まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

春の雨 句碑を濡らして 山頭火

2015年04月01日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は14度から19度、湿度は92%から77%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の2日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 世の中は第一四半期が終わって新会計年度が始まる四月。学校も会社もお役所もカレンダーが変わる時。わが家も気分一新したいものだと、掃除をして片付けに入ったのだが、2時間も大掃除をした割りに、ゴミ箱が半分ほど埋まっただけ。掃除とは「物の移動だ」と誰かが言ったが、その通りだと思った。単に、置き場所が変わっただけだった。

 

 で、余分に作った、「山頭火句碑巡り集」や「四国遍路の影と闇」を、お世話になった先生に届けに行ってきた。

 

 三日連続で、亀鶴(きかく)公園に寄ってみた。一気に桜が開花して満開状況。なのに、小雨が降っているからだあれもいない・・・。実にもったいないばかりである。気温は日一日と上がり、陽光も明るさと強さを増してくる。今年の桜前線は早い。一気に東日本目指して駆け上がって行くようだ。

 

 たい焼き屋さんが所在なさそうに店番をしているばかり。お客が来ないのでは張り合いがないというもの。明日は晴れ間が出そうだから、明日は人出が多くなるのかも。

 

 さすがに雨では、デイ・サービスのお年寄りたちもやってこない。

 

 家の近くの「県営大川ダム」にも寄ってきたが、一気に満開状態。しかしのかかし、ここにも猫の子一匹、犬の子一匹もいない・・・。

 

 山の旧宅にも足を伸ばしてみたが、相変わらず、タケノコはイノシシが掘って食べた跡ばかり・・・。20年前には、生えて生えて困るから、「ご自由にお持ち帰りください」と書いて、道ばたに積み上げていたのが、まるで夢のような光景。しかしのかかし、タケノコを買ってまでは食べたいとも思わない。

 

 今年の花壇のチューリップは、スイトピーに栄養を吸い取られたものか、花が小さい。

 

 近くの県道の防災工事も一段落したみたい。工期は3月末日だったが、まだ、なにやらやっている。でも、うっすらと緑が萌えだしてきている。五月になると、ここが一面、緑色に塗り替えられることだろう。

 

 今日、四月一日は親鸞聖人の誕生日。聖人は承安3年4月1日生まれであるという。本願寺さんは5月の21日に「親鸞聖人降誕会」を行うらしい。聖人の命日には各地で報恩講などで盛大な法要が行われるが、お誕生日はそんなにも話題にはのぼらない。

 

 古くから、旧暦4月を卯月(うづき)と呼んでいたが、現在では新暦4月の別名としても使っている。卯月の由来は、卯の花が咲く月「卯の花月(うのはなづき)」を略したものというのが定説となっている。しかし、卯月の由来は別にあって、卯月に咲く花だから卯の花と呼ぶのだとする説もある。「卯の花月」以外の説には、十二支の4番目が卯であることから「卯月」とする説や、稲の苗を植える月であるから「種月(うづき)」「植月(うゑつき)」「田植苗月(たうなへづき)」「苗植月(なへうゑづき)」であるとする説などがあった。

 

 午後からは、「晴耕雨読」ということで、法然上人のお勉強を少しばかりやっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生における幸せは 成功ではなく成長にある」というもの。サッカー、中澤佑ニ氏の心に響く言葉より…。「人生において『成功』は約束されていない。しかし人生において『成長』は約束されている」と言う言葉が元になっているらしい。チャールズ・ダーウィンの言葉のように、『最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるでもない。 唯一生き残る のは、変化できる者である』 の言葉を思い出した。たとえどんな小さな努力であろうと、それを日々継続し、変化し続けることができるかどうか。人生の本質的なゴールは「成功」ではなく、自己の魂の「成長」である。成功ではなく、成長を目指して生きて行きたい。

 

じゃあ、また、明日、会えるといいね。

 



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