来月、この人のコレを見に行くので、予習の意味でこれを読んだ。なにやら戯曲づいている。
ひと言で言えば社会派コメディ。別にひと言で言わなくてもいいのだが。別にぃ、だ。で、思い出したように、芸能人の謝罪会見って、結局は三流テレビ局の視聴率稼ぎの道具でしかないことは、前々からわかっていたが、予告があって、会見があって、その後の○○さんみたいなのがあって、復帰会見があって、いくらコクミンが白痴化されているといっても、電波の無駄遣いもいい加減にして欲しい。
この芝居はそういう言葉をめぐって殺意までモヨオシテしまうのかと思ったら、殺意といってもリアルなものではなく、ごく日常的に、ワタシなんかも前の席に座ってるムカツク上司に抱いていたり、駅までの道でタバコ吸いながら追い越していったヤツに対して抱くような、そういう抽象的な殺意である。
簡単にいえば、別に簡単に言わなくてもいいんだが、ある国語の教師がアルバイトしようとしてある会社に行ったら、そこの人がら抜き言葉を使うのが気に入らなくて、で、ある時、その人の弱みを見つけて、ばらさない代わりにら抜き言葉を使うな、ってことになって、ひとついいことをしたと思っていたら、今度は国語教師のほうが弱みを見つけられて、逆にら抜き言葉を使わないとばらすぞ、って言われて、、、、そんな感じで、~ってゆうかぁ言葉とか、~みたいなぁ言葉とか、~じゃないですかぁ言葉とかが飛び交っているなかで、最後はそれはそれでいいんじゃないですかぁ、みたいな、ってゆうか、言葉はそれぞれの社会がつくり出すものだってナ結論で、ホンワカして終わる。
最近、本にまでなってしまったKY言葉なんかも、小さな社会の中だけで通じる言葉をカレラが作り出して、それを楽しんでいるわけだから、その意味がわかるかとか、なんでそんなふうに略すんだって言ったって、そんなことはわからなくて全然構わないのだ。それが本なんかになってしまうと、まったくドッチらけで興ざめなのは明らかなのに、それをまた三流テレビが取り上げて、商売のネタにしようとしている。
情けないのは、そういうことに対する根本的なスタンディングポイントが不明確というか、そもそもないということで、、総理大臣があんなだから、テレビも、それを見るコクミンもみんな同じになってしまうのは仕方がないと諦めるべきか。
今度の芝居は2年前にやったものの再演で、卒業式で立ち上がって右手を斜め右上方に突き上げて?、君が代を歌うかどうか、みたいなことがテーマになっているが、それも歌いたい人は堂々と歌えばいいし、歌いたくない人は座って鼻クソでもほじくっていればいいと思うのだが、それをビデオに撮って証拠にしたり、マイクで声の大きさを測ったりする滑稽さをネタにしていて、内容的にはかなり期待できる。
光文社文庫版 2000年刊
ひと言で言えば社会派コメディ。別にひと言で言わなくてもいいのだが。別にぃ、だ。で、思い出したように、芸能人の謝罪会見って、結局は三流テレビ局の視聴率稼ぎの道具でしかないことは、前々からわかっていたが、予告があって、会見があって、その後の○○さんみたいなのがあって、復帰会見があって、いくらコクミンが白痴化されているといっても、電波の無駄遣いもいい加減にして欲しい。
この芝居はそういう言葉をめぐって殺意までモヨオシテしまうのかと思ったら、殺意といってもリアルなものではなく、ごく日常的に、ワタシなんかも前の席に座ってるムカツク上司に抱いていたり、駅までの道でタバコ吸いながら追い越していったヤツに対して抱くような、そういう抽象的な殺意である。
簡単にいえば、別に簡単に言わなくてもいいんだが、ある国語の教師がアルバイトしようとしてある会社に行ったら、そこの人がら抜き言葉を使うのが気に入らなくて、で、ある時、その人の弱みを見つけて、ばらさない代わりにら抜き言葉を使うな、ってことになって、ひとついいことをしたと思っていたら、今度は国語教師のほうが弱みを見つけられて、逆にら抜き言葉を使わないとばらすぞ、って言われて、、、、そんな感じで、~ってゆうかぁ言葉とか、~みたいなぁ言葉とか、~じゃないですかぁ言葉とかが飛び交っているなかで、最後はそれはそれでいいんじゃないですかぁ、みたいな、ってゆうか、言葉はそれぞれの社会がつくり出すものだってナ結論で、ホンワカして終わる。
最近、本にまでなってしまったKY言葉なんかも、小さな社会の中だけで通じる言葉をカレラが作り出して、それを楽しんでいるわけだから、その意味がわかるかとか、なんでそんなふうに略すんだって言ったって、そんなことはわからなくて全然構わないのだ。それが本なんかになってしまうと、まったくドッチらけで興ざめなのは明らかなのに、それをまた三流テレビが取り上げて、商売のネタにしようとしている。
情けないのは、そういうことに対する根本的なスタンディングポイントが不明確というか、そもそもないということで、、総理大臣があんなだから、テレビも、それを見るコクミンもみんな同じになってしまうのは仕方がないと諦めるべきか。
今度の芝居は2年前にやったものの再演で、卒業式で立ち上がって右手を斜め右上方に突き上げて?、君が代を歌うかどうか、みたいなことがテーマになっているが、それも歌いたい人は堂々と歌えばいいし、歌いたくない人は座って鼻クソでもほじくっていればいいと思うのだが、それをビデオに撮って証拠にしたり、マイクで声の大きさを測ったりする滑稽さをネタにしていて、内容的にはかなり期待できる。
光文社文庫版 2000年刊