まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

特別付録>突然の停電・・・。

2011年03月23日 | 歴史

 私が毎日お邪魔している「ポテトさん」の「ポテトのポテト日記」が印象にのこりました。

 それを・・・私風に書いてみようと思ったものです。

 私が子どもだった頃 よく停電になった。香川県の山の中の一軒家だったから、大雨や台風の日には、いきなり停電になった。当時は・・風で電線が樹木や竹に当たると、それだけでショートして停電になったし、大雨が降ると・・それだけでショートして電気が止まった。台風とか雷が鳴って、トランスという変圧器に落雷して、ヒューズが切れて電気が止まった・・・。

 

 停電になると、めいめいが仏壇からろうそくを取り出して、マッチで火を付けた。父母の頃にはランプを使っていたらしいが、ランプは廊下の片隅でほこりをかぶっていた。私がものごころついた頃から・・・各部屋には裸電球がぶら下がっていた。

 

 ストーブというものはなく、火鉢が熱源になった。炭に火をつけて、それで手を暖めた。そうそう・・小学校にはダルマストーブがあって、石炭当番というものが決められて倉庫から石炭を運んでいた。

 

 火鉢の炭の炎も灯りにはなったが、本を読むほどではなかった・・・。その炭を土を焼いた「番屋こたつ」というこたつに入れて、ふとんをかけて足を入れて暖をとった。お湯を入れたゆたんぽも愛用した。

 

 

 停電になると、そのろうそくのあかりの中で、兄弟三人が・・・息をひそめて嵐の過ぎ去るのを待った。なにか・・・いつもと違う恐怖感で過ごした記憶がある・・・。

 ろうそくの炎が揺れると・・・天井や壁に映っているこどもたちの影もゆらゆらと揺れて‥‥。それが余計にこどもたちの恐怖心をかき立てた・・・。家の裏側には深い竹藪があって、それが大風で波のように大騒ぎしてごうごうという音を立てて大騒ぎしたし、それらが巻き起こす風が障子の隙間から吹き込んできて、さらにろうそくの炎を揺らした・・・。

 停電の夕食には母の作ってくれたおにぎりを食べている・・・ぼうず頭の自分の姿が浮かんで来る。釜屋(かまや)という台所には「おくどさん」というかまどがあって、マキを燃やして煮炊きができた。かまどから漏れてくる炎のあかりで、煮炊きすることができた。プロパンガスが入ってきたのは遅かった。

 

 昭和30年代・・・都会では電化生活が進んでいたのだろうが、私のように 田舎で育ったものにとってはミキサーだの掃除機だのというものは耳にすることもなかった・・・。電気を使うものと言えば・・・ラジオかアイロンくらいなものだった・・・。

 

 停電になると・・・別棟にあった風呂場や便所に行くにも・・・ろうそくを持って行った。風呂場の高い場所にろうそくを横にしてろうをタラして、その垂れたろうの上にろうそくを立てた。だから、風呂場や便所には・・・垂らしたろうのあとがいくつもあった。

 

 風呂は五右衛門風呂で、すぐ横を流れている川の水をバケツで運んで注水して、まきを燃やしてお風呂をわかした。風呂も便所も・・・電気も水道もなかったから・・・停電になっても使うことは使えた。

 ところが・・・台風や大雨の日には・・そのろうそくが風で消えてしまう・・・。嵐の中で・・・泣きそうになりながら・・・はだかで服をかかえたままで母屋に駆け込んだりもした・・・。

 

 計画停電が行われて、不自由な時間を過ごしておられる方は、慣れない暗がりでや忘れていた段差で 転んだりしないよう‥‥ ろうそくの火でヤケドしたりしないよう‥‥注意すること・・・。

 今も田舎では一歩、家から出たら真っ暗・・・。手探りで歩かなければならないから、暗さや不便さは慣れっこだけれど・・。

 電話も携帯もあるけれど、電話をする相手もいないし、かかってくる人もいないから、ないに等しい・・。テレビもあるけれど・・・あまり・・テレビを見る習慣もないから、なかっても困らない・・・。

 

 でも・・唯一・・・このパソコンがないと不自由かなぁとは思う・・。なければないで生活はできるのだろうけれど・・・・。このあたりでは・・・パソコンなしで生きている人たちが大勢なんだけれど・・・・。

 

じゃぁ、また、夕方に・・・。



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4 コメント

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まほろばさま、おはようございます (ポテト)
2011-03-23 10:51:16
まほろばさま、
懐かしい写真でございます。
タイムスリップのひとときをありがとうございます。

懐かしいといっても
四国と北海道のちがいをかんじます。
あたりまえですね。気候が違いますし‥‥年代も‥‥???

夫の先祖をたどっていきますと
香川県に行き着きます。
いまでも 同じ苗字のうどん屋さんがあります。
5代くらいさかのぼると‥‥ですが‥‥

あんがい まほろばさまのご先祖様と
どこかで繋がっているのかもしれませんね。 
ありがとうございました (旅と着物と本と)
2011-03-23 18:30:59
きょう御著書届きました。ありがとうございました。
大変な労作、ご苦労に頭が下がります。先ほどメールいたしましたが、こちらでもお礼申し上げます。

昭和の風景と思い出、懐かしく拝見しました。
ポテトさん、ありがとう。 (まほろば自然博物館)
2011-03-23 19:01:15
 おせわさまです。ポテトさんのおかげで・・・デンキのない暮らしを久々に思い出しました。

 明治になって、ロシアとのいくさがあって、全国から「北の守り」ということで、農家の次男や三男達が北海道に向かったものです。「屯田兵」みたいなもので、自分たちが開墾した者が自分のものになるとかで。農地の少ないさぬきの若者は勇んで北海道に向かったそうです。我が家のおじいさんも夕張郡に出かけました。

 ま、話せば長くなりますが・・・ロシアから日本を守る防衛隊みたいなものだったようです・・。

じゃぁ、また。
おせわさまです・・。 (まほろば自然博物館)
2011-03-23 19:30:13
 いつもここをご覧頂いてありがとうございます。

 ご本が好きなようなので、私の自信作の本を送らせてもらったですが、週刊誌で見た住所に送ったら・・・本当に着いたようでびっくりしています。
 今後ともよろしくお願いいたしますね。

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