馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

【たなみん】ゆるキャラ

2019-01-31 21:58:00 | ゆるキャラ

2018ご当地キャラ博IN彦根。

『たなみん』
大阪府?

田辺三菱製薬のキャラクター。

企業キャラですが、言われなければわからないですよね。

ハグハグの森に住んでるそうです。
というか、会社のある道修町やんか!

道修町は薬の町です。

「どしょうまち」と読む。
関東の人は読めないだろうな。


真っ白な身体と青い手は、
企業のシンボルマークをイメージしてるようですな。

ハグハグすると病が治るそうです。

薬飲まなくていいんかい?

それはともかくとして、

『たなみん』、と聞くと
我々近江県人は、ゆるキャラよりも
近江八幡市出身で元AKB48のメンバー、田名部 生来さんを思い浮かべてしまう。

愛称、たなみんです。

滋賀ドルたなみん、
応援宜しくです。

て、もうAKB48じゃないんですが…。


Twitter
田名部生来 (@mnkspan)さんをチェックしよう https://twitter.com/mnkspan?s=09

同じたなみんなら、
ハグハグは、こちらのたなみんとしたいものです💓



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

先日のNHK歌番組の『うたコン』
雪特集でした。

で、いきなりトップが
中島美嘉さん【雪の華】
この曲好きです。

だが、美嘉さん声がイマイチ。
聞くところによると今も耳の病気で苦しんでるそうな。

病気治るのかな?

そして、
May J.さんのアナ雪、ありのままで、

いやぁ、何度聞いても素晴らしい。
この曲はこの人のためにあると言ってもいい。
聞き惚れますわ。

ちなみに映画はまだ見たことない…。


余興じゃないけど、
我らが滋賀県観光大使の西川貴教君登場!

「冬になると新幹線を停めるのは滋賀県の豪雪
申し訳ない」
と、謝ってました。

そうなんですよね。

滋賀県を怒らせると琵琶湖の水も新幹線も停めるぞ!



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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セゴビア市

2019-01-31 14:30:30 | 滋賀県情報
"スペイン国セゴビア市の紹介" を YouTube で見る


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
セゴビアは、
世界遺産の都市。
水道橋が素晴らしい!
シンデレラの城もいい。

首都マドリッドの近くなので観光地として人気らしい

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き33】幻住庵~国分大塚古墳

2019-01-30 17:37:43 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)


境内の石段をさらに登る。


茅ぶきの門があらわれました。

どうみても膳所城の遺構ではありませんね。

そして、
15時37分
【幻住庵】

茅ぶきのひなびた庵。


室内は綺麗。


瀬田川、石山寺方向を見てます。

て、この庵綺麗すぎますよね。

実は現在の建物は、1991年9月に芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環で復元したもの。

茅ぶきの屋根として復元されてるが
本来は瓦葺きだったそうです。

新しすぎてひなびた庵の感じがしません。
部屋の奥はボランティアガイドさんの部屋になってました。

ここで、庭を掃いてたガイドさんに捕まりました。
歴史や神様のことに関して異常に詳しくてただ者じゃないと、わかった。
長々と講釈を受けましたよ。

今や超有名になった近江神宮創建にまつわる話。
近江神宮は由緒あるようにみられるが、実は昭和時代の創建。
新しい神社なのです。

ちなみに、神宮は神様が住まわれる所。
神社は、神様のよりしろ。

だから、神社は全国に山のようにあるけど、神宮は限られたごく少数しかない。
新しく建てられた近江神宮、
大津市の別の神社の神主さんが努力されて創られたのですよ。

ガイドさんの話はさらに飛躍して止まらない。
源義経とキリスト教の関係などなど、延々と話が続き、

膳所藩、近津尾神社と切支丹との関係、

裏話など、ホンマかいな?
と思えてくるような深~いお話も。
とてもとても、ここでは公表できませんわ。

本日最後の訪問地で別に急ぐこともないので、約一時間弱付き合わせてもらいました。


近津尾神社を下に見る。

ようやく解放してもらったが、
バスが行った後でした。

結局、帰りも歩いて戻ることに。

『国分大塚(こくぶおおつか)古墳』

6世紀の前方後円墳で、大津市内では、最後に造られた古墳だとか?

石室がちょこっと見えます。
内部を見ることができるそうです。

住宅地の中にあり、探すのに苦労しましたよ。

再び、晴嵐小学校横の坂。

国分寺跡の石碑を見たかったのですが、あきらめました。

『北大路御霊神社』

大友皇子が祭られてます。






この後、石山駅から帰りました。

その34へ続く

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【旧東海道歩き32】石山駅~幻住庵へ

2019-01-29 17:43:57 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

寄り道が多すぎて、この日は膳所駅~石山駅、JR線の1区間しか東海道歩きできなかった。
その最後の寄り道を紹介。

15時0分、石山駅出発。

案内板によると幻住庵まで約2キロ。

普通に歩けば、徒歩30分ぐらいですな。
まっすぐ南下。



突き当たりに見えてきたのが
『晴嵐小学校』

近江国分寺跡の石碑が校内に立ってるそうです。
不審者扱いされるといけないので、パスしました。

ちなみに近江国分寺に関しては3つの候補地があります。
1、晴嵐小学校、国昌寺跡。
2、瀬田廃寺、近江国府跡
3、甲賀寺、紫香楽宮跡
どれもこれも確定していません。
なので、国分尼寺跡に関してはさっぱりわからず、という状態。

小学校前を右に向かい坂を上り、

国分森橋を渡る

橋の下は名神高速道路。

あと800m


『国分山泉福寺』

この付近、国分町。
国分寺にちなむのでしょうね。

バスの本数そこそこあるので、帰りはバスで帰ろうと心に決めました

近津尾神社鳥居。

これより参道となる。




標柱に地名の『国分』の由来が書かれてあるが、風化して読めません。

さらに坂を上る


15時31分
幻住庵バス停到着。

予想通り約30分かかりました。



石段を上ります

またまた近津尾神社の鳥居

『表門』薬医門

この門も膳所城の門でした。

瓦に本多家の立葵紋があります。



『本殿』

創建は不明ですが、石山寺の鎮守として建てられたようです。

『幻住庵記』碑

陶板で全文が復元されてます。

内容をちょこっと紹介。

∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵

石山の奥、岩間山の後ろに国分山がある。
その昔、ここにあった国分寺の名前を伝えてるのかも?

麓から二百歩登ると八幡宮がある。
御神体は阿弥陀像だとか?
ここは神仏一体。
常日頃、参詣する人がいないので神々しく物静か。
その横に人が住み捨てた草庵がある。
蓬や根笹が生い茂って軒を囲み、屋根は雨漏り、壁は落ちて、狐や狸の寝床になってる。
名を「幻住庵」という。

主人の僧某は、菅沼氏の伯父で、亡くなって八年ぐらいになる。
文字どおり、はかない幻の世に住んだという幻住老人の名を残している。

私もまた市中の生活を離れて10年、
年齢も50に近い身で、蓑虫が蓑を失い、蝸牛が家を離れるように住み慣れた家を捨てて旅に出て奥羽象潟まで行き、今年は琵琶湖のほとりに漂泊している。

鳰(にお)の浮き巣が一本の葉陰を見つけて留まることができたように、
私も身を託すことのできるささやかや住まいを得た。

入庵した頃は、四月の初めなのでつつじが咲き誇り、藤の花が松に垂れ下がりホトトギスが鳴いていた。

琵琶湖を見ていると、魂は杜甫の詩境に走り、身は中国の名勝湘水や洞庭湖のほとりに立ってるような気分になる。

見回せば、比叡山・比良の高嶺よりはじまり、唐崎の松に霞が立ちこめ、膳所の城があり、瀬田の長橋があり、釣り糸を垂れる舟がある。

耳を澄ませば、笠取山に通う木こりの声、麓の田には早苗取る歌、蛍が飛び交う夕闇の空に水鶏の戸をたたくような鳴き声、
美しい景色として足りないものは何一つない。

中でも三上山は富士山の姿に似ていて、武蔵野深川の草庵から富士山を眺めていた時のことを思い出させてくれる。

《以下省略》

∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵

Φ(*^ひ^*)Φ

芭蕉翁が丁寧に、琵琶湖、湖南地域の良さを愛でてくれてます。

ありがたや、ありがたや!


この日記からわかるように、
芭蕉は、おくの細道紀行の翌年1690年4月~7月にかけて約4ヶ月、ここで過ごした。
門人で膳所藩士、菅沼外記の勧めによるもので、もともとは菅沼外記の伯父さんの住まいでした。

最初は、少しだけと思っていたが結局、風景と環境の良さに魅せられて4ヶ月も住むことになってしまったのです。


芭蕉が愛した大津と琵琶湖にお越し野洲!

その33へ続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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一休善哉の日🍜

2019-01-27 22:18:00 | 旅行
朝起きたら、一面銀世界。
といっても数センチの積雪。
やはり暖冬なのか、雪の量は少ない。

佐和山の雪❄️

長浜のお城講座はパス、
一路南下、京田辺市に行きました。
朝のラジオで、京都市内も積雪と言ってたので心配したが、雪のゆもなかった。

昨年、佐々木六角氏の墓を参拝するために一休寺に行ったらたまたま一休善哉の日だった。

その時、毎年1月最終の日曜日が善哉の日だと知った。

それに味をしめて今年もやって来ました。
拝観料+絵馬奉納+座禅+善哉=千円。
全部ひっくるめて千円は安い!

次から次へとたくさんの人が来てました。
あまりにも人が多いせいか、今回は座禅での肩たたきは省略でした。


ついでにと言ってはなんですが、

六角氏の墓にも参拝しましたよ。

ラストは善哉。

やっぱり善哉は京都に限る。
お上品なお味で、一休納豆とのコラボが絶品。

来年もまた善哉食べに来られるように身体を大切にしなきゃ、と思いました。

なんか、毎年の定番コースになりそうですわ😋


我が輩は食べるだけでは終わらない。
例によって、お寺を出た後は周辺の史跡巡りをした。

散策コースが整備されてるのが嬉しい。

京田辺市は玉露の産地。
古墳群の傾斜地が茶の栽培に利用されてる。

お茶は宇治だけではないのです。


お茶の花が咲いてました。

散歩されてた人に聞いたら、秋頃が花の時期で、今咲いてるのは最後の残り物。
花はこれで終わり、この後、実がつくそうです。

というか、茶の花初めて見ました。
1センチにも満たない小さな小さな花です。

約10キロ、ぐるっと巡ったので
善哉のカロリーは充分消費したと思いますよ✌️

お土産には一休納豆を買いました。

強烈な匂いを振り撒きながら帰りました🚃

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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安土城博物館連続講座😔

2019-01-26 17:13:00 | 滋賀県情報

安土城考古博物館のホムペを見ると、
先日の講座の混乱に対して次のような告知が。

……………………………………………………
連続講座Ⅰ「近江源氏 六角氏・京極氏とその家臣」受付について


毎回、定員を超える多くのお客様にご参加いただき、ご好評いただきまして誠にありがとうございます。
また、既に開催済みの講座にて、定員の関係上ご入場をお断りした皆様には、ご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした。

今後開催予定の講座においても、引き続き当日の混雑が予想されます。
安全のため、混雑状況によって受付開始時間を早める場合や、満席になった際にはご入場いただけない可能性がございます。当講座に参加ご希望のお客様は、お早目にお越しください。

何卒、ご理解とご協力をお願い申し上げます。

……………………………………………………
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

この書き方だと、とにかく早く来い!
という結論。

他に方法無いのか?


予約なし、先着順という規定なので、定員を超えたら断られても仕方ないのだが、遠く県外から来られてる人も多い。

なんとか、対策考えてほしいものですな。

人気のない講座の時は10人も満たないことがある。

戦国時代ばかり人気があるのは、
大河ドラマの視聴率と一緒ですわ。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

そんなわけで、安土連続講座、先週はパスした。

今日は、年末以来の久しぶりの寒波で積雪❄️となり、
山登りも街道歩きもダメ。
仕方ないので、といったら怒られるかな?
安土講座に参加することにした。

この悪天候だから、参加者少ないと思ったが、駐車場に到着すると満杯!

またしても満員。
ま、前回ほどの超満員ではないのでなんとか補助イスに座ることができた。

講師が人気者なので固定ファンも多いのだと思う。
一度見たら忘れられないあの顔、
わざと笑いを取る喋りじゃないが、なぜか和ませてくれる話し方。
天然の個性にみなさん惹かれるのだと思います。

米原市の上平寺城、熊が出没するので1人で登らないように、と忠告があったが、
12月に1人で登りましたよ!
今言われても遅い。

無知ほど恐いものはない😨


ちなみに、明日は長浜城博物館講座で、有名人二人のお話があります。

おそらく超超満員になると思う。
もう混雑は嫌!

なので、例年参加してるが、
今回はパスします。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

本日、安土講座の帰りに鳩のマークのスーパーに立ち寄って買い物した。
レジで精算して、
買い物袋に商品を詰めたが、ボタン電池を入れ忘れた。

車に乗ってから気づいたので、
急いでレジに戻り探したが、残念ながら見つからなかった。

隣で袋詰めしてたオバサンに盗られたかも?

油断もスキも無いとはまさにこのこと。

524円の損害でした😭



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き31】晴嵐松並木~兼平の墓

2019-01-25 22:00:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

14時14分、
旧東海道晴嵐交差点


『粟津晴嵐、松並木』

京都三条大橋を出発して初めての松並木です。
道が舗装されてなくて地道ならもっと街道の雰囲気を味わえるのですが…。
本来は膳所城下町の南口総門から石山商店街まで、ずっと松並木があったそうですが、今は数本の松が残るのみ。
湖岸道路が造られるまでは、松並木のすぐ横が、浜でした。

山や浜から吹く風が松の葉を揺らす音・ざわめく音が、晴れた日の嵐のように聞こえたので「晴嵐(せいらん)」と呼ばれるようになった。

湖岸側に『粟津中学校』

中学校横のフェンスに

『滋賀県農業試験研究発祥の地』石碑

明治28年、現在の粟津中学校の場所に滋賀県農事試験場が開設された。
日本で初めて人工交配によって新しく米の品種(近江錦)がつくられ実用化に成功した。

ちなみに現在、滋賀県が開発した米のブランドは、「みずかがみ」です。
コシヒカリよりも美味しいですよ!


街道の横は大きな会社や工場が並ぶ

街道はこのバス停の先から工場の中を真っ直ぐ突き抜けるが、無理なので、
道路をそのまま行く。

川が見えてきました。

盛越川沿いを右折する。

街道はこの工場の横へ斜めに伸びてたはず。


そして、


14時28分

『JR石山駅』到着。
街道は石山駅の構内を突き抜けて南口へ向かいます。

線路内を歩くのは無理なので、
石山駅に立ち寄らない場合は、駅の東側の道を石山商店街に向かって南下することになります。

我が輩は
石山駅の手前で、またまた寄り道。

駅前の道を西へ向かい
再び盛越川。

川沿いに少し行くと

『今井兼平の墓』



平家物語で有名な人。
粟津合戦で敗れた木曽義仲は討死した。
義仲の右腕ともいうべき今井兼平は、義仲の死を見て
「東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本よ」と言って、
口の中に太刀を入れ馬上から飛び降り、貫かれるという壮絶な自害をした。

凄い死に様ですね。

兼平は山の中に葬られたが、膳所藩主が探しだし、後に東海道の近くのこの地に墓碑を建立した。

長野県岡谷の今井氏。
今井兼平の出身地なのかな?


鎮魂碑


粟津合戦史跡顕彰碑

そして、
兼平の墓

合掌!



再び石山駅

本日の街道歩きはこれにて打ち止め。



この後、またまたまた寄り道します
駅北口に
『松尾芭蕉像』

観光案内所で地図をもらって
芭蕉ゆかりの幻住庵へ行くことにしました。

案内所の人がバスを勧めてくれたが、
『歩いて行く』と答えたら、
あきれ顔でした


その32へ

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【旧東海道歩き30】御殿浜、本多神社へ

2019-01-24 21:53:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

膳所若宮八幡を出て街道を東へ。


再び京阪電車の線路を突き抜ける。

京阪電車が京都三条大橋からずっと縫うように旧東海道のそばを走ってますね。

宮町踏切の横に

六地蔵。


街道はまた突き当たる。


斜めにジグザグ折れ

直進して突き当たりは

右折れ。

複雑な折れになってるのは城下町の外れに来たという証拠。

民家の玄関前に
『膳所城勢多口総門跡』石碑

膳所城下町の南口として粟津番所がここにあり、往来の人を監視してました。

橋が見えて来ました。

街道はこのまま真っ直ぐ行き、石山駅まであと少しですが、

ここでちょこっと寄り道します

………………………………………………………

湖岸へ向かう

石の鳥居(ピンボケ)

中に入ると
『丹保之宮』

幕末に膳所城事件がありました。
和姫と婚姻した第14代将軍徳川家茂は、
天皇に攘夷の約束を述べるために上洛。
三代家光以来、230年ぶりの京都入りでした。
が、上洛の途中、膳所城に滞在すると聞いた膳所藩士が、暗殺を計画。

情報を得た膳所藩は疑わしい藩士11名を処刑した。

その後、藩主本多康穣が、11人の慰霊のために建てたのが丹保之宮。

これ、たんほ、じゃなくて、
『にほのみや』と読む。
琵琶湖の別名は鳰の湖。
鳰(にお)の当て字として丹保にしたようですな。

というか、目的地は本多神社なのです。
もう一度湖岸道路に戻って少し進むと、
神社の入口がありました。

丹保宮は本多神社の境内社と書いてある。


奥へ進むと、
『本多神社古墳』

石棺が散乱してますよ。
県の資料によると、
「御殿浜古墳」
本多家の御殿浜御殿がここにあり、庭園の築山として古墳を転用した。

石棺が散乱してるように見えるけど、庭園の一部にしたようですな。

『広鶴大神』

盛り上がってるので、古墳の墳丘なのでは?

そして、ようやく

本多神社本殿。

明治時代に元膳所藩士が瓦ヶ浜御殿跡に神社を建てた。

本多忠俊、本多忠次、
本多康俊、本多俊次、が祭られてる。


膳所藩資料館があるが、閉鎖されてるようです。

『黒田麹廬(くろだきくろ)顕彰記念碑』

前回紹介した杉浦 重剛を育てた人。
日本で最初にロビンソンクルーソーを翻訳したそうです。

………………………………………………………


約25分ほど寄り道しました。


その31へ


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【旧東海道歩き29 】篠津神社~若宮八幡神社

2019-01-23 16:36:02 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

右折して右側に

篠津神社。



こっちが正面及び参道のようです。
先ほどの掲示板は神社裏なので問題無しということ、ですな。

神社由緒書を読むと、
祭神は、素戔嗚尊。
創建は不明。
棟札で、室町時代にはすでにあったと判明した。
膳所藩主の保護を受けた神社でした。

神社の表門は
脇戸付き高麗門。
膳所城の北大手門でした。
国重文に指定されてます。


神社を出て少し先に斜めの広い道がある。

曲がって左手に
『蘆花浅水荘(ろかせんすいそう)』

膳所出身の日本画家山元春挙の別荘。
風景画のような美しい庭園(大正時代)と数奇屋造の建物が見事で、国重文に指定。
大津市指定名勝にもなってる。

記恩寺という表札がある。

粟津周辺、昔は風光明媚だったようですね。

見学は、要予約。
有料500円。

なので、外観だけちょこっと撮影しました。





街道沿いに、

膳所山光源寺。

この付近、

2階建建物がいい雰囲気を出してます


街道は京阪電車瓦ヶ浜駅の踏切を突き抜ける


突き当たりを左折するが、

曲がり角に
『杉浦重剛先生誕生地』石柱。

膳所藩出身の教育者で、昭和天皇に倫理を講義されたそうです。

この人の影響を受けた人に
岩波書店の岩波茂雄、
日本画家の横山大観、
歌人国文学者・佐々木信綱、
政治家・吉田茂、河野一郎などなど、
そして、
児童文学者「巌谷小波」がいます。
巌谷小波、知ってますか?
後ほど旧東海道歩きの湖南市甲賀市付近で登場するので、その時までこの名前を覚えておいてね。


左折しました。

無人販売所に「八朔」がありました。

買ったかどうか記憶にないが、
この冬は我が家の八朔が大豊作で毎日食べてたので、たぶん買わなかったと思う。

というか、大津市の市街地のど真ん中に無人販売所がある、ということに驚いた!

無人販売所を見ると、平和な日本に生まれて良かった、といつも思います。

左手に
『若宮八幡神社』

祭神は仁徳天皇。

7世紀後半に創建された。

鳥居のすぐ後ろに

脇戸付き高麗門がある。

これは膳所城本丸の犬走門だったとされてます。

瓦に本多家の立葵紋があります。



膳所城本体は消滅し城跡は公園になってるけど、その痕跡は周辺の神社や寺にいくつも残されてます。
城の痕跡探しをしながら膳所城下町を巡るのは、楽しいものです。

是非とも皆さんもお越し野洲!



その29へ


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梅の木の剪定をする、の巻

2019-01-22 17:36:35 | 日記
土曜日に朝鮮人街道歩きをした。

途中に、『天神社』(東近江市能登川町)があった。

名前でわかるが、
菅原道真公を祭る。

道真公と言えば、梅ですよね。

境内入口に梅の木があり、
オジサンが剪定されてました。


2月頃に来れば、花見られますね、
と、言ったら

『いや、今年は暖冬なので1月中に開花しそうです』

なるほど!

開花前に剪定してもいいのですか?
と、剪定作業中のオジサンに聞く我が輩。

愚問の極み、ですわ😰

花芽、3つ4つほど残して上は切るべし。
上に伸びてる枝を優先に切り、枝は横に伸ばすべし。

と、御教示いただきました。

良いことを聞いたぞ👂️

なので、早速本日、

我が家の紅梅を剪定することにした。
ずっと何もしてないから
枝が2階の屋根まで伸びまくってる


バッサリ、バッサリ、
幹や枝、切りまくりました。

だいぶスッキリしたぞ!


母曰く
『綺麗になったね。
あんた、庭師になれるわ』

と、お褒めの言葉頂戴しました


その手には乗らんぞ😔


さて、無事綺麗に花咲くかな?

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