老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『レイテ戦記 (上)』 大岡昇平

2007-01-27 09:16:33 | 文学
このトシになって、こういう名作を初めて読むというのも恥ずかしい限りだが、今年の最初のカダイとして正月から読み始めて、やっと上巻を読み終わった。あと、中、下巻があるが、全部読んでからだと始めのほうを忘れてしまうので、とりあえず一筆、書いておこうかと。

これまでこういう戦争記録モノを避けてきたのは、やはり、あの戦争を生き残った人たちの書くものには、都合よく脚色されたものが多いと思っていたので。大部分の死がムダであったのに、決してそのようには書かない、そういうのはどうしても読み進んで行けないと思ってきた。比較的オリジナルなままの特攻隊の若者の手紙とか、今映画になっている硫黄島の記録なども、個々の文章には民族としてのホコリをかきたてられるものがあると思うが、それらでさえも、それを取りまとめた人たちのスナオな作為に覆い包まれているのは明らかで、そういうスナオさが戦争を推し進めてきたとも言えるし。

この『レイテ戦記』は作者自身が兵士として戦ったフィリピン・レイテ島での戦争体験を、多くの、日米両国の戦争記録を読み解いて、自身の体験をもとにした判断を加えて再構成しながらも、きわめて客観的な記録として書き上げたものだ。
この上巻では、レイテ島沖海戦と、その最中にうまれた特攻隊作戦を中心に、日本軍が負け始めるところが描かれている。
作者は、同じ兵士として、特攻隊で死んでいった若者に賞賛のキモチをおくりながら、一方で、それらのキチガイじみた作戦を裏で操っていた戦争指導者がいかにでたらめで、日本軍がいかに時代遅れだったかを、正確な記録を示しながら明らかにしていく。
コクミンに対し、一方的に根性とか愛国心とかを求めるのは今のニッポンでも変わらないが、だから今、こんなに借金が膨らんで、年金もそのうち破綻して、お先真っ暗な世の中になろうが、全然そこからいい方へ向かおうとしないのは、負けが明らかになっても、原爆が落とされて、ボロボロにされるまで戦ったあの頃とまったく同じなのだ。

10年前くらいに仕事でフィリピンの田舎のほうに何回も通い、そこで、強烈で何日も居座る台風にあったり、山道で太っとい蛇なんかを見てきたワタシの個人的な体験をもとにしても、さぞかしあんなところで戦うのはタイヘンだったろうと、のん気に想像する程度でしかないが、ホントに、なんであそこまでイッテしまったのか、今、考えるのは無駄ではないだろう。
それにしても、、セブとか、サイパンとか、グアムとか、、死んだ父親もよく言っていたのだが、ああいう日本兵の霊魂がうごめいているようなところに、海水浴とかオトコ・オンナ漁りとかで遊びに行くニッポン人の神経は、一体、どんな鈍いモノになっているんだろうか。

中公文庫版 1974年刊