馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

【旧東海道歩き20】吾妻川~膳所駅

2018-11-30 16:28:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

吾妻川を越えると東国、
いわゆる東山道の国ということかな?

そういや東海道は古代、東山道と呼ばれてた。
鈴鹿峠越えの東海道は平安時代9世紀後半以降の新しい道なのです。

大河川を越えなきゃならない東海道よりも山道の東山道のほうが歩きやすかったので、
東山道(後の旧中山道)のほうがメインの街道でした


さらに東へ進む


和泉町


右手に『西方寺』

電話で法話が聞けるのかな?


旧大津町の東端に来ました

中町通りと合流



さらにまたここで浜通りと合流

大津町が斜めに三筋あった名残です。



15時23分

京阪電車の踏切を渡る



石橋駅を見てます。

その向こうの建物は、NHK、大津郵便局かな?

さらに東へ進む

が、ここでまたまたまた寄り道

………………………………………………
15時31分
湖岸へ。


打出浜です

江戸時代は、東海道から琵琶湖が見えたと思う。

今は見えないので見に来た!

江戸時代は、大津港にかけてずらっと荷上場があったはず。


『紫の道』

紫式部がお父さんと一緒に打出浜から越前を目指した。
これにちなんでます。


琵琶湖花噴水

『石橋の常夜灯』

たくさんの船が出入りするための目印となりました。

江戸時代、湖上交通を独占していた
大津百艘船と彦根三湊との間でバトルが繰り返され、徐々に彦根藩が大津百艘船の権利を奪っていきました。

お城のような形の
『琵琶湖文化館』

昔、遠足で来ました。
その頃は博物館、水族館でした
ガラス板の下を魚が泳いでましたよ。
現在は、県内文化財美術品などの収蔵庫になってます…。

しばらくなぎさ公園を散策し

寄り道終わり。


琵琶湖を見ないと東海道を歩いた値打ちがないですな

………………………………………………

15時54分

街道へ戻りました

『義仲寺』

夕方なので、通過。

次回の歩きの時に立ち寄ります


左手に西武百貨店が見えます。
県内で初めての百貨店でした。

右へ行けば膳所駅ですが、
少し遠回りして向かう



平野小学校を越えて右折


大津高校の横を通り

線路を越えて

16時10分
膳所駅南口。

新駅舎は橋上駅となり南側へ行けるようになった。
なので、南口を見たかったのです


本日の歩きはここまで。

29361歩、約17.6km

ただし、
旧東海道山科駅~膳所駅までは
直線距離にして7.5キロです。

我ながらよく歩いたものですな。


その21へ続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き19】札の辻分岐~吾妻川

2018-11-29 16:32:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

大津市、西近江路と東海道の分岐の
札の辻を右折し、京町通りを東へ向かう


上の看板に旧東海道の表示



吉田医院横に
「京町の由来」




ちょこっと宿場の雰囲気


中央二丁目南の交差点を突っ切る

徳永用品店横の四つ角に

『此付近露国皇太子遭難之地』石碑

有名な大津事件があった場所です。

ロシア皇太子に斬りつけた犯人の津田三蔵は、西南戦争では八代市まで従軍してます。

この時に怪我をして戦場から退くが、
西南戦争で勲章をもらった津田巡査は、大津市に立つ西南戦争記念碑に対してロシア皇太子ニコライ一行が敬意を表さず、西郷隆盛を復活させると邪推し、自分の勲章がはく奪されることを恐れた結果、襲撃に及んだ。

という説があります。
真偽のほどはよくわからないが、
このことを
大河ドラマ西郷どんの作者は知ってるのだろうか?
知ってたらドラマで触れてほしい!

て、無理やわね。


街道をゆく

あゆら


大津魚忠


餅兵

お腹空いてきた…。


唯泉寺


京町三丁目、旧東海道の表示

『華階寺(けかいじ)』

門前に、
「俵藤太矢根地蔵月見石」石碑
ここに俵藤太の屋敷があったとか?
ムカデを退治した大矢の根(鏃)で彫った地蔵があるらしい。

中に入ってないのでわからない。

ちなみに今回は立ち寄ってないが、
すぐ近くに天孫神社がある。
大津祭りが有名ですね。

『京町通り』の由来

この通りは、江戸時代に「大津百町」として賑わった旧大津市街地を東西に貫く三本の通りの一つです。

この通りは、旧東海道とも重なっており、京都への道筋にあたるところから「京町通り」と呼ばれてきました。
かつては多くの商家が軒を連ね、分岐点にあたる札の辻以西は、北国街道となっていました。




さらに東へ

『近江度量衡株式会社創業記念館』

計量器、はかりの会社ですね。
1900年創業なので、118年目です。

右手に滋賀県庁。

2年前に国の登録有形文化財に指定されました。

全国の県庁、高層ビルが増えてるなかで貴重な県庁舎です。

『旧境川町』由来

この東に吾妻川が流れてる。
吾妻→東
この川を越えると東国だと考えられてたようです。

東国へ向かう



右手に「清源寺」

『吾妻川』です

あがつまがわ、じゃなくて
あづまがわ、です。
念のため。

琵琶湖へそそぐ細い川です

ときわばし、

漢字で書くと常盤橋かな?




その20へ続く


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滋賀県民手帳発売中!

2018-11-28 21:58:00 | 日記
滋賀県からのお知らせ


全国41県で作成、販売されている県民手帳。滋賀県では、スケジュール帳・日記帳としての機能に、県独自の便利な情報、県内4施設の利用料等割引パスポートをプラスしています。ぜひ、ご利用ください。

県庁新館2階県民情報室のほか、書店、ホームセンター、セブンイレブンで販売中です。いずれも取扱店舗は限定されていますので、下記のホームページで確認いただくか、お電話(077-528-3393)にてお問い合わせください。http://www.pref.shiga.lg.jp/c/toukei/kankoutosyo-sonota/kenmintetyou.html


Φ(*^ひ^*)Φ
そろそろ来年の県民手帳買わねば!
600円なので、他の手帳よりは安価。
毎年、使ってます。


安土城考古博物館の入館料、
割引じゃなくて無料にしてくれると嬉しいのですが…。

厚かましいかな?


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

滋賀県からのお知らせ

『県内で売り上げた年末ジャンボの収益金は、県の公共事業等に活用されることから、ぜひ県内での購入をお願いいたします。』

というメールが来た。

我が輩も協力したいが、
宝くじのサイトを見たら、
ネットでくじを買えることがわかった。

早速会員登録し、
年末ジャンボを買った。

何年ぶりかな?

スマホで簡単に買えるのが嬉しい。

滋賀県には悪いが、これからは宝くじはネットで買うつもりです。

当選金も自動的に口座に入金してくれる。
これが嬉しい!

当たれば、の話ですが…。

ただし、簡単に買えるということは、

泥沼にはまりそうな…。



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『うなも』ゆるキャラ

2018-11-27 16:35:48 | ゆるキャラ
2018ご当地キャラ博。

『うなも』
静岡県浜松市

浜名湖と言えば、うなぎですよね。

このキャラは
頭がサツマイモ
体が、うなぎ

両方足して、ウナギイモ→うなも

サツマイモを栽培するのにウナギを肥料にしてたそうです。

もったいないなぁ~

ま、実際にはウナギの骨や頭を使ったそうです。

ホームページで確認すると
『浜松で主に栽培されている品種は、しっとりとした食感が特徴の「紅高系」と言われるもので、昭和30年ごろ旧篠原村農業協同組合長の鈴木光次氏が、大阪の販売あっせん所を通じて高知県から導入したのが始まりです。その後、ほくほくとした食感の「ベニアズマ」も導入され、これらのサツマイモが篠原地区を中心とした遠州灘沿いの地域で生産されています』

高知県から導入し、遠州灘地域が主な栽培地のようですな。


『うなも』は今回初参加だったが、
浜松市=芋ということを教えてくれて、いい勉強になりました。

ゆるキャラは地理の先生だということを今更ながら実感します


Φ(*^ひ^*)Φ
弟が家の庭でサツマイモを栽培していて、毎年くれます。
今年ももらった。
安納いもなので甘くて、美味しい。
あっという間に食べつくしましたよ。
弟には、もっとたくさん作れ!
と頼んでるのですが…。

サツマイモは薩摩から伝わったのでサツマイモと呼ばれる。

ならば、安納いもも地名かな?

と思って調べたら、
やっぱり地名でした。

同じ鹿児島県の種子島の北のほうに安納地区があり、ここで栽培が始まったようです。

種子島は、鉄砲伝来と衛星打上基地の他に、安納いも由来の地でもあったのですな。

いつか、行きたいが、
無理だろうな。

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瓦は投げない

2018-11-26 21:58:55 | 日記
先日の深夜、お笑い芸人らしき人が、
『竹生島宝厳寺で瓦投げした』
と言って
その様子を喋ってました。

瓦投げ?

それは違う。

かわら、
じゃなくて、

かわらけ(土器)!

素焼きの皿ですわ。

瓦なんか、重くてなげられないぞ!

たぶん、かわらけという言葉を知らないのだろう。

困ったもんやわ!

ちなみに18日に
「第2回 竹生島 かわらけ投げ世界選手権」が開催されました。
人気が出てきて、
毎年恒例のイベントになってきましたよ!


Φ(*^ひ^*)Φ
毎日、2個、3個と食べまくってる柿、
ようやくようやく残り少なくなってきた。
それでもまだ木に数十個実をつけたままなのだが。

いい加減飽きてきたので、もう柿ちぎりはしない。
あとはカラスの餌に置いとく。


で、
すでにちぎった柿を庭に置いてたら、
なんと、

ネズミにかじられてた!

なんでも、かじる奴らですわ。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

お風呂の調子がおかしい

追い焚きすると冷たい水が出てきてぬるくなる

設置して7年たち、そろそろ故障の時期だな…。



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湖西を歩いた

2018-11-25 18:50:15 | 旅行
昨日は湖北、今日は湖西を歩く
琵琶湖に漂う葦のような動きをする我が輩です。
と、この記事を書いてたら、貴景勝優勝のニュースが飛び込んできた。
高安負けたんかい?
大関としては恥ずかしいぞ!

というか、貴景勝は貴乃花部屋だったんですよ。
貴乃花親方、部屋を解消したので何のご利益もないやんか!

それはともかくとして、
湖西に向かったのは高島市安曇川での講演を聴くためです。
しかし、講演は午後。
午前中が空いてるため、行くついでに北国海道西近江路を歩くことにしました。

降りたった駅は、蓬莱駅。
比良山系への登山口でもある。

国道沿いを北上し、約一時間かけて隣の志賀駅に到着。
普通なら30分ほどの距離だが、例のごとく寄り道してるので、倍の時間がかかる。

わずか、一駅しか進んでない。
相変わらず、のろまな亀ですわ


志賀駅は、滋賀郡志賀町だったが、平成の合併で大津市に編入された。

いつまでたっても大津市を抜けられない…。

早く高島市へ入りたいものです。

電車は一時間に一本しかないため、
待ち時間に駅で昼食した。

13時過ぎ、高島市の安曇川駅に到着。
会場に入りました。

今回の講演は、高島市にあった大溝藩と大溝祭りに関する内容です。

3人の講師が入れ替わり述べてくれたが、
会場が暗い。
映画館なみの暗さで配布された手元の資料を見ることができない

正面に大きな幕がありパソコン画像が映し出されてる。
しかし、これも見づらい。

というわけで、不満の残る講演でした。


行きは山科経由だったが、
帰りは北回り。

マキノ駅で、高齢の山ガール軍団が乗り込んできた。
高島トレイルを縦走したのかな?

最近の休日は、山登りさんが増えてきましたわ。

ちなみに、
帰りの電車、チーズ鱈をあてにして
缶酎ハイを飲みました。

徐々にアルコール依存性予備軍になりつつある今日この頃です😰

ただいま米原駅

駅のアナウンスあり、
『ホームで千鳥足は危険です』


我が輩のことか?



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伊吹山の麓を歩いた

2018-11-24 22:21:39 | 旅行
昨日、若狭の城跡に行く予定だったが、天候悪く断念した。

本日は天気良くなったが、予定が無かった。
そこで、街道を歩くことにした。
信長、秀吉が駆け抜けた北国脇往還、
関ヶ原と木之本を結ぶ戦国道だ。

実は春照宿~姉川古戦場の野村橋までが歯抜け状態になっていて以前から気になってた。

本日はその穴埋め。

長浜駅がスタート。
駅から伊吹山登山口行きバスに乗る。
11時過ぎなので、こんな時間から伊吹山に登る人はいない。
なぜなら、麓から山頂まで片道五時間かかるから。
山頂に着いたら日没ということになりかねない。

バスは昼前に長浜市伊吹庁舎に到着、
ここが春照宿。
降車して、歩きスタート。

昨日、伊吹山初冠雪のニュースがあった。
見上げると雲に隠れて山頂付近が見えない。

せっかく伊吹山の麓に来たのに雄姿を拝めないとは、残念無念。

道の駅伊吹で、昼食にした。

エゴマ油が売ってました。
1000円もする。
高い!むっちゃ高い!

ガッテンで取り上げられたので全国的に品薄になってるとか?
値上がりするよね。

午後は薄暗い山道を歩いた。
誰も歩かない見捨てられた道なので、さすがにちょっと怖かった

無事越えられて夕方、野村宿に到着。

再び伊吹山を見ると、雲がとれてきて、すきまから山頂を見ることができた。

でも、雪は溶けてしまったようですわ。

とりあえず、本日の目的達成。

しかし、
途中、寄り道や道を間違えたりして時間ロスが発生したため、予定していた16時前のバスに乗れなかった。

次のバスは2時間後まで無い。
薄暗いなかをじっと待つわけにはいかないので、やむなく長浜駅まで一時間ちょっと歩くことにした。

しかし、暗いなかを歩くのは危険。
なによりも辛い。

藁をもすがる思いで、スマホでヤフー乗り換え検索をした。

なんと!
30分後に出るバスがあるとわかった。
野村橋よりも少し西にある東上坂口バス停だ。
このバス停まで歩いて20分ほど

これは嬉しい!
スマホのナビにしたがって、少し早足で向かいました。
無事バスに間に合った。

このバスは、市内を循環する路線バスでした。
停留所を少し移動すると、便利になることがある。
路線バスの妙味ですな。

それにしても
自分のいる場所から最寄りのバス停を探してくれる乗り換え案内!
いやぁ、大助かり。
ホントに便利です。

バスの運転手さん、急いでくれて
予定よりも早く長浜駅に到着。
電車にもうまく間に合って、
ブラタモリ見ることができました。

良かった良かった。

本日は三万歩。

さすがに疲れました。

明日は湖西を歩きます。


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【旧東海道歩き18】蝉丸神社~札の辻

2018-11-23 17:53:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)


蝉丸神社を出て北上すると
現在の東海道本線の上を通る

この逢坂山トンネルのなかに電車が入ると耳が痛くなるから嫌なんですが…。

さらに下ると
『妙光寺』

こちらもイチョウが素晴らしい

外から見ただけです。

この付近の寺社は京阪電車が参道を分断してる

次に
『小町湯』

小野小町が浸かったお湯だとか?
玄関の唐破風が古い由緒を想像させられます。

今や町の中の銭湯は貴重ですな。


春日町


御幸町(みゆきちょう)交差点


ここで、少し寄り道
……………………………………………………


左へ向かうと
京阪電車『上栄町駅』

狭いため、上下線のホームが離れてます。

だから、改札口も別々にある。

ホームの幅も狭い

駅の北側に
『犬塚の欅』

京都から大津へ逃げてきた蓮如上人が他宗の門徒(おそらく天台宗だと思う)によって毒殺されかけた時に、
忠犬が身代わりになって死んだ。

なので、ケヤキを植えて弔った

というお話。

合掌!

北側に
『大津赤十字病院』

反対側に

本長寺、大津代官菩提寺と書いた看板。
ただし、キリンの絵の建物は、本願寺近松保育園だと思う

『本長寺』


代官の墓の石碑もある。

石原代官と小野代官がいた。




墓地の中に入る


小野家の墓


大津寄家之墓がある


山形藩士の墓も。

江戸時代、大津奉行があったが、
基本的には京都奉行の支配下にあった。
後に大津代官が、大津町を治めるようになった。
明治維新後は、大津裁判所→大津県→滋賀県へと変遷します。

江戸時代の朝鮮通信使は、
京から逢坂山を越えると大津代官菩提寺の本長寺で休憩、宿泊したそうです。


一旦、街道のある電車道(京阪電車が路面電車に)に戻ったが
すぐにまた寄り道

『蓮如上人近松御旧跡』石碑

北国街道を歩くと嫌というほど蓮如上人が登場します。
というか、福井県では北国街道よりも蓮如道のほうが馴染み深いようです。

『是より半町』

で、突き当たりに
『近松別院』

蓮如上人が開いた寺。
蓮如上人は京都東山大谷の本願寺が延暦寺に攻撃されて潰され、近江に逃走。
山科本願寺が再建されるまでの10年間、ここが事実上の本願寺でした。

先ほどの犬塚も近松別院の一部です


寄り道終わり!

……………………………………………………

街道に戻りました。

前方に見えるのは東横イン、
正式には
「東横イン京都琵琶湖大津」
という長ったらしい名前。
大津だけでいいのにわざわざ改名して京都琵琶湖を入れたのは、京都の観光客を大津に呼ぶためです。

知らない人は、大津や琵琶湖は京都の一部と受け取ってしまうのでは?

15時00分
『京町一丁目』交差点
ここは札の辻。

真っ直ぐ行けば、浜大津(大津城跡)
左に行けば、北国海道(西近江路)、
そして、右に行けば
東海道です。

大津宿は、東海道五十三次の53番目、つまり最後の宿場で、
東海道では最大規模だったとか?

大津町の人口は17000人を越え
本陣2軒や脇本陣1軒、200軒近い旅籠が軒を並べてたそうですが、
その面影がイマイチ…。




その19へ

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【旧東海道歩き17】関蝉丸神社

2018-11-22 13:38:13 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

「大津市のマンホール」

ミシガン船、ヨット、観覧車、 市の鳥・ユリカモメ、エイザンスミレ、ヤマザクラ、 花火大会、レガッタ、びわ湖花噴水、犬…

ごちゃごちゃたくさん入れ過ぎ!

ポンプ場の北側に

『安養寺』

こちらには
「立聞観音 たちぎきかんのん」があります。
蝉丸の奏でる琵琶を立ち聞きしていた僧侶が姿を替えたとされる観音菩薩像があるのでこの名前に。

中に入れないので見られません。
残念無念

門前に
「蓮如上人旧蹟」石碑


「逢坂(おうさか)」地名由来

日本書紀によると、神宮皇后の将軍武内宿禰がこの地で忍熊王(おしくまおう)とぱったりと出会った。
ので、逢坂と呼ばれるようになったそうです。


昔は、関寺というのがここにあったようですな。

14時16分

京阪電車の踏切を越える


『逢坂一丁目北』交差点

道路標識には161号線敦賀まで88km
とある。
現在西近江路歩きは、大津市北部まで進んでます。
敦賀に到着するのはいつになるやら…。

『関蝉丸神社』

3つある蝉丸神社、いよいよ最後。
というか、蝉丸神社といえば、ここがメイン。

横には貴船神社と書かれてますね。


京阪電車の踏切を渡って神社へ。

歌碑がある。

「これやこの ゆくもかへるも わかれては
しるもしらぬも 逢坂の関
蝉丸」
超有名ですな


拝殿の手前に
「せきのしみつ」石碑

関の清水、です。

が、
江戸時代からすでにこの井戸の水は枯れてたらしい…。


こちらの石碑は、
「逢坂の関の清水に影みえて今やひくらん望月の駒」(紀貫之)

本殿


屋根がかなり痛んでます

修繕費の足しに、お賽銭少しはずんだけど、焼け石に水かな?


記帳しました


謡曲の解説

「時雨灯籠」国重文

六角形の石灯籠、
銘文は無いが、
蕨手の笠


と蓮華朱紋帯の竿

が鎌倉時代の特色を表してるそうです



奥に小町塚があるようなので向かう。

歌碑



こちらが小町塚かな?

小野小町に関しては全国至るところにあるので、なんとも言えません


貴船神社。


イチョウがナイス!



いよいよ大津市街地、中心部へ突入です


その18へ


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き16】関蝉丸上社~隧道東口

2018-11-20 18:05:44 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)


逢坂山弘法大師堂


歩道をわたる

『関蝉丸神社上社』

蝉丸神社は全部で3つあります。
先に参拝した蝉丸神社は村社でした。
こちらは、郷社です。

郷社のほうが村社より格上だとか?

自治体区分なら、
郡→町?


またまた急な石段を登る


上から国道を見下ろす


本殿から拝殿を見下ろす

国道に戻った



また歩道を渡る

右側に行ったり左側に行ったりする度に信号を停めるので、
車の人にとっては大迷惑?

それでなくてもこの付近は渋滞するのですが…。


右側は京阪電車

上は、名神高速道路の上下線

名神高速の左側は、蝉丸トンネルです。

狭い谷に、重要な幹線が集中してます


14時03分

国道1号線と国道161号線の分岐に来ました。


またまたまた信号を止めて
左側へ移動しました。

●鉄道記念物『旧逢坂山ずい道東口』

ここは鉄道ファン、隧道ファン、トンネルファンにとって見逃せない場所です

明治13年~大正10年まで、東海道本線の下線がここを通ってました。


扁額『楽成頼功』

時の太政大臣三条実美の揮毫。

「落成」は落盤に繋がるので、「楽成」にしたそうな。

生野銀山の労働者が手堀りで掘ったそうです



平成20年度近代化産業遺産に指定されました。


奥は通れないように閉鎖されてます。


トンネルは2つある。

上下線ですな。

ちょこっと隧道の構造を教えます

トンネルの顔を
「ポータル」という

一番上の石が「笠石」
扁額
その下に「帯石」

左右の縦の柱は、「付け柱(ピラスター)」

付け柱が笠石をを突き抜ける形が
「冠木門型」
突き抜けないと「鳥居型」

ここは鳥居型ですな

アーチの上の中央が「要石(キーストーン)」

こちらは隧道東口、

ということは、
西口もあるはず。

後で調べたら
最初に参拝した蝉丸神社の北側にあるようです。

見逃した!

後の祭りですわ


大谷加圧ポンプ場

上のほうにトンネル遺産がみえてますね




その17へ続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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