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馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

唐沢山城を探索した、の巻

2025-03-28 10:53:00 | 下野国の史跡
2025年2月12日
佐野城を築城した佐野氏、本来は唐沢山城が本拠でした。
247mという高い山の上の城です。
当初の予定では東武鉄道田沼駅から登るつもりだったが、天應寺に参拝した流れで、浅間神社登山口へ向かうことにした。

ここから、
浅間神社のある浅間山→岡崎山→飯守山→権現堂、
登ったり降りたりして4つの山を越えた。
一番難関のルートだと後悔するも後の祭り😥

登山口から1時間50分

ようやく城域へ。

車なら楽に登れるのですが…



唐沢山城は国史跡で有名な城なので今さら説明は不要でしょう。
関東にしては珍しく石垣のある巨大な城山です。



西側の大手口から主郭に向かって大手道が伸びる。
現在は表参道で最初の橋に
西側最大の堀切。
大手道に沿って竪堀が4つ並ぶ仕掛け。
三ノ丸→二の丸→主郭と、階段式に曲輪が並ぶ。

舟木一夫さんが寄贈されてます。
舟木さんといえば、美濃路歩きで一宮市萩原宿に生家跡の看板があったような…

そして、




見上げてるのは本丸じゃなくて南城です。
たくさんの参拝者がおられるが、南側の堀切や段曲輪群を見る人は我が輩だけ…



タモリさんも来られてた。


続百名城スタンプ押した✌️


唐沢山神社は藤原秀郷公を祀ってるそうだニャー
勝運の神様なのだ、

上杉謙信を撃退して落ちない城だと言われてるそうだにゃー



この後、東尾根の曲輪群を巡る
長門丸→平城→杉曲輪→平とや丸へ。
いずれも堀切で遮断されてます。

詳細は省略するだニャー。



最後に


下山する前に腹ごしらえ


続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家の
シャコバサボテン咲きました

ゼラニウムの花もそろそろ。

これからは花の季節ですね。

いい季節になりました。
でもそれは裏を返せば
この冬の山城探訪シーズン
終了
が近いということ、でもある😥

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
















佐野堀米陣屋から直弼公墓地参拝したさ〜の、巻

2025-03-20 16:03:00 | 下野国の史跡
2025年2月12日
佐野城北出丸から東へ移動
水路ですが、城下町の外堀の痕跡かも?
と思った。

さらに東へ移動する

普通の住宅地で陣屋の痕跡は見当たらないが、

ここが彦根井伊家の佐野堀米陣屋跡だと思われる。

井伊家の古文書を読むと、佐野奉行と佐野綿が頻出する。
彦根藩の飛び地としては世田谷代官所が有名ですが、佐野奉行はこの世田谷領と佐野領、合わせて約2万石を統括する立場にあった。
また、献上品として佐野綿が用いられた。

幕末の大老井伊直弼公は領内を巡見するのを責務としていて、彦根領内とともに佐野領内も見回れたそうです。

周辺をじっくり探索したかったが、折しも児童の通学と重なり、路地ごとに父兄
の方がおられて、
不審者と思われるといけないので早々に退散。

北東へ移動。




彦根井伊家の初代直政は佐和山城主として18万石を領した。

2代直孝公はさらに優秀で大坂の陣の戦功もあり、10万石を加増され、
幕府の預かり米五万石を含めて35万石という譜代大名では最大の石高を得た。

合掌!


今回、佐野市に来た目的の一つがこの墓参でした。

参拝できて良かったなり。

この後、唐沢山城へ登ります

続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ



我が家の椿と梅が咲き始めた。
ようやく春ですね。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
NHK朝ドラ「カーネーション」
いよいよ終わりですね。
脚本もいいが、やっぱり尾野真千子さんの演技が光った。
あまちゃん、カムカムとともに朝ドラ3大名作品と思いたい。

母の人生はミシン一筋だったので、朝ドラと共通する。
お墓にカーネーションを捧げねばなるまい。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

佐野城を縦走したさ〜の、巻

2025-03-16 17:22:00 | 下野国の史跡
2025年2月12日
下野国(しもつけのくに)、略して野州、現在の栃木県へ遠征した。
深夜高速バスで移動。
最初に訪問したのが、JR両毛線の佐野駅。
両毛線の両毛とは上毛野と下毛野の2つの国(上野国と下野国)、という意味。
現在の群馬県と栃木県を結ぶ路線です。

早朝7時前、通勤通学の時間帯。
北口を出た。
目の前に綺麗な削平地
【三の丸】
いきなり城跡です。
ここは旭丘と呼ばれる丘陵で藤原秀郷の曽祖父が築いた、という。
秀郷といえば、我が近江には瀬田川の唐橋、三上山のムカデ退治が有名ですな。

それはともかくとして
現地縄張図に少し加筆した。
丘の上に三の丸〜二の丸〜本丸、北出丸と連郭式に曲輪が並ぶわかりやすい形です。
この縄張にしたのは、江戸時代に唐沢山城から移った佐野氏。
田沼意次の田沼氏も佐野氏と同族だとか?



現在は公園として整備されて、遺構は城跡碑と少し土塁のみ。

【二の丸】
すべて曲輪は堀切で遮断されてます。
しかし、三の丸と二の丸の間は埋め立てられたのか、すっと行けます…


佐野桜。
時期的に桜はまだ咲いてなかった。
この桜、京都の桜守として有名な佐野藤右衛門さんが育てた桜で、牧野富太郎博士が佐野桜と命名した、という。
著名な大家の名前が出てきてびっくり!

そして、

今も残る堀切。
この高低差と広さは見事!

昔は土橋か架け橋か吊り橋か?


【本丸】

本丸は発掘調査された

石垣は通路と門に使用されたのかも?

本丸と北出丸との間にも深い堀切がある


【北出丸】
別名、鐘の丸と呼ばれた。
彦根城にも鐘の丸がありますよ。
この後、登る予定の唐沢山城跡方向
を見てます

こちらも発掘調査されて西側に見張台跡の柱穴や搦手門の痕跡が見つかった。
北側の防御の要だったようです

というわけで、


堀切と曲輪と切岸の高低差を間近に見られる優良物件の佐野城を縦走しました。

いきなり、良かったです。

このあと、今回の目的の史跡へ

続く…

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
この時期になると、毎年
腹痛、吐き気などに悩まされる。
単なる季節物の体調不良なのか?

それとも重大な疾患を抱えてるのか?

来月に人間ドックを受ける予定なので、
その結果次第ですわ。

今は城跡巡りのシーズンなので暇を見つけては出かけてます。
そのために家の片付けがなかなか進まない。
我ながら困ったもんです。

というか、自由な時間がいっぱいできたのに毎日余裕のない生活を送ってる

ブログ更新する時間を取るのも難しいくらい。
こんなせわしない老後になるとは?

馬《●▲●》助ヒヒーン♪




















おーや、まぁ、チョコですか?の、巻

2025-02-15 16:17:00 | 下野国の史跡
野州遠征に行ったでヤス
昔の群馬県は「上野(こうずけ)国」と呼ばれた。略称は「上州」(じょうしゅう)

隣の栃木県は「下野(しもつけ)国」、
略称は「野州」やす、じゃなくて「やしゅう」でヤス
どちらも難読ですよね。

県庁の宇都宮市に
有名な大谷石の産地がある。
凝灰岩で柔らかく加工しやすいために壁や土蔵なのど石材として広く利用されてます
バスを降りたらいきなりこの景色

自然景観から加工景観か、どちらでしょうねえ

手前の巨岩は間違いなく自然の造形です。
このような景観が次々にあらわれる


これは帝国ホテルの痕跡


資料館へ。

ちなみに「大谷」は
オオタニと読んではいけないで、ヤス

「おおや」と読む

資料館(800円)

大谷石の展示

採掘場の坑道が保存公開されます

入ると、
地下の宮殿?




迷宮ですか?

ドラクエなどのゲームをした人なら
地下ダンジョン?

撮影できるが、スマホでは限界がある。
なるべくならデジカメのほうがいい。
ただし、三脚やフラッシュ禁止。

ここは是非とも訪れるべきスポットでヤンス。

受付のお嬢さんから

チョコレートをいただいた。

そうでした、そうでした!
昨日はバレンタインデーでした。

もう十数年もらったことないので、なんか嬉しかったです。

嬉しくて思わず

大谷石ラスクを買っちゃいまスク
400円です😅

というわけで、念願の大谷石の景観と採掘場を見学できて大いに満足したので、ヤンス


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
先月の静岡遠征
今月の野州遠征
に次いで
来月は岡山遠征を企んでる。

自由な時間ができて、
堰を切ったようにあちこち出かけてます
睨みを利かす重石がいないとこういう結果になる

誰か、
大谷石を背中に乗せて
暴走を止めてくれませんか?

馬《●▲●》助ヒヒーン♪