馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

6回目の面会は覚悟した、の巻巻巻

2024-10-22 21:43:00 | 日記
5回目の面会からわずか2週間で6回目の面会となった。
その理由は、病棟の看護師さんから早めに来てほしいという連絡があったから。

今どうこうということは無いが、意識や反応が鈍くなったそうな。

で、慌てて駆けつけました。
母は揺り動かしても起きないほど熟睡(。-ω-)zzz
気持ちよさげ。
ただし、左手は相当なむくみが。
さらに今回初めて胸に心電図の電極のような吸盤が付けられてた。

看護師さん曰く、
呼吸が弱くなってるので。
モニター監視してるようです。

はっきりと言ってくれないが、危険な状態になりつつあるようで。
間に合わなかった場合に備えて、今のうちに最後の顔を見てほしい
という意味で、面会をせかされた
のだと思う。

いよいよ、覚悟せねばならぬ時が来た
と、
気を引き締めました。

次に病院から連絡があった時が最後かもしれない。

そんなわけで、
いつでもすぐに病院に駆けつけられるようにしておこねばならぬ。

実は秋から冬にかけて、泊まりがけで街道歩きや城巡りの遠征を計画してたが、すべて白紙に。
当分の間、県外へのお出かけはダメ。

粛々と覚悟して過ごす今日この頃であります😥


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

キンモクセイに引き続きギンモクセイも咲き始めた


柿は葉が落ち始め、実は熟してないのにわすか数個のみ。

今年は食べられないな😥

一句作った

柿食えぬ
キンギン香りに
酔いしれる

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
追伸、
本日またまた病院から緊急の連絡あり、
急いで駆けつけました。
なんとか症状が落ち着いてたので安堵したが、
しばらく一進一退を繰り返しそうで
気が抜けない状況です

10月21日
夜9時ごろ、連絡あり。
血圧が測れない状態に。
病室がナースステーションの近くに移動された。

10月22日、
9時
酸素量を増やしてなんとか93ぐらいに。
息が荒い。
母、目を動かしてるが、見えてるかどうかわからない
涙が止まらなかった😢

15時
母、やすらかに永眠しました。
老衰です。
92歳

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

当分の間、ブログ
及び活動は休みます

すみません

馬《●▲●》助ヒヒーン♪




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5回目の面会は医師の説明があった、の巻

2024-10-15 15:49:30 | 日記
母入院して5ヶ月経ちました
早いものですね。
初夏から秋へと季節が移る
我が家の栗、
大きくて美味しいのは猿が食べ、
その残り物を人間がおこぼれ頂戴する
という状態が通例になった。
隣近所にお裾分けしたら、
10個だけ手元に残った。
すぐに茹でて食べました

昨年までは母と2人で競って食べたのだが…

病室へ行くと、母は目を開けてた。
子や孫の写真を見せるとうなづくだけ。
わかってるのか、わかってないのか、はっきりと目が見えてるのか、
判然とせぬ。
看護師さんが言うには、「声をかけるといつもうなづくのみ」だとか。
とりあえず、反応があるという状態です。

ほぼ植物人間に近い状態なので、栄養点滴をやめて自然な往生を、というのが本人のためなのだが、

毎月14万円の入院費負担は家計的にも非常に苦しい(親の預貯金.年金を使えないので)のだが、

それでも
自分にとっては親が心の支え、
とりあえず生きていてくれればいい
という、親不孝な考えで、
申し訳ない🙇

医師の説明によると、
CT検査で左肩の瘤が大きくなってる。
より精密な検査をして良性か悪性か調べてもいいが、
仮に悪性としても今の状態と年齢的にもあえて手術する意味がない、
と言う。
確かに!

今回から手にはめたミトンが外された。
チューブを引き抜く心配が無くなったのだろう。
それはつまり、引き抜くほどの腕力も無いということか?

とりあえず、血色も良くて元気そうでした…😅

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
洗濯物を干すといい香りが

キンモクセイです。

今年も秋本番です

馬《●▲●》助ヒヒーン♪





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有岡城の外堀巡りをした、の巻

2024-10-11 17:30:00 | 摂津国の史跡
本年の猛暑の外堀巡り、
名古屋城、黒野城に続いて
第3弾は、
摂津の【有岡城】伊丹市

西国街道歩きで、伊丹市まで来たので城跡探索をすることにした。
有岡城に関しては説明不要でしょう。
鎌倉時代、在地領主の伊丹氏が築いた。
戦国時代、池田氏の家臣だった荒木村重が、主君を倒し織田信長の配下として伊丹城を有岡城と改名し本拠とした。

【総構え】
本丸は内堀の中に、
侍町は中堀の中に、
町家は外堀の中に、
武士も町人も外堀に囲まれたなかにあり、近世城下町のさきがけと言って良い。
そして外堀の土塁には要所要所に砦が築かれた。
台地の上の城下町と砦、
まさに城下町要塞、これは堅固ですよね。

戦国時代初期に総構えの城下町は珍しく、そのため信長も有岡城攻めに難儀した城でした

2024年8月16日。
猛暑日でした☀️
伊丹駅の観光案内所で、有岡城のパンフをいただく。
案内所のお姉さん、
『暑いので気をつけてくださいね』
と、声をかけてくれた。
そのかたじけないお言葉、
伊丹だけに痛み入った次第、
でゴザル😅

では、いざ参る!
駅前に有岡城の本丸遺構があります。

本丸だけなら駅近優良物件です。
というか、伊丹駅は本丸の中に設置された。



石垣が一部残されてる

官兵衛ゆかりの藤。
さて、黒田官兵衛は本丸のどこに幽閉されたのだろうか?

本丸の西側に

見事な内堀が残されてる。
堀の遺構としてはこれが唯一かな…

では、反時計回りに外堀跡を探索します
まずは、
「北ノ口砦跡」
砦遺構は消滅したので、高低差で遺構を妄想するしかない。
歩いてる所が堀底だったのでしょう。

横矢掛けのような折れから
最北端に向かうと



「岸ノ砦」
現在、岸ノ砦は猪名野神社になってます
外堀の土塁が残されてる。
土塁としては唯一かな。

どこから攻めても外堀、土塁と砦が障壁となる。
これは難攻不落の城ですわ。

これより西側を南へ下る
阪急伊丹駅の北に
「昆陽口惣構跡」

堀跡は暗渠になる
昆陽は、こんようと呼んではいけません。
西国街道の昆陽宿方面への出入口に当たる重要な場所です
有岡城攻めで、信長は昆陽野に陣を敷いて攻めるが、10ヶ月持ちこたえ、
荒木村重遁走後、落城した。
総構えの堅固さは凄いのです。

伊丹と言えば、酒蔵の町
清酒白雪が有名ですな。
灘五郷と伊丹が日本遺産になってます

この南に

「上臈塚砦」
有馬街道と昆陽口を睨む

遺構は無し、マンションの付近にありました。
高台になってます。

高台の下を南下する。
石垣と道路で、外堀跡を想起させられます。

南へ水路があるので、追いかける

石垣は当時のものではない

伊丹の台地は南端へ細くなる。
尾根の先端と思えばよい。

その先端に
「鵯塚砦」ひよどり塚

高台に住宅があり、私有地のため外から眺めるのみ…


外堀歩きは砦の南端からUターンして東側を北へ
この水路の石垣は当時のものだったりして…😅

東側の外堀歩きはJRの線路沿いを縫うように進む

有岡小学校の横を通る



高低差だけでお腹いっぱいです😁



外堀一周しました。

猛暑のなか、無事に伊丹駅に戻った

約4時間、8キロ歩きました。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪




























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ひこにゃん、合羽姿だった、の巻

2024-10-05 11:57:25 | 日記
昨日は、月に一度のボランティア登城日、
急ぎ馳せ参じると、
予定変更で登城罷りならぬ、との仰せ!

ありゃま!
足もと悪いなかを登城したのに、
家を出る前に伝令してくれよ…😥

ひこにゃんは、
雨でも毎日3回のお目見えを欠かさぬ

表御殿脇からのお出まし
一同、頭が高いぞ!
控えおろう!

足を斜めにしてポーズしたニャン

雨合羽姿は初めて見た!
兜の角も覆われてる
あの合羽、作るのは大変だろうな

雨で、城中の曲輪を見回るのも大変なので

ひこにゃんに別れを告げて
帰城したのであった👣


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我が家の庭の彼岸花
もう10月なのに、
父の月命日に咲いてるなんて、異常ですな。


我が家の柿。
カラスと猿が競い合って食べに来る、

熟す前に無くなってるだろうな😭


馬《●▲●》助ヒヒーン♪













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