馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

【伊予国遠征5】河後森城4、西第十曲輪

2021-08-25 22:41:07 | 伊予国の史跡

2021年2月21日(金)
河後森城の曲輪群は馬蹄状になってます。
中央部の本郭を境にして東尾根と西尾根に段々曲輪群が並ぶ


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西尾根曲輪群を下ってます。


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西第六と第七との間の薄い薄い堀切土橋


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第7から第9へは第8を飛び越えての大きな階段がある。


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第8は帯曲輪兼馬出虎口的な性格があるのかな?

素人の我が輩はわからない…


第9から第10へも階段で移動


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そして、
11時56分、
「西第十曲輪」


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先端部にあり谷の入口を見張る大きな曲輪。
門がある。

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下には帯曲輪があります


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薄い堀切土橋も見える

↓こんな感じ
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ここで初めて曲輪を囲む土塁が登場しました。

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低いです。
解説板によると完全な復元ではない。
高さも幅もわかっていない、
ということなのであくまでも想像の土塁です
土塁は古い時代のもので後に土塁を取り払い長屋風の多聞櫓が築かれた、そうな。


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防御方法に時代差があるというわけです。


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現代の多聞櫓?

柵があるため下に降りられない。


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↑柵のすき間から下の堀切と曲輪を見る

中央に「馬屋」復元


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柱の列が正確なので番匠と呼ばれる建築の専門工人が造った建物だとか?


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2つの建物が確認されたが建て替えられたもので同時期に存在したわけではない、という。

馬屋の所で
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百名城スタンプGET!

ノートに記帳した
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門から西第十曲輪を見る


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河後森城と宇和島城の門の違いについての解説板

感心!感心!

この後、門からの通路を下って風呂ヶ谷へ向かい、柵の下の堀切・竪堀群を見に行きます


次回へ続く~

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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地名夜話21.08.18

2021-08-18 22:51:23 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【根尾谷断層】岐阜県
ねおだにだんそう。
日本最大の地震断層。
前回の花折断層は、近い将来の大地震が心配。
こちらの根尾谷断層は、1891年10月なので今から130年ほど前に「濃尾地震」が発生した時の断層。
根尾谷が震源で震度8だとか?
約2万5千人の死傷者があったという。
隣の我が県もかなりの被害があったと思われるが、あまり知られてない。
というか、我が輩はその被害を全く知らない。
そんなわけで、一昨年だったかな?
地震のことは何も知らずに春に根尾の淡墨桜を見に出かけた。
単なる陽気な花見です。
凄い大木で見事な桜でした。
ビールで一人飲み会。
この後、帰りに時間があるので樽見鉄道の水鳥駅で下車することにした。
「水鳥」←これ意外に読めない。
みずとりじゃないですよ。
「みどり」と読む。
びっくりポンですな。
綺麗な地名ですが、実は「水泥(みどろ)」が転化して「水取」→水鳥となったらしい。
この付近は泥沼の湿地だったようですな。
地名的には面白い駅名で、こちらに興味があったが、
この後、暗転。
この水鳥駅の南に根尾断層の痕跡が今も残ってます
地震で約6mの隆起した地層を見ることができる。
ビールの酔いがさめましたよ。
近くに断層観察館という施設があり、断層の勉強ができます。
根尾谷淡墨桜は国指定天然記念物。
根尾谷断層は、国指定特別天然記念物。
断層のほうは「特別」が付く。
建物ならば、
淡墨桜は国重文、
断層は国宝、
という違いです。
お城なら全国12の国重文現存天守のなかで彦根城や姫路城など5つが特別に国宝天守、
というわけ。
それほど根尾谷断層は特別なのです。
にもかかわらず、花見のついでのおまけで立ち寄ったなんて、我ながら情けない。
我が見識が大きくズレてたダンソウ…
以上、おしまいダンソウ
□■□■□■□■□■□■□■□■
地名パズル
 
   大
  横湫
◯◯◯◯←中山道の○
入喜市
村市  
↑↑↑↑
富埼秋岐
山玉田阜
市県県県
   
ちょっと難しいかな?
  
答えは次回!
Φ(*^ひ^*)Φ
次回は、年末に予定してます。
さすがに年末にはコロナも消えてる、でしょう。
かな?
連日、爆発的に感染者が増えてます。
生ぬるいやり方でも今まで感染者が少なかったのが奇跡?
今後は欧米や諸外国並みにどんどん増えて、ベストテンにランクインするのか?
て、オリンピックかい!
というか、
ワクチン接種してない我が輩は、年末まで無事に生きてるか?
それが問題だ…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話21.08.16

2021-08-16 21:34:22 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介

【花折断層】京都府滋賀県
はなおれだんそう。

「滋賀県水越峠付近から京都市左京区吉田山南方付近まで、全長50km以上に達する大規模な右ずれ活断層である。
その南部は大原、八瀬を経て京都盆地東縁へ連続してくる。
と、京都府のホムペで解説されてる。

「水越峠」調べたがよくわからない。
高島市朽木の高島トレイルの峠のようだが、正確な位置が見当たらない。
いつか高島トレイル歩くつもりなのでその時までお預け…

京都市の吉田山は有名ですよね。
京都大学の裏山。
吉田神社参拝のために登りましたよ。

つまり花折断層は朽木から京都市まで、ということになる。
このルートは若狭街道、通称鯖街道と呼ばれ若狭小浜から京都市内へ鯖が運ばれた道。
我が輩も挑戦したいと思ってるが行程が厳しくてなかなかトライできない。
この鯖街道の途中に「花折峠」がある。
全国的に有名な「途中バス停」がある大津市伊香立途中町から大津市葛川地区へ抜ける峠です。
現在は花折トンネルができて簡単に通り抜けられるが昔は厳しい峠越えでした。
葛川地区は大津市の秘境といってもよく、どちらかというと朽木地区なのではないかと我が輩は思ってる。

「途中バス停」は、バスルートの途中じゃなくて終点なのに途中バス停や!
として全国的に知られてるが、今年の3月に「堅田駅」と「途中」を結ぶ路線が廃止されて、途中は終点ではなくなり、別の路線の途中バス停として存続することになった。
まさに文字通り途中にある「途中バス停」です。


花折峠の由来は
大津市歴史博物館の説明によると
「峠の名は葛川の明王院への参詣者が、この峠で仏に供える花・樒(しきみ)を手折ったことに由来する。」
なるへそ!
スーパーで榊を買うと必ず樒が隣に置いてある。
どう違うのか?さっぱりわからない。
ともかく神棚には榊、仏壇には樒という区別がある。
買ってきた榊は1週間ももたない。
しかし、我が家の畑の榊は切花として1ヶ月以上もちます。
スーパーの榊は中国産となってる。
この流通ルートの違いが理由かも?ね。

鯖街道や高島トレイルがあるのは、花折断層のおかげ。
自然に感謝せねばならないが、手放しで喜べない。
近い将来、近未来に花折断層で大地震が発生すると言われてる。
発生したら京都市街地や滋賀県は壊滅的な被害を受ける。
花折断層の北には三方断層があり連鎖反応で揺れたら若狭湾付近の原発施設が壊れ、東日本大震災並みの被災が想定される。
つまり、
花折断層が揺れたら、
逃げる途中で、鼻が折れる、

だけでは済まない、のだん…


明後日に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
今朝、5時頃
布団のなかにいたら、大きく揺れました。
さらに8時過ぎにまたまた揺れた。
どちらも震度3。
1日に2回も揺れるなんて記憶にございません。
震源地は湖北。
関ヶ原断層帯の近く。
昔、姉川地震という大きな地震があった。
この数日の豪雨で地面が緩んでる。そこへ大地震が来たらヤバいです。

鼻折れる、なんて悠長なこと言ってる場合ではない?

しばらく要注意ですわ。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
お盆休みも終わり、
本日から仕事という人も多いのでは?
社会生活はコロナのために変わってしまったが、
めげずに頑張りましょう

としか言えない…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話21.08.14

2021-08-14 22:15:15 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【涌谷町】宮城県
わくやちょう。
北に登米市、西に大崎市、東に南三陸町、南に松島
という位置にある町。
3年ほど前、仙台周辺を旅した時にまず一番に西の岩出山城に行き、
次に乗り換え駅の小牛田駅の近くのスーパー(Aコープ)で昼の弁当を買い、考えた。
北の一ノ関城に行くべきか、東の涌谷城に行くべきか?悩んだ。
時間的に両方は無理。
どちらも「伊達騒動」ゆかりの地で城下町です。
結局、一ノ関城に行ったために涌谷城は未踏となってしまった。
いつかリベンジしなくてはならないわくや、いや、わけや。
涌谷の由来はよくわからないが
、水が涌き出た谷
と考えてもいいのでは?
涌谷は江合川と鳴瀬川に挟まれた水の町だが、それだけに水害も多かった。
その対策として上流に鳴子ダムが建設されたというわくや、わけや。
だがしかし、沸いたのは水だけではない。
町内に黄金山神社がある。
天平時代にここで砂金が発見された。
本邦初の砂金発見で、この金が東大寺大仏建立に役だったというわくや、わけや。
そして、神社が建てられ、今や金運の神様として逆に賽銭が入ってきてわくや、わくや、と喜んでるとか?
実をいうと黄金献上は江戸時代前期まで石巻市の金華山だとみなさん思ってました。
しかし、江戸時代後期に学者が調査して涌谷町だとする説を唱え、昭和時代になると発掘調査がされて、
砂金産出地は涌谷だと確証されました。
そして、黄金山産金遺跡として国の史跡に指定された、というわくや。
なお、涌谷城跡には涌谷神社があります。
こちらは桜の名所で、黄金色の桜が舞うとか?
ホンマかいな?
ウソはいかんわくや!
ちなみに天守風の建物があるが、これは資料館です。
にせ物の天守です。
ウソはイカンと言ってるわくや!
でも、太鼓櫓とその下の石垣は江戸時代からの現存物で、ホンモノだそうな。
石垣だけでも見に行かねばいかんわくや!
ワクワク、するわ!
ところで、町内の象徴ともいうべき山として
箟岳山がある。
↑読めないですよね。
「ののだけやま」と読むそうです。
この山に
箟峯寺がある。
「ののだけでら」と読むのかな?
と思ったら
「こんぽうじ」と読むらしい。
箟は、しのだけ・やだけのことで、
音読みは「キン」。
なのにお寺の名前は「コン」
金の産地なんだから素直にキンポウジと読めばいいのに、
困惑するだけ、わくや…
ちなみに矢竹(やだけ)は、弓の矢として使われたので、城跡によく植えられてる。
この矢竹が密生してると城攻めがしにくい。
この前、伊賀の城跡を探索した時、矢竹が邪魔してなかなか前に進めない。
かき分け、かき分けしてなんとか本丸にたどり着いたが、大変だった。矢竹の藪は、嫌だけ、だわくや…
明後日に続く!
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
凄い大雨になりました。
九州北部を初めとして広島地域、
そして、京都府・滋賀県と大雨被害が広がってる。
まさかお盆にこんな大雨だなんて、さすがに墓参りする人も少ないと思います。
赤字のJRはここぞとばかり、運休運休連発。
これではあちこち移動できない。
少しは感染者減るかな?
ともあれ、豪雨はまだまだ続くようです。
災害が広がらないことを祈るしかありません。
高校野球は順延また順延、
この調子だと決勝戦は9月になるかも?
パラリンピックにも影響がでそうな気がする。
さて、どうなりますやら?
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
いっきに涼しくなって、もうエアコンも扇風機もいらない。
気温的には過ごしやすくなった。
確実に秋が進んでますよ。
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話21.08.12

2021-08-12 22:02:07 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介

【尾鷲市】三重県
おわせし。
台風シーズンになるとニュースでよく登場するので、地名の全国的な知名度は高い。
位置は紀伊半島の東側。
熊野古道の伊勢路が通る町でもある。
尾鷲、本来は「おわし」と読んだが「おわせ」に変化した。
実は尾鷲市の母体となった旧「尾鷲町」は「おわし」と呼ばれてました。
尾鷲市の古道沿いに「馬越峠」がある。
「まごせ」と読むが、こちらも本来は「まごし」だったかも?
馬で越せる峠かな?と思ったが、
江戸時代には「間越峠」と書かれたとも言われるので、馬は関係ないかな…
この地方では、「し」を「せ」と読むことが多いのかな?
伊勢の由来は以前述べたことあるが、「磯」いそ→いせに変化したと言われる。
もしかしたら、「石」いし→いせに変化したかも?
ちなみにこの地方は「きせい」と呼ばれる
紀伊国と伊勢国が接する地域なので「紀勢」きせい。
紀伊国は本来、現在の和歌山市から南端の新宮付近までで、尾鷲市付近から鳥羽市までは志摩国だった。
ところが、戦国時代に城主の領地争いの結果、紀伊に編入されてしまった。
だから、志摩国は鳥羽市付近の小さな地域になってしまい、さらに江戸時代紀州徳川家は伊勢松阪も領地とした。
ゆえに松阪以南は紀勢という呼称がふさわしくなった。
明治維新後は、尾鷲市を含む本来の志摩国が三重県に属し元にもどったようなややこしくなったような次第となったわけで、おわしま(尾鷲+志摩)す。

ところで、鷲と鷹の違いわかりますか?
難しいですよね。
簡単な見分け方は尻尾の違い。
鷹は尾っぽが扇状、鷲は真っ直ぐだそうな。

地図を見ればわかるが、尾鷲市街地は扇状地に広がる
つまり、鷹の尾っぽのほうがお似合い。
尾鷹市に改名してもいいんじゃない?

地形的には湾内にあるため、
大輪内、大湾→おわしに変化した。
あるいは、山の尾根の端に位置するから尾端→おわしに変化した
というような説もあります。

なお、天候的には「尾鷲の雨」という言葉がある。
尾鷲は、雨粒が大きく雨は上からも下からも降るので、尾鷲の雨は特別だと表現されるのだ。
実際にはそんなことないのだが、とにかく雨が多いというイメージでこのような言葉は産み出されたようです。

『おっ?雨』
おあめ→おわめ→おわせ
に変化したのではないか?

『お?鷲』
この地域に鷲が多かったから尾鷲、

『お?ワシ(私)か』
と、住民がよく言うので、おわしに

などと、色々と考えてみたのだが、
ちょっと湾曲、
いや歪曲しすぎかな?

全然関係ないけど、
東から尾鷲に向かうと尾鷲市の少し手前の紀北町に「種まき権兵衛の里」がある。
いまは立派な観光地になってるが、昔は標識がポツンとあるだけだった。
たまたま通りかかったので、車から降りて辺りを見回した。
単なる草地だった。
これが良かったのか、突然妻が尿意をもよおし、草むらに隠れて放尿した。
「お、種に肥料をまいたか?」
と、我が輩は言いたかったが、
ぐっとこらえま志摩お鷲た


明後日に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
本日8月12日は日航機墜落事故の日。
あれから36年経ちました。
坂本九さんが亡くなられたのがホントに残念です。
唯一助かった女性は、後に我が妻となる人と同姓同名でした。
て、その話はもう聞きあきた?

墜落した村は群馬県上野村。
旧国名の上野国が由来かな?と思えるが定かではないそうなん…
御巣鷹山の由来ははっきりしてる。
江戸時代、幕府の鷹狩り場だったからだ、そうなん。

合掌!


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
小さい頃、父が
『琵琶湖で泳ぐのはお盆まで。
お盆を過ぎると波が荒くなるので危険』
とよく言ってました。
琵琶湖岸の道路は「さざなみ街道」と呼ばれて、琵琶湖一周する自転車や車のために整備されてます。
南の高気圧が張り出してる頃は確かに波が穏やか。
でも、これからの時期は荒波が発生し泳ぐのは恐いです。
注意しましょう。

とはいえ、毎年この時期になると水難事故が増える。

琵琶湖をなめたらイカンぜよ!

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
今年のお盆は梅雨になるという予報なので、
天気のよい昨日、墓参りしました。
ちょっと早いので墓参りする人が少なくて密じゃなかった。

お盆の長雨は、出かける人が減るだろうし、天からのコロナ対策雨のように思います


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話21.08.10

2021-08-10 22:18:17 | 歴史地理
地名パズル、前回の答え
 
   花
川 湧折
◯◯◯◯層←岐阜県□巣郡
本鷲町層
町市  
↑↑↑↑
静三宮京
岡重城都
県県県滋
   賀
正解は、『根尾谷断層』岐阜県本巣郡
◎正解者◎
☆SACHI様
Φ(*^ひ^*)Φ
登米市の由来を調べたら、古代に遠山村があり、「とよま」と呼ばれアイヌ語に由来するとか?
登米は「とめ」のほうが我々よそ者にとっては読みやすいですが…
モネ役の清原果耶さん、油麩?はっと汁?を食べた、と自慢してました。
どちらも食べてみたいものです。
宮城県の「かんぽの宿」、震災被害で取り壊されたのですか?
残念ですね。
人生の思い出の場所が無くなるのは寂しいものです。
彦根城の近くの護国神社横に市民会館があります。
昔はここで成人式や市の催し物などがおこなわれた。
我が輩は学生時代に市民会館レストランでアルバイトしてました。
バイトの途中で吉本の芸人やタレントなどを舞台の袖から見てました。
その市民会館は老朽化、市の南に新しい施設ができてお役ごめん、今後我が懐かしい市民会館は取り壊される予定になってます。
うーん…
解答ありがとうございました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
地名ちょこっと紹介
【川根本町】静岡県榛原郡
かわねほんちょう。
有名な越すに越されぬ大井川の上流に位置する町。
いや村と言ったほうがいいかな?
大井川沿いの縦に細長い地域で、観光としては寸又峡温泉がある。
寸又の由来は「すんまた」だが、「すまた」と読む。
我が輩はなぜか「すのまた」と読んでしまう。
すのまたと言えば一夜城で有名な「墨俣」(岐阜県大垣市)を連想してしまう。
読み方は違えど、
どちらも地形的には川の根元、股、又の位置ということで共通する。
股という位置は地形的にも歴史的にも重要なのだが、股の話は又にします…
大井川は駿府国と遠江国の境目にあり、榛原(はいばら)郡は遠江国に属す。
川根本町は大井川の東側も一部分地域として入ってるので厳密には駿府国志太郡もちょこっと絡む。
大井川流域には、上川根、中川根、東川根の村があった。
これらが合併を繰り返し、現在の川根本町となった。
川根本町を貫く鉄道と言えば、
大井川鐵道。
一度全線乗ってみたいと思ってるがまだ未踏です。
この大井川鐵道にはどうしても外せない駅名・地名があります。
それは
「地名駅」
読み方が「ちめい」なら文句なし。
だが、残念ながら違います
「じな」と読む。
近くに日本一短いトンネルと言われる「地名トンネル」があるので、鉄道ファンにはこちらのほうが有名かな?
ともかく地名は地名です。
住所は川根本町地名。
れっきとした地名の駅名。
地名の由来はよくわからない。
しかし、戦国時代以前の古文書に「字名郷」「地那」と記載されたものがあるので、古くからの地名だと推察されます。
地図で確認すると、この付近は大井川がうねうねと大きく湾曲(七曲り)していてそのなかにできた小さな平地だとわかる。
おそらく土砂が堆積したと思われる。
「じな」の「な」は砂。
地面が砂地ということで、「じな」と呼ばれたのではないか?
と、我が輩はじなすい、
いや、邪推しました…
じゃーな
明後日に続く~
□■□■□■□■□■□■□■□■
Φ(*^ひ^*)Φ
こんばん馬!
季刊紙ともいうべき地名夜話です。
前回から三か月経ったが、コロナは減るどころか全盛期を迎えてます。
いや、全盛期の一歩手前かな?
いつ終わるのか、先が見えない
いやはや、ですわ。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我がカレンダーには11日は「山の日」で祝日になってます。
これを信じて明日の出勤休むつもりの人いませんか?
違いますよ。
山の日は今年は8日に移動して土日月の三連休となりました。
理由は東京オリンピック。
その東京五輪も終わりました。
終わってみると寂しいものですな。
閉会式では「オリンピックマーチ」か流れました。
開会式で流れなかったので寂しい思いをしてただけに
いやぁ、これは嬉しかった。
人間の気持ちを鼓舞する素晴らしい名曲です。
昨日は、長崎原爆の日ということで、「長崎の鐘」がラジオで何回も流れてました。
曲調は全く違うがどちらも古関裕而さんの曲。
さらに、夏の高校野球が始まったが、「栄冠は君に輝く」も古関裕而さんの曲。
今更ながら優れた作曲家だった、とわかる。
福島市に行かねば!
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【伊予国遠征4】河後森城3、本郭~西段々曲輪へ

2021-08-01 23:18:13 | 伊予国の史跡

2021年2月21日(金)
古城→新城を探索後、


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次は本郭(本城本丸)を目指します。


11時15分

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↑東第三曲輪→東第二曲輪の南側斜面の犬走を登る


振り返ると古城方面が見えるf:id:umahide:20210713233701j:image
↑東第二曲輪は薄く上下段に分離してます


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本郭が見えてきた

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発掘調査の結果に基づいて掘立柱建物跡(主殿舎)が復元されてます


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東西12m、南北9m


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縁側は板の間↑
客人・家来・主人などの部屋は畳で、


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ここで公式の儀式が執り行われたと推定されてます
出土遺物は15世紀~16世紀にかけてのものばかりなので江戸時代には使用されてなかったようです。


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柱は岩盤を丸く掘って建てたそうです。


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広見川方面を見る。
眺望抜群!

西南部に門跡


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一段下の西第二曲輪との間に通路、門、堀切、土橋。
いずれも岩盤を切り抜いて造ったそうな。


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2つの時期差があるのでちょっと構造かややこしい。


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石垣、通路は新しい時期で1600年前後。
関ヶ原合戦頃ですな。


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次の下の郭の「西第二曲輪」から振り返って本郭を見る

土橋の左右に堀跡、石垣がよくわかります。

でもホントにこれは土橋だったのか?

右手に犬走通路虎口があるので中央に土橋があるのは解せない。

これも時代差なのか?


「西第二曲輪」


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本郭とほぼ同じ位の大きな曲輪。
例のごとく平坦地。
北側下に腰曲輪あり。

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こちらも南側に犬走通路あり、


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そして、西第三曲輪との間の細い堀切。


f:id:umahide:20210715225428j:image

堀切そのものは浅く幅も狭いが西二曲輪の切岸と物凄い落差がある。
堀切通路は人間1人通るのがやっとの狭さ。


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この堀切は通路として北側の腰曲輪と行き来できるようになってたと思われる。

というか、後で腰曲輪から行けることを確認しました。

西第三曲輪~尾根先端の第10曲輪までは段々曲輪として下がっていきます。


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曲輪ごとの切岸に萌えます↑

西第六曲輪の西側に犬走通路があり西出曲輪へ行けます


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西出曲輪は西第三曲輪の尾根伝いに西側にあります。

整備されてなくてちょっと藪状態。

西出曲輪はパンフレットに掲載されてません。
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二段で竪堀、空堀っぽいものを確認しました


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土塁が初めて出てきました!
さらにその下にも曲輪がありそうだが無茶するのはあきらめた


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この後、帯曲輪から上り↑


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第二と第三の間の細い堀切に戻りました

人間1人通るのがやっとの細い堀です。

この後、段々曲輪を下り先端部の西第十曲輪へ向かいます。

続く~

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

小浜市の天ヶ城跡に登りました。

二重堀切がありました。

山頂部は物見櫓かな?

と思わせるほど小さな曲輪でした。


それよりも山頂付近で雷鳴が何度も襲いかかり、生きた心地しなかった。


急いで下山したため膝痛めた


結局、雷は鳴っただけで雨は降らなかった…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

コメント
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