馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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【土佐遠征】4、土佐国分寺&国府跡へ

2023-06-13 10:45:59 | 土佐国の史跡


岡豊城探索後、

少し史跡見学


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元親の次男の墓地かも?。


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さらに西の場所に


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親和がこの一族の墓と別だったのはなぜかな?


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さらに登ると岡豊城西側の3重堀切の先の鉄塔が見えた。

こちらからも登れそうな…


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これより東へ向かう

少し距離があります


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痕跡なし。


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南下します


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厳島神社はたいがい湿地、水辺に造られることが多い


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お遍路さんが来られてました
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数年前に阿波国分寺に参拝したので

土佐国分寺と合わせて四国では2つ目。

四国お遍路さんの道は29番国分寺〜岡豊城跡を通って30番善楽寺へと繋がる。

国府に近い岡豊城の位置の重要さがわかりますね。


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金堂は長宗我部元親親子が再建
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大師堂は山内家が再建


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疲れたので、総社で缶コーヒー休憩

さらに東へ向かう



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遺構はこの田んぼのなかに埋もれてるようです
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国司さんの館跡へ行く前に寄り道
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比江山は比叡山にちなんで名づけられた
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この解説板を読むと比江山城跡の文字が。

これは想定外!

突然現れた山城跡。

登山の装備してないので、マイナーな城跡に立ち寄るのはダメ、

でも、そこに城跡があるのにスルーするのは

気が引ける、

ウ~ン、悩んだ。

行ける所まで行こうかな?

山頂に神社があるようなのですが…

さぁ、どうする家康

いや、どうする馬秀?

続く〜

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【土佐遠征】3、岡豊城

2023-06-02 11:54:00 | 土佐国の史跡
初日、午後は土佐の中心地へ。

高知駅からバスで学校分岐へ。

資料館へ行く途中に



そして
来たのはバスですが、
JAFの会員証を見せたら入館料1割引き


資料館で岡豊城の続百名城スタンプを押し館内見学。





元親像の裏から登ります


そして岡豊城跡を縦走します。
北から南へ向かう

資料館は二の丸下の段かな?

二の丸と詰(本丸)との間に堀切、

堀切の中に井戸がある



詰下の段(外枡形曲輪)、



詰(本丸)

北側以外は土塁に囲まれてる




三の段と四の段は本丸を取り巻く帯曲輪


四の段から出丸への間に





最後が、
伝厩跡曲輪(出丸)
草まみれ
西側に二重堀切があるはずだが

来た時期が悪かったのか?
真冬なら見られるのかな?
百名城に指定されたのだから、せめて堀切はいつでも見られるようにしてほしい

幻滅してやる気をなくして引き返す

四の段西側に

その西尾根に
大堀切
さらに
堀切2つ

ハイカーいっぱいいるけど、ここを見てる人は我が輩だけ。
3重堀切となる。

典型的な畝堀が南へ連なる

ここを見ないで帰れるもんか!


とりあえず最後は機嫌を直しました、
とさ。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家の紫陽花、

この雨でどんどん咲きそう




馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【土佐遠征】2、土佐中村城下町

2023-05-24 16:33:00 | 土佐国の史跡
2023年5月9日
土佐中村城を縦走し、北端の中の森駐車場から崖下へ降りた。



縄張り図では
詰城、今城との間に堀切があります


しかし、現在はグーグルマップ
大きな団地になって跡形もない

この小山は

城跡探索はここであきらめる

城下町探索をしながら駅へ戻ることにした。

昔、マイカーで四国一周した時は
中村市でした。
佐田沈下橋にも行きましたよ。

土佐中村は関白の家柄の一條氏の城下町で約百年続く戦国大名になりました。
まずはお墓へ。

民家横で、かなり迷いました
階段を上がると

後に長宗我部元親に攻め滅ぼされることになるのですが、
この辺の経過は司馬遼󠄁太郎の本が面白いです。

合掌!

城下町の中心部へ

次に
一條神社へ
小高い丘の上にあります
中村御所と呼ばれた

藤棚は時すでに遅し

じっくりと探索したかったが時間が無くて

境内から中村城跡を見る

階段下に

ここから駅へ急ぐ

このルートを足早に南下
一條氏は京都の碁盤目状の街並みを再現し、現在までその町割り残ってます
南には大文字山があり送り火もおこなわれてるそうです


9時24分
特急あしずり、高知行きに乗りました

ちなみに朝昼兼用のパン1個を列車内で食べた

次は長宗我部氏の山城へ


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我が家のミニバラ

昨年は全く咲かなかったけど、

今年は無茶苦茶咲きました

こんなに咲いたの初めて

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【土佐遠征】1、土佐中村城

2023-05-19 15:03:00 | 土佐国の史跡
最近1ヶ月近く体調不良となり、もうそろそろ我が人生も潮時か、と思われ。
ならば、最後の思い出として、
ケアマネさんにお願いして一週間の特別休暇をいただきました。
母は2回目のショートステイへ。
我が輩が倒れたら否応なく介護施設に入らねばならないので、お試し練習も兼ねて、です。
我が輩は鬼の居ぬ間に命の洗濯として
遠征に出かけることに。
北国街道歩き、前回は金沢で終了したので、今回は金沢から倶利伽羅峠を越えて富山県へ向けて歩く予定をたてた。
準備完了し、いざ出陣まで秒読み
と、思っていた矢先に
能登の大地震が。
余震の心配もあり、ケアマネさんの意見もいれてこちらは断念しました。
そこで、急遽計画変更。
四国のお城で唯一高知県だけが未踏だったので、土佐国の城を制覇することにしました。

2023年5月8日、
京都駅八条口。
深夜高速バスしまんとブルーライナーに乗りました

21時00分出発

途中、淡路サービスエリアで休憩


翌日
5月9日
道の駅あぐり窪川(四万十市)で休憩

そして、
6時45分
中村駅到着、下車。


昔、マイカーで四国一周した時は雨の降るなか、佐田の沈下橋に立ち寄り、
中村で宿泊した。
当時は中村市だったが、
現在は合併で四万十市になってます。

目的地は中村城ですが、駅から徒歩30分
以上かかる。
後の予定が詰まってるので、ここは駅前に停まってたタクシー(1060円)を利用した。
運転手さん色々と中村城のことを説明してくれて勉強になりました。

7時08分為松公園到着

実はここ道路になってますが、
本来は

堀切でした

堀切が桜の段と二の丸と為松城を分断してます
桜の段


二の丸には郷土博物館があります。

土塁が三方を巡ってます


為松城が本丸かな?
中村城は東城、為松城、今城跡などの城を総合して中村城と呼んでます
土佐中村城は、公家出身の一條氏がここに土着し、戦国大名になりました。



中村城には家臣の為松氏が入り築城したとされてます。
一條氏没落後は長宗我部氏、山内氏が支配したので、それぞれの時代の遺構が散在してます。
為松城跡は為松氏と山内氏の両方が居城としたようです

中の森手前に土塁が少しだけ残ってる。

この付近は動物園になったのでかなり破壊されてます

北端の駐車場までが城の主要部で
この下に大堀切があった


ウ~ン…

続く…



馬《●▲●》助ヒヒーン♪












コメント (2)
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