馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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壺笠山城&宇佐山城

2019-02-16 22:22:00 | 城跡
本日は北国海道西近江路沿いの山城を攻略することにした。

京阪電車穴太駅。

穴太積み石垣で有名な穴太(あのう)だ。
約40分ほど林道を歩く。

途中に墓地、古墳群がある。


橋を渡り少し行くと分岐があり左手へ。
山と山の間の広い分岐に出た。
さて、どの山が壺笠山かわからない。
事前の下調べで、木にテープを巻き付けてある山だと知ってたので右手のほうに行く。
しばらく進むと道が下り坂となり、これは間違いだと思い引き返した。
先ほどの分岐の手前に枝にテープを付けてあるのを発見!

よく見ると登山口っぽい。
その目印のようだ。
で、登ったら正解でした。
何一つ、城跡の看板が無い。
その代わり、肝心な所に木や枝にテープがあり、どうやらこれを目印にしろ、という意味のようである。

宇佐山城の戦いで、浅井朝倉連合軍が陣地としたのが壺笠山。
丸い縄張りが朝倉の特徴だとか?
石垣がちょこちょこ残されてる。

ここは京都へ抜ける白鳥越えの道が通ってる。
山の西側から京都へ向かおうか、と思ったが、思いとどまった。
やっぱり無茶はいけない。
京都側にいい城跡があるそうなので、いつか京都から白鳥越えに挑戦してみたい。

時折、延暦寺の鐘が聞こえてくる。
比叡山に近いので尾根づたいに行ってみたい誘惑にかられたが、これも踏みとどまった。

最近、本能と理性の間で揺れ動く我が輩です。

信長は比叡山に対して、浅井朝倉のために陣地を貸すな!
と、何度も使者を派遣してお願いした。
しかし、比叡山延暦寺はこれを拒否して、浅井朝倉に味方した。
裏切られた信長は根に持ち、
これが後に比叡山焼き討ちの原因となったのです。


下山後、穴太駅から近江神宮前駅へ移動。

近江神宮の裏の宇佐八幡宮へ向かう。
八幡宮の裏山が宇佐山城である。

ウソ山でも佐和山でもない、宇佐山だ。
こちらは再訪。
四年ほど前に滋賀県の探訪で登ってるので、概略はわかってる。
しかし、山登り2つ目なのでさすがに身体が重い。

子供が作ってくれた看板が充実してる。
休み休み登った。

本丸にNHKなど放送局などの電波建物あり、占領している。
困ったもんやわ。
石垣を見るために南側へ向かうと
遠くに獣の気配がする。
じっと見つめたら、相手は逃げた。
たぶん、鹿だと思う。
夕方近くになると獣が出没するので早めに下山しなければ、と思った。

宇佐山城は、織田軍の城で壺笠山城の浅井朝倉軍と対峙してたわけである。

宇佐山の麓は、山中越えの道が通ってる。
こちらは舗装されていて、京都市街地と結んでる。

昔、明智光秀は、この山中越えか白鳥越えで坂本城と丹波亀山との間を往復したそうです。

光秀のルートをたどってみたいものです。

下山したのは4時過ぎ。
今日は両方の城で誰にも合わなかった。
歴史上重要な城跡だが、今はマイナーな城跡ですわ

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

明日もマイナーな城跡へ行きます

熊が多い地域だし、駅からも遠いので心配ですわ


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
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