馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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β《#^ひ^♯》でヒヒーン

若狭【天ヶ城】後編

2021-09-23 17:41:38 | 若狭国の史跡

2021年8月1日(日)

山頂の北側は崖ともいうべき急斜面になっていてロープを伝って降ります。


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↑恐怖の崖、高低差15m以上

降りると「二重堀切」


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最大の見所です。
というか、高低差15m以上の切岸だけでも充分堅固なのに、さらに二重の堀切とは!


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堀切から切岸を見上げる

画像ではわかりにくいが、かなりの急斜面です


W堀切を越えると大きな曲輪で「北西郭」と名付ける。


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東側と北側が薄い土塁で囲まれていて、曲輪らしい感じに感激。


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この城は西側に土塁が全くなくて、西からの敵を想定してないようです。
ま、西側は若狭湾だからね。
北西郭の北土塁下には半月形の帯曲輪あり。
帯曲輪から東へ回り込むことができた。


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北郭の北東端の土塁が切れてるので「北東郭」への虎口なのかも?
東虎口の下は段々曲輪のようだが、自然地形にも見えて遺構としてはよくわからない


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ここで引き返した。

11時46分、再び山頂の櫓台。

↓休憩してる人がいました。
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東尾根へ向かう。

ロープを伝って降りると
「堀切」


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結局、北、東、南尾根はすべて堀切で遮断されてるわけです。


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堀切を越えると土塁状の盛り上がった細尾根となる。


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この先は、さらにハイキング道として北や東の山へ行けそうですが、
雷が鳴り始めたの深追いはやめた。
山頂で正午。
お腹空いたし昼休憩したかったが、雷鳴が強くなってきた。
ので、慌てて下山開始。

12時17分、南尾根への分岐。


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早く下山すべきだが、ロープがあり登山道として整備されてるようなのでちょこっと寄り道することにした。


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というのは、尾根沿いに曲輪跡の遺構があるかも?という好奇心で。

結局、何も城跡遺構らしいものは発見できなかった。

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↑電波施設の残骸?


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「遊歩道」という看板あるがよくわからない。
この尾根下には県立大学の校舎があり降りかけたが、金網柵が巡らされてるようで立入禁止だと思うので、
やっぱり正規の登山道に戻ることにした。


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雷鳴はさらに強くなり、恐怖心が襲い、物凄く慌てた。
必死でかけあがり下山しました。
13時24分、公園駐車場。


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慌てたため、伊吹山に登った時に痛めた右膝が再び痛みだした。

雷鳴凄かったが、結局雨降らず大したことなかっただけに天が恨めしかった
天ヶ城だけに、アメが降るジョウ
と脅されたような…

この後、足を引きずって小浜城跡を探索したが、
丹後街道歩きは断念しました。


天ヶ城、夏でも気楽に登れるので後瀨山城とともにオススメです。

以上、
おしまい。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

docomoから

ご利用料金の支払い確認がとれてない

というショートメッセージが来た


詐欺メールだと思ったので

即削除した。


危ないぞ!

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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若狭【天ヶ城】てんがじょう 前編

2021-09-14 19:46:30 | 若狭国の史跡

2021年8月1日(日)
小浜市西津の天ヶ城山(266m)の山頂にある天ヶ城跡に登りました。
本来は阿奈志山だったのを若狭武田家の家臣内藤重正が築城した時に天ヶ城と呼ぶようになったようです

「天下城」という表記もあったとか?


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戦国時代、丹羽長秀が落城させたそうです。
小浜城の北に位置するために南の後瀬山城とともに小浜城の詰城として重要な城跡ではないかと思います。
ただし、後瀬山城のような技巧的な優れた遺構はあまり無い中世山城跡です。

登山道はハイキングコースとして整備されていていくつかのルートがある。


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通常は東側の羽賀寺から登るのが手っ取り早くて簡単のようですが、
我が輩は小浜城跡及び周辺の史跡探索も予定してたので小浜湾側の若狭総合公園から登りました。
遠回りのコースです。

公園入口北側に2段の駐車場あり。
上の段にはトイレと自販機があります。
一番入口の下の段に車を停めた。


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この下段駐車場の一番奥に案内板と獣柵があり、登山口です。


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10時12分スタート!
登山道には看板もあり迷うことはない。


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真夏でも大丈夫です。

10時37分、南尾根への分岐。
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下山時に立ち寄ります
10時50分、左側が竪堀に見えた


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だんだん急坂になる。


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ロープが張られてる。
10時55分、羽賀寺からの登山道と合流。


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公園から40分もかかったが、羽賀寺からなら10分ほどかな?

11時02分
「堀切土橋」


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これより城内です。
真前は切岸のため登山道は左へ迂回する。


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虎口を
入ると大きな平坦地があらわれる。


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とりあえず「南郭」と名付ける
奥へ進むと郭を分割する土塁が現れる。


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左端が切れてるので仕切り土塁のように思える。
この土塁は東側へ回り込むように繋がるが、南へ行くにしたがい土塁は消える
さらに北上すると東側に小土塁。


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これも郭を仕切ってるのか?
うーん…


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土塁と土塁の間を曲輪とすると、4→3→2→1(山頂櫓台)

という区分か?


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そして、最後の小土塁を越えると


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11時13分
山頂に到着。


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登山口からちょうど一時間でした。
見晴らしよくて櫓台、と想定されてるようです。
若狭湾、小浜城跡を見るには抜群の眺望。


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この山頂までの南郭全体が主郭になると思います

後編に続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【伊予国遠征6】河後森城5、風呂ヶ谷から下山

2021-09-02 22:10:58 | 伊予国の史跡

2021年2月21日(金)

土塁、堀切、竪堀、復元建物など見所満載の「西第十曲輪」


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山城の防御の最前線に位置する曲輪として非常に重要な郭と言える。

馬蹄形、U字形の曲輪に関しては

次のような解説がなされてる。
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中世の山城は山の尾根を利用するのでこのような形になるケースがある。

門からの通路を下って風呂ヶ谷へ下山することにした。
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こちらは駐車場から登る場合の登山道で百名城スタンプを押すだけならこのルートが手っ取り早い。

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「井戸」
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谷の奥にある。

本郭の真下に位置する。


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↑井戸の上の段々


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風呂ヶ谷の入口を見る

左手に新城

新城に登った時に竪堀をみつけられなかったので
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下から見上げて、この付近が竪堀かな?

と推測した。


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駐車場のある風呂ヶ谷入口まで来ました
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普通ならここで帰るのだが


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どうしても竪堀群を見たくてちょこっと寄り道。


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↑溝の脇に登れそうな道を見つけた


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上に西十曲輪の建物が見えます。

斜面の白い部分は崩落を防ぐための土嚢です


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土嚢の下が堀


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堀切、土橋、竪堀

これでとりあえず満足しました。

帰ります


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梅園

そして、

13時、JR松丸駅に戻りました。

時刻表を調べるとバスのほうが早く宇和島駅に戻れるので帰りもバスにした。

バスは36分後なので、

駅の足湯に浸かって昼のパンを食べた


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2月の寒い時期に

足湯は気持ちいいです。
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で、この後バス停に行くとおばあさんがいて、ちょこっと話をした。

今から松山へ行くと言う。

俳句の会に参加するそうです。

愛媛県は俳句の国ですな。

一句作った

伊予の城 ハイクの疲れは 足湯で

もう一句

松丸駅 虎口でバスを待ち丸

お粗末様でした。

午後は宇和島城を駆け足で探索します。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

金メダルひこにゃん!
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金メダルは噛むものじゃない!

メダルにしがみつくひこにゃんだにゃー!


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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