まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

堂々と カメラ構える 梅日和

2010年03月17日 | 自然
 今日は昨日と一転して、穏やかで風もなく、暖かい晴れた日になった。

 ポチの散歩にウインドブレーカーも帽子もいらないし、手袋もいらなかった。ずいぶんと暖かい朝だった。そういうせいでもないのだろうが、散歩道にも下草が萌え出ていて、きれいな野草が花を開かせるようになった。雑木林の若い木の枝からも黄緑色の新芽が萌え出していて、しだいに春らしくなってきた昨今である。

 

 で、あまりにもいい天気になったもので、お布団を干したり、おこたを片付けたりして、二階部分に掃除機をかけておいた。これじゃ、全く私が「主婦」ならぬ「主夫」だわね。

 

  そうそう・・、昨日の新聞記事にもあったのだけれど、丸亀港とさぬき広島や手島・小手島(おてしま)を結ぶフェリーボートが新しく作られることになった。これは早くから話題になっていたのだけれど、私が話題にしそこねてしまっていた・・。

 フェリーボートの一階部分には車両が載せられるんだけれど、お年寄りたちはそこには居られない。でも、階段を昇って客室にも上がれない。だから、エレベーターがほしいし、車両デッキに老人専用室とかもおいてほしいとか・・。そういう要望をお願いしていたのだけれど、はてさて、どんな船になるんやろうかね。そうそう・・車いす用のスペースとか、福祉用設備も最近は必須なんだとか・・。車いす用トイレとかね・・。

 

 朝の十時前には、さっちゃんがデイサービスに出かけ、それと入れ替わりに・・・けいこばぁがお泊まり勤務から戻ってくる。それと入れ替わりに・・私は山の旧宅の工房に。奥方の休憩・睡眠のお邪魔になっては悪いから・・。徹夜勤務だからね・・。ゆっくりと休んでもらわないと・・・ね。

 

 で、私はお寺参りを兼ねて春探し・・・。山の旧宅の工房を点検して、「刀台」の漆塗りを再度やっておく・・。これで、三度塗りだけれど、どこまでいけばなめらかになるのかなぁと。ほら・・、お椀とかお盆とかは漆を何重にも塗るっていうじゃないですか。だから、下手でも、何度か塗ってれば・・・それなりになるのかなぁ・・なんて考えて。

 

 で・・、今日は・・その・・、四国霊場八十八番札所、つまり、結願(けちがん)の寺「大窪寺」の門前にある・・「八十八庵(やそばあん)」に入った。ここは・・・案外と有名な店なんだ。テレビやラジオ・新聞などでもしょっちゅう話題になるし、有名人も多く来るお店。最近は・・・鳩山総理地元議員さんと一緒に「打ち込みうどん」を食べたとか。

 この写真の中央の石碑・・「遠国(おんごく)の味」と書いてあるが、それを書いたのが・・・誰あろう・・・「今 東光」和尚さん・・・。今の方は知らないわな・・。

 

 お店の西半分が土産物店。中央が土産物店兼中央案内所兼帳場・・・。おかみさんがでんと構えている。お会計はここですればいい。店の奥中央が釜場兼厨房。お店の東側がうどん店の食堂兼お座敷・・・。お店の背後にあるのが・・大宴会場とか中宴会場・・・小宴会場ほか。多彩なお店ではありますことよ。

 

 で、今日は・・比較的お値段の安い・・・「しっぽくうどん」を注文した。これでも500円だから、お安くはない・。食べ物だから・・好き好きがあって、一概には「おいしい」とほめるわけにはいかないのだけれど、それなりにおいしいと思う・・。

 ま、大窪寺に来たら・・まずは、八十八庵やね。前には「野田屋」さんもあって、似たようなおうどんが食べられるのだけれど・・・。いやいや、お味には、そんなには差がにようには思うけれど、あとは雰囲気かな・・。

 

 信仰も似たようなものだけれど、おうどん屋さんの好みも人それぞれだから、お出汁の濃いのが好きな方も居れば薄いのがお好みの方もいるし、麺の太いものがお好みの人がいれば、細麺が好きな人も居る。出汁にしても・・・昆布出汁が好きな人もいれば、伊吹のいりこだしが好きな人もいる・・。

 

 うーん。今週の土曜日の午後から・・・講演会をやらないとあかんのだけれど。まるきり原稿も資料も整理できていない・・・。明日こそは頑張らねば・・・と、今は思うのだけれど・・。ただ・・、骨格だけはうかんできたもので、それをうまく結びつけて・・肉付けすればいいかなぁとは思うけれど・・。

 なんせ・・・今、話題の・・「讃岐龍馬会・塩飽社中」の総会だからねぇ・・。先生ばかりの会合だからなあ・・・。そこには・・やはり・・「坂本君」をからめないとウケが悪いだろうしね・・。明日が正念場かな・・。



 で、思い出したようにこの写真。国際的な彫刻家・流政之氏が制作したモニュメント「なにしよんな」は、笠松小学校跡地である水主コミュニティセンターに建立されている。真ん中に袴姿の女子学生と、左右に学生帽子に袴姿の男子学生が二人・・・。「何しよるん」やろうかね。

 笠松小学校の廃校から35年たったこの場所を、後世に伝え親しんでもらえる場所にしたいと、川北氏(前県副知事)の呼びかけで、卒業生や地域の方々の寄付を集め、記念碑の制作を流氏に依頼して実現したもの。笠松小学校は、1906年に誉水小学校笠松分校から独立。1966年に誉水小学校に統合して廃校となるまでに約603人が学んだ思い出の地である。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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