まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

しくじりも光の中の花桔梗

2021年10月03日 | 時には日々是日

 3日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は17.2度から28.1度、湿度は94%から56%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の4日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 112/61/78 36.2c-98%-64.2Kg 22.7c-64%-1024hPa 数字的に問題はないが、体調的には絶不調。昨夜は弟と16時過ぎから飲み始め、終わったのが21時だからずいぶんと飲んでずいぶんと食べたものだった。おかげでおなかは張るし、足は痛むし、腕は筋肉痛で動かすのが辛い。

 

 昨日もお話した通り、午前中は我が家の西側の水路(みろく奥池に通水するための水路)沿いの草刈りをやったのだし、午後からは弟がやってきて、我が家の東側の旧道部分の草刈りをやってくれたのである。

 

 この赤いラインが昔の「村道」だったものを、我が家に払い下げられたものだという。別に我が家が草刈りをする必要はないのだが、他人様からみれば「ぞろげな=だらしない」し、「ふが悪い=体裁が悪い」のである。上図の緑のラインが、昨日・一昨日に草刈りをした水路部分である。ちなみに、紫のラインは、今、工事中の県道工事である。落石防止用の擁壁とかネットを張る工事らしい。

 

 これが、その工事中の部分で、木の板は、防音と事故防止用の柵である。

 

 こういうのが来年三月末日まで続くらしい。おなかごなしに歩いて見に来たが、それだけで足が痛くなって引き返してきた。全く、だらしなくなってしまったものだ。

 

 こういう具合に、弟が草刈りをしてくれた。で、一週間後くらいに、この草を集めて処分するのだという。こういう道を、小学生の頃には歩いて通学したらしいが、その記憶はほとんどない。もっとも、当時は、こんな立派なブロック護岸があった訳ではないし、もっと、木や竹が生い茂っていたのだと思う。

 

 その後はおとなしくデスクワークで体調を整えることにした。利尿薬の頓服というものを飲んで排水処理をやると、20分おきごとにトイレに行くようになると、少し、おなかが楽になってきた。

 

 「あなたの知らない大窪寺ガイドブック」と「同追加版」を一冊にする必要があるのかどうかを相談したらば、「有料でもいいから作って欲しい」という意見が出て、しぶしぶやっているという訳だ。「大窪寺編」と「遍路道編」の二冊を見ればいいのに、なんで一冊にまとめる必要があるのかなぁと、私は思うのだけれど・・・。

 

 ま、会員さんが、そうして欲しいというのならば仕方がないので、少しずつだが纏め始めているというわけだ。

 

 ふと、見れば、こんなにも庭木が大きくなって、我が家がほとんど見えなくなっている。ま、最初は目隠しの意味で植えてもらったのだから、その役目は果たしてくれているので文句を言う筋合いではないが、整形ができないから、これまた、「ぞろげ」で「ふが悪い」姿にはなってきていると思う。奥方は「緑が豊かでいいじゃないの」と、のほほんとしている。

 

 今日のお昼は軽くおにぎりと味噌汁にした。あとは卵焼きとナスの辛子漬けである。

 

 これも露草の一種なんだろうか。山で育った男の子にしては、野山の草花にはめっぽう弱い。

 

 今日の掲示板はこれ。「私はしばしば仏を忘れるが 仏は私を忘れない」というもの。いつもの町内にある善楽寺さんの掲示板にあったもの。2005年(平成17年)の真宗教団連合のカレンダー5月分の言葉で、金井隆久さんの作になるものらしい。佛教の根本姿勢は物事をありのままに見るところにあると言えるだろう。それは必ずしも、私たちの願いにかなうことではない。誕生があれば、生老病があること、安心があると、次の不安が生じるのである。私たちはしばしば佛のことを忘れて、自分の幸福ばかりを追いかけている。そうであるからこそ、阿弥陀如来は、こちらから助けを求めて行った先に待っていてくれるのではなく、既に今、私の後ろから、足下から、照らし支えていてくれるのであるのだと、教えてくれている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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