goo blog サービス終了のお知らせ 

馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

地名夜話【向牧戸城】

2025-05-06 23:46:00 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【向牧戸城】岐阜県飛騨高山
むかいまきどじょう。
岐阜県は美濃国と飛騨国が合体した県。
前回の郡上市は美濃国の北端に位置し、さらに北に向かうと飛騨国となる。
向牧戸城は高山市荘川地区にある。
高山市は全国一の面積を誇り、香川県よりも大きく、東京都とほぼ同じくらい。
なので、一つの地区から隣の地区までが遠い。
この荘川地区は
東に40キロ離れて高山市の中心部、北30キロ先に合掌造りで有名な白川郷という位置。
いやそれよりも
西に白山があり、福井県石川県と接する。
つまり、白山の東の麓の町と言ったほうがイメージしやすいのでは?
麓と言っても標高800m以上の高原の町です。
荘川町の由来は、町を流れる庄川。
庄川は白川郷から富山県に入り日本海にそそぐ大河。
本来は白川郷と同じく白川村に属してたがこの地区は藤原氏の荘園があったので、白川郷と区別するために荘川と明治時代に命名された、そうです。
向牧戸城は地図を見れば一目瞭然、
南の山から延びる尾根の北端部で、庄川と御手洗川が東西北の外堀の役目を果たす。

天然の要害というわけで、戦国時代に豊臣秀吉の飛騨攻めで金森長近軍が攻めたが、なかなか落ちなかったという飛騨最強の山城。
落城後は、その功績として金森長近が飛騨一国の領主となるのである。
昨年、この向牧戸城に長谷川博美先生の案内で登城しました。
実を言うと、我が輩の飛騨入りは30数年ぶり。白川郷や飛騨大鍾乳洞を見学した想い出しかない。
飛騨国のお城巡りは今回が初めて。高山陣屋すらまだ未踏という初心者マーク。
だから、飛騨入りしたというだけでも感謝感激飴おかき、という状態で、
ワクワク感満載だったが、最強と言われる向牧戸城は公園化されて、ほとんど遺構が壊滅状態。

登城口に解説板があり、登ってすぐに堀切、



山頂の曲輪を見て、駐車場に戻ったのはわずか7分後でした。
最強の山城を攻略するのに10分もかからないとは!
最短攻略という変な記録を打ち立てた記念すべき?城跡でした。
ちなみに、向牧戸城の由来は
庄川を挟んで向かい側に「牧戸城跡」がある。
こちらも攻略したが、凄いテクニカルな城跡で見どころ満載でした。
この牧戸城の向かいにあるので向牧戸城と命名されたというわけ。

お城の遺構を楽しむなら、向牧戸城の向こうの牧戸城へ行くべし。
それなら、牧戸城の詳細な遺構を詳しく紹介しろ?
いや、あまりにも技巧的な縄張りなのでとてもとても我が輩の能力では無理。







どうしても知りたい人は長谷川先生の講座を受けてね。
以上、これにて荘川町の城跡紹介は終わりにしょうかは。
□■□■□■□■□■□■□■□■
地名パズル
   
 多金達  御
 気山城  殿 
◯◯◯◯停◯◯←下野国
鳥    郡海
路     岸
↑↑↑↑ ↑↑
京栃群福 山三
都木馬井 梨重
府県県県 県県
答えは次回!
□■□■□■□■□■□■□■□■
Φ(*^ひ^*)Φ
次回は、8月のお盆頃を予定してます。
予定は未定。
今月末の大腸がん手術の結果次第では
今回が最終回になるかも?
期待せずお待ちくださいませ!
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
ゴールデンウィークも本日で終わりです。
Uターンラッシュで全国各地大変ですね。
世間に背を向ける我が輩は本日からゴールデンウィーク。
ライフワークともいうべき北国街道歩きに挑戦して、本日は北陸に。
さて、何キロ歩けるかな?
というか、富山駅のコインロッカーに空きがなくて、重いバッグを抱えて歩くハメに。
さらに、あいにくの雨!
傘をさしての難行苦行となった


逆さ富山城


夕食は山菜そば

いやはや…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地名夜話【篠脇城】

2025-05-04 23:58:00 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介。
【篠脇城】岐阜県
しのわきじょう。
郡上おどりで有名な郡上市の城跡。
郡上八幡城下町から北へ約10キロほど進むと大和町牧という所に
「古今伝授の里」があり、この山の上に城跡が残されてる。
古今伝授と言えば、我が輩的には舞鶴市田辺城の細川幽斎が思い浮かぶ。
武士とは言え、名家の血筋の細川幽斎は古今和歌集の解釈の秘伝を継承した人物。
田辺城は関ヶ原の合戦では西軍から攻められて落城することになるが、古今伝授を受け継ぐ細川幽斎を死なせるのは惜しいという朝廷の調停があり、細川家は存続。後に熊本城主として存続します。
一方、郡上の古今伝授は、東氏が受け継いだ。
東氏は、千葉県千葉市のルーツともいうべき千葉氏の一族。
本拠地は銚子に近い東庄町だったので、東氏(とうし)と呼ばれた。
その後、承久の乱の功績で郡上市に所領を得て治めることになったのです。
和歌に秀でた東氏の治世は800年続き、庭園跡は国名勝に指定されました。

居館は麓にありますが、詰城はすぐそばの篠脇山に築かれて居館跡とともに国史跡に。
中世の詰城と言えば、高い山に曲輪がいくつか並ぶという単純な形式なのですが、
この篠脇城に関しては、城跡を巨大な竪堀群が取り巻くというのが圧巻で、

某SNSでかなり評判になった。
で、我が輩も一度は登ってみたいと思ってた矢先に、
城郭研究家の長谷川博美先生からお声がかかり、案内していただきました。

高い山なので登るのは少々骨が折れるが、竪堀群は評判通りに見事でした。



一つ一つの竪堀の規模か大きくてハッキリしてる。これが放射状に全方位に取り巻く構造は、日本一ピカイチと言ってもよい。
ここは是非ともオススメ、お城に興味のない人も登って直接見てほしいものです。
ちなみに、東氏は後に篠脇城から現在の郡上市役所の裏山にある赤谷山に城を移します。
この赤谷山城の別名は「東殿山城」と呼ばれる。
東氏の殿様の城→東殿山城というわけ。
我が輩は、単独で赤谷山城に登りました。
やはりこちらも単純な山城なのですが、3つの山から成る城で、つまり3回山登りしなければならない上に急斜面、急な崖があり、いやもう恐いの一言。
なんとなか無事に下山した時には、
もう二度と登りたくないと思いました。
なので、赤谷山城に関してはオススメしません。
登ったらアカンたにやま、ですよ。
明後日に続く…
Φ(*^ひ^*)Φ峠Φ(*^ひ^*)Φ
大阪城から伊勢神宮への道は、伊勢本街道と呼ばれ、奈良県を通る。
現在の近鉄電車の路線図を思い浮かべるとイメージしやすい。
大阪を出発すると最初の難関は生駒山。
有名な「暗峠越え」だ。
名前の如く樹木が生い茂り暗いので「くらがりとうげ」と呼ばれるようになったのが、地名由来と言われる。
実際に歩いてみました。

暗いどころか明るい!
峠近くに集落があり生活空間を見渡せる。
薄暗い山道を歩くというイメージは全く無かった。

だから、暗いという由来は怪しい。
ま、昔と今は違うけどね。

こちらが由来かも?


この峠道は国道308号線で、普通に車が通る。生活道路として使われてる。

ただし、狭く急な坂が多く、すれ違いが難しい箇所もあり、「酷道」と呼ばれる。
車が来ると避ける場所が無くて危ない思いしましたよ。
歩いた日は厳寒で山頂は0度、雪が散ら散ら舞ってました。
でも、生駒山は人気のハイキングコースなので、何人もハイカーとすれ違った。
合う度に「こんにちは〜」と声をかける。
暗峠は元気な明るい峠でしたわ。
Φ(*^ひ^*)Φ祭Φ(*^ひ^*)Φ
本日は町内の祭でした。
我が団地は戦後誕生したので、神社も寺も無い
しかし、団地内の振興ということで新しく神輿を造った。
当日だけ市内の護国神社の神主さんにお願いして祈祷。
神輿を担いで町内を練り歩くという次第。
大人神輿は高齢化で担ぎ手が無く中止。
子供神輿だけ、子供と年寄りが引っ張るという状態に。
戦後誕生した団地だが、高齢者が半数を超える高齢団地となってしまった。
昨年は車椅子の母を玄関先まで連れ出して神輿の巡行を見学した。
あれから、1年!
母はこの2週間後に緊急入院し、10月に亡くなった。
毎年開催される祭、
今年は一人でさみしく見ることになった。
祭の賑やかさに反比例してなんか無常を感じる。
いやそれより、
果たして来年は自宅で祭を見られるだろうか?
その可能性が低いのが、ツラい…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地名夜話【瀬戸内町】

2025-05-02 23:37:18 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介。
【瀬戸内町】鹿児島県
せとうちちょう。
瀬戸内という呼称から、瀬戸内海を連想する人がイルカと思うのだが、
確かに岡山県には瀬戸内市が存在する。
平成の合併で誕生した。
瀬戸内海に面するという理由で大きな名前を付けたが、合併前はオリーブで有名な牛窓町や刀剣の長船町でした。
瀬戸内市と聞いてもピンとこないが、牛窓や長船のほうが一般には馴染みあるよね。
何でもかんでも大きな名前付けたらいいというものではないぞ!
長船町と言えば備前福岡も忘れてはならない。
備前福岡は黒田家の本拠地で、後に黒田長政が筑前に移った時に故郷の福岡にちなんで福岡城を築いた。
現在の福岡県のルーツなんですよね。
実は備前福岡にも福岡城がある。
昔、この福岡城跡を探索したことがある。
NHKの大河ドラマ「官兵衛」にちなんで訪ねた。
ゴルフ場のなかの小山に痕跡が残されてました。
で、なぜかわからないがこの時に左の膝を痛めた。
歩くと痛くてどうやってホテルに戻るべきか悩みましたよ。
あの時のことはいまだに忘れられない。
それは置いといて、本来の話をしなきや!
鹿児島県の瀬戸内町は奄美大島の南端の町です。
以上です。
では、明後日に続く
て、おい!
ここで終わったら奄美大島の人が怒ってハブを投げつけてくるぞ!
わっ?これはヤバい。
我が輩ハブが恐いので、奄美大島と沖縄県には死んでも行かない。
首里城にも行けない、とあきらめてる。
で、瀬戸内町と呼ばれた由来は、
地図を見れば一目瞭然、本島と対岸の加計呂麻島の間は大島海峡で瀬戸内海のような地形になっていて、大島海峡の別名として瀬戸内と呼ばれた
そこでこの近辺の町々が合併した時に瀬戸内町と名づけたのである。
なるほど、納得!
よくわかったし、じゃあ、もう寝るかな、
と思ったのだが、
瀬戸内町図書館のホームページを見てみると、
な、なんと、驚くなかれ、
「1595年の古文書にせんとうち、と地名表記がされてた」とある。
16世紀、まだ江戸幕府が誕生してない時期。島民が、リアス式海岸や瀬戸内海という呼称を知らない時代ですよ。
なので、本来の由来はこの「せんとうち」が後に瀬戸内に変化したと考えられる。
いやぁ、真実は意外なところにあったのです。
古文書を通しての歴史探求の面白さを実感できて、なんか嬉しくなりました。
ただし、「せんとうち」の意味は不明。
瀬戸内町図書館の見解では、波穏やかな海という意味で使ったのではないか?
と、締めくくってあった。
そこで、
ちょっと大胆な仮説を考えてみた。
奄美方言で「せんと」は、「ちょっと」という意味があるそうな。
うちは「内」かな?
ならば、ちょっとした内の海、
という意味では、ないかい(内海)な、
というオチで
今度こそ明後日に続く…
Φ(*^ひ^*)Φ
5月になりました。
母は昨年の5月に喘息で入院した。
以来1年間、介護から介抱されて独り身の自由生活となった。
おかげ様で羽が生えたように寸暇を惜しんで全国を飛び回ってます。
しかし、その飛び回り生活もそろそろ終わりかも?
月末に入院手術の予約を入れました。
そのまま、自分が療養生活、介護状態になる可能性がある。
なんか、輪廻を感じる
誰かさんが言ってたが、頑張れ
じゃなくて、踏ん張れ?
いい言葉ですな
て、感心してる場合か?
Φ(*^ひ^*)Φ峠Φ(*^ひ^*)Φ
丹後街道は敦賀市〜小浜市、舞鶴市を経て丹後の宮津への道。
西国33観音巡礼の道とともに
小浜藩の殿様の参勤交代の道でもあった。
数年前から歩いてます。
今回、若狭と丹後の国境の「吉坂峠」越えをした。
「吉坂」は「きっさか」と読む。
木津の庄という荘園があり、木津坂と呼ばれてたのが吉坂に変化したらしい。
現在、峠の下を国道27号線のトンネルが通過する。
なのでトンネルを進めば簡単だが、このトンネルは歩道がない。

たくさんの車がビュンビュン飛ばして走るので極めて危険!
一方、旧国道が山道として残されてる。
ただし、自然災害で舞鶴市側が崩壊してるという情報だった。
つまり、どちらのルートも危険ということで、青葉山(若狭富士)の麓の松尾寺へ迂回するしかない

と思ってたのですが、いざ山道を歩いてみると、なんとか旧道を行くことができた。





本来の古道と違うかもしれないが、無事にキツイきっさか峠を越えられて大いに満足しました。

帰りに松尾寺へ立ち寄った。
本堂は修築中でした

この先、機会と条件が合えば、舞鶴市から丹後宮津の天橋立まで歩きたいと思ってるが、さてどうなりますやら…
んまのすけさん、の町へ行きたいな
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地名夜話【苫小牧市】

2025-04-30 23:49:07 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【苫小牧市】北海道
とまこまいし。
全国的地名度の高い市なので今さら位置の説明は不要でしょう。
地名由来は例によってアイヌ語と言われる。
「山奥に入っていく川」と言う意味の「マコマイ」に、沼という意味の「ト」を付けた。
最初に苫細という当て字、後に現在の苫小牧という漢字に変化したようだマイ。
苫小牧には沼が多いので「ト」を付けたのだが、この沼が冬に氷る。
この自然環境を活かして始まったのがアイスホッケー。
苫小牧は今やアイスホッケーの聖地と言われてるだマイ。
ホッケーと言えば、ホッケ貝。
いや、ホッキ貝。
苫小牧では特産のホッキカレーが名物になってるそうな。
ホッケーとホッキ貝でもっけの幸いカイ?
と、まぁ、これは置いといて
話を戻す
山奥に入っていく川は、苫小牧川あるいは勇払川かと思われる。
その源流は支笏湖の南にそびえる樽前山。
読み方は一般に「たるまえ」だが、「たるまい」という読み方もある。
アイヌ語の「タオロマイ 」(川岸の高いところ)が由来なので、たるまいのほうが本来の読み方でしょう。
樽前は当然ながら当て字だマイ。
苫小牧に最初に入植したのが、八丁堀同心の中村主水の末裔。
昼行灯のおこないが咎め立てられて蝦夷に飛ばされたというわけ、
て、そんなわけないやろ!
というツッコミ、ありがとうだマイ。
昔、必殺シリーズよく見てました。
昼間はしがない役人、その裏の顔は仕事人、カッコいいですよね。
藤田まことさん、『今は立派な俳優だが、昔は歌を歌うコメディアンだった』
と、父がよく言ってたマイ。
あれ?なんの話だったっけ?
思い出したマイ
入植したのは
「八王子千人同心」
江戸城の徳川家康にとって八王子は甲斐の入口、相模の抑えとして関東の防御にとって重要な位置でした。
ここに千人同心を配置して警備をさせた。
結果的には天下泰平となり、日光東照宮の警備など別の役目を担うようになる。
幕末には新選組成立の土壌を築いたと言ってもよい。
そして、蝦夷地が外国の脅威にさらされるようになると八王子同心が苫小牧に派遣されて警備や開拓にあたったわけだマイ。
しかし、蝦夷地の生活は厳しく
昼行灯するというような生優しい環境ではなく、病死者が増え入植4年目にして撤退することになったのである。
と、まぁこんな先人の労苦の末に現在の苫小牧の繁栄が成り立ってるのだマイ
魅力的な苫小牧に行きたいですよね。
我が地方からは、小樽へは敦賀からフェリーが運航してる。
一方、苫小牧へは名古屋から仙台経由のフェリーで直接行けます。
ただし、2日間かかる。
突然思い立ってすぐに苫小牧に
行こマイか、
というわけには行かないマイ…
明後日に続く
Φ(*^ひ^*)Φ
NHK朝ドラ「カムカムエブリバディ」の再放送、昨日が最終回でした。
この数回またしても泣いてしまった。
我が輩、基本的にドラマを2回も見ることはない。
あらすじがわかってるので面白くないからだ。
だが、このカムカムはやっぱり凄かった。感動した。
朝ドラ史上の大傑作と言っても良い。
しばらくカムカムロスになりそう。
できれば、続編として「ひなた」から始まる百年物語をつくってほしいものです。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
この冬、街道歩きでいくつかの峠越えをした。
明智光秀が信長を討つために本能寺へ向かったルートは山陰街道の老ノ坂峠越えが有名。これは数年前に攻略済み。
今回は北側のルートとして「唐櫃越」に挑戦した。
「唐櫃」は「からびつ」と読むが、
「唐櫃越」に関しては、「からとごえ」と呼ばれる。
本来はからひつ、後にからふつ→からふと→からと、と変化したようですが、確かなことはわからない。
JR山陰本線(嵯峨野線)の馬堀駅をスタートし、みすぎ山→衣掛山→松尾山へと進んだ。

桜が見頃で、トロッコ列車も大賑わいの日でした。



山陰街道と違ってこちらは間道なので大変だろうと予想し、覚悟を決めて山に登ったが、案に相違して、途中のほとんどが車道、林道で、山道が少ない。

地域の開発と林業のために道路を整備したようで、
なんか拍子抜けでしたわ。
ちなみに、亀岡市馬堀側の登山口の如意寺は山本城という城跡で地元の宇野氏の居城でした。

遺構は残ってない。
一方、京都市側の出口付近には「峰ケ堂城跡」の遺構が残ってる。
本来は法華寺という山岳寺院だったのを室町幕府の管領細川氏が城に改変したそうな。前回触れた向日町近辺の西岡衆と関わりがある城跡らしい。



遺構は段郭や土塁が尾根に分かれて残っていて、



京都盆地から唐櫃越への街道を見張る位置にあり、これが今回の唯一の収穫でしたわ。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
地元の新聞記事
「桜が咲く頃に青く澄んだ花を咲かせるネモフィラ。
北米原産の一年草で…」
北、米原(まいばら)産
と読んでしまった…
滋賀県民ならではの間違いネタです
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地名夜話【向日市】

2025-04-28 23:54:57 | 歴史地理
地名パズル、前回の答え
  
 苫 篠
 小瀬脇
◯◯◯◯←飛騨国
日市内
市 町
↑↑↑↑
京北鹿長
都海児野
府道島県
 
正解は、『向牧戸城』
詳細は後日
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
地名ちょこっと紹介
【向日市】京都府
むこうし。
きょうと→にしおおじ→むこうまち→こうたり→やまざき…
昔、我が輩が若かりし頃、JR東海道線の駅名をこのように覚えた。
それがあなた、あれから50年
京都駅の次は西大路駅、
次に「桂川駅」が新設された。
先日初めてこの駅に降りた。新しいので綺麗な建物でしたよ。
駅前に大きなショッピングセンターがあった。
そして、その次が【向日町(むこうまち)駅】
市名は向日市だが、駅名は昔のまま向日町です。
ちなみに次の神足(こうたり)駅は現在、長岡京駅と改名された。
ま、神足は馴染み薄いですよね。
とはいえ、駅名の由来となった神足神社の南側には勝龍寺城の土塁と堀が残されてます。
長岡京の知名度には負けるけど…
でもね、長岡京は地名的に長岡京市が中心と思われてるけど、実は長岡京の政治の中心ともいうべき長岡宮跡、大極殿跡は向日市に存在してる。
つまり長岡京跡を訪ねるならば、まずは向日市へ行きましょう。
長岡京市はどちらかと言えば、長岡天神のほうが有名。
そういえば、久しぶりに長岡天神のキリシマツツジを見に行きたいなぁ…
向日町の由来は、向日神社です。
向日山という丘陵で古墳が多く、向日神(歳神様)を祀ったので向日神社と名付けられて地名となった。
我が輩、数年前から西国街道歩きをしてます。
平安京の羅生門跡、現在の東寺をスタートし桂川を渡ると向日町へ入る。
街道の東に長岡京の大極殿跡、街道の西に向日神社があります。
なので、どちらも史跡見学したので横移動ばかり、なかなか先へ進まなかった。
で、ようやく長岡京市にはいったのはいいけど、こちらは神足神社や勝龍寺城跡の探索でここでも足踏み状態。
さらにさらに、この地域は古代だけじゃなくて中世も重要な地域でした。
戦国時代の武将として有名な斎藤道三や北条早雲はこの地域の出身と言われる。
その基盤となったのが「西岡被官衆」。俗に西岡衆と呼んでますが、室町幕府の直属家臣団で、軍事的にも経済的にも将軍を直接支えた地域だったのです。
なので、街道歩きの次いでに向日市から長岡京市にかけての古墳群及び西岡衆の城跡巡りもしました。
街道歩きと史跡巡りとどっちが目的かわからないような始末で、
史跡が多い西国街道歩きは
骨が折れる、心が折れる
そして、
向日町や長岡京市を過ぎると山崎となり、有名な山崎の合戦(天下分け目の天王山)が待ち構える
我が輩が歩む先には
史跡が次々に向こうマチ
という次第で…。
明後日に続く~
□■□■□■□■□■□■□■□■
Φ(*^ひ^*)Φ
こんばん馬!
季刊紙ともいうべき地名夜話です。
今年もまたゴールデンウイークが始まりました。
昔はワクワクしたが、毎日が日曜日の今は、早く過ぎ去ってくれ!
と、心変わり。
とはいえ、初夏は新緑、花は次々に咲き誇る。いい季節となりました。
昨日、東近江市へ車を走らせた。
一面の菜の花畑が綺麗でした。
田んぼには水が入り水田となる。
第2琵琶湖出現だ!
と、毎年この景色を見るのが楽しみだったが、
昨日車を走らせてると休耕田ばっかり。
水田は少ない。
いつのまにやら景色が変わったぞ!
これでは米不足になるのも当たり前ですわ。
高齢化でコメ農家が減少してるのだろうね。
いや、それよりも政府の無策、
減反政策がこんな無残なことになったのではないだろうか?
虎んプ氏の思惑通り米国産の米穀の輸入が増えるかも?
アメリカ米なんか食べるもんか…
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
ゴールデンウィークということで明後日から我が輩も北国街道歩きの続き、越中国へ向かう予定でした。
だがしかし、急遽延期することにした。
その理由は、
昨日、東近江市の永源寺地区から鈴鹿山系の杉峠を越えて三重県菰野町の朝明へ抜ける「千種街道」歩きをした。
以前、並行する「八風街道」歩きで八風峠を越えた時はさほど難儀ではなかった。

林道から山道へ

その経験から今回の千種街道も大丈夫かな、と思ってたが、
いやはや凄い難行苦行の歩きでした。

15キロという長丁場に、登ったり降りたりの山越え、杉峠の標高は1000mを越える。

伊吹山以来の千m越えですわ。
さらに、いくつも沢の渡渉があり、



危険な崖道と、険しいこと甚だしい。
たまたま今回は、永源寺町づくり協議会さんのツァーに参加したので、スタッフの方のサポートもあり無事に完歩できたが、もしも従来通りの独歩ならば山の中で滑落、行方不明となった可能性大!
いやはや、ホントに危なかった。
と同時に地元のスタッフの方々に感謝感激飴おかきですわ。

三重県菰野町の朝明駐車場到着

ちなみに下山後、おかきじゃなくて地元のどら焼をいただきました。
そんなわけで、足がパンパン、疲労度も並大抵ではない。
身体の回復にはしばらく時間がかかる。
だから、越中国遠征を白紙にしました。
この連休は骨休めしますわ…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

骨は土にかえる?の巻

2025-04-23 11:38:00 | 日記
母が亡くなってちょうど半年となった。
で、延び延びになってた納骨。
ようやく、先日おこないました。

お寺さん曰く、
『骨壺のままおさめるのもいいけど、
できれは壺から出して直接入れたほうが良い。
骨は土にかえる、からね』
と。
そんなわけで、半紙に包んで直接墓の中へ入れました。
よく見ると、父の遺骨が見当たらない。

13年で、骨が土にかえったの?
そんなに早く無くなるのかな?
ウ~ン…

お坊さんにお経をあげてもらって
納骨、終了。

また1つ、事後処理が終わった。

残りの法事、初盆と1周忌のみ。

1周忌まではなんとか生きたいけど、
さてどうなりますやら…

ちなみに分骨したもう一つの骨壺は手元に置いてます。
我が輩が死んだとき、母と自分のを一緒に処理してもらうつもりです。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
通常の断捨離をほそぼそと続けてます

そんななか、
粗大ごみが邪魔になってきたので、
まずは、布団類を車に乗せて
市内の清掃センターに持ち込んだ。

初めてのことで不安だったが、職員さんの丁寧な案内があり、
捨てるのも手伝ってくれて無事にこちらも済んだ。
料金は重量制で、200円でした。

布団はまだまだあるので、あと最低2回は通わないといけない。

遅々としてなかなか進まないが、
ぼちぼちやりますわ。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
シンビジウム、今年も花が咲いた

クンシラン、こちらもまもなく開花する。

どちらも株分けして数鉢あるのだが、
咲いたのは一鉢のみ。
全部の鉢を咲かすのは難しいですね。

花の季節になったが、
同時に雑草のシーズンと言ってもよい。

ちょっと放置しておくと
雑草が山のように生えてる

家の片付けと雑草の始末、
どちらも忙しい

ま、夏場は山城に登らないので時間はあるのだけどね。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電車もブログも停めるな!、の巻

2025-04-17 23:37:00 | 旅行
先ごろ、奈良街道歩きに出かけた。
街道歩きは基本的に電車バスを使う。

当日朝、乗り換え検索をすると
なんと、琵琶湖線が全面運休という表示。
そのうち動くかな?と思って最寄り駅まで行ったが、どう見ても再開のメドがたたないようだ。
ニュースでも取り上げられたが、京都駅で不審物騒ぎがあったため。
近年、JR西日本の運休遅延はほぼ日常茶飯事。毎度のことでウンザリ。
外部要因なので、JRに責があるわけではないが、その対応が気に入らん!
京都駅まで行けないのはしかたかないが米原↔大津、草津↔米原を折り返し運転するとか、少しでも利便をはかる対応をできないものか?
草津や大津まで行けば、バスや京阪電車、草津線など別の迂回ルートで京阪神へ行けるのだ。

不測の事態に全く役に立たないJR、大地震など災害などでのマズイ対応も推して知るべし、ですな😡

そんなわけで、悔しいが予定変更して自宅へ帰った😥

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
後日、京北地区の街道兼山登りに出かけた。
珍しく琵琶湖線の運行は正常でした。
平日の通勤時間帯のため車内は満員寿司詰め状態。
そんななか、電車が山科駅を出発すると
通路に立ってた通勤男性が突然よろよろと倒れた。
『大丈夫ですか?』と皆さん声を掛ける。
しばらくして立ち上がったので、単なるめまいか立ち眩みだったのかな?

しかし、少し経ってから再び崩れ落ちた。
これはヤバいぞ!
ということで、
『誰か非常ボタンを押して!』と叫ぶ声が!
あたりを見回すが、近くに非常ボタンが無い。

すると、
『いや非常ボタン押したら電車が停止する。』
『それよりもこのまま京都駅に向かったほうが早く対応できる』という声が!

なるほど、とうなづく。
で、すぐに電車は京都駅に到着。
たくさんの駅員が来てその男性を降ろして介抱をしてました。

その後の男性の状況はわからない。
疲労か、疾患か?働きバチの男性無事ならばいいのだけれど。

我が輩はなんとか京北行きのバスに間に合っが、
もしあの時、山科駅と京都駅の間のトンネルで電車が非常停止したらどうなってただろうか?
今のJRの対応を考えれば、数時間の運休は間違いない。
通勤通学の人々に大きな影響を与えたと思う。
日本の経済的損失も大きい

電車は動いてナンボ、
と思いませんか?

Φ(*^ひ^*)Φ
京都市街地の桜はほとんど散ったが、
京北の周山地区は
ちょうど満開

もうしばらく楽しめるのでは?

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
gooブログが11月で閉鎖されるそうです。
残念ですね。

SNSの台頭で、ブログの世界は厳しい状況になってる。
これも世の流れかな?

皆さん、他のブログに移行してこれからも続けてください。

ブログを止めるな!

ちなみに我が輩は、健康上の問題があるので、先のことは考えられない…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が大腸のチョウしは大チョウブか?、の巻

2025-04-13 12:29:40 | 日記

前回、人間ドックで便潜血陽性となったため、
今回はより精密に見るため大腸の内視鏡検査を受けた。

病院の桜

もう見納めかな?と思って撮影。

受付を済ませると、腸を綺麗にする薬剤と水を渡された。
半日かけてゆっくりと2リットル目標に飲め、という。

当然ながら、飲む度に下痢をする
という次第。
一つの部屋に2人、
もう一人は妙齢の女性、この女性と代わる代わるトイレに駆け込むという流れ、
今思えば、変な状況ですわ…

この女性は1リットルほど飲んで終了。
我が輩は2リットル全部飲んでOKをもらった。
お尻がヒリヒリして痛かった😥

そして、午後に
全身麻酔して内視鏡検査。
目が覚めたらまだカメラが腸のなか、抜く途中で、痛かった、です😭

その結果は、
ポリープが見つかったので、後日入院手術ということに。

普通の人はポリープがあれば、内視鏡カメラで削除、それでも取れない場合は入院して翌日に手術というのが流れ。

されど、我が輩の場合は
大きなポリープが2つ別々の場所に。

なので、後日改めて電気メスで手術ということになった。

医師の説明では、半年以内に切除しないとダメ、
と言われた(人生の最後通告か?)ので、来月入院の予約を入れました。

ポリープが良性か悪性かは、取ってみないとわからないけど、
常識的に大きなポリープはガンの可能性が大。
無事に切除できても傷が深い、別の場所に転移ということも考えられる。

そうなると、手術後はいよいよ療養生活となるかも?

というわけで、自由にお出かけできるのも手術までのあと一ヶ月かな?

充分生きたのでもう悔いはないけど、
来月また2リットルも飲まなければならないと思うと憂うつですわ😱


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家の梨の花、



今年も綺麗に咲きました。
毎年、実はなるが全部落下して食べられない。
今年はかりに実がなって熟しても
我が身がその頃まで普通に生きてるかどうか…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めての人間ドックは、…?、の巻

2025-04-08 00:16:00 | 日記
古稀となり後期高齢者へ邁進する今日この頃、身体のガタを確かめるために
生まれて初めて人間ドックを受けた。

ちなみに病院に予約したのは1年前。
検査の日程は常にタイトのようです。

で、検査内容は通常の健診プラス癌検査。
肺はエックス線。
腹部はエコー検査。
以前に胆嚢摘出手術をしてるので胆嚢は無い。
どちらも特に異常は無かったようです。

胃は今回初めての胃カメラ。
バリウムは飲みたくないので胃カメラのほうが嬉しい。
喉の局部麻酔をして口から管を入れる。
痛くはないが、気持ち悪い。
全身麻酔にすべきだったと後悔する。

食堂にちょこっと問題あり。
でも、様子見ということです。
逆流性食道炎かな?よく胸が痛むことがあるもので…

胃は、『綺麗』『ピロリ菌無し』
ということで、問題なしと太鼓判を押された。
父が胃を摘出してるので心配したが、大丈夫でした。母の遺伝を受け継いでるのかもね。

ここまでは良かったのだが、
問題は下腹部。

尿に血。
便にも血。
予想通りの結果でした。

以前から血尿と血便があったし、腹痛も時々ある。

というわけで、
近日、再検査。
次回はいよいよお尻からカメラを入れることに。

ポリープが見つかれば即切除。

癌ならステージはいくつだろうか?

当日は入院前提で来てください、と言われた。

いよいよ年貢の納め時かも、ね。

ま、ここまで生きられたのだから
悔いはないです

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝ドラを見てふと思い出した、の巻

2025-04-05 13:44:38 | 旅行
朝ドラ「あんぱん」を見て
数年前にユーチューブに投稿したことを思い出した。
また土佐に行きたいな〜

この電車、車両の外にテラスがあって風に当たりながら太平洋の景色を見られるのです

馬《●▲●》助ヒヒーン♪



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする