダンス映画祭にノミネートされてウケた割には受賞に至らなかった。
主人公はアメリカンフットボールのスター選手、Pat Tillman。選手として最盛期を迎えていたときに9.11のテロを見て米軍のアフガニスタン侵攻に志願する。それで山の中で銃で撃たれて死ぬ。ソコで一体何が起きたのか、ソレを明らかにすることが作者の意図するところだが、事実を知っているニンゲンが口を割らなければ真実は絶対にオモテに出ないというのが結論で、二つの立場がやや誇張されて光を当てられながら示される。

ひとつはアメリカンヒーローってやつ。愛国心をかき立てるためにヒーローとして祀り上げて自己陶酔して他国への侵略を正当化させるヒト達の立場。勇敢にも敵にコロされたというTillmanの死は世界中のメディアを通じて伝えられ、追悼試合ではチアリーダーたちも遺族の前で足をおっぴろげて特別な追悼ダンスを披露する。ファントム戦闘機の編隊が競技場の上を飛びブッシュの演説が大画面に映し出される。まさにお祭り。見ず知らずの他人にジブンの息子であり夫であり兄である家族がヒーロー呼ばわりされて、そういうことに家族は疑問を持ち始める。

そこでその死について調査した軍のレポートを詳細に調べた家族は大きな疑問にぶつかる。果たしてホントに敵にコロされたのか、と。レポートの多くは黒く塗られて具体的な情報が特定できないようになっている。でもソレを詳しく読んでいくとTillmanは敵にコロされたのではなく、味方に撃たれたということが分かってくる。friendly fireってコトバ。このへんは英語の字幕なし上映だったので全体の半分も理解できない中で、あとで批評を読んでわかったコト。

ただソレももっと穿って読めば、この侵攻を世界中に向けて正当化しなければならない強大な権力をもったヒト達が一方にいて、もう一方に産まれながらのヒーロー志願の若者がいて、その若者はまたアメリカンフットボールという国技のスターでもあり、まさに大ヒット間違いなしの舞台と演出家と役者と観客がそろった状況で、じゃあ本当のところはこういうことなんじゃないか、と、ソレを決めつけるわけではなく、父親が国防チョーカンに投げつけたコトバを借りながら一つの見方としてホノメかして映画は終わる。エンディングの音楽はUSA、USAを連呼するワリと軽いモノでソレも作者のひとつの主張に聞こえる。

ま、ニッポンで公開されるかどうかはわからないが、大雨の中をわざわざ見に行ったカイはあった。
監督はAmir Bar-Lev。原題は “I'm Pat_______ Tillman”。Tillmanの最後のコトバとして軍のレポートに書いてあったもの。_______の部分は放送キンシ用語。