2019年2月23日(土)
長浜城博物館友の会特別講座がありました。
友の会会員以外も受講できますが、500円有料となる。
博物館の展示を見ると入館料400円が必要。
我が輩は会員なのですべてタダ!
受付したら、来年度(4月からの)更新手続きできますよ、と言うので更新した。
なんと、すでに来年度の会員証が用意されてる。
手回し良すぎ、じゃないの?
もし更新しなかったら、新会員証無駄になる。
絶対に更新すると踏んでるのか?
ちなみに年間会費は、2000円也。
会員証があれば一年間、博物館の展示を自由に見られる。
今回のような講座、講演会も基本的に無料。
極めてお得!
すぐに元がとれます。
長浜市に居住してなくてもOK。
是非とも会員になることをオススメします。
て、我が輩は回し者か?
…………………………………………………………
今回の講座は、
【宮川藩と堀田氏】
講師は、博物館学芸員の井並悦子さん。
たぶん、30歳独身…
たぶん、◇乳…
たぶん、長浜市に住んでない。
なぜなら、以前長浜に向かう電車のなかで後ろの席に座ってるのを見たから。
て、憶測でものを言うな?
失礼しました。
では、講座の内容をちょこっと紹介。
宮川藩、知名度低い。
歴史通でもほとんど知られてないのでは?
なので、宮川藩の啓蒙のために今回展示と講座が開催された。
藩主は堀田氏。
13000石。
堀田といえば、幕末の佐倉藩主堀田正睦が有名だが、佐倉藩堀田家は宮川藩堀田家の分家筋。
佐倉藩の10分の1の石高しかないけど、堀田氏の本家はあくまでも宮川藩なのである。
堀田家は、平安時代の貴族・紀長谷雄の子孫と称していて、本姓は紀氏。
尾張国中島郡堀田村に住み着いて豪族となったので堀田と呼ばれる。
戦国時代、織田信長や小早川秀秋に仕え、最終的に徳川家の家臣となった。
だから、井伊家と同じく新参者で三河以来の譜代ではないが、
その働き目覚ましく、譜代大名の仲間入りした。
三代将軍家光の時に佐倉藩15万石の大大名となったが、
堀田正信が、老中松平信綱と対立し領地没収となった。
しかし、その家柄を潰すのはまずいということで、
正信の子の正休の代に復帰、上野国吉井藩(高崎市)一万石を与えられ、
元禄11年、近江宮川藩に領地替えとなり、その後要職に就いたためさらに3000石加算され13000石となり、明治時代まで存続した。
なお、その後の佐倉藩の堀田氏は正休の弟の正俊系で、安中藩、山形藩などを経由して佐倉藩に戻り11万石として明治まで存続した。
本家の堀田氏はわずか一万石の小大名なので、近江宮川村に陣屋を構え、藩主は江戸住まい。
だから、宮川陣屋に来ることはほとんど無く、藩の経営は家臣に任せた。
ただし、大坂城代になった時、ついでに陣屋に立ち寄ったことがあるそうです。
藩邸は、中屋敷が浅草雷門の近くにあった。
現在、屋敷の痕跡は無くてマンションになってるそうです。
浅草に「金蔵寺」があり、かつて堀田家の菩提寺だった。
今も家臣の方が参詣されてます。
いつか、立ち寄ってみたいものです。
その2に続く
※なお、長浜城博物館のこの企画展示は、24日に終了しました。
※画像は講座の資料です
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
長浜城博物館友の会特別講座がありました。
友の会会員以外も受講できますが、500円有料となる。
博物館の展示を見ると入館料400円が必要。
我が輩は会員なのですべてタダ!
受付したら、来年度(4月からの)更新手続きできますよ、と言うので更新した。
なんと、すでに来年度の会員証が用意されてる。
手回し良すぎ、じゃないの?
もし更新しなかったら、新会員証無駄になる。
絶対に更新すると踏んでるのか?
ちなみに年間会費は、2000円也。
会員証があれば一年間、博物館の展示を自由に見られる。
今回のような講座、講演会も基本的に無料。
極めてお得!
すぐに元がとれます。
長浜市に居住してなくてもOK。
是非とも会員になることをオススメします。
て、我が輩は回し者か?
…………………………………………………………
今回の講座は、
【宮川藩と堀田氏】
講師は、博物館学芸員の井並悦子さん。
たぶん、30歳独身…
たぶん、◇乳…
たぶん、長浜市に住んでない。
なぜなら、以前長浜に向かう電車のなかで後ろの席に座ってるのを見たから。
て、憶測でものを言うな?
失礼しました。
では、講座の内容をちょこっと紹介。
宮川藩、知名度低い。
歴史通でもほとんど知られてないのでは?
なので、宮川藩の啓蒙のために今回展示と講座が開催された。
藩主は堀田氏。
13000石。
堀田といえば、幕末の佐倉藩主堀田正睦が有名だが、佐倉藩堀田家は宮川藩堀田家の分家筋。
佐倉藩の10分の1の石高しかないけど、堀田氏の本家はあくまでも宮川藩なのである。
堀田家は、平安時代の貴族・紀長谷雄の子孫と称していて、本姓は紀氏。
尾張国中島郡堀田村に住み着いて豪族となったので堀田と呼ばれる。
戦国時代、織田信長や小早川秀秋に仕え、最終的に徳川家の家臣となった。
だから、井伊家と同じく新参者で三河以来の譜代ではないが、
その働き目覚ましく、譜代大名の仲間入りした。
三代将軍家光の時に佐倉藩15万石の大大名となったが、
堀田正信が、老中松平信綱と対立し領地没収となった。
しかし、その家柄を潰すのはまずいということで、
正信の子の正休の代に復帰、上野国吉井藩(高崎市)一万石を与えられ、
元禄11年、近江宮川藩に領地替えとなり、その後要職に就いたためさらに3000石加算され13000石となり、明治時代まで存続した。
なお、その後の佐倉藩の堀田氏は正休の弟の正俊系で、安中藩、山形藩などを経由して佐倉藩に戻り11万石として明治まで存続した。
本家の堀田氏はわずか一万石の小大名なので、近江宮川村に陣屋を構え、藩主は江戸住まい。
だから、宮川陣屋に来ることはほとんど無く、藩の経営は家臣に任せた。
ただし、大坂城代になった時、ついでに陣屋に立ち寄ったことがあるそうです。
藩邸は、中屋敷が浅草雷門の近くにあった。
現在、屋敷の痕跡は無くてマンションになってるそうです。
浅草に「金蔵寺」があり、かつて堀田家の菩提寺だった。
今も家臣の方が参詣されてます。
いつか、立ち寄ってみたいものです。
その2に続く
※なお、長浜城博物館のこの企画展示は、24日に終了しました。
※画像は講座の資料です
馬《●▲●》助ヒヒーン♪