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【旧東海道歩き41】月輪池~狼川

2019-02-23 18:17:00 | 東海道歩き『近江路』

2018年5月12日(土)

前回まで、なぜか日付が間違ってました。

↑の5月が正しいです。


13時53分、月輪池



月輪立場跡の前に交差点あり。



交差点を渡って北上する。

右手に『月輪寺』



横に行者堂と記載されてる。



門を入って石碑の裏側を見ると



御本尊、役の行者。
役行者が本尊て、珍しいのでは?

1862年、徳川家茂将軍休息時、寺号「月輪寺」を賜る
幕末、将軍家茂が上洛の時に行者堂で休息された。
その時に京都二条城で月輪寺と命名された、ということです。
立場があるし、月輪池を眺めて休憩されたのでしょうね。
さらに、



「松の色に梢のはる(春)や
ます鏡(かがみ)
月の輪寺の名にのこるらむ」
と詠まれた
この時、家茂は2回目の上洛で、東海道を進み3月3日に草津で休息、大津で宿泊、翌3月4日に二条城に入った。
そして、天皇に攘夷実行の約束をされた。

徳川四代将軍以後、誰も上洛しなかった。
が、幕末になり14代将軍家茂は三回も上洛、最後の三回目は長州征伐。
大坂城でわずか21歳で亡くなりました。
長生きしておれば、その後の歴史は変わってたかも?
ちなみに三回目は名古屋から美濃路を進み中山道、そして彦根城で宿泊されてます。




新田開発発祥之地、石碑

北隣に月輪自治会館




月輪の地名由来が書かれてある。



本来、ここは大萱新田。
月輪という地名は明治以後の新しい地名なんですね。



名勝月輪大池は遠いので今回は寄り道せず、このまま北上しました。



左手に街道の雰囲気のある屋敷がありますね

14時06分、月輪三丁目

瀬田地域、月輪池の他にも大小のため池がたくさんある。
滋賀県内では珍しい。

これは、古代に瀬田丘陵で鉄や須恵器生産が盛んで、燃料となる材木を伐採した。
その後、木が無くなった丘陵を開拓して水田にした時に水の確保のためにため池をつくったのが理由らしい。
将来タモリさんが歩くことがあれば、気づくかな?

『南笠東四丁目』



ついに草津市に突入しました。
大津市内が長かった、ですわ。


少し上り坂になった。


湖南平野で上り坂は、まもなく天井川になるという証でもある。




旧中山道の表示と某首相



草津市のマンホール

中央の「中」のような形は、
く・さ・つを図案化したらしい。

有名な東海道のマンホールは、この後、草津宿場に入ると出てきますよ。



『狼川町会館』



櫓のようなモニュメントあり

そして、
『狼川』



本来は、老上(おいかみ)川あるいは大亀川と呼ばれてた。
天井川であばれ川だったので狼川に、
狼が多くて亀が狼を退治したので狼川に、
などの諸説あり。

狼川が大津市と草津市の境になると思うが、流域が変化し現在の両市の境は入り乱れてます。
なお、大津市瀬田から草津市にかけては栗太郡でした



その42へ続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

コメント
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