2018年2月11日(日)
寄り道が多すぎて、この日は膳所駅~石山駅、JR線の1区間しか東海道歩きできなかった。
その最後の寄り道を紹介。
15時0分、石山駅出発。
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案内板によると幻住庵まで約2キロ。
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普通に歩けば、徒歩30分ぐらいですな。
まっすぐ南下。
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突き当たりに見えてきたのが
『晴嵐小学校』
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近江国分寺跡の石碑が校内に立ってるそうです。
不審者扱いされるといけないので、パスしました。
ちなみに近江国分寺に関しては3つの候補地があります。
1、晴嵐小学校、国昌寺跡。
2、瀬田廃寺、近江国府跡
3、甲賀寺、紫香楽宮跡
どれもこれも確定していません。
なので、国分尼寺跡に関してはさっぱりわからず、という状態。
小学校前を右に向かい坂を上り、
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国分森橋を渡る
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橋の下は名神高速道路。
あと800m
『国分山泉福寺』
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この付近、国分町。
国分寺にちなむのでしょうね。
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バスの本数そこそこあるので、帰りはバスで帰ろうと心に決めました
近津尾神社鳥居。
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これより参道となる。
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標柱に地名の『国分』の由来が書かれてあるが、風化して読めません。
さらに坂を上る
15時31分
幻住庵バス停到着。
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予想通り約30分かかりました。
石段を上ります
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またまた近津尾神社の鳥居
『表門』薬医門
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この門も膳所城の門でした。
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瓦に本多家の立葵紋があります。
『本殿』
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創建は不明ですが、石山寺の鎮守として建てられたようです。
『幻住庵記』碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/45/9d35b180fbfe12b054780abefeb0f051.jpg)
陶板で全文が復元されてます。
内容をちょこっと紹介。
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石山の奥、岩間山の後ろに国分山がある。
その昔、ここにあった国分寺の名前を伝えてるのかも?
麓から二百歩登ると八幡宮がある。
御神体は阿弥陀像だとか?
ここは神仏一体。
常日頃、参詣する人がいないので神々しく物静か。
その横に人が住み捨てた草庵がある。
蓬や根笹が生い茂って軒を囲み、屋根は雨漏り、壁は落ちて、狐や狸の寝床になってる。
名を「幻住庵」という。
主人の僧某は、菅沼氏の伯父で、亡くなって八年ぐらいになる。
文字どおり、はかない幻の世に住んだという幻住老人の名を残している。
私もまた市中の生活を離れて10年、
年齢も50に近い身で、蓑虫が蓑を失い、蝸牛が家を離れるように住み慣れた家を捨てて旅に出て奥羽象潟まで行き、今年は琵琶湖のほとりに漂泊している。
鳰(にお)の浮き巣が一本の葉陰を見つけて留まることができたように、
私も身を託すことのできるささやかや住まいを得た。
入庵した頃は、四月の初めなのでつつじが咲き誇り、藤の花が松に垂れ下がりホトトギスが鳴いていた。
琵琶湖を見ていると、魂は杜甫の詩境に走り、身は中国の名勝湘水や洞庭湖のほとりに立ってるような気分になる。
見回せば、比叡山・比良の高嶺よりはじまり、唐崎の松に霞が立ちこめ、膳所の城があり、瀬田の長橋があり、釣り糸を垂れる舟がある。
耳を澄ませば、笠取山に通う木こりの声、麓の田には早苗取る歌、蛍が飛び交う夕闇の空に水鶏の戸をたたくような鳴き声、
美しい景色として足りないものは何一つない。
中でも三上山は富士山の姿に似ていて、武蔵野深川の草庵から富士山を眺めていた時のことを思い出させてくれる。
《以下省略》
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Φ(*^ひ^*)Φ
芭蕉翁が丁寧に、琵琶湖、湖南地域の良さを愛でてくれてます。
ありがたや、ありがたや!
この日記からわかるように、
芭蕉は、おくの細道紀行の翌年1690年4月~7月にかけて約4ヶ月、ここで過ごした。
門人で膳所藩士、菅沼外記の勧めによるもので、もともとは菅沼外記の伯父さんの住まいでした。
最初は、少しだけと思っていたが結局、風景と環境の良さに魅せられて4ヶ月も住むことになってしまったのです。
芭蕉が愛した大津と琵琶湖にお越し野洲!
その33へ続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪