まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

欲しい雨 いらぬ雨あり 梅雨さなか

2015年07月04日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雨が降っていた。気温は21度から23度、湿度は89%から96%、降水量は1mm/hから2mm/hとごく少量。風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の5日は、梅雨前線の影響で雲が広がり、明け方まで雨が降る見込みらしい。

 

 朝方は曇っていて、ときおりぽつりぽつりと雨が落ちる程度だった。今日は、とあるご縁で高松市御厩町にあるお寺さんの法筵にお呼ばれした。仏教婦人会の月例会があるということだった。

 

 私のホームページもマンネリと新しい企画もなくなって、惰性で運用しているに過ぎず、OCNというプロバイダーのサービス停止に伴って、さぬき市が団体加入している「pikara」という電力系プロバイダーに移転したが、容量が20Mバイトと小さくてスタイルの見直しを迫られている。

 

 で、どこかの無料で容量の大きいホームページサービスがないかと探しているが、帯に短しタスキに長し・・・という状況。そこで、休息を兼ねてリフレッシュ。法話会をお聴聞しに出かけたという訳。

 

 仏教婦人会の例会だということらしく、パッチワーク作品だの手芸作品なんぞも展示販売されていた。奥方のけいこばぁが見れば喜びそうなバッグなんぞもあったが、これらにはお値段がない。参考出品なんだろうか。

 

 こういう小物類には100円コーナーとか200円コーナーとかとお値段がついていた。

 

 所属寺院でのご法話はお聴聞する機会は多いが、あまり、よそさまのお寺でのお聴聞という機会はない。ふむふむ、なるほど・・と、納得したり、お勉強になったりと・・・。

 

 お寺さんでのお食事を「おとき「お斎」と言う。仏教用語らしい。いわば業界用語か専門用語に当たるのかも知れない。仏事の際に或いは仏事の後に「お斎」と呼んで食事するもの。仏教発祥地の古代インドにおいて、釈尊がご健在の頃、仏教を学んだり修行を行う出家者は午後からの食事は摂らなかった。食事をするのは朝(お粥)と昼の二回だけで、朝の食事を「お斎=おとき」と言い、昼の食事を「斎=さい(音読みにしただけ)」と言って分けていたらしいが、今では、朝でも昼でも夜でも「おとき」と云うらしい。

 

 お昼休みには、大正琴のグループによる演奏会兼うたごえ会が行われて、大正琴の演奏で、昔なつかしい歌謡曲などを歌って楽しんだ。

 

 さて、私のHP(ホームページ)だが、今のプロバイダー(20Mb)を整理して使うべきか、新しい無料のサービスを使うかを考えていた。どちらにしても、必要なものではない。今は、このブログの更新だけでも精一杯だし、とりたてて、ホームページで情報発信すべき情報も無い。今月いっぱいをかけて、HPの必要性を再検討してみようか。

 

 先月から、思いがけなく、「おへんろつかさの会」のホームページを担当するようになったこともあって、あれもこれもと手を広げるのも無謀だし・・・。それに、WordPressだのメーリング・リストの構想も出てきていたし・・・。

 

 夏休みから年末にかけては講演会や法話会のスケジュールも入ってきているし・・・、HP増設計画はやはり無謀かも・・・。ここが思案のしどころだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きている間は全て自分の時間 使い方によって人生は長くも短くもなる」というもの。セネカという人のいわく、「人生そのものが短いと考えるのは間違っている。なぜなら人生は、私たちの使い方次第で、短くなったり長くなったりするからだ」と。無駄に使わず、有効に使うことが大事だ。そうセネカは言う。

 

 しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなるとか、どんな良いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。