馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

地名夜話「竹田城跡」

2024-04-29 23:53:44 | 城跡
地名ちょこっと紹介
【竹田城跡】兵庫県朝来市
たけだじょうあと。
日本のマチュピチュとか天空の城として全国的に有名なので城跡に関しての説明は不要ですね。
再来年のNHK大河ドラマの主人公は豊臣秀長に決まりました。
秀吉のお兄さんです。
この秀長が竹田城を攻めて陥落させ、後に竹田城主になったことがあります。
なので、大河ドラマではこの竹田城も取り上げられると思うのですが、どうでしょうかねぇ。
竹田城の別名として
「安井ノ城」という名前が古い文献に出てきます。
現在の竹田城の北側の山に安井城跡遺構が確認されてます。
安井地区なので安井城と命名されてるが、竹田城と比べ物にならない小さな出城なので竹田城の支城というべきか。
「虎臥(とらふす)城」という別名もある。
城山の形が、虎が臥せたように見えるので名づけられた

昨年の9月に姫路駅から播但線に乗って竹田駅に向かいました。
駅の手前で車窓から見上げると確かに虎臥の形に見えました。
全面的に石垣の城なので形がわかりやすい。
これが人気の秘密でしょう。
以前「おまQ」で報告したが、
前日の姫路城でコロナ感染し、体力低下中にもかかわらず翌日猛暑日に麓から登りました。
竹田城のある山頂にはベンチがいくつか置いてあって休憩できるが、草や木が少なく日陰がほとんど無い。
直射日光をまともに浴びる。

その結果、大量の汗をかき体力を消耗させコロナに負けることになったのだと思います。
今思うと夏場は駅から山頂駐車場までのシャトルバスを利用すべきだったと後悔してます。


竹田城の縄張りは三の丸、二の丸、本丸、北千畳、南千畳といったお馴染みの名前の曲輪が放射状に広がる構造になってる。
そんななか、本丸の西側に「花屋敷」という柔らかな名前の曲輪がある。
由来はわかってないが、名前から察するに城の裏の奥座敷に薬草を植えたお花畑でもあったのかな?と推察されます。
しかしながら、花屋敷を囲む石垣の構造を調べたら極めて厳重で防御に優れてるとわかった。
なので、名前とは裏腹に城の西側を見張る重要な曲輪だったと評価されてます。


秀吉は兄の秀長を城代として置き、但馬地域を監視、南の生野銀山を押さえる目的で堅固な城を築いた、
これが竹田城の役割だったのでしょう。
というわけで、竹田城は石垣の見事さ美しさに見とれる城跡ですが、その実態はまさに人を睨んで喰らいつく虎の姿。
竹田城はタケダけしい(猛々しい)どう猛な虎の臥す城だっタケダねぇ‥
明後日に続く~
▲▼▲▼▲▼返信感謝▼▲▼▲▼▲▼
(´σ3`)
湾岸スキーヤー様
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
いつも返信ありがとうございます。
松陰神社に百回以上も参拝されたとは!
凄いです。
ご利益は、今の現在の職場の地位かな?
我が輩は地元の多賀大社の参拝、近年は年に数回詣ってるので生まれてからこの方100回は越えたかな?
ご利益はここまで無事に生きられたこと、だろうな‥
延命長寿の神様だからね。
世田谷といえば、井伊家ひこにゃんゆかりの豪徳寺。
行かねばならないけど、親の介護もありなかなか難しい。
将来機会があれば、豪徳寺の次いでに松陰神社にも立寄ることにしましょう。
て、次いでかい?
□■□■□■□■□■□■□■□■
Φ(*^ひ^*)Φ
飛び石連休前半最後の日、
本日は昭和の日。
昔は、みどりの日でした。
さらにその前は天皇誕生日でした。
我が世代は今も天皇誕生日という思いが強い。
我が親の世代は天長節というらしいが‥
命名の変化は、とにかく祝日ありきというのが理由。
名目はなんでもいいというのが我が国の基本的な記念日理念?
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
NHKの女子アナで星麻琴さん、政治番組を担当してたが、4月の改編で夜9時のメインキャスターに起用されました。
NHKの報道番組としてはメイン中のメイン、花形番組、つまり栄転です。
誰もが嫌がる政治番組を3年も頑張って続けた成果ですな。
星麻琴さん、なんと!お母さんが三雲孝江さんと知って
びっくりポンです!
そういえば、なんとなく顔が似てますな。
三雲姓のルーツは我が滋賀県湖南市の三雲地区だと言われてます。
昔は甲賀郡甲西町三雲。
三雲には六角氏の家臣の三雲氏が築いた三雲城跡があります。
猿飛佐助がここで修行したと、宣伝されてる。





それはともかくとして、三雲城に八丈岩という巨大は岩が立っていて麓の東海道からも見上げることができる。
この八丈岩、落ちそうで落ちないということで、いつのまにやら受験生の御守りの岩になりました。
昨年久しぶりに訪れたら賑やかになっていて驚いた。



紙面の都合上、三雲の話は次回に続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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阿野館跡へ

2022-02-24 21:21:25 | 城跡





昨年末に
続百名城に選定された興国寺城(沼津市)を探訪した。
背後の深い堀切は圧巻です。

この後、阿野館跡へ向かった


館跡には現在「大泉寺」があります


阿野館は阿野全成が築いた居館でした

阿野全成は源義朝の子、
頼朝の異母弟で義経の兄に当たる。
今年の大河ドラマ「鎌倉殿…」で現在登場してます。
僧侶として修行を積んだため陰陽道を駆使し呪術でもって頼朝を補佐するという役割を演じてますね。
ドラマ的には滑稽役かな?

しかし、頼朝死後は政争にまきこまれて殺されました。

現在はここにお墓があります

大河ドラマでは今後どのように描かれるかわからないけど、境内に「鎌倉殿…」の幟がありました。
沼津市は大河ドラマ関連ゆかりの地としてアピールしてるわけですね。

境内には土塁が残されてる。
当時の館の遺構かどうかわからないけどね。

合掌!



館跡の雰囲気を味わいましょう

今年の大河ドラマ、
久しぶりに面白い。
さすがに三谷幸喜さんの作品は優れていてドラマ展開、楽しませてくれます。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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2020年回顧【京都府のお城】

2021-01-21 11:35:00 | 城跡
2020年、城跡巡り。
県外では、岐阜県、京都府、愛知県の城跡をちょこっと訪れた

記録をちょこっと紹介します。

◆京都府
◯【周山城】1月
京都駅からバス。
フリー乗車券はお得です。
駅前のバスセンターで購入した

車の人は周山の道の駅に停めるのがいい。

全域ほぼ整備されていて歩きやすかった。

京都一周トレイルの通路になってるので登山者も見かけた。


西の城まで足を延ばした。

他の尾根にもいくつも郭があるようで、何度か行かないと全部確認するのは無理。それほど巨大な山城。

主郭の北側は急斜面で石垣や郭を確認して再び戻ったら、他の登山者が我が輩を見て驚いてた。
まさかこんな斜面から登ってくるなんて?…、ですな
支尾根の郭群は急斜面あり整備もされてないのでオススメしない。
良い子は真似しないようにお願いします。


◯【丹波八木城】1月

再訪。数年前訪れた時は主郭だけだったので、今回は周囲の尾根の郭群も見て回った。

ほぼ全域把握できて満足。
こちらも巨大な城域なので何回か訪問しないと制覇とは言えない。


◯【丹後田辺城】10月
舞鶴市。
コロナ感染の心配があるので、電車はやめて、マイカーで三時間かけて行きました。
片道三時間の運転はもう耐えられない…
こちらは明智光秀ゆかりの城で、平城の公園ということで見学者多い。

我が輩は、外堀巡り歩きを頑張った。

水路など遺構がちょこちょこ残ってた。

門跡の標識を設置してくれると助かるのだが…


11月以降は京都一周トレイルに初挑戦!
桃山駅~銀閣寺まで、三回に分けてハイキングした。

◯【伏見桃山城】11月
再訪。

北堀公園となってる大堀切はホントに凄いものを感じる。

この土木量は、まさに国家事業だ。

◯【大文字山城】11月
如意ケ嶽城と呼ぶそうだが、主峰の如意ケ岳が東にあるのでややこしい。
我が輩は大文字山城と呼びたい。
人気のハイキングコースなので、山の銀座だと思った。
この密状態だと山でコロナ感染しても不思議ではない。
なので、京都一周トレイルはここで一旦中断しました。

背後の斜面には土塁と空堀が縦横に巡らされていて。三重堀切もある。
見ごたえ充分!


凄い城跡なのに城跡看板も表示も見当たらないのが、不思議!


◯【中尾城・中尾西城】
大文字山から銀閣寺の手前まで下山して、北の尾根へ迂回して登る。
体力的にキツかったが、必至で登った。
登山道はなんとか道なりにわかります。
というか、大文字山のメインルートから外れてるが、裏道専門に登ってるハイカー数人に出会った。
親切に道案内をしてくれる人もいた。丁重にお断りしたが…
中尾西城は、ネットの縄張り図と照らし合わせたが、さっぱりわからず
ホントにここは城跡?

どこに大土塁があるの?
という状態でした。

尾根を大文字山方面に向かうと西尾城に。

こちらは縄張り図通りに郭群あり。
でも、大文字山城ほどの見事さは無かった。



日没が迫ってた。
すれ違ったハイカーに谷筋を下山する短絡ルートを教えてもらってたので無事に銀閣寺まで降りられた。


以上です。

ちなみに、
明智光秀は丹波と坂本城を往復するルートとして白鳥越えを使ってたそうなので、雪が解けたら、コロナが収まったら、次は大津市の壷笠山城から京都市の将軍山城(瓜生山城)への峠越えに挑戦したい!


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

東近江市の道の駅愛東マーガレットステーションで
柿のジェラートを食べた。
300円也。
我が輩にとっては分量がちょっと多めで、食べるのに時間がかかった。
美味しかった😁


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
















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2020年回顧、【お城巡り】その1、百名城

2021-01-13 15:07:39 | 城跡

お城に関しては、純粋に城攻めだけ、と

街道歩きの寄り道、の二通り。

さらに、史跡巡り関連の山登りというのもあった。

【日本百名城・続百名城】

2月に愛媛県遠征をした。

2020年唯一の長距離遠征でした。

◆一日目、晴れ

宇和島駅
f:id:umahide:20210109234300j:image


「河後森城」

伊予と土佐の県境。宇和島駅からバスで行きました。

途中に祖父の故郷がある。つまり、稀少な我が姓のルーツの地。ようやく来ることができた。そういう意味で感慨深いものがあった。


城跡はよく整備されていて見ごたえあった。

松丸駅前の足湯




再び宇和島駅に戻り、

沿岸防備の幕末砲台後


寄り道したために遅くなり、

「宇和島城」

夕方になったため必死で天守まで駆け上がった。



途中の高石垣をじっくり見なかったのが残念無念。


閉館間際の天守に入れてもらってスタンプ押した。

この後、一旦城の外に出て博物館など史跡見学して再び戻ったら城が閉鎖されていて、ロッカーに入れておいたバッグを取り出すことができなかった。


↑入口の門内のロッカー

翌朝、取り出すことできたが、もし宇和島のホテルに泊まってなければ悲惨な事態になってたと思う。

ホテルでは胆石症が再発してのたうち回った。

結局、宇和島城は苦い思い出となった。

祖父の故郷に来たのに墓参りせずに通過した罰だったのかも…

◆二日目、雨降り。

「大洲城」

ロッカーは駅じゃなくて、駅横の観光案内所にあります。

城下町巡りしてるうちにようやく胆石の苦痛から解放された。



城下町と川沿いの景色がナイス。

近江聖人と言われる中江藤樹ゆかりの場所もいい。




「湯築城」

午後は松山市へ移動。

道後温泉の湯築城へ。




実は昔、ここに来てる。

その時は城跡とは知らず、公園のトイレを借りただけだった…


道後温泉前の一六タルト店で、天ぷらタルトうどんを食べた。

これがこの日、唯一の食事でした…


道後温泉本館は凄い行列で、断念。

コロナ禍の今はガラガラだとか?

◆三日目、晴れ

「松山城」

昔来た時はローブウエイを利用したが、今回は東側から歩いて登城。




↑竪石垣を見るために二の丸まで下山して、再び登り、天守を見てまたまた竪石垣を見て下山した。

天守は開館前から行列できてた。

「今治城」


午後は今治へ移動。




天守だけでは物足りないので、少しだけ城下町探索した。

能島城へも行きたかったが時間切れ。

今治駅から路線バスで福山駅へ行き新幹線で帰宅した。


f:id:umahide:20210109234444j:image

愛媛県の百名城スタンプは残り1つです。

この他に西国街道歩きの時に芥川山城のスタンプを押したので、

2020年の百名城スタンプは、合計7つだけでした。

コロナが早く終息してくれないと、これ以上スタンプが増えない…

その2に続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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猛暑、もうしょ~うがない、の巻

2019-05-27 16:32:52 | 城跡
"昨日は、山陰丹波街道歩きをした。

前回、園部城跡の遺構、史跡をいくつか見逃したので今回はまずそれを消化する。
まずは、八木駅で下車して安楽寺に行き、移築された園部城の太鼓櫓を見学。




ついでに近くにある坊主塚古墳にも立ち寄った。


この付近、匂いが漂う。
牛舎がありました。
たくさんの黒い牛さんがいた。
もしかして、丹波牛?但馬牛?
丹波の黒豆、丹波栗は食べたことあるが、丹波牛はまだ食べたことない。

いつか食べてみたいものです…


そして、園部駅に移動。
小麦山に登った。





ここに園部城の櫓があったが、現在は何も無し。
あるのはたくさんの偉いさんの石碑群。


藪蚊につきまとわれて大変でした。

この後、ようやく本来の目的の山陰街道歩きに。
園部郵便局前の道路表示をみると、


なんと35度に!

猛暑日ですわ。
山に登ったので、すでに汗だくでした。

ここで郵便局に立ち寄る。
郵便局には専用の払込取扱票というのがある。
その手続きをすることにした。
日曜日なので、当然ながら窓口は閉まってます。
実は前日にATMで手続きできるという情報を得たので、早速ためしてみた。
ATMに取扱表を挿入する受け口があったので、入れた。
後は、画面の表示に従って操作するだけ。
支払いは現金だけではなくて、貯金通帳あるいは郵貯カードでも自動的に落としてくれる。
いやぁ、これは便利!
今まで全く気づかなかったのが情けない…
もうこれでイチイチ開店時間を気にして窓口に行く必要がない。
世の中便利になったもんですな。

してやったり、という思いで出ようとしたら、後から来た人が、これ忘れてませんか?
と、言われた。
払込取扱票が入ってた封筒ですわ。
何か1つすると、もう1つを忘れてしまう。
最近このパターンが増えてる。

ホントに
おむつ、
じゃなくて
おつむがヤバくなってきましたよ…

ちなみに郵便局で何を支払ったかというと、来月の我が誕生日祝いの支払い。
自分で自分の誕生日祝いをするなんて困ったもんやわ。

郵便局を出た後、
またまた寄り道。
丹波黒田城跡と上木崎城跡に登った。
暑いし正直キツかったです。
下山した時きはさすがにヨレヨレ、
ほぼグロッキー状態。
無事戻れただけでも奇跡、と言える。
登城詳細は後日アップします。

夕方5時、今の時期ならまだまだ明るくて歩けるが、もう体力が無かった。
なので、ここで退散。
バスで園部駅に戻りました。

結局、街道歩きは1キロも歩いてない。
寄り道ばかりで、32000歩、20キロでした。
丹波路は城跡多いので、当分の間園部駅御用達になりそうです。

帰りの電車は例のごとく
缶ビールとおつまみ。


いやぁ、今日は冷えたビールが美味しかった。
こんなに美味しいと思ったのは久しぶり。
猛暑と空きっ腹と体力低下した時のビールは最高ですな。

あまりにも喉越しが良かったので、
数駅で飲みほしてしまった
350じゃなくて、
500mlにすべきだったかな…


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

本日も暑い。

ついに扇風機出しました!

この夏も扇風機だけで乗り切らねばならないのだ!

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【和泉国、雨山城】後編

2019-03-22 16:22:57 | 城跡
2019年3月17日(日)

本丸の解説看板



「1346年、橋本正高が城の整備した」
橋本正高は、楠木正成の一族。
南朝方の城となったようですな。

「城域は出ノ丸として隣接する泉佐野市の城ノ山にまでおよび、紀州と泉州を結ぶ粉河街道を押さえる山城として戦略上重要な城」
城ノ山は、土丸城のこと。
2つの城は1対ですな。
紀州の根来衆は、この街道を越えて九条家の日根野荘園を侵略しにきた
のだろうね。

主郭の西の下の曲輪



再び関空方面を見ると雲行きが怪しくなってきた。

時刻は15時32分、
そろそろ下山しなければ!

千畳敷の横の道を下る

町石がある。



登山者にとってこれは励みになります。

『竪堀&土橋』



北からの侵入を防ぐ
その先に鳥居

二町

馬場跡の先端に休憩所


一気に下る



15時53分、



麓の池。
無事に下山できました。

実はこの途中で、
若いカップルとすれ違った。
女の子は普通の靴で、どうみても登山姿ではない。
しんどいようで、男の子が引っ張ってる

というか、もう夕方なのに登るとは!
大丈夫かいな?

しかも、雨がポツポツと降り始めてるのに。




国史跡土丸・雨山城跡の看板。

下山した登山道は楽チン。


熊取側から登るのが安全で楽です。



雨山を振り返って、見た







成合口バス停から南海バス(一時間に一本)に乗り熊取駅へ帰りました。



ちなみに、途中に野球で有名な
浪商高等学校がありました。
大阪体育大学の一貫校のようです。

ドカベンの香川選手、若くして亡くなりましたね。


Φ(*^ひ^*)Φ

九条公の現地屋敷があった大木地区へは時間的に無理だったので、


またいつか日根野に来たいと思います


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

泉佐野市といえば、豪華なふるさと納税が有名。

しかし、政府に睨まれて、

今回の特別交付税が大幅にカットされた。

ペナルティーではない!

と、国は言ってますが、

どうみても、

泉佐野市への当て付けですな。


国の言うことを素直に聞け!


というわけですわ。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【和泉国、雨山城 】前編

2019-03-21 16:57:13 | 城跡

2019年3月17日(日)
13時53分
大きな看板が見えた。



ここは雨山城主郭の下の郭だ。

土丸城との分岐の表示は地面付近に小さな矢印板があるのみ。

左へちょこっと寄り道、



倒木の後ろに見えるのが、竪土塁かな?


イマイチよくわからない



再び看板の所に戻り右方向の斜面道へ。



上に



『井戸跡』



竹の覆いをずらすと、水があった。



さらに斜面を右手へ向かう

『月見亭』



向こうに見えるのは和歌山県方向かな?



すぐ下は崖だが、景色はいい。

月見亭の背後に細い空堀がある。



茂みでわかりにくい。

上に登った

『千畳敷』



ハイキングコースになってるので土丸城、雨山城の至るところにベンチが置いてある。
これは嬉しい。

「住民の森 熊取町」



土丸城は泉佐野市だが、雨山城は熊取町管轄。

左へ向かうと、



本丸休憩所。

ノートに記帳した。



本日、3組目ですな。
みなさん、グループで登ってる。
ひとりぼっちで登るのは我輩だけ…

こちらにも神社がある。



石製の祠。
ここが、雨山城の主郭です。





後編に続く




馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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和泉国、土丸城

2019-03-20 16:22:17 | 城跡

九条政基公、慈眼院付近に宿泊した。
肥沃な日根野荘園を見て大いに満足するが、この付近は開けすぎてる。
何よりも和泉国守護細川氏の拠点の佐野地区に近い。
いつ寝込みを襲われるかもしれぬ。
屋敷の防衛上ちょっと心もとないため、


九条公は翌日さらに奥の大木地区へ移動し、居館を定めて本拠としました。

その大木地区へ向かう手前にあるのが、
土丸城、雨山城。



城跡も国史跡の日根野荘園遺跡に追加指定されました。
天気悪いので、躊躇したが
思いきって登ることにした。

2019年3月17日(日)
13時53分
阪和道の高架下。



すぐ横に左へ向かう道がある


しばらく進むと
14時03分、



土丸城への登山口




登山道が整備されてるが急斜面の連続で大変。

九条政基公が本拠とした大木地区を眺める



谷あいに、いい景観が残されてるらしいが、
残念ながら城に登ったために結局、
行くことはできなかった。
残念無念…


大阪湾方向を見る
溜め池群、



向こうに関空、

さらにその向かうは淡路島かな?

急に天気が晴れてきたのは良かったが、暑いのなんの!
大汗かいた。

平な場所に出ました。



いよいよ城内のようです。

14時29分、



神社がある。



『土丸城跡』です。



看板の説明書によると、
「天平元年(729)年、地元の豪族日根野氏によって築かれた。
同三年高師泰が…」
あれ?おかしいぞ!
高師泰は、南北朝時代の武将。
時代が合わない。

ネットで調べると、
正平二年(1347年)、北朝方の日根野盛治が築いて籠もったが、南朝方の雨山城と対峙した。
とある。
でたらめな看板や!

なお、日根野氏は守護側だったために九条政基公と対立した。
日根野氏は土丸城で大木地区を監視し、土丸地区には盛んに横領を繰り返したとか?

しかし、九条公は村人との強い連帯で、守護勢力や根来寺を排除し四年間、現地で荘園経営を守ったのでした。



主郭の背後に空堀と土塁があるが、



倒木が邪魔してます。

次に雨山城へ向かう

この先端から尾根道を降りる

一旦下りになるが、



また上りになる。



向こうに山が見える

登山道整備されてるが、険しい所もあるので注意必要。

そして、
14時47分、
看板あり。

雨山城への入口だ。


続く…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪"

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シンポジウム 信長の城

2019-03-13 21:54:22 | 城跡

"滋賀県主催連続講座、本年度最後の城郭シンポジウム。

2019年3月10日(日)
前日に引き続き、安土に来ました。
本日はあいにくの雨降り☔️
でも、まる一日館内に座ってるだけなので、問題無し。

受付は点呼無し。
予約したのに、結果的に自由参加扱い。
どうやら、募集定員の300名に届かなかったようです。
確かに会場に入ると空席がいくつもありました。
天気悪かったからか?



午前中は中井教授の基調講演、
午後は、信長ゆかりの小牧山城・岐阜城・安土城、それぞれ発掘担当者の報告。
最後にパネルディスカッション。

という内容。

ちょこっと紹介。

まずは、基調講演
【信長の城】中井均滋賀県立大学教授

織豊系城郭の特徴は、
高石垣・金箔瓦・礎石建物(天守)。

『小牧山城』
石垣◯、瓦Ⅹ、天守▲
瓦は全く発見されてない。
天守たぶん無かっただろう。
最近の調査で山頂付近に玉石敷遺構が検出された。




山頂に信長あるいは家族の住居があった可能性あり。
安土城よりも先に山頂部が総石垣の城だった。
ただし、石垣の高さは低い。
*間々観音

『岐阜城』
石垣◯、瓦◯、天守△
天守はあったかも?
3つの城の中で唯一、信長以前からあった城(斎藤道三時代の城)
*伊奈波神社

『安土城』
石垣◯、瓦◯、天守◯
小牧山城→岐阜城→安土城で完成形。
天守に信長自身が住んだ。
*総見寺

3つの城に共通するのは、
山頂に詰城、麓に居館があった。

信長は権威を示すために決して山を下りなかった。
家臣には平地に城を建てさせた。

権威を見せる城として、信仰としての寺社を城に利用した。

………………午後の報告………………

【小牧山城】小野友記子、小牧市教委 小牧山課

紅一点の小野さん、久しぶりに拝見💓
シックな黒の服装でナイス。
ちょっと太ったかな?

石垣:チャートの自然石使用。
加工の痕跡無し。
信長以前の尾張で、石垣を使った城は無い。
小牧長久手合戦で家康の陣城になり、虎口や堀、土塁の一部が改変されてるが、基本的に現状のほとんどが信長時代の遺構。


途中で、動画による紹介があった。
やっぱりムービーはインパクトありますな。


【岐阜城】高橋方紀、岐阜市教委教育課
石垣:チャート。
一部に斎藤氏時代の石垣あり。
金箔瓦が発見されたが、信長ではなくて信忠かも?
山麓の居館部は巨石群とたくさんの庭園が配置されてる。



谷部の奥に高層建築あり。



山頂周辺にたくさんの砦群があり、
次々に石垣が見つかってる。


【安土城】滋賀県教委、仲川靖
石垣:ほとんど湖東流紋岩。
瓦は山頂の主郭部のみ。
『伝羽柴秀吉邸跡』には庭園遺構と主屋が2回以上の増改築あり。

中井氏説は、信長時代は麓の居館がここだった。




仲川氏説は、後に秀吉が三法師(織田秀信)を迎え入れるために改築したかも?。
Φ(*^ひ^*)Φ
お二方の説を合算すると、
伝羽柴邸跡は、本来信長の麓居館で、その後、秀吉が改築した。
だから、後世にここを秀吉邸と勘違いして伝わってしまった。
ということかな?

伝大手道は、発掘調査の結果、信長時代より後の遺構の可能性あり。



大手口は正親町天皇行幸用に4つの門があるが、すべて形状が異なる。
ホントに行幸用だったのか?

現在の入口の駐車場には内堀があった。
内堀を復元させたい。

以上、おおざっぱに紹介しました。私見も混ぜてるので、鵜呑みにして他所へ吹聴しないようにお願いします。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
最後に、皆勤賞の表彰式がありました。
延べ700名の参加者のなかで該当者はわずかに7名。
一人一人名前呼ばれて拍手浴びてました。

我が輩は、所用があって1回目をパスしたが、2回目以降皆勤したのに…

うーん残念無念。

実は、何年か前に完璧に皆勤賞だったことあるが、その時は、表彰式が省略された。

なんでやねん!


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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伝安土城… 探訪講座 後編

2019-03-12 21:55:16 | 城跡

滋賀県主催連続講座、本年度最後の城郭探訪。



天主台石垣の上から琵琶湖を見る。

天気が良すぎて霞みのため見にくいが普通ならここから北の竹生島、
南の大津などすべて見渡せる。
当然ながら、家臣の城の長浜城・大溝城・坂本城も視野に入る。
琵琶湖に突き出た岬に築かれた安土城の重要さがわかりますな。

総見寺跡へ移動。



ここで、昼食休憩した。

某知事さん、
『今、何時?』
と美人秘書に聞いてる。

時計もってないんかい!
スマホを見ろよ!
昼食は高級レストランで食べるのかな?

我が輩もあんな身分になってみたいものです。

秘書さん、前回の坂本城と違って今回は山登りなのでズボンでした…

で、知事さんは先に下山されました。

三重塔及び二王門、どちらも甲賀郡から移築した。
信長時代以前の建物で貴重。
国重文に指定されてます。

お城の中に寺を建立し、それが現存してるのは極めて稀なのでは?

仁王門を下るとそのまま城下町の百々橋へ出られるが、現在は通行不可。
昔、無料だった頃は自由に入れたが、今は有料なのでわざわざ料金所まで迂回しなければならない。

そして、仁王門の下、百々橋まで来た。



信長は拝観料をとって総見寺を参拝させたそうです。
総石垣お城の先駆者とも言える信長ですが、寺の拝観料をとったことも歴史上の先駆けとも言えますな。

中井教授は、こちらが大手道だった、という見解。
ならば、仁王門は、大手門ということかな?


本来は仁王門から↓ここまで真っ直ぐ石段を降りられた。

↑これは数年前に探訪したときの画像


総見寺は、安土城の重要な防備の要としての役割りがあったのだろうね。

ちなみに、北側に七曲り道があった。
こちらは家臣や下級武士や町人などの道だったのでは?
と、我が輩は思ってます。

この後、城下町散策。

常楽寺港は、安土城築城の重要なキーになったとも言える。



木村氏城跡は、現在畑。

そして、最後は

『浄厳院』



安土城城下町の一番端っこにある。


本堂は国重文。


こちらも別の寺から移された。



明智光秀の丹波攻略で
丹波八上城の波多野兄弟が信長に殺された場所。

来年の大河ドラマで必ず登場すると思うのですが…



梅が満開でした


Φ(*^ひ^*)Φ
今回、わざとタイトルに
安土城じゃなくて、
『伝安土城』と書きました。

他意はありません。

いや、あります…😁



以上、探訪報告おしまい。

翌日は、この連続講座の総仕上げの
シンポジウムがありました。
2日連続の安土行きとなりました




馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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