馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

【御代参街道】18、小御門城跡〜内池道標〜日野駅

2023-09-06 14:21:00 | 御代参街道
2020年6月7日、

小御門交差点を南下するが、ここで寄道、
日没が近づいてきてるのにどこへ行くねん?

向こうに藪
「小御門(こみかど)城跡」
城主は蒲生高秀だと言われてるが、わかりません
竹藪に入ると

単なる耕作地だったりして…


土塁跡かな?
執拗に探索するが
ぐるっと一周しました

街道に戻って南下

影が長〜い


そろそろ終わりに

向こうに内池郵便局

郵便局の手前に道標

「右たが(多賀)北陸道」

街道はここで日野町の中心部へ向かうが
さすがに時間切れ
本日はこれでおしまい。
街道の逆方向へ



日野町は蒲生氏郷の町


18時33分
近江鉄道日野駅到着


近江鉄道八日市駅〜日野駅まで

実は6月7日、我が輩の誕生日、
誕生日に18.7km
7時間32分も歩きました

さすがに疲れたけど、
いい誕生日祝いとなりました

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
















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【御代参街道】14、朝日大塚駅~ガリ版伝承館

2023-04-12 14:25:00 | 御代参街道
2020年6月7日
16時を過ぎました
冬ならもう日没ですが、夏はまだまだ明るい。





この広場の横に







ここまで大塚町


行者堂の森を抜けると
岡本町です


行者堂と岡本集落までは直線の道を曲がって入るようになってるが、
本来は曲がらずに南下して集落に入る道があった。
おそらく圃場整備で消滅したのだろう。



集落へ入る



岡本宿内は看板が充実していて宿場の雰囲気を体感できます


ただし、日野町の石原宿と2つの宿で1つの宿場の機能を果たしてたそうな。



ちょこっと寄り道



堀井家の洋館を資料館として改装されてます


我が輩の小さい頃は学校で一生懸命鉄筆でガリガリとセロファン紙に書いて謄写版で刷ったものです。
ローラー式のインクで手を汚しましたよ。

て、謄写版はもう死語かな?

ガリ版は蒲生町出身の堀井さんが発明者。
地元の誇りですな。

続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


















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【御代参街道】13、栩原神社~朝日大塚駅

2023-03-29 17:07:00 | 御代参街道
栩原神社から南下します。



蒲生町桜川地区の集落へ向かう
この付近はGoogleマップでの表示が消えてます



桜川東集落への細い道を入る
集落の端へ

ここで
左折れして右折れして細い道を南下する。
Googleマップでもここから街道表示が出ます

その前にコンビニへ


確か、アイスクリームか何か食べたような…😅
4時前なので最後の追い込みです。
街道に戻って
民家横の細い道を南下

県道に合流して右折しさらに南下






なお、佐久良川の上流に「佐久良城」という凄い城跡があります。
各曲輪を堀切で遮断、特に主郭の背後の大堀切は圧巻!
オススメです









池の中に祠は旧東海道歩きで草津市付近にもありました。
こちらは入れない。
残念でした

さらに南下します

続く



馬《●▲●》助ヒヒーン♪












































コメント (2)
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【御代参街道】12、今堀日吉神社~栩原神社

2023-02-19 17:15:00 | 御代参街道
2020年06月07日
14時26分
布引台団地のメインストリートを街道が通る。

↑ここで右手の細い道を進む

メインストリートに合流した交差点に
道標がある
「左西京八まん道」

「右たか(多賀)社八日市道」
明治27年に設置された。

団地を南下すると
道が二股になる
Googleマップでは一番左の道を行くことになってる

柏バス停(予約制のタクシーです)

子安地蔵堂があります。
ここにも道標がある。
「右いせひの(伊勢日野)ミな口(水口)道」
「左いしとう(石塔)さくら谷(桜谷)みち」
この道標は先ほどの布引台にあったらしい?

地名「蛇溝」の由来。
水害と大蛇は付き物ですね。

変わった形の造りになってる。
ここは休憩所としても最適。



休憩せずにさらに南下します。

Googleマップのルートでは東方面へ斜めに進み県道に合流することになってる。
合流後の記載はない。
ルートが未確定なのです。

我が輩はまっすぐ南下しました。


名神高速道路の黒丸パーキングの高架橋をくぐる

工場地帯を進みます
本来の街道は京セラなどの工場の中の山道だったのか?

現在は同じ東近江市だが、
昔は蒲生町川合でした。
池を見てます
道の左右に池が点々とあったようです。

15時08分
「栩原神社」
あいはら、と読みたいけど、
「とちはら」です。



黒丸PAから栩原神社までの南下ルート。

ところで、Googleマップのルートを見ると
県道45号線に合流後のルートは表示されてないが、
栩原神社の東側に途切れたルートが表示される

工場のなかを通ったルートの一部がここに残されてたということか?

明治初期の今昔マップでは

Googleマップのルートは見当たらない

さて、どうなのだろうか?

うーん…

で、先日栩原神社の横の林道のような道を探索した。
ぬかるみでした

この原っぱのような所が終点。
この先にどのようなルートがあったのたろうか…

一方で、

恵比須神社に

御代参街道沿いにあった自然石道標が移設されてる
嘉永2年
「右たか(多賀)左むさ(武佐)八まん(八幡)」」
と記載されてるようだが、風化著しく読めない
おそらく分岐の位置にあったと思われる。
我が輩の歩いたルートは正しかったと思いたい

次回は桜川から南下します

次回に続く

































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【御代参街道】11、今崎日吉神社~今堀日吉神社

2023-02-06 17:08:00 | 御代参街道
2020年6月7日
今崎の日吉神社で昼食した後、午後の部再開。
13時30分
南下します

すぐ隣に

引接寺。
山門の前には狛犬?
ではないようです
右手に祠と常夜灯
左手に地蔵堂

蛇砂川を渡る

渡った先にも同じく祠と常夜灯

建物の壁に御代参街道の解説板
先ほどは今崎、
こちらは今堀地区


Googleマップ


向こうの電柱の根元に道標が。

「県道石原八日市線」
石原は日野町朝日野地区だと思います。
県道45号線と御代参街道は交わったり離れたりしてます

先ほどの県道の道標の手前、
飛び出し坊や看板の所にも道標あり
「右玉緒市原道」

「左八日市飛行場
太郎坊多賀道」
左は八風街道と多賀道(御代参街道)という意味だと思う

で、ここで寄り道し
「右玉緒市原道」へ向かう。


分岐に来た。
またまた道標がある。


「右玉緒市原道」
さっきと同じですな。

「左耕作道」
左は農道です、ということかな?


昭和五年十一月かな?

で、道標の通りに右へ進むと

「蓮光寺」

「今堀日吉神社」
こちらは有名なのでご存知の方も多いと思うが…

今堀日吉神社文書は、中世の古文書が連綿と残されていて保内商人(特権商人)の活動や市場のことなどを知る手がかりになる。
国重文に指定されてます。


実は初めての参詣なので
参拝しました。

コロナのために鈴は鳴らせません

満足したので街道に戻った



今堀町交差点
右折すると近江鉄道長谷野駅方面。
街道はこのまま真っ直ぐに南下。



すぐに三体の石仏

郊外の田園地帯となる。

左手に溜め池

長谷野子安観音
見送り稲荷神社
今でこそ開けた田園地帯になってるが、昔は得たいの知れないものが出てきそうな鬱蒼とした樹林地帯だったようです。

道路の反対側に

灯籠型の道標が建ってる
「往来安全」

「弘化二年巳孟…」下のほうはわかりません
でも、解説板には
弘化二年巳孟秋吉祥日
と書いてある。
孟秋は秋の始め、初秋。
この道標は別の場所にあったが、こちらに移されたようです
「右たか(多賀)八日市、左むさ(むさ)八まん(八幡)道」
太郎坊さん(八風街道)とこの先の蒲生町川合への交差点にあったようです。

その本来の道標はこの先の布引台団地の入り口にあったようです

↑明治維新頃の図
↓現在のGoogleマップ





14時24分
布引台団地の入り口に来ました



次回に続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
























































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【御代参街道】10栄町交差点~中野神社、日吉神社

2023-01-21 16:49:00 | 御代参街道
2020年06月07日
11時46分

中野交差点
交差点近くの中野バス停。
わざわざ御代参街道と書いてあるのが嬉しい
栄町交差点を南下する。


右手にレンガの煙突
この名前の喫茶店がある。





11時50分中野神社。



境内に道標が残されてる。
本来はもっと南の交差点にあったのだが、こちらに移された。
道しるべが3つある。

右永源寺道、左多賀道


これが御代参街道


右京武佐道、左伊勢道



こちらはJA中野農協にあったそうな。畑街道との分岐だとか?







右京武佐、左こぼし・はねだ
こちらはよくわからないが、市辺羽田への分岐に建ってたようですな。
仙台藩伊達家の領地があったのでそれにからむ道標らしい。

街道歩きにとっては、それぞれ本来の場所に建っていてほしいものです。


神社を出てさらに南下

左手に
高札場跡
畑街道はこの横なのかな?
中野神社にあった道標の1つはここにあったようです


すぐに交差点があり
右折し、飛び出し坊や看板を左折する。
微妙な食い違いの折れです。
そのまま真っ直ぐ南下


今崎口バス停


向こうに中野郵便局


日吉神社


由緒ありそうな宝篋印塔


土塁がある
城跡ではないと思うが…
病気です😅

近くのドラッグストアでパンを買って昼食休憩しました。





続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪























馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【御代参街道】9八日市駅~栄町交差点

2023-01-12 16:57:00 | 御代参街道
2020年06月07日
前回までの愛知川ルート、小幡ルート、新堂ルート、そして近江八幡からの八風街道ルート、いずれも八日市を通ることになる。
八日市が市場として栄えたのは交通の要衝だったわけです

今回は近江鉄道八日市駅から南下します。
日野駅までの約20kmを七時間かけて歩きました。

近江鉄道

金土日祝日限定のお得なOne day切符
11時16分、八日市駅スタート



駅前のアル・プラザ平和堂まで移動し、アーケード街を南下します

街道は本町アーケード街の中を通る。



途中で、「市神神社」に立ち寄り、




本日の交通安全を祈願した。

聖徳太子がこの場所に市場を開いたのが八日市の由来だったのかな?

アーケード街(街道)に戻った


商店街の南端に来ました


アーケードの南端には

道路元票がある。

Googleマップ、
ここまでのルート


道路に出たら右折し
広い道を進む
すぐに左折する。

目印は和菓子屋の親玉本店。



ここを南下するわけだが、

虫籠窓の家の角に道標がある。

左 伊勢日野水口道
右 武佐八幡道
左が東海道経由伊勢への道、右が中山道への道
という意味。


文政9年(1826)年だから幕末頃の道しるべです
南下します


薬師寺に立ち寄る



Googleマップルート



栄町通りを南下する。






この先、道が少しクネクネします。
旧道ならではの名残りです




11時43分

笠屋地蔵尊横に道標

右いせ、

左たか道
御代参というよりも伊勢道、多賀道と当時の人は呼んでたようです。

ここは八風街道との分岐にもなるのかな?
以前歩いたのにすっかり忘れてしまってる
ちなみに八風街道歩きは、難関の八風峠をようやく越えました。


現在の八風街道に出ました
街道は国道の栄町交差点を渡ってまっすぐ南下します。




続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【御代参街道】8、新堂ルート。建部神社~中山道ゴール

2022-12-20 13:55:00 | 御代参街道
2022年9月30日
建部神社で宮司さんとの話で時間をとり、帰りの電車の時間が気になりだして、焦りながら先へ進みました。

建部神社の鳥居まで戻り、鳥居前の道を北上する。
集落内の道ややこしい
Googleマップではこのようになる


正福寺


正福寺を左折する。

左手に正福寺、向こうの山が箕作山

その先の四つ角の地蔵堂を右折


ここて街道は一旦消滅する

本来の道は行けないので手前を迂回する。


橋で振り返って見る。
旧道は川沿いの北側にあった


平阪町を北上する


左手に八幡神社


左手に小松寺を見て右折する


すぐに平行する道に出るので北上する。

苗村神社御旅所。
苗村神社は2つあるのでややこしい。

Googleマップのルート図


二股になってるが参道のほうをまっすぐ北上します。


木流(きながせ)交差点を横断


苗村神社。祠が2つ


突き当たりを左折


左折した


若宮神社
時間がないので神社やお寺はみな素通り参拝せずにパスしました。


Googleマップ


街道は若宮神社を回り込む

その先の四つ角の地蔵堂に道標あり。




武佐八幡は近江八幡市です

この道標を曲がる

円光寺が左手に。


円光寺の先の四つ角を右折するが、
その手前に変わった道標がある。

祠は津島神社

そのそばに埋もれた道標


右折し北上する

その先の地蔵堂


ややこしい集落を抜けました
田園地帯になってます。

街道はこのまま真っ直ぐ進むのだが
現在は完全に消滅してます



なので、迂回しながら、新幹線のガードへ進む


ガード下をくぐる


すぐに分岐となり街道は私有地の中を通る

迂回して現在の道路を進む


街道のある私有地を右手に見る

そして、

15時03分
中山道に到着!
ゴールです。


常夜灯は道標を兼ねる

右京道

案内板もある。

中山道の少し先の

材木店横が本来のルートで
常夜灯もここにあったはず。




後はのんびり中山道を歩きたいけど
時間がない。

近江鉄道五箇荘駅

小走りで駆けてなんとか帰りの電車に間に合いました


これで、御代参街道の小幡ルート、愛知川ルート、新堂ルートを制覇できた


以上です。

次回から八日市駅を南下し東海道の土山駅までのルートを紹介します

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


















































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【御代参街道】7、新堂ルート。建部南町~建部神社

2022-12-13 15:53:00 | 御代参街道
2022年9月30日
愛知川ルートを南下し、
13時12分
建部南町で小幡・新堂ルートに合流した。

本道はこのまま真っ直ぐ八日市駅方面へ南下するが、今回はここで北上し新堂ルートを歩くことにした。
常夜灯のある合流地点を右折、
この道は小幡ルートですでに歩いた道です。
以前にも紹介した交差点に来ました。

右手角の民家に道標。



左手に地蔵堂が2つ並んでる。

この道が新堂ルート。

でその前に「金賞寺」に立ち寄った。


境内に「横内平翁」碑がある。

実はこの碑の礎石が道標で「右愛知川道」と書いてあるそうな。



しかし、一生懸命文字を探したがよくわからない。
うーん残念無念…

この愛知川道は中山道の愛知川宿への道という意味だと思うので新堂ルートのどこかに建ってたものだと思われる。




仕方ないのであきらめて2つ地蔵堂から新堂ルートを北上しました




13時29分
近江鉄道の踏切で県道と合流。


踏切を越えると左手に「吉住池」



池だが水が見えない


街道は地蔵堂の横を北上するが、ちょこっと寄り道
「北山古墳」




この付近は数百基の古墳群で、北山古墳は最大だとか?
横穴石室が開いていて中を拝見しました。
恐いので覗いただけですが…

なお西へ行くと瓦屋寺の参道があります。
紅葉の名所で聖徳太子ゆかりの寺です。
今回は時間がないのでパスした。


もとに戻って北上する。

街道はこのまま真っ直ぐ進むが、
ここでまた寄り道

現代の道標、建部神社への道


向こうの山裾を見てます。
「堀之内城(館)」という城跡、館跡があったそうです。

詳細不明、遺構も残っていなくて現在は水田地帯があるのみ。

道の右手には「山の神古墳」

石室しか残ってないので奈良の石舞台古墳のミニチュア版みたい。

といっても、実は石舞台古墳はまだ未踏。我ながら情けない…

13時55分、街道は建部神社に向かいます。
鳥居です。

街道は鳥居前で右折するが、その前に参拝します。

鳥居の文字は久邇宮(くにのみや)様の直筆。



この建部神社は近江一宮でした。
つまり五個荘近辺は古代近江国の中心地だったわけです。
後に国府が大津市瀬田に設置されたため建部神社は瀬田に移されて現在の建部大社となって存立してます。
瀬田の建部大社のほうが有名になってるが、本家本元はこちらなのです。


参拝したら、境内を掃き掃除されてる方がおられた。
挨拶すると、なんと!宮司さんでした。

詳細な由緒を教えていただいた。
この宮司さん、現役時代に中学校の校長をされていて我が母校の校長もされたそうで、奇縁に驚きました。

「癌封じの欅」





欅の隙間から井戸を撮影。
宮司さんがおられるので近寄れず撮影のみ。

この先の突き当たりの山の上に箕作山城がある。
信長と六角氏の戦いがあった城跡で佐久間と秀吉などが攻めました。
ほとんどの人が南の太郎坊あるいは北の貴船神社方面からハイキングコースを登られるが、実はこの建部神社からも登山道があります。
ちゃんと整備されてるので是非ともこのルートを利用してほしいものです。

話がはずんで20分ほど時間を消費しそのために帰りの電車時間が気になりこの後大慌てで北上するはめになってしまったのです


街道歩き、急ぎます!


続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪








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【御代参街道】6、愛知川ルート。極楽橋~建部南町へ合流

2022-11-13 10:40:00 | 御代参街道
2022年9月30日
御代参街道愛知川ルート、中山道の分岐から南下し、
11時49分、「極楽橋」に到着。
街道はここを真っ直ぐ進み愛知川を越えて対岸の山王神社に向かうルートだったが、工場群のために現在は消滅。

またまた迂回して県道を進みます

「八千代橋」

多賀参詣道もこの橋を通るので八千代橋ルートと称する。
いつかアップします。

12時00分

八千代橋を渡りながら旧の橋を想像して見てます


本来のルートの名残が河辺の森の中に残ってます


橋を渡ると

「河辺の森」自然公園に入ります


自然公園の図
東口から入る


中央付近の道の交差する場所、
右手に道標がみえます

「左えち川(愛知川)」
自然石の道標は見落としがちになるので事前に調べておく必要がある。

森の中の道を南下します


河辺の森公園の南端に出ると向こうに山王神社の森が見えます

このまま街道を進むべきだが


12時17分、神社に参拝。
境内で昼食しました


Googleマップでのルート
本来の道がかろうじて河辺の森に残ってたのです

12時51分
午後の部スタート
建部北町集落へ向かう


集落内の吉祥院前の交差点、
向こうの民家の角に自然石道標が見えます


街道は道標を左に見て南下する

自然石道標
御代参街道じゃなくて伊勢道と呼んでたようです。


吉祥院

日吉神社、山王神社とともに比叡山延暦寺系統の寺です


建部北町集落の南端へ

道路は途切れてるが、畔道を進んだ


曲がると彼岸花道に。

山王神社からのルート



県道に合流。


県道の分岐


地蔵堂へ渡る

旧道を進み

13時12分
御代参街道の小幡道と合流します。
本道はこのまままっすぐ八日市駅方面へ南下します。

しかし、今回は新堂ルートを歩くので
右折して北上し、建物日吉町へ向かいました。

愛知川ルートはGoogleマップの「合流」地点まで

次回は新堂ルートです

続く



馬《●▲●》助ヒヒーン♪





























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