馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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伊賀【平ノ沢城跡】ひらのさわじょうあと

2021-11-12 22:33:46 | 伊賀国の城跡、史跡

2021年1月10日(日)
旧大和街道歩きで、途中に城跡があると立ち寄ってみたくなる。
そこに山があるから登る、
という登山家と同じ心理です。
旧東海道関宿から分かれて国道25号線を西の柘植宿へ向かってひたすら進む。


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次の市場宿(加太駅付近)との中間付近に「金場(かねば)」地区があり、小さな宿場だったようです。
「鐘鋳場(かねいば)」という鐘を造る鋳物場があったとか?
現在の住所は亀山市関町金場。



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旧道は国道から分かれて集落の中を進む。
金場公民館前で昼食を済ませて午後一番に平ノ沢城跡を探索することにした。
加太川に越川大橋があり橋を渡って川沿いに山の麓まで行けそうに思ったが、私有地や田畑の畔を進むのは難しそうなのであきらめた。

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↑無理です。

集落を抜けて国道を進む。


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城跡は加太川の対岸の山の麓なので、川を渡らねばならない。


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渡る場所を探していて、しばらく進むと国道から川原へ降りられる通路を見つけた。

地蔵堂付近から川沿いへ
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川原へ下る
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対岸へ渡れる場所を探した。


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意外に水嵩があり恐かったが、飛び石の要領でおもいきってなんとか渡った。

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渡って

堤の上にでると土塁→石積あり。


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山の麓の平場で、川が大きく蛇行してる場所なので洪水があるだろうし、その対策の土留石だと思われる。
山に向かって段々畑や屋敷などを構えた痕跡かもしれない。


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さらに進むと明瞭な土塁、石垣があり、これは城跡だと確信した。


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↑土塁、石積などうろ覚えで記入したので不確か。

位置は不正確です

そして、削平地が広がり

獣捕獲用の檻の近くに
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先端部に
「平乃澤城址」関町教育委員会
の標柱が建てられてました。


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この標柱の下にも石垣がありその下は曲輪か屋敷だったのではないか?


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↑下段曲輪から上段を見上げた


すぐ近くに井戸跡のような物も。


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南北朝時代、南朝方だった楠木正盛(正成の祖孫)がここに落ち延びて城を築いた
と、亀山市教育委員会のパンフに記載されてます。

城跡の由来はこれだけ。

後に畑などに開墾された痕跡のようでもあり、どこまでが城跡か判然としないが、ともかくも楠木氏が隠れて住むにはもってこいの場所だと思いました。

陸伝い、山裾伝いでいくルートを探せばあるかもしれないが、
今回は危険な川原を渡って探索しました。

危ないので良い子は絶対に真似しないようにお願いします。

なお、JR関西本線加太駅から東へ徒歩約30分の位置です。

以上おしまい。


この後、ネット検索して

「三重の中世城館」という教育委員会発行の報告書がネットで公開されていて、スマホにダウンロードしました。

そのなかから、平ノ沢城跡の解説と縄張図を見つけた。

参考までに掲載します。

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わかりにくい縄張図だが、無いよりマシ!

この縄張り図持っていってもう一度探索してみたいな😅

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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伊賀【川東の館城群】春日山城、丸山城

2021-03-01 23:30:00 | 伊賀国の城跡、史跡
2021年2月21日
大和街道歩き。

新堂駅から約3キロ南の川東地区には、たくさんの館城の遺構があり、
土塁に囲まれた民家が散在する。

春日神社の駐車場に車を置き、見学した。

館城は、
現在も居住されてるので、民家の土塁の外側をチラッと見て歩いた。

いやぁ、これは国の景観地区として指定すべきじゃないの?
と思った。

↑図の大深氏館と田中氏館は逆かな?
と、管理してるオジさんがおっしゃってた。

この館城群を見て回るだけで1日潰れるかも?
でも、不審者と間違われそうなので、オススメはしません。


川東地区の城跡としては、
春日山城、壬生野城、丸山城がある。



【春日山城】

神社の背後の山頂。
社殿改築中のためこの横から登れない
なので、東側の裾野付近から適当に尾根伝いに登った。

しばらくすると、土橋が現れて、右側のみ大堀切。

いわゆる片側土橋。

土橋を渡ると帯郭→主郭に。

主郭の北側には藪になってるけど横堀がありました。
この堀底藪を端から端まで移動すると
先ほどの大堀切の手前に行きついた
もしかすると、大堀切に繋がってたかも?
南西側はちょこっと段郭群あり。

で、西側へ下山しました。


伊賀の特徴ともいうべき土塁囲みの曲輪ではなかった。


【壬生野城】
川東公園の裏側にある。

有名なので、詳細は省略。

綺麗に整備されていて、見学者もちらほらいました。

導入部の堀に枝草が積まれてる。

地元のオジさんが、土塁斜面を整備されてる。

「この高い土塁を見てもらうために刈ってる」とおっしゃった。
いやぁ、感謝感激。
丁寧にお礼を言いました。

↑主郭の畝土塁群は他では見られない貴重な遺構だから、誇ってください、
と、持ち上げておいた。
オジさんが言うには、
この城は本来、清水城、清水砦と呼ばれていて清水氏が築いたのです。
後に偉いさんが地名の壬生野城と名付けた。
と、教えてくれた。
伊賀甲賀の城跡は◯◯氏城という名称が多い。
この城も清水氏城と呼ぶべきなのでは?
さらに、オジさんが言うには昔、堀を整備したら、砲弾が出てきたそうです。
信長が伊賀を攻めた時にはまだ大砲は無かったはず。
だから、もっと後の時代に戦乱があったのかな?
という見解でした。
うーん…




【丸山城】
こちらは登る予定してなかったので何も事前の下調べ無し。
館城群を巡ってるうちに衝動的に登ることにした。

農作業されてる人に聞いてみると、昔は石垣もあったが、今はひどい竹藪になってる。
でも、せっかく来られたのだから、見てもいいよ。
と、おっしゃったので、
お言葉に甘えて入らせてもらった。

電気柵があるが、低くなった部分を跨ぐ。


祠を過ぎると、確かにひどい竹藪。

普通の人なら退散するはず。

我が輩は、土塁の上に登ったり曲輪の中を探索してみた。

怪我しそうな藪で厳しかった。
探索の結果、
ちょこっと概略図を書いてみた。

極めておおざっぱですが、
西側以外は土塁に囲まれてる。
祠から繋がる南側が虎口と思われる。
虎口から内部へ堀底のような窪んだ道が浅く残ってる。

土塁の外側を調べるべきだが、とても無理。
あきらめて退散しました。





Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我が家の紅梅、
ほぼ満開となりました



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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伊賀 勧請縄。北村氏城

2021-02-16 10:27:00 | 伊賀国の城跡、史跡
最近、旧大和街道を歩いてる
伊賀では村の境に「勧請縄」を張って疫病対策、鬼退散などを祈願する。



↓こちらは、柘植川の支流の倉部(くらぶ)川にかかる縄。
場所がわからなくて悩んだが、おばあちゃん発見!
丁寧に教えてもらった。
毎年1月15日に村総出で張るそうです。
今年の縄は弛んでるので、ダメ。
普通はもっとピンと張ってるんだけどねぇ…
と、おばあちゃんが言ってました。

おばあちゃんありがとう。

ちなみに川の少し上流に

北村氏館跡。
私有地で、しかも藪がひどくて入れなかった。

さらに北へ進む。
関西本線の踏切を越えると


この小屋の横に登城道がある。

登ると

削平地(入口の曲輪)があり、
斜面沿いの犬走のような道を登ると

「北村氏城」の虎口

土塁に挟まれてる。
伊賀や甲賀の典型的な曲輪です。

主郭の周りは土塁に囲まれてる
↑土塁の上。
櫓があったかな?

看板がありました。
この土塁の北側背後には深い空堀や土塁があります。
また、周囲には帯曲輪もある。

5mを越える土塁


適当な略図
この我が輩の略図が合ってるかどうか?気になる人は現地で確認してね。


伊賀甲賀の城郭群は
高い土塁で敵に見つからないようにした「ゲリラ陣地」だ、

と、思えてくる

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
大和街道は、東海道の関宿と奈良東大寺を結ぶ道。
関宿から出発して、加太宿→柘植宿、そして現在新堂駅まで進んだ。

この先も街道近辺にたくさんの城跡が待ち構えてる。

さて、いつになったら奈良駅にゴールできるかな?



馬《●▲●》助ヒヒーン♪









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