まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

藪陰に椿居座る昼下がり

2021年02月19日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は寒気や湿った空気の影響で概ね曇っていたが、午後からは高気圧に覆われてくるため晴れてきた。気温は2.5度から9.7度、湿度は76%から62%、風は5mから2mの西の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 111/68/80 36.5c-98% 62.4Kg 19.0c-38%-1020hPa 体調に変わりはない。肩こりも気にするほどでもなくなった。

  

 で、今日も観光ガイドブックの印刷製本をやっていた。でもやはり、黒や白の筋が入ったり、紙詰まりがあったりと簡単にすんなりとはいかないが、仲間内の部内資料だからと許してもらうことにする。有料で販売するならだめだけど、手持ち資料というか観光ガイドの部内資料だからということにして。

 

 で、なんだかんだで11部のマニュアル本ができあがった。これはこれで「ミッションクリア」とする。

 

 お次に来月2日の勉強会の資料作り。今年はどんな一年になるのだろうか。

 

 昨年の振り返りと今年の活動予定だが、今年も公なイベントは無理だろうか。

 

 その勉強会の資料もメンバー全員用に印刷しておく。お遍路さんが讃岐に砂糖を伝えたという話がもう一つ発見されたことやら、大窪寺の遍路道が国の史跡に追加されたことやらと中身はたくさん。

 

 そうそう、昨日も触れたけれど、今日が私の母(さっちゃん)のお葬式の日。母の遺言で、「自宅から送りだして欲しい」ということで、狭いながらも我が家でのお通夜、お葬式になった。お寺さんは私の師匠の明海さんと私の二人だけ。

 

 本当に身内だけのお葬式になった。私が喪主で坊さんだからということで、当日の写真はほとんどない。喪主をやりぃの、坊さんもやりぃの、また喪主にもどっての挨拶やらなんやらとバタバタとするばかり。

 

 お見送りは雪だるまだった。斎場から戻るとお仏壇周りの片付けやら何やらと目まぐるしい一日だった。あれから9年か・・・。

 

 これは玄関に植えてある「ジャスミンの木」である。これが先日の強風と雪の重みで内側に倒れてきて通路を塞いでしまっていた。私が邪魔だから切り払ってしまうというと、奥方が烈火のごとく怒り出してしまった。そこで、これを元通りに起こそうとすると意外に重くて心臓がキリキリと痛み出してしまった。どうにか奥方に手伝ってもらって元に戻したが、いまでも心臓がキリキリと痛む。

 

 それが終わった所へ、さぬき市の広報袋がやってきた。間に合ってセーフだった。それにしても、元気なようでも心臓は日増しに悪くなっていくようだ。

 

 今月号の広報誌である。これを集落内各戸に分配して、明日の朝に郵便受けに配達する。

 

 集落内たって、我が家を入れて9戸だから配達するのは8軒である。たいしたお仕事ではない。

 

 今日の掲示板はこれ。「歩き続けていれば、思いもよらぬときに蹴つまずくものだ。歩かずにじっと座ったままで蹴つまずいた人を、見たことがない。」というチャールズ・ケタリング(発明家)の言葉から。障害が訪れることは前進している証だと前向きにとらえよう。たとえそこで失敗したとしても、また起き上がり、同じ失敗をしないようにすれば更に前進していくことはできる。歩くことを止めなければ、必ず前進していける。じっとしていて化石になるより、泥だらけの人間になれ。チャールズ・ケタリングは目が悪かったが、オハイオ州立大学で電気工学を専攻。1904年に卒業し、新しいアイデアというものはチームであればこそ進化させることができるとの考えを持ち、興味関心事にこれを広く適用した。 20世紀初頭、オハイオ州西部の都市デイトンは米国の工業都市のなかでもリーダーとなっていた。自動車関連の研究のため、エドワード・A・ディーズとともに、1909年、デイトン・エンジニアリング・ラボラトリーズ・カンパ ニー(デルコ)を創設している。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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