まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

曼珠沙華 どうしてそんなに 赤い顔

2011年09月15日 | 最近は建物研究などを・・・。

 今朝はにぎやかなサルの嬌声で起こされた・・・。「キィキィキィ・・」という高い声で山の上から吠えられたら寝てなんぞいられない・・。でも、起きてみれば・・六時前だった・・。そういう目覚まし時計はセットしとらんのだけれど・・。

 

 で、けいこばぁの作っているナンキンがもぎ取られてかじられて、道路の真ん中に転がっていた・・・。まるで・・おさるのために野菜を作っているようなもんだ・・・。

 今日は・・・けいこばぁがお休みだというので、いつもの運転手だ。少し前には・・「アッシィ君」、その少し前には・・「ステッキボーイ」とかと言うたそうだ・・。そんなんは知らないけれどもね。

 

 けいこばぁは銀行でおかねをおろして・・ご法事の用意とかお葬式の準備とか・・・。高齢社会になると・・あれこれとね。私も・・・農協さんでお金を下ろして・・・敬老会のお祝い金を商品券にしてお配りする準備・・・。自治会長のお仕事なんだと・・・。

 で、けいこばぁのおごりでおうどんタイム。

 

 先日にも行ったのだけれど、さぬき市津田の「羽立:はりゅう」という一般店。で、けいこばぁのおごりだというもので、とびきりのご馳走の・・・。

 

 「野菜天ぶっかけうどん小の冷や」というものを注文した・・・。奥方は・・・「なに、それ・・・」と絶句状態・・・。さすがに、こういうおうどんは食べたことも見たこともなかったらしい・・・。でも・・、単なる「野菜天ぷら」だから・・しれたもの・・。これで・・・500円なのだ。海老天なんぞが入ると・・・650円くらいにはなるけれど・・。

 タマネギ、ナンキン、ごぼう、さつまいも、ナスの天ぷらが乗っているだけ・・・。でも、見た目はハデやね・・・。まるで、トロピカル・ヌードルではないか・・・。

 

 その後・・・。奥方のお買い物なんぞを済ませておいてから・・、私はまたも家を出た・・・。家を出たっていうても・・「家出」をしたわけではない。単に・・・お出かけをしたってことだ・・。

 

 昨日の・・細川家住宅を思い出して、そういう家ならば、うちの町にもあるぞ・・・みたいなことで、みろく自然公園の一角にある『旧恵利家住宅』をのぞきに行った。この建物は・・・昨日の細川家よりももっと早い時期の17世紀末頃の民家(農家)の住宅で、どちらも・・・国の重要文化財に指定されている。

 恵利氏がさぬき市大川町新名に住み着いたのは、19世紀の始めといわれており、この地で農耕に勤め、安政のころ集落の長百姓役をしていた旧家の屋敷を譲り受けた。恵利氏にこの住宅を譲った旧家がこの地に入居したのは不明、恵利氏初代が元禄12年に没していることと、建物の構造・手法などからその時期に該当していて、建築年代も17世紀末頃と考えられる。

 

 昭和42年頃、老巧化が進み、この家を解体する計画が持ち上がったが、地元では、住宅の保存の機運が高まり、当時の大川町が昭和45年に町内田面砕石(たづらわれいし)の大川ダム東岸に解体移築保存された。これが我が家の近くだった・・・。

 

 翌年だかに、香川県東部の典型的な民家で建築年代も古いことから、国から重要文化財に指定されたが、無人状態で老朽化が進み崩壊寸前になった。そこで、平成13年にみろく自然公園に再度移築保存されて、現在に至っている。

 

 こうした・・・茅を軒先まで葺き降ろす屋根を「ツクダレ」と呼ぶそうで、当時は・・農家の長、庄屋さんクラスの家だったとか・・。玄関から内部に入ると、大きな土間があり、左側に広間が配されていた。

 

 土間から天井を見上げるとこんな感じだ。

 

 午後からは・・・例のお大師まいりの資料作成で日が暮れた。でも、ほぼ・・予定は完了した・・・。

 

 お大師まいりの資料がほぼできあがったら、次は・・・ベーハ小屋の資料作成やね・・。ま、次から次へと忙しいことだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


じんじんと 残暑厳しき 宮まいり

2011年09月14日 | 最近は建物研究などを・・・。

 朝方は寒いほどなんだけれど、日差しが高くなると・・・真夏のような暑さになって・・・夕方まで気温は三十度をくだらない・・・。この暑さ・・・、今週いっぱいは続くのだと言うが・・・。

 

 さて、午前中は相変わらず・・・さぬき広島お大師参りの資料作成をやっていた。作業の九割近くはできあがった。今週末には製本段階まで行けると思う・・・。あくまで「プロト・タイプ」という試作品なんだけれど。

 で、今日は・・母のさっちゃんがデイ・ケアに出かけて行き、奥方のけいこばぁが夜勤から戻って来る日。その時間が・・・午前十時。けいこばぁが戻って来るのを確認して、私は家を出た。

 

 徹夜勤務してきたのだから、自由にビールを飲んで、自由にお昼寝をしてもらわないと健康上にもよくない。けいこばぁに倒れられたら・・それこそ大騒ぎになってしまう。だから・・・ゆっくりと休憩してもらうために・・午後三時までは我が家を留守にする・・・。

 

 で、通り掛かった・・・さぬき市長尾西にある「おかだ食堂」に入った。正確には知らないが「手打ちうどん・おかだ」というのかも知れない。ここで、朝昼兼用のおうどんを食べる。まだ・・時計は10時過ぎ・・・。

 

 「まぁ、何か食べておかねば・・」みたいなことで注文したのが・・・「きつねうどん」。小で280円だった・・。それを何を勘違いしたものか・・・480円だと思って少しばかり警戒して「小」のみになったんだけれど、落ち着いてメニューを見たら・・・280円だったが、今更・・・稲荷寿司の追加もできずに、そのまんまになった・・・。

 

 で、例によって・・・長尾町を南下して山間部に入り、大多和から多和地区に入ってのベーハ小屋探し・・・。だが、このあたりには全く姿が見えない・・・。

 多和地区で・・・国の重要文化財に指定されている「細川家住宅」というのをのぞいてみた。

 

 この農家は・・十八世紀初期の古式間取りというらしく、広い土間の「ニワ」という作業場と、土座という・・・土間にムシロを敷いただけの台所風の間、その奥に竹座のザシキがあるという三座方式。つまりは・・・二間(ふたま)+土間という・・初期の農家の間取りが残されている。

 

 それだし、自然の曲がった木材を自由自在に組み合わせて創られている自然建築の基本構成が間近に見える・・・。

 

 江戸時代初期の農家の生活を感じさせる住宅であった・・・。

 

 多和という集落ではベーハ小屋が見つからず、そこから東かがわ市に入って五名(ごみょう)という集落に入った・・・。ここで、こうした「ベーハ小屋」を撮影していると・・・。

 「あれぇ~・・」という声が・・。振り向くと・・数年前まで机を並べていた「三谷マネージャー」が立っていた・・。同じ会社の同僚というか仲間だった人・・・。そこで一頻り・・・思い出話やらその後の話に夢中になった・・・。案外と・・・お互いが知っていても素知らぬ顔で通り過ぎるものだが、この「マネージャー」さんはきさくに話しかけてくれて・・・思い出話に花が咲いた。

 

 夕方からは・・集落内の「山の神さん:大山祇神社」の秋の例祭だった・・・。こうした山間部の農村では、田の神・地の神・山の神などに感謝のおまつりをする・・。はるか昔から続いてきた民間信仰の素朴な姿・・・。おまつりをだしにして・・情報交換やら仲間の親睦やらを行ってきた素朴なおまつり・・。

 

 昔には、ここにも拝殿があって、ここにおこもりをして親睦を深めたのだろうが、今は礎石が残るばかり・・。今は・・自治会堂での直来:なおらいになって、情報交換やら相談事、これからの集落のことなんぞを話し合ったりする・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。 


わざわざに 遠回りする そば畠

2011年09月13日 | ふるさと散歩

 暑いのだか寒いのだかはわからんような「ビミョー」な朝方・・・。最近は・・夜明けが遅くなったのものか、目覚めるのが六時前になった・・・。

 朝方は肌寒いくらいなんだけれど、まわりが明るくなってくると急激に気温が上昇してくる・・・。そうなると、とても寝ていられないので起きて・・・ぽちの散歩に行く・・・。

 

 散歩コースには、不動堂とかお墓とか、こうしたそば畑がある・・・。あまり、環境のいい散歩コースとは言えないが、慣れてしまえば当たり前の光景になってしまう・・・。

 でも、ここの地主さんは自分でおそばを打つ趣味なんだろうかね。毎年、毎年・・、ここでこうしてそばを栽培しているが、多くの場合、イノシシの乱入であんまり収穫はないと思うのだけれど・・・。それだし・・、ここを管理している人がどんな方なのかも知れないけれど、「百白花」のお店でないことは確か・・・。

 

 今年は・・・彼岸花が遅いねぇ~と思っていたらば、今日になってようやくにヒガンバナを見つけた・・・。そろそろ・・・お彼岸が近くなってきたものね。

 

 それだし・・・ススキもようやくに姿を見せて・・・昨夜は満月だったのにね・・・。

 ま、孫でもいれば・・・なんだけれど、満月にススキにお月見団子・・・。子供もいなければそんな風流な遊びもお食事も用意はされない・・・。

 

 で、今日も例のごとく・・・さぬき広島のお大師まいりの資料作成・・・。ま、午前中で大きな峠は越えたみたい・・・。

 で、十時半からお出かけして・・・うどん屋探しというか、ふるさと巡回というか・・・。でも、毎日のことになると、そんなには代わり映えがしない・・・。

 

 で、合間に、こうしたベーハ(米葉)小屋探し・・・。案外と・・・残っているものだ。ベーハ小屋というのは、葉たばこの乾燥室で、戦後から昭和後期までにかけて盛んに行われた葉たばこ栽培の最終段階・・・、葉たばこの乾燥を行う小屋のこと。香川県西部では「かんそば」といい、香川県東部では「かんそしつ」と言った。ベーハというのはアメリカ産の黄色種という葉たばこを乾燥したことから・・「ベーハ(米葉)」と呼ばれたもの。

 ご覧のように・・・屋根の最頂部に「越屋根(こしやね)」という細長い温度調節用の曝気穴があること。これがないと・・・普通の小屋になってわからない・・・。この細長い「越屋根」を探して走っているわけだ・・・。

 

 ところが・・・今では使われなくなった小屋だから・・・自然崩壊してきて・・・いつしか姿を消してしまう。持ち主のほうも、自分で解体するとなると数百万ほどかかるもので、自然崩壊を待つのが現状・・・。だから・・・山間部ではこうしたベーハ小屋が残っているわけ。

 

 よそさまの古い小屋ばかりを見ていても仕方がないので、今日はここでのお昼になった。ブログ仲間の「ららこ」さんち近くにある「かま八」という一般店。東かがわ市三本松という町にある。

 

 で、いつもながらの・・カレーうどんを注文した。生玉子はセットになっているみたい。それと・・らっきょうと・・。あ、ネギを載せるのを忘れたね。これで550円だった・・・。

 

 で、食事後も・・・一時間ばかり・・・あちこちと走って、7軒のベーハ小屋を見つけた。見つけて写真に撮るのはいいが、早く整理しないとどこの画像か、どこにあった小屋なのかがわからなくなってしまう・・・。これまた・・・面倒なことやね・・・。

 

 認知症予防なんだか、認知症が加速されるのかわからんような複雑なこころ。さっき食べたおうどんは覚えているが、そのお値段はいくらだったのかは・・・意外と思い出せない。だから・・お店で値段表も併せて撮影しておかないと収拾がつかなくなってしまう。その上に・・ベーハ小屋だ・・・。本当に・・スケッチブックのような大型のメモ帳がいるね・・・。

 

 それにしても・・・連日・・三十度を超える暑さだ。まぁ、暑いというても、真夏のような「カッ!」と降ってくるような暑さではなくなったが、蒸し暑いなぁ・・というような暑さが続く・・・。

 ふむぅ? 星空は見えるのに、今日の「十六夜の月」が見えて来ない・・・。月の出が遅いのだろうかね・・・。

 じゃぁ。今日の掲示板で締めて終わろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


名月や 明日は我が身の 唐辛子

2011年09月12日 | 時には日々是日

 昨夜は風が強くて窓を閉めて寝たら・・・朝方はゆったりと寝てしまって、目が覚めたら6時過ぎだった・・・。我が家は我が家なりにぐうたらになるね~。

 さてだ・・・。私のブログ(まほろば自然博物館)っていうのは、元はホームページからできたもの。ホームページは・・「まほろば自然博物館(本館)」っていうのだけれど、これって、一方的な情報提供でおもしろくない。そこで、ブログをはじめたのが、この「まほろば自然博物館」なんだけれど・・・。

 

 その大元は・・・「まほろば工房」という・・「世界で一冊だけの本造り」を目指す本屋さん希望。手作りの本を作る「キム・ハイディーと、その工房」というのが前身。本を作るのが夢だった訳だ。

 

 これが・・・うちの・・・ブランドだ。

 という訳かどうか・・・、昨日、今日と・・・校正作業で明けて暮れて終わった・・・。

 

 今、やってる作業は・・秋の文化祭用の冊子で、「お大師まいり札所完全ガイド」、「ミニ八十八カ所まいり道案内図」、「ミニ八十八カ所お大師まいり」などというガイドブックの作成・・・。

 

 まだまだ・・予定の半分もできていないけれど、今週中には製本までに持って行きたいなぁと思いつつ・・・。

 

 ま、言うたら・・自分で調べて、自分でまとめて・・世界で一冊だけの本を作る・・・。そういう・・子供のころからの夢を追いかけているってわけ。

 だから・・狛犬とかマンホールとか電信柱だとか、橋の親柱だとか・・ダムだとか・・最近はベーハ小屋だとか・・。あんまり普通の人が気にもかけないようなものを調べて歩いてまとめてるってことやね。

 

 だから・・・、今日、見つけたベーハ小屋はこんな変形バージョン・・。これには飛び上がって喜びそうになったなぁ・・・。変なおじさんでしょ・・。

 

 だから・・・食事もどうでもいいもので、たまたま・・通りかかった・・さぬき市長尾にある・・「笠堂や」というセルフのお店に入った。

 

 で、私にすれば・・・とびきりご馳走の・・・「おんたま肉ぶっかけ小の冷や」を注文した。肉うどんに温泉玉子が乗ったようなもの・・・と思えばいい。

 

 これで380円。いなり寿司一個(60円)をつけても440円だった・・・。これで・・・パワーをつけて(パワーがつくようなうどんかしらん・・)、午後の作業にのぞむことにした。

 

 あ、ススキといえば、今日は中秋の名月ではないか・・・。というて、あんまり天文には興味がないのだけれど、久々に三脚を立てて・・デジイチを据え付けてみたものの・・・。

 

 私のカメラではこんなものだ・・。これでも・・300mmの望遠なんだけれど・・。全くウサギの餅つきが見えて来ない・・・。

 

 だから・・・こんな雲をかぶせてみたりしたけれど・・・名月を観賞するイメージではないな。センスがないというか・・・。

 

 だめだな・・。ま、まるいお月様は写せたかなぁ~・・。ということで、今日のお寺の掲示板を載せておしまいにするね。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


蓮池や 浄土のままに 生あくび

2011年09月11日 | 時には日々是日

 昨夜は・・・八幡さまのお神酒を頂いたものか・・・今朝までぐっすりと寝てて・・・目覚めたら六時だった・・・。さすがに・・島にいるとぐうたらになるね。

 

 で、一時間ほどの朝の散歩「アササン」をやってから、お部屋の掃除、ゴミ出し、生ゴミの片付け、空き缶の片付け、食器の片付け、洗濯物の片付け・・・・などなどをこなして、八時半のフェリーに乗って島を出る・・・。

 

 そうそう・・八幡さまのおまつりだ。この島、広しといえど・・・「八幡さま」と名乗るのは、ここの「立石八幡神社」だけ。昨夜のお神酒は妙にこたえている・・・。

 

 なんか・・・あやしげな雰囲気だけれど、普通の秋の例大祭だ・・。でも、この御神輿をかつぐ若者もいないし、にぎやかにはしゃぐ子供たちもいない・・・。御神輿はこのままで・・・行幸もないし、御旅所にも行かない・・・。時代の流れだね。

 

 元気なのは・・・野の草花たちばかりだ・・・。そうそう・・昨夜の直来(なおらい)の席に、コオロギがやってきて、にぎやかに演奏してくれたのには恐れ入った・・・。嬉しいやら・・・迷惑やら・・・。

 

 ま、そういうことで、さぬき広島を出て・・・我が家に向かうことになった。冷蔵庫の中もすっかりと寂しくなって。なおさら・・・缶ビールの席がすっぽりと空いてしまうと・・・もの悲しくなってくる・・・。昨日に・・・軽トラの燃料と、私の燃料とを経済比較というか・・・状態判断すると・・・「軽トラの燃料補給」が優先になって・・・缶ビールの補給ができなくなった・・・。いや、そんなに難しい経済の話題ではないんだ・・・。

 

 ということで、ようやくに・・・さぬき広島をあとにして・・・港を出た・・・・。出るのはいいのだが、すぐにまた、戻って来たくなるのは不思議な感覚やね・・・。

 

 そうそう・・・。少しばかり前に話題になった・・・「めぐな」シール。あれも好評で・・・50枚くらいを注文した。それとは別なんだけれど・・・。

 

 フェリーボートのデッキにある椅子席にこんな表示がしてあった。つまり・・・「このイスは壊れていますから、座ると危険!!」と書いてある訳だ。しかしのかかし・・・、「メゲテマス」というのがおかしい・・・。最近の若い子でも、「メゲル」を使うんやね・・・。

 九時十分あたりに丸亀港について、丸亀を出たのは九時半だった・・・。それから・・少しばかり違う道を走って・・・。

 

 こうした・・・ベーハ小屋を探してみた。今の・・・「まんのう町」昔の琴南とか仲南とかという山間部・・・。そういうところには、けっこうと、こうした「ベーハ小屋」が残っている。

 

 いや・・、「ベーハ・オタク」になろうとしてるんやないのだけれど、ついつい・・、こういうものが目に付いてしまう。

 

 このおうちなんぞは・・早い時期から住宅として改造して、エアコンなんぞが装備されて、普通の住宅の一部として活用されているみたい・・・。

 

 で、今日のお昼は・・・高松市香南町岡の「讃岐うどん・空海房」になった・・・。ま、ここまで戻らなくてもいくらもおうどんは食べるお店はあったのだけれど・・・。ま・・・流れというか・・・、適当というかで・・。

 

 で、あれこれと迷うのも「通らしくない・・」と思って、「そのままかけの小」ということで、一番安いおうどんになった。これで、180円だった・・・。上の白いのは・・・大根おろしで、フリートッピング。

 

じゃぁ、また、明日、きっと会えるといいね。 


袈裟の話・五条袈裟・小五条・三緒袈裟

2011年09月11日 | たまには真剣な研究なども

 

袈裟の中で五条袈裟ほど多くの名前と形を持っているものはないだろう。また、鳥獣戯画など多くの絵巻物にも五条袈裟が描かれている。
 

 


裘代(きゅうたい)や鈍色(どんじき)という法衣に用いる為に、簡易的につくられた袈裟であった。用途も法会の為ではなく、僧侶が身分を示すため、或いは俗人が僧籍に入った標識的要素が強い。ある時は中国の禅衣の影響を受け、ある時は日本の神道的な様相を呈し、日本独自の横五条が平安時代からほとんど形を変えることなく現在に至っていることは驚きと言わざるを得ない。また能楽が華開いた時代、弥陀信仰全盛の中にあっても、能装束とし禅衣としての絡子(らくす)が用いられらたことは注目に値する。

  

 唐の則天武后が初めて使用させたと言われ、日本では中国宗代の禅宗の影響により、鎌倉時代の臨済宗、曹洞宗で初めて着用された。禅宗の作務の時、便宜の為掛ける袈裟である。
小さい五条袈裟を二本の紐で前に吊るし、両肩から胸間にかける。掛けまとうの意義から掛絡(から)という名が出た。大きいものを大掛絡(おおがら)、小さいものを絡子(らくす)と呼ぶ。
やがて釣紐は環となり、この環は禅宗のみに用いられている。

  

 横五条 平安時代の中期に創作された日本独自の袈裟。法会以外の式服の正装に用いられた。威儀、小威儀というくけ紐で左肩から右肩へ吊るして掛ける。

 

 横五条袈裟は、教衣の一つで日本独自のもの。 教衣である天台宗、真言宗、教衣の形を頑なまでに貫く浄土真宗、衣には拘らないが、初期には天台宗の影響が強かった日蓮宗、教衣の面影を大師五條に留めた浄土宗などで用いられる。最も古のものは純白の平袈裟であり、後に紋白袈裟となり、禅衣の影響で金襴になったりしながら、千年以上の時を経て、今なお往時の形を留めている。

  

 五条袈裟の大威儀の結び方はこちら=>>★

小野塚五條
(おのづか)
真義真言宗豊山派において、禅宗の絡子に似たものが大正時代に創始された。
「おのづか」は創始者の名による俗称
威儀細
(いぎぼそ)
絡子の環佩(かんばい)がないもの。
現在のものは威儀紐がますます細くなり、前五条より小型のものを指すことが多い。
前五条
(まえごじょう)
禅宗以外の宗派で絡子形式の五条袈裟を前五條、小五条と呼ぶ。
時宗において天台系の法衣から禅系のものに近づいていった時期に、壊色の前五條がつくられた。
時代が下がると金襴でつくられるようになるが、紐の形状は独特な形を留めている。

 現在の浄土宗は禅衣を主としていて用いているにも拘わらず、平安朝的な横五条を着用している弁明として、法然上人(円光大師)が用いられていた形という意味で大師五条と称するものである。

  

 一方禅衣の絡子を小型化し、大師五条より略となる威儀細を着用する。横五条形式の威儀というくけ紐を細くしたものという解釈が生まれるが、従来の威儀細の紐が絡子と同様の幅、あるいはそれ以上のものであったことから推して、威儀が細くなる「略」という意味が強かったものと思われる。

  三本の威儀という紐で結びたれているので三緒袈裟(みつおげさ)の名前がある。 台密(天台宗)特有の袈裟(密法の時用いる)門跡寺院へ勅許されたもの。 曼珠院流と青蓮院流とがあり、室町時代には使用されていた史実が残っている。

  

 真言宗でも五条を長くたれて着装している。この三緒袈裟も同様にだらしなく着装されているような印象を受けるが、これは三輪(陰部)を覆っているのである。

   

 五条袈裟が本来「裙(くん)」(すそにつける三衣の一つ)であったことから、掛絡も横五条も長く垂れ下がるのが本義であったようだ。仏の32相(超人的な人格を支える肉体的条件)の中に「馬陰蔵相」(陰相、男根が体内に蔵されている)というものがあるが、生身の人間はそういう訳にいかぬので、上記のような着装法が考えられたのかもしれない。

  なお、五条袈裟を頭部に掛けたものが荒法師袈裟といわれるもの。

   

 比叡山の僧兵や武蔵坊弁慶で知られている頭巾は、白麻による五条袈裟であった。

  

 一方、時代劇などに出てきた虚無僧は、五条袈裟を左肩に乗せている。これは托鉢修行の邪魔になるとの考えによるものであったとか。

 

 

 また、浄土真宗では小五条というものが使われている。

 

  左は通常の大五条袈裟で、右側が麻のおつとめ(おあさじ)に使用される「小五条袈裟」で、「じんじょう袈裟」とも呼ばれている。

じゃぁ、また。


いつまでも 夏が居座る 蓮の上

2011年09月10日 | 時にはぼぉっ~とする時

 昨夜は7時半から寝てしまった・・・。そんなに疲れた訳でも、飲み過ぎた訳でもないのだけれど、なんだか眠たくて眠たくて・・・、どうしようもなくなって・・・。

 ところが夜中に涼しくなったもので、冬のふとんをかぶって寝たら・・、今度は暑くて暑くて・・・布団を蹴り飛ばして寝て・・・それでは肌寒くなって・・、また、布団をかぶりなおして・・・の連続。

 

 で、起きたのが・・・5時半だ。実に・・・10時間も寝ていた計算になる。少しばかり・・・お疲れなんだろうかね。それから・・涼しい間に朝の散歩・・・。さすがに朝の間は涼しくていい気持ちだが・・・・1時間も歩けば汗ばんでくる。

 今日の予定は全くないし、さすがに今日は「休養日」にしなくては・・・と思った。今日の天気予報も快晴で・・・予想気温は32度・・。まるで夏が戻ってきたようだし、なにぶんにも湿度が高い。

 

 で、真太郎さんが校正してくれた、「ミニ八十八カ所お大師まいり」のデータ修正に入った。これは来る11月13日の島の文化祭「ふれ愛まつり」に展示して、来春の「お大師まいり100周年」をPRする資料・・・。その文集みたいな資料をパソコンで修正していくもの。

 

 確かに・・活字になった情報は一人歩きする。「新聞に載っていた」「雑誌に書いてあった」「どこかの本で読んだ」「まほろばさんの本によると・・・」となると、うかつなことは書けないことになる。そこで、お仲間の真太郎さんに違う目で読んでもらったら・・・真っ赤になるほどの「赤」が入った・・・。

 

 ということで、その修正作業で一日が暮れたが、まだ・・半分ほどにもならない。中にはスキャナーも必要になったり、基本データが実家にあったりして、さぬき市に戻らないと作業にならない箇所も数多い・・・。

 

 我が家の近くを中年のおじさんたちが通り過ぎていく。この暑いのに・・・「王頭山(おうとうざん)登山なんだろうね・・・。パワーがあるね。私は今日は・・・グリコのマークで「お手上げ状態」。

 

 時期的には秋なんだ・・・。もう、すっかりと蝉の声は聞こえない。あれだけにぎやかだった蝉の声がぴたりと止んだ。季節は確かに秋なんだ・・・。それにしても・・・暑い・・・。

 だからと言って、暑いからとお茶ばかりも飲んでいられないし、缶ビールばかりもあけていられない。一週間近く島にいると・・・冷蔵庫も寂しくなってくるし・・・。

 

 そろそろ・・・明日には実家に戻らねば・・・。この島でやるべきことはやったし、行きたい所にも行ってきたし・・・。

 

 ふっと見上げた空は・・・まだまだ・・夏の空だ。でも、夕方にはものすごい虫の声の大合唱になる。だからと言って気温が下がってくるわけでもない。

 

 そうそう・・、秋の文化祭「ふれ愛まつり」に、この「英国士官レキの墓」の研究成果も製本して発表展示する予定。もりだくさんの計画なんだけれど、うまく間に合うんだろうか・・・。

 

 今夜・・・おとなりの「立石」という集落の秋祭りがあって、その宵宮なんだと・・・。自治会長さんが誘いに来てくれたもので、あまり・・気分は乗らないのだけれど、秋の文化祭もあるし、来春のお大師まいりもあるもので、自治会長さんと「表敬訪問」して来ようか・・・。

 

 で、19時過ぎから・・・自治会長さんと二人で立石の八幡宮にお参りしてきた・・・。ここは山の中腹に社殿があるものだから・・・まっくらな石段を登って・・・お参りしてきた。

 

 お参りというても・・・宵宮だから・・・格段の神事があるわけでもお作法があるわけでもない。ま、いわゆる「直来:なおらい」ということでの神様と一緒のお食事会・・。

 

 当番のご婦人方の手作りのお食事・・・。小さな島の小さな集落ならではの、こころのこもったお食事が有り難かった・・・。

 

じゃぁ、また、明日、元気に会えるといいね。


台風の 去って路地にも 下駄の音

2011年09月09日 | たまには旅など・・。

 昨夜も自治会長さんと反省会やら作戦会議をやっていて、なんだかんだで・・・11時過ぎに寝たせいもあるのかどうか、朝目覚めたら・・・午前6時前やった・・・。ま、涼しくなったのと、朝が暗くなったせいもあるのかも知れない・・・。

 

 だから・・朝一番の7時15分発はあきらめて、8時半発のフェリーで島を出ることになった。だから、急いでご飯を炊いておむすびを作った・・・。朝ご飯も食べてお茶も用意した・・・。

 8時前に高速艇が着くが、先に紹介した・・伊勢大神楽(いせだいかぐら)の太夫さんが6人だか8人だかやってきた。車は港において、宿舎は丸亀港近くのホテルで泊まって島でのお神楽を舞うのらしい・・。

 

 お神楽というても・・・歌舞伎のような神殿前の舞ではなくて、「染太郎・染の助」みたいなサーカスみたいなお神楽を舞う・・・。そういう一行がやってきて、今日で三日目だとか。

 私は・・・8時半のフェリーで丸亀港に向かい、そこから塩飽本島(ほんじま)に向かうのだが、ここで1時間20分も待たされた。これが離島の悲しさだ・・・。

 

 10時40分発のほんじま丸に乗って・・・11時過ぎに塩飽本島の泊(とまり)港に着く。ほぼ・・お昼前ってことだ。そこでレンタ・サイクルを借りてサイクリングで笠島(かさしま)という集落に行く・・・。そこに・・例の・・ベーハ小屋があるというのだ。

 

 確かに・・・ベーハ小屋はあった。あったが、相当いたんでいているなぁと思った。これでは崩壊というか自然同化も遠くないなぁと思った・・・。

 その後、海岸の涼しいところで・・・お昼のおむすびを食べた。写真もあったが、今回は掲載しない・・。

 

 「国の伝統的建造物群保存地区」という「笠島まちなみ保存地区」を散策したのち・・・、

 

 咸臨丸乗組水夫・豊島兵吉の生家というおうちにお邪魔した。ここが・・・「ギャラリー・ARTE(アルテ)」というお店になっている。簡単な食事もできるし、カフェにもなっているらしい。そんな難しいことはわからないが、ビールを飲ませてくれるらしい・・・というのでお邪魔した。

 

 のどを潤したあとは・・・またもベーハ小屋を探す旅を続けたが、あまりにも暑くなってきたもので、ギブアップ。夕方まで走り回る予定をやめて、早々に帰宅することにした・・・。

 

 塩飽勤番所のお玉ちゃんほかにもご挨拶したかったけれど、お昼休みみたいだったので、ご遠慮申し上げて・・・素通りした。11月にはちゃんとお邪魔するけんね。

 

 その後、宝性寺に寄ったり、木烏神社に寄ったりした後、フェリー乗り場近くで缶ビールを飲んで休憩・・・・。

 

 昨年に作られた顕彰碑なぞを眺めながら一休みしたのち、14時過ぎの高速艇で本島を出た・・・。台風一過のあと、涼しくなっていたのに、今日は蒸し暑い一日で・・・熱中症になったのかと思うようなお疲れ・・・。

 

 早々にシャワーを浴びて・・・お休みすることにした・・・。お年なんだろうかねぇ・・・・。

じゃぁ、また、明日は元気にご挨拶、できるといいね。


財布がない 白露の朝の おおわらわ

2011年09月08日 | 時には日々是日

 ご案内の通り・、今日は県立病院の定期診察日。それも二週間ごとの処方箋のための通院という面倒なこと・・・。私の飲んでいる新薬の「プラザキサ」という薬は・・・二週間しか処方されない・・・。

 

 だから・・・二週間ごとに、この薬を処方してもらわないといけない。この薬は飲まないとすぐに効果が落ちてしまうので、とにかく・・飲み続けないといけないのだとか・・。そういうことで、島から直行で・・・東かがわ市の病院まで駆けつけて・・・それが・・9時半だ。7時15分の高速艇に乗って、丸亀港には7時半には着く・・。

 

 しかしのかかし、7月8月9月と・・・まるで通勤定期がほしいような島通いの夏になった・・・。皆さんも、こういう風景をみなれたはずだ・・。後方に見えるのが・・「王頭山(おうとうざん)」だ。

 この・・船を待っているお客さんの中に紺のはかまをはいた人が何人かいる。「伊勢大神楽」の太夫(たゆう)さんたちだ・・。見えないと思うけれど・・。

 

 丸亀港から駐車場までは徒歩10分・・。途中・・・「太助灯籠」を通るが、その足下で寝ているおじさんがいる。ま、どこで寝ようと好き勝手だけれど・・。

 

 そこから車で走って・・・病院に着いたのが9時半だ。

 

 ところがどうしたものか・・・ドクターに呼ばれたのが・・・9時35分。会計処理をして病院を出たのが・・・9時45分という超高速バージョン・・・。事務処理も含めて・・・わずか・・15分という病院らしくない(?)高速性に圧倒された・・・。ま、早いことはいいことだ。

 

 ま、今日は比較的すいていたせいもあるのかね・・・。いつもこうだと助かるのだけれど、普通は「病院」っていうと、半日がかりとか一日がかりだったものね・・。

 その後・・・どこか早くから開いているうどん屋さんはないかと探して走って・・・、今日は・・さぬき市津田の「羽立:はりゅう」になった。

 

 ◆羽立(はりゅう)
 さぬき市津田町津田2161-2 
 10AM~2PM
 (金曜休)

 とのこと。

 

 で、今日もまた・・・「肉うどん」を選んでしまった。最近は・・・カレーうどんか肉うどんにこだわってるね・・。そういうおうどんがたまらなく食べたくなる時期なのかなぁ・・。これで・・550円だった。

 その後・・・自宅に戻って郵便物のチェックやら・・・。

 

 自分の部屋に入って驚いた・・。パソコンが自動で動いてる・・・。「あ・・・そっかぁ・・」と思った・・・。島にいると、メールが全く届かない。いくら確認しても「新着メールなし」。そりゃそうだ・・・、メインPCが自動受信して「読了」にしてしまっているのだ・・。なんだ、そういうことだったのか・・・。

 

 火曜日には必ず届くはずの「さなせんメール」も、コメントメールも・・・迷惑メールも・・・、本宅のこのマシンが自動で読み込んで処理してしまっているのだ・・。こうなると・・・便利なんだかありがた迷惑だかわからんね・・・。

 

 で、すぐさま・・・引き返して・・・13時30分発のフェリーに飛び乗って、またも、さぬき広島に戻ってきた・・・。

 

 で、明日の朝一番の高速艇に乗って出て、本島に向かって行ってこようと思う・・・。本島に残るベーハ小屋を探す旅をやってみようと思って・・・。いくつ残っているのかわからんけれど・・。

 

 まさに・・・「乗りかかった船」だ・・・。この船に乗り遅れたら・・・ベーハ小屋は崩壊してしまった後かも知れない・・・。その前に・・・ベーハ小屋を記録に残しておかねばと思って・・・。

 

そんなんで、また、明日、きっと、会えるといいね。


朝寒に 今日の予定を 西東

2011年09月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今日は寒いくらいの朝になって・・・やはり・・五時前に起きた。朝夕は肌寒くなって窓を閉めたり、上着を着るようになった・・・。でも・・日中はさすがに暑い・・・。

 今日は同じ趣味の「真太郎」さんがやってきて、今年の11月中旬に行われる「ふれ愛まつり=島の文化祭」に展示をする資料の校正作業や現地確認をする日だった・・・。

 

 八時前に真太郎さんがやってきて、すぐに茂浦という集落に出かけて、気になる石仏の調査になった・・。

 

 これがミニ四国八十八カ所霊場の札所だが、こういう石仏を探して・・・まだまだ、ヤブ蚊の飛び回る山中を歩いて調べる。

 

 こうした昔の山道を進んでいく・・・。しかし、こうした山道がしっかりと残っている訳ではなくて、樹木が倒れ、竹や木の枝が折り重なって通れなくなっている箇所も何カ所か・・・。そんなこんなで、三カ所の石仏を確認することで終わった・・。まだ・・何カ所かは未確認のまま。

 

 その後、真太郎さんのお寺に寄って、先の12号台風での被害状況を確認する。壁に二カ所ほどの雨漏りがあるという・・。普段には無住の寺だから・・・締め切ったままだし、細かな監視ができないでいる。

 

 十時過ぎからは・・我が家で校正作業・・・。私の作った展示用の資料を・・・違う目で読んでもらって・・・文体の統一、書体の統一、「てにおは」の修正などで真っ赤になった・・・原稿を戻された・・・。ふーむだ。これを今月いっぱいで修正して・・・印刷製本しておかねばならない・・・。

 

 お昼は・・・私の作ったカレーうどんを食べて休憩・・・。真太郎さんは若いからと・・・少し多めに作ったら、私には少しばかり多かったようで・・・夕方の食事がのどを通らない・・。

 さて、13時からは・・・近くのお寺の「地福寺」さんで、記念法要の打ち合せ会。来春四月に、この島で「ミニ四国88カ所霊場お大師まいり」が行われるが、それが来年で開創100周年を迎える。そこで、お寺さんが集まって、開創100周年の記念法要を計画している。今日はその第一回目の打ち合せ会。

  

 ここの住職さんと真太郎さん、それに自治会長さんと私の四人での準備段階として基本的な打合会になった。この島には正福寺・玉瀧寺・長福寺・地福寺・神光寺の五ヶ寺があるので、そこを順番に回って法要をする。それぞれの住職さんが導師となって法要を行い、私は司会役。自治会長さんは住民に周知して案内し、それぞれの檀家さんや信者さんたちにお参りしてもらうことになった。

 ま、準備段階なので決定事項はまだないが、当面は・・11月のふれ愛まつりで、お大師まいりと、この記念法要をPRすることになった。その準備を急がねばだ・・。

 

 打合会は夕方の4時過ぎまで続いたが、私と自治会長さんはお先に失礼した。あとは住職さん同士がうまく話をまとめておいてくれればいい・・。

 

 そういえば・・今日は蝉の声がほとんど聞こえなかったなぁと思った。この部屋の寒暖計は22度前後を推移していたように思う・・・。夜には虫の声と・・底引き漁船の音がにぎやかだ。

 

 そんなんで、明日の朝一番でさぬき市にもどり、県立病院での処方箋をいただく日。そんなんで、明日はひとまず戻るけんね。

 

じゃぁ、あまた、明日、きっと、会えるといいね。


飛び回る とんぼもたまには 羽休め

2011年09月06日 | たまには旅など・・。

 いろんな人のブログをみていると、やれ台北だ、大連だ、ドコール空港だとご婦人方の旅は豪勢なものだ・・・。それならば・・ということで、私が出かけた”海外旅行”はというと・・・、町内の島である・・・「手島」というところ・・・。

 

 朝一番のフェリーが丸亀港を午前6時15分だかに出港して、江の浦に着くのが7時前。それに乗って行くと・・・7時半に、この広島町手島という島に着く。海上約30分ってところか。

 

 もちろんお目当てはこうした・・ベーハ(米葉)小屋だ。そのためには、前夜からお米をといで炊飯器にセットして、6時には炊きあがるようしておいて、朝食を食べてから・・・おむすびを作って用意して・・・。なにせ、この手島には自動販売機もないし、お店すらない・・。ないことはないが・・・あてにはできないお店が一軒だけあるが、普段はシャッターが降りることが多いらしい。

 

 一週間前に来たときには、ここには「越屋根」という屋根がくの字にはなっていたが、まだ、形はあったのに、先の台風で壊れてしまっていた・・・。全く・・・崩壊は突然にやって来るね。

 

 この手島という島も・・・「塩飽(しわく)人名(にんみょう)領で、江戸時代にはそれなりに栄えたし、家大工が多く出たことも有名だった・・。いわゆる・・「塩飽大工」と呼ばれるものだった・・。明治になって「人名」という特権が消滅して、島の人々は農業を選ぶもの、島外へ大工として転身するものが出たが・・・先の大戦後までは大いににぎわった島だった・・・。

 

 戦後・・・日本の産業は大きく変革して、島の様相を一変させた。若者たちは島を出て働き、島に残ったのは老人たちばかりだった・・・。そこで養蚕や葉たばこの栽培などが行われたが、それも・・・貿易自由化などの政策によって崩壊・・・。昭和50年代には小学校も廃校になった。

 

 この島には・・・寄って立つ産業がなかったために、働く場を求めて・・・島を出るしかなかった・・・。今は・・・稲作すら行う人がなく・・ほそぼそと年金暮らしで生きているばかりだ。

 

 島をぐるりと歩いてみても・・・人に会うことはなかったし、ものの・・1時間で歩き終わった。持ってきた・・・缶ビールを飲んで休憩して、今度は逆コースで歩いてみても・・・やはり・・1時間ほどで戻ってしまう・・・。

 

 次に船が迎えに来るのは・・・12時05分・・・。まだまだ・・・3時間近くも待たないと船は来ない・・・。まるで時計がとまってしまったかのような空間・・・。見知らぬ島にぽつんとおいておかれたような空虚感と脱力感・・・。することもなく、行くところもなく・・・何をするでもない時間・・・。

 「ここはどこ・・・」「私はだれ・・・」みたいな異様な雰囲気の島・・・。あなたなら・・どうする?

 本屋はない。コンビニもない・・・。喫茶店などあるはずがない・・・。

 仕方がないので・・用意してきたお茶を飲んでおむすびを食べた・・・。

 

 用意してきた缶ビールはとっくに飲んで終わった・・・。

 それでもまだ・・・10時だ・・・。あと・・2時間・・・。仕方がないので・・・三度目の島の散歩に向かった・・・。島自体は大きな島だが・・・多くが山林で・・・その平地部分の集落をゆっくりと歩いて一時間ほど・・。山の中腹にはお寺や神社などもあるが、坂道を上っていく元気はもう無い・・。

 

 待ちわびて・・・待ちわびて・・・ようやく・・12時10分発の高速艇がやってきて乗り込んだ時には・・・思わず・・「助かった・・・」と思った・・・。

 

 家に着くなり・・・着替えもせずに・・・和室にころげこんで寝てしまった・・・。普段には絶対に昼寝なんぞしないのにね・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと会えるといいね。


ころころと 虫が迎える 島の庵

2011年09月05日 | 自然ありのままに

 いやはや・・。台風12号で災害に遭われた方やそのご家族、親類縁者や友人の方々に深くお見舞い申し上げます・・・。

 我が家がなんともないことをいいことに・・・好き勝手なことを申しました・・。 

 さて、今日の朝方は肌寒くて・・・窓を閉めて・・・お布団を頭からかぶって寝ていたが・・・朝の五時半過ぎからは寒くて起きてしまって・・・ぽちの散歩に行った・・・。

 

 台風一過とでも言うのかね・・。すっかりと秋になったなぁと思った・・・。

 で、今日は月曜日と言うことで、けいこばぁは通常の日勤。さっちゃんは・・・九時から歯医者での義歯の補正ののち、デイサービスに行くという。私は・・・さっちゃんをデイサービスの施設まで送り届けてから・・・丸亀に向かい・・さぬき広島に入る・・・。

 

 今回の広島入りは・・・来春の「お大師参り100周年記念法要」の打ち合わせやら、秋の文化祭に展示する展示物の打ち合わせなどなど・・・。それが・・・9月7日なのだが、空いた6日には・・またも・・手島という島のベーハ小屋の細部調査にも行きたいし・・・ということでの強行軍。

 

 母のさっちゃんの・・・歯医者さんでの治療が9時から9時半。それからデイサービスセンターへ行って10時。丸亀には11時について・・。「麺処・綿谷」でのお昼・・・。今日は意外とすいていた・・・。

 

 ま、流れ作業で・・・食べては出て行き・・入っては出ていきするもので回転は速い・・・。入ってから出てくるまでに20分もはかからない・・・。

 

 これが今時の評判らしい・・「肉ぶっかけ冷や」「冷やの牛、入ります・・・」と店員さんが連呼してる・・。それくらい・・・このメニューが評判らしい・・・。これの・・「豚肉ぶっかけ冷や」というのもあるんだけれど、こちらは・・・全く・・・お呼びでない・・・。

 これで・・350円だ。麺は・・1.5玉という大きさ・・。これにご飯物とか天ぷらとかを乗せたら食べきれなくなってしまう・・・。

 

 で、港近くのスーパーで、食材だのビールだのを買って・・・13時半のフェリーで広島に戻った・・・。あとは・・・ぐうたらだ・・。

 

 これは・・フェリーから見た・・・亀山城・・。いわゆる・・・丸亀京極藩の居城・・・。あ、京極初子・・・とか言うたかね・・・。あんまり、大河ドラマは見ないのだけれど・・。いわゆる・・「丸亀城」だ。

 

 全くもって・・・言ったり来たり・・戻ったりの、ここ最近の動きは激しいね。で、しばらく・・、この島にいられたらいいのだけれど、8日の木曜日には、二週間ごとの処方箋をもらいにいかないといけない・・。「プラザキサ」という新薬のため・・・投薬は二週間のみ・・・。これが実に煩わしい・・・。

 

 だから・・・7日の夕方か、8日の朝一番には島を出て・・・病院で処方箋をもらわないといけない・・・。もう、気がついているかもしれないけれど、自分でもスケジュールが管理できないので、私のHPには、病院に行くスケジュールほかが掲載されていて、これを頼りに・・私も動いている。なかなかに・・・自分の予定が頭のなかに入っていないのだ・・・。

 

 そんなんで、今夜は・・自治会長さんと作戦会議・・・。明日の朝一番のフェリーで・・手島に入って、またまた・・・ベーハ小屋の細部調査をするけんね・・。

  

じゃぁ、また、明日、運がよければ会えるといいね。


コスモスを 摘む姉さんの 背に朝日

2011年09月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 台風一過の晴天・・・という訳にはいかなかった。でもまぁ天候も回復したしなぁ・・ということで、デジイチを担いで朝の散歩と、集落内の点検・・みたいなことだった・・。

 

 風で叩き落とされたドングリの実・・・。だが、こういうのも・・我が家の周囲のみ。周囲の樹木の種類が違うものか・・・、それとも我が家の周囲が特に風が強かったのか・・・。と言うても、そんなに風が吹き荒れた訳でもないが・・・。

 

 ご近所のおねえさんも朝の散歩・・。さぬきでは、お嫁さんのことを「ねえはん」とか「ねえさん」とかと呼ぶ・・。親しい人には・・「ねぇさん」とか「ねぇちゃん」とかと呼ぶが、決して身内でも親戚でもない。だが、知らない人に・・「ねえはん・・」とかと声をかけるとしかられるか警察を呼ばれるので要注意。

 

 集落内には12戸の家があるが、三軒目で汗まみれになった・・・。やはり・・台風の後の湿度が残ったまんまのようだ・・・。そこで・・・途中を端折って・・・1時間コースに短縮した。

 

 これは・・先のねえはんちのベーハ小屋。三間(さんげん)四方の大きなもの。今は農機具倉庫になっている・・。これがこの集落内唯一の「乾燥室」だ。数十年前には七軒ほどがこうした小屋を構えていたが、ほとんどが自然崩壊してしまった・・。

 朝の散歩を終えてから・・・弟の「よっくん」ちに行ってみた。台風12号で「乾燥室がめげた・・」というので、それは大変だ・・・とういうことで駆けつけたが・・・。

 

 東面する壁面のトタン板がはがれただけみたい。その隣の建物には「超屋根」という小さな空気抜き用の小屋根がないが、構造から言って「ベーハ小屋」だったもの。こちらは住宅として改造されたが、今は物置状態・・。屋根の状態が二つとも同じでしょ・・。

 

 今、こうした建物を解体し、廃建材を産廃処理すると・・数百万はかかる・・。箱根山や大井川のように「越すに越されぬ・・・」建物になってきた・・。当面は自分でトタン板でも打ち付けて守っていくしかあるまいね・・・。うちのご近所さんみたいに。

 で、お昼は・・、私の顔で、けいこばぁのおごりで、いつもの「うどん亭いわせ」になった。さぬき市長尾東という地区にある。

 

 けいこばぁは・・かけうどん(350円)+おでん(100*3)にビール(500)。私は運転手で・・・「カレーうどん(500円)」。ここは、いつも同じ味で間違いがないので安心。

 

 店内は冷房が効いてはいるのだが、やっぱり湿度が高いのか、カレーがきついのか・・汗まみれになった・・・。参った・参った・・・マイケルジャクソン・・・。

 午後からは・・・NHKの「らじる☆らじる」というネットラジオを聞きながら・・・ベーハ小屋の模型用の寸法取り・・・。方眼紙に・・・二間(にけん)=約4m四方で、高さが二間と四分の一間・・などと、木造建築の寸法で図面を引いて寸法を確認する・・・。

 

 うーむ。今時でもでんでん虫がおるんやね・・。ま、このでんでん虫みたいに歩みののろい作業でありますことよ・・。ま、11月の中旬までにできあがればいいのだけれど。とは言うても、昨年は・・緊急入院で・・・やむなく・・・文化祭には出展できずじまいになったけれど。今年はそういう予定もないしね・・。

 さて、夕方の散歩で見つけたもの・・。これ・・、なんだろ・・。

 

 やけに顔の長い動物だけれど、犬だろうかね。馬がこんなところにいるはずはないし・・。イノシシはこんなに顔が長いかね・・。ま、動物一体分の骨はあったが・・・わからん・・。犬だろうね・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


声もなく 足音もなく 秋の雨

2011年09月03日 | 自然ありのままに

 のんびりとした台風のようで、まだ・・・四国にようやく上陸したところか・・。なにせ・・時速10キロっていうんだから、12時間を過ぎても120キロしか動かないのだから仕方がないね・・。

 

 こういう天気図を見ても昨夜とそんなに違わない。けれど、まぁ、香川の真上を通過していきそうな気配・・。でも、雨は降ってはいるが、豪雨ではない・・。雨はまっすぐに落ちているようで、風はほとんどない・・。

 

 大きな台風が接近中とはいうものの・・・全くもって静寂そのもの。近くを県道が走っているが、車の動きは全くないし・・さすがにセミの声も虫の声も・・・サルの声も聞こえない・・・。嵐の前の静けさか・・・。

 

 県道と我が家の間には二級河川の津田川という川が流れているが、すぐ上流に県営ダムがあるもので、流量はそこで制限されているので、そんなに大きな水量にもなっていない・・。

 

 昨夜には貯水制限を超えたようで緊急放流をしたためか、少しだけ雑草の色の変わっている場所がみえるので、少しばかり流量は減ったみたい・・。

 

 午後というか、夕方になってようやくに・・台風の中心は香川の上空を通過したようだけれど、我が家からは「台風の目」は見えなかった。しかしのかかし、小雨は降り続いているが、風はほとんどない。台風の後ろもおとなしいんやろうかね。吹き返しというものがあるやに聞いていたのだけれど・・。

 

 庭先とかには落ち葉とか細い枝が折れて散乱はしているが、このあたりの稲が倒れたりはしていない・・。ま、早くに刈り取った稲と、あとから植えた稲との中間の台風であったかもしれないけれど。

 

 ま、大型だ強い台風だと言われていたが・・・すっかりと肩すかし・・。ま、何事もないのが嬉しいのだけれど・・・。

 

 我が家近くの沈下橋は水没している・・。それだし、昨夜には茶色い水が流れていたが、それも白くなってきたように見える・・。

 

 ま、雨の日には雨の日の楽しみでも・・ということで、島の秋の文化祭用に、夏休みの工作の続編ということで、例の「ベーハ小屋」を制作する準備を始めた。鉄道模型なんかを作っている会社の建物をモデルにして・・やや大きめのベーハ小屋の模型にしようかなと設計図を引いたところ。

 

 台風も一段落かなぁということで、避難準備をしていた集会場を閉じるために出かけたが、そのついでに県営ダムをのぞいてきた。あ、これが・・緊急放流なんか・・・。ま、雨は確かに降ったのだけれど、そんなに豪雨という訳でもなかったので、こんなものか・・。

 そんなんで・・今のところは・・全くの変化がないので、お知らせまで・・・。

 

 

じゃぁ、また、明日、きっと会えるといいね・・・。


合わす手に 虫の声なく 夫婦墓

2011年09月02日 | 自然ありのままに

 朝から・・雨モードになった。いよいよ・・台風12号(1112:タラス)が四国に向かって自転車並みでやって来るらしい・・・。

 

 先日の情報だと、11号は中国の方向に・・・、12号は関東方面を突き進んで日本海に抜けていくものだと思い込んで、さぬき市に戻ってきたのに、「あれれ・・」と思ううちに・・・室戸岬沖に向かっているではないか・・・。なんじゃ、これは・・・。

 ま、朝の内は・・・小雨が降ったりやんだり・・。木の枝が折れて飛んできたりはするが、台風らしい風でもなかったのだけれど・・。

 

 やがてには空が暗くなり・・・雨も風もひどくなってきた・・・。そんな中・・・けいこばぁは・・介護施設のレポート作成のために写真撮影に出かけて行って、このような写真をとってきた。それを使って、認知症の方用の案内に関するレポートを作るのだが、担当者が休んでいるので・・ということで、私に「丸投げ」して出かけていった・・・。

 

 こういう写真を適当に配置して、レポートを作れ・・・というわけだ。ま、A4二枚だからすぐにはできたけれど、言葉とか、専門用語とかがちんぷんかんぷん・・。ま、できるにはできたのだけれど・・。なんでもかんでも引き受けて来られてもね。

 

 でも・・・、なかなかに・・雨を愛すところまではいかない・・。愛犬ポチは雨が嫌いだから・・・おうちに入れて欲しいと懇願するが、それはできない。メダカは水槽からあふれて流れそうだけれど、今はメダカどころではない・・。自分たちでなんとか支えておいておくれ。私は・・・川の中に置いた水中ポンプを引き上げたり、草刈り機や長靴を片付けたりと忙しい・・・。

 それだし・・自主避難用に・・地区の集会場の鍵を開けて置いた。ま、避難する人がいるのかいないのかは分からないが、その準備だけでもしておかねば・・。

 

 風に乗って・・・クリのイガも飛んでは来るが、まだまだ小さいのでうれしくはない・・・。それだし、こんなものが飛んできたら手裏剣みたいで危ないじゃないか・・・。

 

 そういう天候だから・・・町内のうどん屋でのお昼になった・・。こういう場合には我が家で焼きそばでも食べればいいものだけれど、それでは何か落ち着かない・・・。そういうことで、さぬき市田面の「セルフうどん・まなぶ家」になった・・。

 

 で、お客さんが並んでいたもので、簡単なメニューに切り替えて、「かけうどん小(180円)」にちくわの磯辺揚げ(100円)で、280円。本当は・・カレーうどんか肉うどんが食べたかったのだけれど・・。

 

 午後からはいよいよ・・風雨が激しくなってきて・・・。

 あれ・・、またも県営ダムから警戒放水警報が鳴らされている・・・。16時半に続いて17時の二度目のサイレンだ・・・。大丈夫かな。

 

 夕方からは・・・パソコン+TV・・とか、PC+ラジオ・・・という、新しいメディアを抱えての・・情報収集・・。明日も一日中・・雨模様みたい・・・。台風のピークは明朝だろうかね・・・。

 

 18時を過ぎると、まわりはすっかりと暗くなってしまい・・、すぐ横を流れる津田川には茶色い泥水がごうごうと流れるようになってきた・・・。

 ま、子供のころの台風とは違って・・停電にならないのがうれしい・・。真っ暗になった部屋の中で、ろうそくの明かりを頼りに食事をすませて、肩を寄せ合って朝が来るのを待った恐怖心は今も忘れない・・・。

 今は・・・こうこうとあかりがついているし、テレビもラジオもPCも携帯電話も使えるのが何よりも心強い・・・。

  

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


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