まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

降り積もる落ち葉そのままありのまま

2022年05月12日 | 時には日々是日

 12日のさぬき市地方は、低気圧や前線の影響で雨となり、昼過ぎから夜遅くにかけて雷を伴う所がある見込み。気温は18.5度から19.3度、湿度は86%から98%、風は5mから1mの東北東の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市は、低気圧や前線の影響で概ね雨となり、夕方からは雷を伴う所があるらしい。

 

 収縮期110mmhg、拡張期66mmhg、脈拍79bpm、体温36.5c/酸素濃度97%/体重62.3Kg 室内気温19.0c/室内湿度61.3%/気圧1017hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:04分、日の入りは18:57分 月齢は11.3の若潮。

 

 先週には65Kgから66Kgほどもあった体重が、今日には62.3Kgまでに落ちてきた。一週間で5Kgも4kgも落ちたわけだ。特にダイエットをしたとか、運動をしたとか薬を飲んだとかということもない。単に尿が出るか出ないか・・・ということだけである。すると、今晩のお風呂上がりには、61Kg台の可能性もある訳だ。不思議やなぁ・・。

 

 今日も終日雨らしい。明日も雨らしい。そろそろと梅雨なのかしらんと思っていたが、来週はそうでもない天気になるらしく「迎え梅雨」にもならないらしい。ま、梅雨に入ろうが入るまいが、山の仙人みたいな暮らしだから関係はないのだけれど。

 

 今日、5月12日は、ナイチンゲールの誕生日で「ナイチンゲール・デー」だし、「看護婦」から「看護師」に変更された「国際看護の日」だという。また、「民児童委員の日」でもあるらしい。昨日の会議では、そんな話は少しも出なかったけれど。ということで、今日は、今まで調べてまとめた「遍路墓学」を印刷し、製本してみることにした。「試作版」という訳である。

 

 ところが、先日のメイン・PCのリカバー処理をしたらば、「パブリッシャー」というアプリが消えてしまった。それをインストールしようとすると有料だという。最初はインストールされていて、ワードやエクセルやパワーポイントは動くのに。なんたるこっちゃ、サンタルチ~ア。で、メインの左マシンで印刷できた。

 

 内容は、こういう感じにできあがった。それらしくなったではないか。

 

 論文集も、それらしくなったので上出来である。ま、最終校正はこれからだけれど。まずは全体のバランスとかできばえの確認をしたまで。右ページはいいのだけれど左ページが真っ白け・・・というのはだらしく見える。全体のバランスも大切になる。

 

 で、今日のお昼は、「野菜ミックスラーメン」になった。今日は玉子かけにはしなかった。

 

 久しぶりのラーメンのような気がする。左のコップは漢方薬の煎じ薬である。

 

 で、お昼からは市内にある「市民病院」へ行ってきた。いつもの県立病院には「耳鼻科」がないので、この病院を選んだわけである。最近は右耳がほとんど聞こえないように思えるのだ。昨日の会議でも、ほとんど会議の声が聞こえなかったせいもあるし、ラジオも聞こえないし、テレビの音も聞こえない。奥方の声も聞こえない。

 

 ま、お仕事をしている訳ではないので、聞こえなくても支障はない。それだし、左耳からはしっかりと聞こえているから、全く、聞こえない訳ではないので問題はない。でもなぁ・・と、耳鼻科に行ってみた訳だ。

 

 で、こういう機械で、音が聞こえたらボタンを押す検査を受けた。右から左からと随時に音が聞こえてきて、聞こえたらボタンを押せばいいだけのこと。

 

 ドクターの診察では、なんら、問題はないという。やや、右耳の低音が弱いらしいが、生活上に支障はないという。「補聴器が欲しくなったら、また来てください」ということでおしまい。うーむ。右耳には栓をしたような感じで「耳が詰まる」ような感覚があるのだが、そんなものは感覚だから他人さんにはわからんのかもしれない。ま、ドクターに異常はないと言われたら、それはそれで仕方がないというもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日履いても落ち葉が溜まる。これが取りも直さず人生である」という小説家・田山花袋(たやま・かたい)の言葉からである。この時期、庭にはいろいろな樹木や草花が元気よく成長している。庭には常緑樹もあり、一年中、緑の葉を楽しませてくれている。一年中、青々としているといっても永久に葉が散らないということではない。季節により多かれ少なかれ葉は落ちる。庭の掃除だって休むわけにはいかない。昔は「どこまで続く ぬかるみぞ」という歌謡曲もあったが、何事についても終わりが知れないというものは辛いものがある。鬱に陥った方の無間地獄のような苦しみは想像するに余りあるものだろう。田山さんの言葉のように「取りも直さずこれが人生である」と悟れれば良いのだけれど。ただただ、その日一日を耐えるだけの日々。一緒に枯葉を掃いてあげよう、という無条件のやさしさが必要なのかも。時間はかかるけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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