馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

庄堺公園のバラ園

2022-05-28 23:55:49 | 日記
そろそろ見頃、ということで我が地元の定番バラ園に。
彦根市開出今町
「庄堺公園」
平日にもかかわらずたくさんの人出でした。

世話されてる方々が花摘されてました
ボランティアのみなさんです。

色とりどりの花が咲き乱れてる

庄堺公園は彦根市の南部に位置していて、中世は河瀬氏の支配地域だったかも?
彦根駅から市立病院・県立大学行きのバスで「庄堺公園口」下車、徒歩すぐです。

入園料・駐車場・トイレ、すべて無料!
バラ園に併設して臨時駐車場が6月中旬まで増設されてます。

期間中はキッチンカーの店があり、食事もできます。


バラ園の西に「花しょうぶ園」があります。
ハナショウブは彦根市の花です。

時期的には少し早かった

ちらほら咲いてますが、見頃は6月初旬ぐらいでしょう。


みなさん、お越しヤス

Φ(*^ひ^*)Φ
庄堺公園のある大薮、開出今町地域は、江戸時代、彦根井伊家の鷹狩り場でした。
我が輩の小さい頃は田んぼばかりで、これから夏にかけては蛙の鳴き声がうるさかったものです。
現在は新興団地になっていて、市の副都心のような賑やかな地になってます。

余談ですが、庄堺公園の北西にお好み焼き屋さんがあります。
昔、よく通ってました。
たいがいミックスを食べてました。
若狭小浜出身の若奥さんが経営していて、小さな女の子を抱えて大変そうだった。
今はもう女の子が切り盛りしてるかもね?

この店、当時はもっと西よりにありました。
彦根市立病院が彦根城京橋口からこちらに移設された時周辺の区画整理があり、その時に現在の地に移られたのだと思います。

あれから30数年、久しぶりに女将さんの顔を見がてらお好み焼きを食べてみたいものです😅



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【宇尾城】彦根市

2022-05-24 23:01:49 | 近江の史跡


河瀬氏の一族に大宇氏があり、大和守高秀と秀則の2代が居住したのが【宇尾城】
Googleマップの○付近

「大宇」が後に宇尾に変化し現在は宇尾町に。
前回紹介した蓮台寺氏と河瀬氏、そして大宇氏の3家が「犬上衆」と呼ばれて浅井氏に従い、姉川の合戦で消滅したようです


蓮台寺城から県道206号線を北上し犬上川の橋を渡ると県道の左手に「白山神社」がある。
県道から左へ入った所に鳥居がある。



神社を囲んで北側一帯が城跡だったようです


鳥居の左手に細い路地があり、奥へ入る


果樹園があり、石碑が建ってます

「河瀬大和守秀則屋敷址」と記載されてます

私有地の果樹園なので遺構の探索は無理。
石碑だけ見て退散しました。

ちなみにこの県道206号線は、通称「彦根道」「朝鮮人街道」と呼ばれてます。
織田信長が整備した上洛道であります。

蓮台寺城、宇尾城、ともに街道を睨む位置に築かれました。

※彦根市教育委員会文化財課の解説シートを参考に探索しました。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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【蓮台寺城】彦根市

2022-05-15 23:47:50 | 近江の史跡
彦根市南部に河瀬荘があり、河瀬氏が荘園管理して豪族となったようです。
この河瀬氏の一族の蓮台寺氏の居城が「蓮台寺城」でした。
この城跡の北側は朝鮮人街道が通ってます。
信長が整備し通った道です。







現在、蓮台寺町の集落のなかに一段高くなった畑地があり、城跡の石碑が建ってます。




「YouTube動画」



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話22.05.07

2022-05-07 22:37:16 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【阿野氏館跡】静岡県沼津市
あのしやかたあと。
沼津市街地から見ると北西の位置になる。
最寄り駅はJR原駅。
旧東海道原宿、千本松原から北へ徒歩約30分ほどで富士山系愛鷹山の山裾に至る。この地区が阿野。
我が輩は先に北条早雲ゆかりの興国寺城を探索した。
興国寺城の住所は沼津市根古屋。
根古屋地名、またまた登場しましたよ。
北条早雲ゆかりと書いたのは興国寺城が本当に早雲の居城だったかどうか、の確証が無いから。
後に信長が宿泊した城で、現在の遺構は徳川家康が改変したものではないか?と思われる。
背後の大堀切が圧巻で我が輩も堀底を歩いたが、深い堀は谷底と言ったほうが良い。
半分自然地形だろう…
この後、旧東海道ともいうべき「根方街道(現在の県道22号線)」を西へ向かった所に「大泉寺」がある。
この付近が、「阿野荘」でした。
地名としては青野がある。
「おおの」と読むが、
阿野と青野、本来は同一地名だったのでは?
この阿野荘に源義経の兄「今若」が領地を得て阿野全成(ぜんじょう
、ぜんせい)と名のった。
これが阿野氏の始まり。
全成は頼朝のもとで鎌倉政権を支えたが、頼朝死後抗争にまきこまれ厄介払いされてしまいます。
阿野全成の墓は館跡とされる大泉寺に残されていて参拝しました。
土塁があり、これが館跡の痕跡かな?と思いました。
訪ねたのは昨年の大晦日で、すでに大河ドラマ関連の幟がありました。
沼津市としては大河にちなんで観光の取り組みをしてるので今年は見学者増えると思います。
さて、今後の大河ドラマの展開では阿野全成の死をどのように描くのでしょうかねえ?
気になります。
あのう、阿野はわかったけど
根方街道の根方はどうなの?
お答えします。
沼津市付近の海岸部(旧東海道)付近を「浦方」と呼び、
愛鷹山の山麓付近を「根方」と呼んで地域の使い分けをしてたのです。
根方は文字通り、木の根っこ。
なので、地名としての根方はありません。
ただし、岐阜県の高山市に根方地名があります。
これが難読地名でして
「ごんぼう」と読む。
読めませんよね。
地図で確認すると、なんと、なんと!
近くに飛騨大鍾乳洞があります。
むかしむかしその昔、
ゴールデンウィークに飛騨大鍾乳洞に行きましたよ。
松本市から上高地、難関の安房峠を越えて平湯温泉を通り鍾乳洞を見学しました。
安房峠、今はトンネルができて容易に行けるようになったが、昔は難関も難関、無事に越えられるか心配で怖かった。
ゴールデンウィークで車が渋滞、道が細くてまさに酷道、
越えるのに数時間かかった。
なんとか無事にこえられたのはいいけど、耳がわんわんして気分が悪くなった。
いわゆるプチ「高山病」
鍾乳洞を楽しむ余裕なくて、ツラかったことしか覚えてない。
なお、安房峠の安房は
あわとは読まない。
あほうでも
あのう、でもないですよ。
読み方は調べてね。
では、今回はこれにておしまい。
て、あの~なぁ、安房の読み教えてくれないの?
□■□■□■□■□■□■□■□■
地名パズル
 
   首 
 駒 里
◯◯◯◯跡←ちむどん県
立町多 
郡 郡 
↑↑↑↑
福金島琉
井沢根球
県市県国
答えは次回!
Φ(*^ひ^*)Φ
次回は、お盆頃
コロナもウクライナ戦乱も終息、収束してるかな?
収束するどころか第3次世界大戦が始まって大惨事になってたりして…
我が国も地震多すぎ!
心配ですわ
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
彦根城

鐘の丸、曲線を描く縄張り。
武田流だと言われる

鉢巻石垣と腰巻石垣。
石が不足してたのでこのような土塁の上下に分離したエコ石垣になったと言われるが、

築城工事を急いでたのと、
高石垣で曲線を描くのは技術的に難しいのが
理由ではないか、と我が輩は考える
素人の考えですが…

屋形船

国宝彦根屏風

この連休は彦根城混んでました
久しぶりの賑やかさでした

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話22.05.05

2022-05-05 23:18:43 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【館山】茨城県ひたちなか市
たてやま。
ひたちなか市に関してはいまさら説明は不要でしょう。
有名な那珂湊、おさかな市場、日立製作所など全国的知名度がありますね。
市名が、ひらがなで「ひたちなか」というのが気に入らないけど…
江戸時代、那珂湊は水戸藩の外港として栄え商業上、防衛上重要な港であるとともに藩主の別荘地でもあった。
幕末には反射炉が築かれ大砲を製造した。
館山は港に近い小山で、黄門様こと水戸光國公が7つの寺をここに集めさせた。
我が彦根城下町もそうだが、江戸時代の城下町にはたいがい寺町地区がある。
これは有事の際の防衛拠点として兵を駐屯させるのにもってこいの場所として活用できるからなのである。
この7つ寺は浄光寺を筆頭にすべて浄土真宗西本願寺派の寺ばかり。
一地域に同じ宗派の寺が集中してるというのは珍しい。
何か意図的なものがあったのかな?
親鸞上人は、越前越後に流罪となったが、後に赦されて信州善光寺、
そして関東の常陸稲田に居住し、関東の布教に邁進、
晩年は京都に戻りました。
常陸は浄土真宗の拠点だったのです。
茨城県の現地では浄土真宗発祥の地だと言ってるとか?
館山と言えば、
だれでも思い浮かぶのは千葉県の館山市、館山城、ですよね。
里見氏の安房支配の拠点となった城です。
山の上に館があったから館山、
城の名前も館山城となった。
山に館があるため根小屋城とも呼ばれた。
前回でも触れたが根小屋は山の麓の屋敷、城下町を指す言葉なのですがね。
10数年前に房総半島を一周した時に
館山城に立って東京湾を見てた。
もしまたいつか行く機会があれば、大河ドラマ「鎌倉殿…」にちなんで頼朝ゆかりの地を巡ってみたい。
そして、上総介広常や千葉常胤ゆかりの地もね。
で、時間が余れば、ひたちなかの館山にも立ち寄るかな?
て、オマケかい!
実は山なら、もう一度
筑波山に登ってみたい。
あの時の登山口の茶店のおじさん、まだ元気かな?
ガマの油は山頂で買えるかな?
帰路は筑波山から国道125号線をひたすら走って関越道の花園インターまで進み、長野道中央道を乗り継いで帰宅した。
もう今はあんな大変な運転は無理だろうな
そういえば、水戸の手前で千代田石岡インターに入る時に入口を間違えて急停車、後ろの車に迷惑かけた。
今なら逆走するかも?
今となっては、
茨城県へ行くのはイバラの木道ですわ…
明後日に続く!
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
本日はこどもの日、端午の節句。
今朝の新聞記事によると
「端」は、端っこ。月初め
「午」は、ウマの日。
午と5は、音が同じ。
ごとごで、5月5日が端午となったそうです。
ま、基本的には中国の故事にこじつけたのだろうけどね。
例年なら町内の祭りで御輿を担いで練り歩く日なのですが、コロナのために今年も中止。
何もない普通の日でした。
大型連休も本日が最終、
Uターンラッシュで交通機関は大変だったようですな。
明日を休日にした人はさらに連休の延長で、楽しいだろうね。
あまり休みをエンジョイしすぎると五月病になりますよ
要注意ですな。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
毎年咲いてくれるこの花


名前がわからない。

紫蘭のように思えるのだが、
知らんわ…😅

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話22.05.03

2022-05-03 23:13:55 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【伏木氏】熊本県葦北郡芦北町
ふしき。
芦北町は熊本県の南部、八代市と水俣市と人吉市の間付近で、八代海に面する。
だいたいの位置はわかったかな?
芦北町には国の史跡に指定された「佐敷城跡」があります。
相良氏、島津氏の攻防の舞台となった城です。
佐敷町は沖縄県にも同名の町がありややこしいのですが、どちらも合併によって単独の自治体では無くなりました。
熊本の佐敷町は葦北郡芦北町に編入されました。
郡名は葦北、町名は芦北。
漢字が違いますね。
合併した時は郡名をとって葦北町にしたが、読みにくい書きにくいという理由なのか、芦北に改名されました。
地名の由来はよくわからないが、古代の佐敷庄から繋がる古い地名のようです。
伝承としては、弘法大師が地面に挿した木の枝が根を張ったことから「指木」が生まれたとあり、その後佐色・佐志城を経て佐敷の字になったとか?
あくまでも全国どこでも登場する弘法さんゆかりの伝承です。
この佐敷地区に「伏木氏」がある。
「ふしき」と読む。
普通ならふしきし、と読むでしょう。
なぜ、伏木氏でふしきと読むのかわかりません。
というか、伏木氏が住んでいたから伏木氏という地名になったのだろうが、たいがいは氏が取れて伏木という地名になるはず。
あえてそのまま氏がついたまま「ふしき」と読ませるのが不思議と言えば不思議。
伏木という姓は我が滋賀県でも多い。
我が同級生にも伏木君がいました。
伏木姓のルーツは茨城県猿島郡境町伏木だとか?
境町という地名でわかるように利根川近くの境にある。
下総地域は古来より利根川の流域が変わったりしてややこしい。
葛飾が千葉県、茨城県、埼玉県にまたがってるのがその証拠。
栃木県にも伏木姓は多い。
滋賀県の伏木姓は栃木県がルーツだとか?
で、佐敷の伏木氏には
弘法大師ゆかりの伝説がある。
大師様がこの地に来られて、道も無い山奥に村があるのが不思議だといわれ、不思議が伏木氏になったとか?
ま、確かに地図で確認すると佐敷城は平野部近い所にあるが、伏木氏地区は山の中ですわ
しかしそれにしても
またまたご登場の弘法様、
あなた様の全国徘徊の健脚ぶりとその万能の能力が不思議でなりませんわ!
我が輩は歩きすぎて衰えが足に来たので芦北の町に行くことはもうない。
もし、何かの間違いで伏木氏に行けたら不思議な伝説になるだろうな…
明後日に続く
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
本日の朝刊、
法律関連の書籍の広告が賑やかでした。
憲法記念日だからね。
実を言うと、我が輩法学部に合格したが、これは滑り止め。
合格したが専攻しなかった。
ま、根が真面目すぎるので弁護士には向いてませんわ。
ちなみに明日の朝刊、
おそらく緑色の紙面になってると思いますよ。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
滋賀県日野町鎌掛の藤棚を見に行きました。
この季節、藤棚を見ないと気が済まないのです。

正法寺。
トイレ、駐車場完備です
ちょうど見頃


人出も多かった、です


藤棚を見ると初夏を実感します。
いい季節になりました。
近くにシャクナゲ群落がありましてこちらは国の天然記念物です。
しかしながら、ちょっと遅かった。

もう見頃が過ぎてました


とりあえず、鹿肉の缶詰を買いました😋

今年は開花が早いようです。
来年は4月下旬に行かねば!
ところで、「鎌掛」
これも難読地名です。
読めますか?
かまがけ、かまかけ?
いえいえ
「かいがけ」と読みます。
由来は
掛神信仰(祭地にカギと呼ばれる二又の木を掛けて山の神を祭る信仰)に由来するとか?
鎌掛地域は電波が繋がりにくくて困るのです。
下山して鎌掛いや帰りがけ、に弱りましたよ。
山で遭難しても助けを呼べない…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話22.05.01

2022-05-01 22:45:39 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【菰野町】三重県三重郡
こものちょう
三重県の北部、北伊勢と呼ばれる地域、
鈴鹿山脈で我が近江国と隣り合わせの位置にある。
湯の山温泉、御在所岳は有名なハイキングスポットで、たくさんの登山者が訪れます。
秋の紅葉は絶景ですよ。
この冬、我が輩は城跡巡りで何度も菰野町を訪問しました。
関ヶ原経由、永源寺の峠越え、どちらからも国道が整備されていて行きやすい。
いくつかある城跡のなかでも八風街道沿いにある「田光城」は秀逸でした。
て、田光は難読地名。
たみつ?たひかり?たこう?
「たびか」と読む
多比鹿神社の裏山が城跡
由来は諸説あり、
☆この地に鹿が多く住んでいた、
☆この地を治めていた豪族の名前、田光隼則によるもの、
☆僧与阿が田の中に光る黄金仏を見つけた、
などなど…。
太陽の光で田んぼが光ったのか?稲穂に当たった光を見たのかな?
それはともかくとして、
菰野町の由来、
菰野町ホームページによると
菰野は「こもの」と読みます。
 「その昔、マコモ(真菰・真薦=イネ科の大形多年草)やクサヨモギなどが生い茂る原野が広がっていたそうです。そこを切り開いて村づくりがはじめられたことから、この地を「こもの」と命名し、これが町名になりました。「こもの」の字はこれまで、薦野、古茂野、菰野が使われています。」
とある。
マコモは食用になるが、むしろ、筵の材料が有名かな?
古代は葦田鄕と呼ばれ伊勢神宮の神領となり、ヨシやマコモを提供する地だったようで、
田光とともにイネに関係のある地名だったようですな。
現在は「こものマコモ」として地域おこしになってます
江戸時代には菰野藩がありました。
その領地の殆んどは近江国内にあったのですが…
城主は土方(ひじかた)氏。
有名な土方歳三とは無関係のようですが…。
戦国時代に信長に従って菰野の地に領地を得たのちに種々変転があって結局、菰野の地に落ち着いた小さな領主です。
この土方氏のルーツは、
大和国土方村らしい。
しかるに、土方村というのがあったのかどうか存在が不明。
現在、土方という在所名は残ってない。
一方、土方村としては遠江国土方鄕が存在し、現在は掛川市の一部となってる。
土方歳三はこの土方氏の流れだとか?
掛川の土方氏も菰野の土方氏もともに清和源氏、多田源氏、つまり源頼朝の系譜に繋がるというので、
元々は同じかもね?
ま、大名の系譜は改竄されたことが多いのであまり当てにならないが…
ところで、菰野町の観光PRとしてのキャラクターがいます。
その名前は
「コモシカ」
説明しなくてもだいたい想像つくと思うけど、
御在所岳に棲息する国の特別天然記念物のカモシカと菰野のコモを合わせた名前。
ゴールデンウィーク、どこへ行こうかと考えてるあなた、
家にコモってないで、菰野町に行コモシカないぞ!
コモン、いやカモン!
と、コモシカが言ってます…
ちなみに
観光教会のホムペの解説によると、
カモシカは鹿じゃなくて牛の仲間なんですって!
おー、モーれつ!
明後日に続く~
□■□■□■□■□■□■□■□■
Φ(*^ひ^*)Φ
某マガで349号 水戸~柴田町と記載されてた。
水戸城、マイカーで東へ向かった最東端でした。
駐車場は堀跡だったような…
遠い過去のことで記憶が薄らいでる
柴田町といえば、船岡城跡。
山本周五郎氏の樅ノ木は残ったで有名な城跡公園。スロープカーに乗りましたよ。
また行きたいな!
いやそれより、つい最近までマガの号数と国道の号数が連動してるのを気づかなかった
我ながら情けない…
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
5月になりました。
さつきです。
我が家のサツキは冬の豪雪で全滅したが、ツツジは無事に生き残り今満開に!




この時期はいろんな花が咲き乱れホントにいい季節になったものだと思います。
ゴールデンウィーク前半は日替わりで雨になってるが、明日からの後半戦は毎日上天気になるとか?
我が国は陽気になって浮かれてるが、海外ではこの陽気を甘受できない地域も多い
なんとかならないものかね…
NHK大河ドラマ「鎌倉殿…」も
毎回毎回、身内の抗争による痛ましい惨劇が描かれる
歴史的事実なので致し方ないが、見るのがつらくなる
今夜も○○ロスで、SNSの世界が賑わってる
う~ん…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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