まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

居ながらに雨の青葉を独り占め

2022年07月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 4日は、湿った空気の影響で断続的に雨や雷雨となっている。明日の5日は、台風や湿った空気の影響で断続的に雨や雷雨となる見込み。

 

 体調に変化はない。朝から台風の影響で雨が降っているばかり。奥方は野菜に水やりをしなくて楽だわ・・・と、喜んでいる。

 

 それはそうと、このブログを無料化してもらったのはいいが、新しい画像を張り付けられないので、過去の画像を選んで張っているが、これも面倒でつまらない。新しい、「まほろば自然博物館新館」を作ろうとしたが、同じIDだと、こちらに戻ってしまう。別なプロバイダーで作るのも面倒だし。

 

 今日は県立病院でのドクター診察日。午前11時半の予約であったので10時半に我が家を出て、車いすに酸素ボンベ装着してものものしく出かけたものである。まさに瀕死の重病人という姿である。それにマスク姿である。

 

 で、ドクターの外来診察が終わるのを待っていた。雨の日の月曜日は特に外来が多くなる。

 

 ドクターの休憩時間に、私の腹水を抜く作業を挟んでくれたのである。で、臨時に、この採血場の奥手に点滴室がある。そこで応急的に腹水を抜いてくれた。ちょうど12時に抜水を開始し、約1時間半で、3.7リットルの腹水を抜いた。

 

 家に戻ると、訪問看護師の金井さんと娘が待っていて、家のベッドまで運んでくれた。家に戻ると、尿管バルーンからの排水が850ccあって、4.25リットルの体液を抜いたことになる。次は来週の火曜日に予定されている。

 

 しかしのかかし、こういう暮らしをいつまで続けるのだろうか。死の宣告から約20日が過ぎた。しかしの和菓子で死のお迎えは来る気配がない。かと言って治る見込みは全くない。死刑執行を待つ死刑囚のよう。私はどのような余生を生きていけばいいのだろうか。それに、このブログをどうすればいいのか。

 

 今日の掲示板はこれ。「健康と長生きだけが幸せならば、最後は死の不幸で閉じねばならない」というもの。どこのどなたのものかはわからない。

 「空過」もし健康と長生きだけが幸せだとするならば
     最後は死という不幸で終わっていく
     そこに本当の幸せがあるだろうか

 私達が日頃から大切にしているものの一つに「健康」がある。しかしこれも度を過ぎると「健康のためなら、死んでもいい」となるのだそうな。冗談のようだが、健康を獲得し維持する為に死にものぐるいで様々な健康法を試し、健康食品を買いあさっていく。よくよく考えると、健康が崩れ去る恐怖に怯えながら生きなければならない、そのような姿は傍から見ると「不健康」なのかもしれない。しかしのかかし、思い通りにはならなくても、どのような苦難の人生でも、我が身を救わんとする本願のはたらきに頭が下がることがあれば、老・病・死するわがいのちを不幸と決めつけずに、生き抜いて行けるのだと思うのである。それこそが人生における幸せであり、空しく過ぎない生き方ではないだろうか。とは言うものの一日が永くてさみしいばかりだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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