老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

MY ARCHITECT ナサニエル・カーン監督作品

2006-07-24 21:33:31 | 映画
明日からまた出張なので、何か書きたい気分。
とはいえ、カイシャの奴隷の身としては、映画を見るチャンスなんて2ヶ月に1度くらい。
だから半年前に見た映画のことを書いても、許されるだろうし、ムダでもないだろう。
それだって、おとといの晩御飯のおかずを思い出すのと同じくらい、物忘れ防止の役には立つだろうから。

さて、この映画、1月から渋谷の小さな映画館で、それも朝か夜か、1日1回の上映だけで細々と続いてきたかと思ったら、今や全国行脚。
私が見たのは3月の終わりだっただろうか、有給休暇の残りを1日でも使おうと、ムナシイ努力をしていた時期、春休みの学生さんにまじって、朝から渋谷のホテル街の入口にある映画館で見てきたのであります。

話は簡単で、ルイス・カーンさんという、今は亡き世界的建築家の息子さんである、ナサニエル・カーン監督が、自分の父親の作品を訪ね歩いて、父の偉大さに気付くというもの。最後にはホロリとさせられる場面もあるが、一般ウケするものではないと思った。

客観的に分析すると、こんな映画をわざわざ見に行くのは次の3種類の人間ではないかと想像できる。
 ①ケンチクカ、または建築学科の学生、または建築愛好家
 ②インド、バングラデシュなどの南アジア愛好家
 ③腹違いの兄弟の悲しい人生の物語愛好家

ワタシはもちろん②であるが、③と思われるオバサマのグループも確かにいた。世の中イロイロである。
ただ、基本的な映画の趣旨は③なんだろうと思う。
ルイス・カーンは奥さんを3度くらい換えていて、その3人とも最後まで嫌いになったわけじゃあなくて、家庭を顧みず、結局は仕事、というか、建築に生涯をささげてしまった人で、その3人の奥さんの間に生まれた子(監督本人も含めて)が映画に登場してきて、父親の設計した個人住宅の中で、父について語り合うというシーンが、この映画のもっとも深い部分だったと思ったので。

私たち家族は愛されなかった、と。

ただそれが最後のシーンで、カーンの最後の傑作となった、バングラデシュ国会議事堂の中で、監督である息子が、そのプロジェクトを手伝った現地の建築家のひとに、あなたのお父さんは、こんなにバングラデシュの人々を愛して、こんなに素晴らしい建築を残してくれた、本当に愛にあふれた人だった、と言われて、やっと、本当の父親の姿を見つけ出したと感じるのである。

だからこれは、そこいらの建築愛好家が、あっ、アレはインド経営大学だ、とか、アレはイェール大学だ、とか、アレは三位一体教会だ、とかいって喜ぶ映画じゃない。メロドラマなのだ。

ということで、近所に来たときは、ぜひ見ていただきたいと思いました。

第76回アカデミー賞、長編ドキュメンタリー部門賞ノミネート作品。