馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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西国街道歩き、芥川宿から島上郡衙跡

2020-11-27 19:50:00 | 摂津国の史跡
2020年10月25日
芥川宿で寄り道してます。
教宗寺から西北へ住宅地の中を右に行ったり左に行ったり進む。
Googleマップのおかげで迷わず行けるのが助かる。

芥川小学校跡地


明治6年から昭和8年までここに校舎があったようです。

さらに進むと名家のような建物が。



植込みの隙間に石碑が見える


【芥川城跡】
有名な芥川山城とは場所も城主も規模も全く違う。
地元芥川氏の館城があったようで、芥川宿付近の土豪だったのでは?
芥川山城と区別するために摂津芥川城と呼ばれる。



当時の石垣ではないが、ついつい石垣目線で見てしまう。
はい、病気です😅
由緒あるお家のようですが…


昼になったので先程の小学校跡地横のポケットパークのベンチでパンを食べました

城跡へのルート図


街道をしばらく西へ進んだ後、
またまた寄り道。

【嶋上郡郡衙跡附寺跡】

郡衙は郡の役場があった施設。

発掘調査された跡、埋め戻されて保存されてる。

近畿地方で初めて確認された郡衙で、国史跡に指定された。


学生時代、我が輩は野洲郡衙跡の発掘調査したことある。
結局、確定できるような遺構は検出されなかった…


基壇跡か?と思われるような上の道を奥へ進むと、

こちらは郡衙跡の西側で、
遺構の縮小版が復元されてる。

保存された遺跡は地下にあるので見学できない。
そこで、隣の敷地に推定復元されていて見学者に当時の施設を実感してもらおうという試み。

建物があればもっとわかりやすいが
予算の関係もあるだろう。
贅沢を言ってはいけませんな。

「後門」


「厨」


古来、三島郡があったが、後に三島上郡と三島下郡に分割され、島上郡と島下郡と改称された。
現在は、三島郡は島本町のみ。
この他に高槻市や茨木市、摂津市、吹田市なども三島郡でした。



三島は、「水島」の転化だと思われる。
古代は河川や湿地に囲まれた島状の土地に集落があったのでは?

郡衙跡が明瞭に残ってる地域は全国的にも少ない
それだけに三島郡衙は貴重だと言っていい。





摂津国衙に関しては今のところ不明。
難波宮付近が有力だが、三島郡も捨てがたい。
摂津国は本来、津国。
難波津など大和朝廷の外港として重要な港(津)が、淀川水系や大阪湾に点在した。
この津をおさめる政府機関として「摂津職」が設置された。
後に「摂津国」として国名となる。
全国の国名で、地名じゃなくて役職名が国名になった稀有な例が摂津国なのです。

さらに西へ向かい、寄り道します。

続く…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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西国街道歩き、高槻から茨木

2020-11-19 14:31:00 | 街道歩き
2020年10月25日(日)
前回は、山崎から西武高槻店まで進んだ。
今回は西武高槻店から出発するのだが、西武高槻店が無い!
見ると、阪急高槻となってる。
そういや、我が西武百貨店大津も閉店した。
近江商人、堤家の百貨店が消えていくのは寂しいものである。
街道歩きの前にちょこっと寄り道。

なお、高槻駅の観光案内所で
続百名城に選定された芥川山城のスタンプ押しました。

ちなみに八幡山城はコロナのためにロープウェイが閉鎖されていて押せなかった。
今は業務再開されてるのでまたいつか行かねば…
飯盛城は大河ドラマで賑わってると思うので大河が終わってから来年にでも再訪予定。

芥川山城の現地登城は数年前に済ませてるので今回はスタンプのみ。


「上宮天満宮」

無事に街道を歩けますように安全祈願した。
境内に入ると着飾った参拝者が多い。

七五三参りです。
羨ましい…

「昼神車塚古墳」

上宮天満宮の敷地だった。
前方後円墳だが、道路建設で分断された。


前方部







天満宮の北に「伊勢寺」がある。



三十六歌仙の一人で平安中期の女流歌人、伊勢姫が晩年を過ごした由緒ある寺。

だが、目的は墓参り。

墓地に案内矢印があるが、かなり迷いました
そして、

「和田惟政」の墓。
甲賀和田の武将で、覚慶(後の足利義昭)を和田城に迎えて保護したのが始まり。

信長にも仕え、芥川山城主、高槻城主として活躍するが、荒木村重、高山右近などにより和田家は滅亡します。
高槻城公園に高山右近像が建ってるのを見るとなぜか、悔しくなる。
高槻城を最初に改修したのは惟政だぞ!
合掌。

次に立ち寄ったのが、
「霊松寺」


境内の北に墓地あり。




三好義興の墓。
義興は、有名な長慶の子。
父の長慶は河内飯盛山城に移ると義興は芥川山城主となったが、父より先に亡くなった。

墓地の一角にあるが、こちらも探すのに難儀した。
結局、この墓参りだけで二時間ロス…

街道歩きスタートは、11時過ぎになってしまった

ようやくスタート、西へ向かう


芥川一里塚







再び寄り道






「教宗寺」
芥川宿の中心的な寺だった。

石風呂が残されてる。
宿場で使われたそうな。






さらに寄り道します

続く…


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ







東近江市八日市の「瓦屋寺」
初めて参拝したが、
この紅葉は、京都や奈良の有名な社寺に負けへんで!


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家の庭の紅葉

モミジの木は、一本しかないので寂しいが、仕方ない。

真っ赤になる前が最高ッス。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪





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彦根城の石垣探検

2020-11-13 17:05:00 | 滋賀県情報

石垣探検、昔参加したことある。
その時は文化財課の案内でした。

佐和山城の石垣や石仏、石棺などを使用した痕跡など見どころいっぱいです

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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東近江市「太郎坊宮」「小脇館跡」

2020-11-03 09:28:01 | 近江の史跡
2020年9月27日
午前中のハイキングは近江鉄道八日市駅がゴール。
午後は、「太郎坊宮前駅」に移動。


前回の八風街道歩きがここで打止めだったので、今回はここから永源寺へ向かってスタート。
ですが、その前に参拝します。


高い山の中腹に参拝所がある。


岩がむき出し。
「太郎坊山(赤神山)」は標高350m

この階段がしんどい!

途中に駐車場があるので、車なら楽チン。
この日は名古屋からの団体バスが2台来てました。
3密を避けてさらに登る



夫婦岩をくぐって
拝殿に到着。



八日市飛行場跡方向を見る

眺望は抜群です

でも、手術後初の山登り。
足腰は大丈夫だったが、心臓バクバク。
箕作山へのハイキングコースもあるが、とても無理。
あきらめて下山しました



でもこのまま帰るのは口惜しい

小脇館跡を探索することにした

こじんまりとした集落が 往時のまま?残ってる、
と、思いたい…

集落を流れる溝は堀跡?


「大将軍」神社

ここに解説板があります

【小脇館跡】
宇多源氏が佐々木荘に移ってきたのが佐々木源氏の始まり。
その最初の館跡が小脇館ではないかと、推定されてます。
その後、地元の豪族沙沙貴山君系列の氏族と親戚関係になり佐々木氏として近江で実力を蓄え、後に京極氏・六角氏が近江守護となります。
この他、尼子氏、朽木氏など数多くの氏族を輩出します。
名門佐々木氏の本拠地はここだったのです。
真偽不明ですが…



地図の「小脇町」と表示されてる所から西へ少し進んだ位置に集落があります



↑館跡の遺構の雰囲気がありますね

山の中腹付近に「小脇山城跡」の遺構が残ってる。
石垣も散見されるとか?
佐々木氏の家臣の三井氏が築いた。
三井氏は現在の三井家の祖先だとか?
これも真偽不明なので鵜呑みしないでね。
登りたかったが、もう脚が限界にきてたので退却しました。

またいつか体力が付いたら登ってみます。
というか、地元の山城はいつも後回し。

我が輩の格言
「いつでも行けるは、いつまでも行けない😅」


探索最後のご褒美は

八日市駅前の「銘茶ますきち」の「政所茶ソフトクリーム」

政所茶は永源寺地区で栽培されてる。
石田三成、秀吉の三献の茶は政所茶だったとか?
井伊のお殿様も愛飲したとも。

歴史の重みを感じるソフトクリームでした


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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