まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

蝉ひとつ ベランダで鳴く 空の蒼

2017年08月04日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は27.3度から33.6度、湿度は86%から75%、風は2mから4mの東の風が心地よかった。明日の5日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、湿った空気の影響で雨の降る所がある見込みらしい。

 

 暑いからと、エアコンの効いたお部屋で昼寝をしているばかりではおばかさんになってしまいそう。少しはお勉強でもしましょうと、瀬戸内海歴史民俗資料館にやってきた。

 

 夏休みだから、家族連れでお勉強にきている人もいるが、そんなに多くが来ている訳でもない。ここには古いものは置いてあるが、見ていて楽しいものではない。

 

 今回のお勉強はこちら。俵札の中にあった、由加山の「由加大権現」のお札である。ただ、残念なのは、お隣が「金刀比羅宮」の木札になっていること。これが、「金比羅大権現」だと、「両まいり」ということになったのだけれど。

 

 時代が明治なのが惜しい。江戸時代のものならば参考になったのだけれど。

 

 八幡宮に「牛王」も珍しいお札だ。

 

 これもついでに鑑賞しておく。以前に「お葬式」の展示をやっていた展示室。地震や津波、高潮災害などが発生した場合に、大切な文化産を救出する「文化財レスキュー」ために、どこに、どのような資料が保管されているかの調査をやっているらしい。

 

 これは、私たちのさぬき市教育委員会が保存している「貝ボタン」の材料とか、その製品など。私が保育園から中学校くらいまでは、町内のあちらこちらの工場で貝ボタンが作られていた。

 

 これが、貝から円形に削り出すボール盤。右の段々部にベルトが掛けられていて、速度を変えていた。本物の貝からプラスチック板に変わって・・・いつしかみんなやまってしまった。

 

 その頃の農家の内職がこれだった。私らは「こわ組み」と呼んでいたが、正式には「バッカンサナダ」と言うそうだった。これで麦わら帽子などになったらしい。

 

 丸亀市沖にある「しわく広島」からは、「石の島」の歴史を物語る石工の道具が出展されていた。真ん中上部にあるものは、広島で行われたトライアスロン大会の参加賞。これも島の石、「青木石」から作られている。

 

 今日も暑いからと、スイカを買って帰って、さぁ、食べようとしたらば・・・。

 

 私の帰りを待っていたように郵便屋さんが「チルド便です」とお中元の配達。今度こそ・・・とスイカに手を伸ばしたら・・・

 

 「佐川急便でぇぇす・・」と、カラオケの追加曲のカートリッジが届いた・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「夏たけて 掘の蓮(はちす)の花見つつ 仏のおしえ 思う朝かな」という昭和天皇の御製のお歌である。夏の訪れと共に、毎年思い出して胸を詰まらせる、昭和天皇の辞世のお歌として知られている。不治の病に苦しまれた晩年のある日、静かに詠まれたこの一首が 最後の辞世の歌となった。皇室の宗教は「神道」であるが、仏教にも深い関心を寄せておられたことがうかがえていたましい。ご存じの通り、天皇家は皇宮神道の宗家本元。その家元さんが蓮の花を愛でて、お釈迦様の教えを改めて知った・・・というお歌を詠まれている。キリストさんがお釈迦さんの説法に感激した・・・みたいなことだ。実に謙虚で誠実な人柄が偲ばれるではないか・・・。私たちにもそんな謙虚さや誠実さがあるだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。



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