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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

生き物が 無口になった 秋そぞろ

2016年10月13日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で曇っていた。気温は16.2度から20.6度どまり。湿度は85%から57%、風は3mから1mの北北東の風が少しばかり。明日の14日は、気圧の谷の影響で曇りますが、高気圧に覆われてくるため、昼前からは次第に晴れる見込みらしい。

 

 まずは、咸臨丸子孫の会、元事務局長・小杉伸一さんの逝去の報に接し、合掌・お念仏。 生前にはいろいろとお世話になりました。心より哀悼の誠を捧げます。

 

 朝方は寒い・・と感じるようになった。そこで、気になっていた家の横の水路脇の草刈りをすることにした。暑いから・・雨だから・・・と、ついつい先延ばしになっていたから草がぼうぼう・・。

 

 ここはわが家のものではないが、わが家のすぐ前だから気持ちが悪い。そこで、いつも私が刈り払ってきた。

 

 秋になると、草や細い木は丈夫に育ってきて堅くなって刈りにくい。だから、力任せに刈り払ってしまう。

 

 水路の右側はお隣さんちの畑だが、おじさんが亡くなって80過ぎのおばあさんが一人。だから草刈りもままならない。水路とわが家のブロック塀との間は、水利組合の「泥揚げ場」である。

 

 その反対側の草丈は長くはないが、ついでに刈り払っておく。

 

 これで草が枯れてくるとさっぱりとする。

 

 その後、遍路札の整理をしてみたが、額が足りない。わが家にあるものは、どれも帯に短し、タスキに長し・・・。

  

 で、100円ショップで額を探してみたが、これまた、帯に短し・タスキに長し・・・ばかり。

 

 仕方がないから、ホームセンターをのぞいてみたが、最近は額の需要がないものか、高級なものしか置いてない。

 

 結局の薬局で、100円ショップの200円コーナーのものを買ってきたが、うまく並ぶじゃろうか。

 

 これはこれでいいとしよう。

 

 今日の掲示板はこれ。「そのうち そのうち べんかいしながら 日がくれる」という相田みつをさんの言葉から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。

 「 そのうち 」

そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供から手が放れたら
そのうち 仕事が落ちついたら
そのうち 時間のゆとりができたら

そのうち……
そのうち……
そのうち…… と、
できない理由を
くりかえしているうちに
結局は何もやらなかった
空しい人生の幕がおりて
頭の上に 淋しい墓標が立つ

そのうちそのうち
日が暮れる
今来たこの道
かえれない

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


柿の実を もぐ人もなし 里は暮れ

2016年10月11日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で概ね曇っていた。気温は今期最低の15.3度から22.1度、湿度は84%から58%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の12日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝、洗面台で水道の水が「冷たい」と感じた。いつの間にか秋になったようである。だから、朝の迷犬ごんの散歩にも上着がいるようになった。そうそう、昨夜の夕食時にはエアコンを暖房モードに切り替えて動かせた。

 

 昨日が休日だったから頭がおかしくなったが、今日は確かに「火曜日」である。で、いつもの「おへんろ交流サロン」に出勤した。ここに出勤しても何も出ない。最後にコーヒーとお菓子が出るくらいなもの。ま、お年寄りの暇つぶしみたいなものだ。

 

 おお、さすがにセーターを着込んでいる。今日もいつものメンバーでの作業になる。先週に引き続いての「紙くず」の調査である

 

 少し前に、「大師像」ということで整理をしたのに、それを、「掛け軸」だということで返品されてしまった。分類する人の主観で、「掛け軸」になったり、「大師像」になったり、「お御影」になったり、「仏画」になったり・・・。信仰心というものも関係するかもしれない。弘法大師さまさまならば、「お御影(みえ)」になったり、「大師像」になったりするが、信仰心がなければ、タダの紙くずでしかない。

 

 このおねえさんはすっかりと秋冬モードのセーター姿。

 

 しわくちゃになったお札をスプレーをかけてしわ伸ばし中・・・。なにせ、二百年近くも俵の中に押し込まれていたものだから。これまた、たいへんなお仕事。

 

 それでも、もう、数週間で、このお仕事も終わりそう。

 

 寒川家担当の会長さんも、飯田家担当の中島先生も忙しいらしくて研究が進んでいないらしい。そこで、私の田淵家のものを先に発行することになったらしい。

 

 で、三月を目途に、私の「娘遍路研究」と片桐先生の「島四国研究」を抱き合わせで発行する計画だとか。その後で、寒川家と飯田家をセットにして印刷・発行の計画だとか。来年もずっと、ここに出勤することになりそうだ。

 

 わが家のテレビも10年目。少し前から、こういうエラーメッセージがテレビ画面に出るようになった。だから、テレビの音声も止まってしまう。普通ならば、カードを正しく装着すれば治るはず。

 

 こういうことで、カードを抜いて、差し直せばいいのだが・・・。

 

 でも、わが家のテレビはこんな場所にある。「壁掛けテレビ」になっていて、テレビには手が届かない。

 

 しかも、電子オルガンの上に乗ってみても、テレビの裏側には手が入らない・・・。はてさて、どうしたもんじゃろうかいのぉ~。テレビがなくても困りはしないのだが、なんだかさみしい。

  

 今日の掲示板はこれ。「人は 幸運の時には偉大に見えるかもしれないが 真に向上するのは不運の時だけである」という、フリードリッヒ・フォン・シラーの言葉から。フリードリヒ・フォン・シラーは「シルレル」とも読まれている。18世紀ドイツの詩人・戯曲家・思想家で、1759~1805。
人は、幸福期の絶頂にあるときには偉人にも見えるけれど、人が成長するのは不運の時期にどう生きるかであると言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あきあかね ぐうたら午後を 見て通る

2016年10月05日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は台風第18号が山陰沖を東北東に進む影響で、曇りで時々雨が降ってきたし、大気の状態が不安定となるため、雷が通り過ぎる賑やかな時間があった。気温は22.3度から28.8度、湿度は84%から70%、風は2mから5mの南南西の風が少しばかり。明日の6日は、湿った空気の影響で概ね曇るらしい。

 

 台風の影響で、今日一日中曇ったままで、夕方には雷がゴロゴロと賑やかだった。

 

 昨日、つかさの会の渡邊会長から、「娘遍路についての論文を提出せよ」とのオーダーを頂いた。この笠に「さ」の字を入れたものは讃岐の国の伊吹島の娘遍路である。伊吹島というのは観音寺市の西にある小さな島で、「イリコ」で有名な島である。昔は、嫁入り前の修養として、みんな、四国遍路に出たものだという。後方に二人の男性がいるが、会計・宿取り・納経取り・護衛警護役である。

 

 伊吹島(いぶきじま)は、香川縣観音寺市に属する島。瀬戸内海の燧灘(ひうちなだ)にある伊吹島は、観音寺港より西10kmに位置し、周囲は5.4kmで有人島としては香川県西端となる。江戸時代以前からの四季折々の民俗 宗教行事が続けられており、良好ないりこ(煮干しいわし)の産地として有名。島内の電気や上水道は、ともに本土より供給されており、島の南側の真浦港からは定期船が就航している。

 

 で、私たちが調査している、寒川家・飯田家・田淵家と、その他の研究を付き合わせてみたら、こういう数字になった。どの家のものも、二千枚ほどの遍路札の中のこれだけだから、決して多い数字ではない。

 

 このうちの、真鍋島や六島は岡山県笠岡市に属する島々である。これらの島から、讃岐と伊予の二国巡拝のおへんろさんである。

 

 この西備讃瀬戸の海域からは、粟島やその横の志々島、佐柳島、広島、本島からのお遍路さんは確認できたが、高見島からのお遍路は見つからなかった。

 

 嫁入り前の女性も一度は遍路を体験しなくてはならないという習慣は、江戸時代から戦前まで各地に見られた。昔の人の話によれば菜の花の咲く三月の初め、赤色の錫杖を持った老人の「先達」に連れられた十数名の娘たちが遍路道を歩いている姿は、四国の春の風物詩であった。とくに目を引いたのは、毎年訪れる腰巻き、手っ甲、脚絆、手拭い、などもすべて藍色に染め抜いた揃いの遍路姿をした「讃岐の伊吹島の娘遍路」や、伊予ガスリを着た、「宇和島の娘遍路」の一団だったそうである。

 

 しかし、こうした娘遍路も、昭和16年を最後に途絶えてしまった。太平洋戦争に突入してからは遍路どころではなかったし、物資がなくなればお接待もできず、また、受けることもままならず、四国遍路は衰退してしまった。終戦後、四国遍路は復活したが、なぜか、娘遍路は復活しなかった。そこにはどんな事情があったのだろうか。

 

 最近では嫁入り道具の一つとして学歴や職歴、各種資格などがあるが、かつては遍路に行った「しるし」である納経帳を持っている娘は、信仰心が厚い証拠であり、肉体的にも健康で、遍路をしたことにより忍耐強くなり人間ができているとして、嫁をもらう側からも歓迎されていたという。

 

 その為に嫁入り前に遍路をさせるという習慣は、単に四国地方ばかりでなく、四国対岸の山陽道の諸国にも見られた。また縁談を断る際に「うちの娘はまだ遍路に行かせていませんから」というのは、相手に害のない口実でもあった。その当時遍路に行くことが、一人前の女性の資格と見なされていたからであった。

 

 女性にとって千二百キロの険しい道を、六十日から九十日かけて歩き通すのはたいへんなことで、しかもその当時、食事付きの旅籠は一部の城下町を除いては皆無であった。そのため、一泊につき六、七文の木賃宿に泊まり、道中で買い求めた食糧で煮炊きをする不便さにも耐えねばならなかった。

 

 格安の遍路宿ではセンベイ布団で雑魚寝をさせられ、垢で濁った風呂にも入らねばならず、裕福な家庭で育った乳母日傘の箱入り娘にとっては、巡礼の旅は世間の現実である貧困生活を自分の肌で体験する機会でもあったのである。また娘達にとっても、一時的にせよ親の庇護や生まれ故郷から遠く離れて、広く世間の様子を知る絶好の機会でもあり、道中での困苦欠乏、苦難に耐える精神修養や修行の場でもあった。

 

 それなのに、平和で物の豊かな時代になったのに、「娘遍路」は復活しなかった。それはなぜなのだろうか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しみをなげく人あり 苦しみを活かす人あり」というもの。これまた、町内の善楽寺さんの掲示板から。これまた、どこのどなたの言葉かはわからないのだが、過去に起きた不運な出来事は、すでに過ぎてしまった仕方ないことである。それをいつまでも引きずり、苦しみを背負い続けるか、それとも、それを活かして人のために役立たせるか、その発想には人生のつくられ方がまったく逆になることだろう。大切な一度きりの人生をしっかり見据え、考え、生き方を選択したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


しくじりを ほらコスモスに 嗤われた

2016年10月04日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は湿った空気の影響で、概ね曇っていた。気温は22.2度から27.6度、湿度は96%から74%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の5日は、台風第18号が山陰沿岸を北東に進む影響で曇りで時々雨が降り、大気の状態が不安定となるため雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 さて、恒例の火曜日になったのでさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に出勤した。わが家では奥方が出社すると私一人きりになる。それがいいときもあるが、やはり言葉を交わさないと日本語を忘れてしまうかも・・なんぞと思ってしまう。

 

 こんな天候でも、歩き遍路の人は多いと思う。若い方はリュック姿にノルディック・ストックで歩いて来る。外国人の方はスタイルに憧れるのか菅笠に白衣に金剛杖は欠かさない。

 

 お遍路さんの応対やお接待は、館長さんや女性スタッフが対応するので、私たちは全くのノータッチ。私たちはあくまでも「俵札調査」だけに専念している。

 

 四月以降、あれこれとやってきたのだが、「お守り」の中に弘法大師さんが混じっていたり、お不動さんのお御影(みえ)が混じっていたりするし、お御影の中に掛け軸の弘法大師さんが入っていたりしていて、混乱しはじめてきた。そこで、改めて分類方法を整理してみたが・・。

 

 こういう祈祷札は、御符(ごふ)なのか「お守り」なのか・・・ということでもめたりする。

 

 そんな合間で、会長さんに、秋の文化祭の企画書を見ていただいた。

 

 で、当該する「遍路札」13枚をお借りしてきた。これを、どういう形で展示するのかを、これから考えてみる。とにかく、お遍路さんがお接待の代わりに差し出した貴重なお札である。尊厳を保ちながら、貴重品の扱いをしなければならない。

 

 すると、会長さんから、佐柳島や粟島の娘遍路のものも併せて展示してはどうか・・という提案も頂いた。そうなると広いスペースが必要になる。その展示スペースの計算も必要になる。それに加えて、「娘遍路についての論文も執筆するように・・」というオーダーまで頂いた。

 

 午後からは、香川県立図書館に出向いてみた。しかしのかかし、「娘遍路」に関する資料はなかった。WEBで、「娘遍路」を調べてもみたが、必要な情報は出てこなかった。

 

 一応、この4冊の本を借りてきたが、「娘遍路」としての情報にはほど遠いものだった。いや、確かに「娘遍路」というスタイルはあったし、小豆島島四国や瀬戸内寂聴の書いたものにも「娘遍路」は出て来る。それが探そうとすると隠れてしまう。

 

 図書館の「アキニレ」の落ち葉がハラハラと落ちる季節になってきた。

 

 家に帰ると、amazon.comで買った本が届いていた。

 

 この前、図書館で借りて、いいなぁと思ってクリックした本である。ともに中古で200円ほどの本である。たぶん、自分の手元に届いたら読まない本になることだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「私はしばしば仏を忘れるが 仏は私を忘れない」というもの。いつもの町内にある善楽寺さんの掲示板にあったもの。2005年(平成17年)の新宗教団連合のカレンダー5月分の言葉で、金井隆久さんの作になるものらしい。佛教の根本姿勢は物事をありのままに見るところにあると言えるだろう。それは必ずしも、私たちの願いにかなうことではない。誕生があれば、生老病があること、安心があると、次の不安が生じるのである。私たちはしばしば佛のことを忘れて、自分の幸福ばかりを追いかけている。そうであるからこそ、阿弥陀如来は、こちらから助けを求めて行った先に待っていてくれるのではなく、既に今、私の後ろから、足下から、照らし支えていてくれるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 

かまきりが たどり着いたら 金木犀

2016年09月27日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は湿った空気の影響で、昼過ぎから雲が広がり、雨や雷雨となる所があった。気温は23.7度から28.7度、湿度は92%から80%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。妙に蒸し暑い一日になった。明日の28日は、前線や湿った空気の影響で、曇りで時々雨となり雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 全く気づかなかったのだけれど、金木犀が花盛りらしい。奥方の鼻は敏感らしいが、私の鼻はメガネの滑り止めの役目しかしていない。

 

  毎日まいにち、窓から外を眺めているのに、全く、この花の事なんぞ知るよしもなかった。こんなにも満開状態になっているとは・・・。

 

 で、今日は火曜日だということで、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロンに出勤した。先週の20日は台風16号来襲ということで急遽お休みになっていた。だから二週間ぶりの出勤になる。もちろん、ここには私たちの出勤簿が置いてある。

 

 と言うのも、ここでは、ここに立ち寄ったお遍路さん全員の記録を残しているし、ここを見学に来た人の数もカウントして記録しているからである。だから、私たちであっても、ちゃんと氏名欄に参加マークをチェックする。

 

 現在は「寒川家」の俵の中に入っていた、納め札以外の紙くずの調査をしている。

 

 前回に引き続いて「神符」の整理とナンバリングである。これが何を意味するものかは、誰もしらない。これには、細い「コヨリ」が結んであって、どこかに結びつけるものらしいが、意味がわからない。

 

 こんなもので、これには「蘇民将来子孫也」と書いてあるように見える。 「我蘇民将来之子孫也」という 八坂神社などののお札は、「私は蘇民将来の子孫です。だから、ご先祖さまと同様、あなたさま(疫病神)を手厚くもてなします」という意味が込められているというのである。京都の八坂神社の祭神のスサノオは疫病神(疫病の神様)で、スサノオを鎮めるために行われるのが祇園祭であるという。スサノオが疫病神になったのは、中国の伝承と結びついたためであるらしい。

 

 今日は男性が4名と女性が4人の8人態勢での作業になった。

 

 中島先生はパソコンでデータの整理中。奥の方で多田先生はデジカメで画像撮影中。私と会長は整理された紙くず(?)のナンバリングやら解析やらをやっている。女性たちは紙くずのしわ伸ばしやら分類やらを担当している。

 

 これなどは、こどもの落書きだとばっかり思っていたが、「きた(北)ふせる(伏せる)とら(寅)のとし(年)というまじない札なんだそうである。お医者さんのいない時代、いない場所では、なんとかして自分たちの身を守ろうとしてさまざまなことをやったんだなぁと驚かされる。

  

 そのあと、「大師像」を担当したが、掛け軸状態なものが多かった。各地で頂いたり授かったお大師さんの像も俵の中に詰め込んであった。いくら信心深いからと言って、そこかしこに「おだいっさん」を掛けてばかりもいられない。古くなったものをもったいないとばかりに詰め込んだものだろう。

 

 午前中は晴れて居たのに、午後からは曇ってきて蒸し暑くなってきた。お彼岸も終わったから、そろそろと彼岸花もおしまいになることだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は凸凹道だ 平坦な道はない」というもの。良くないことの後には必ず良いことがある。人生において平坦な道などはない。山あり谷ありで、まるででこぼこ道だ。人生を楽しむと言うことは、道をどう歩むかを判断し、歩き方を楽しむことであるような気がしている。お釈迦さんは、「人生は苦である」と悟られた。平坦な道ではないことを学ばれたのだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


こおろぎの 顔遠くなる 日暮れかな

2016年09月13日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇りや雨となり、雷を伴って激しく降っている所があった。気温は24.0度から28.2度、午前9時台の降雨量は5mm/hで雷鳴が轟く土砂降りだった。湿度は99%から80%、風は1mから3mの北の風が一時強かった。明日の14日は、引き続き前線や湿った空気の影響で概ね雨となり、雷を伴う所があるらしい。

 

 今日は恒例の火曜日出勤の日。激しい雨の隙間をついてさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」にやってきた。こんな日にも歩き遍路さんが休憩をしていた。

 

 ここ、おへんろ交流サロンは、お遍路さんたちの情報交換や地域住民との交流の場になっており、また、交流サロン内にある「へんろ資料展示室」には、江戸時代の紀行本や古地図、また接待を受けたお遍路が残した江戸中期からの納札や古い納経帳、手形など、四国遍路の歴史を感じさせる貴重な資料となる品々が展示されている。

 

 で、ここで、私たちは「俵札調査」ということを平成25年からやっており、寒川家、飯田家、田淵家の屋根裏から発見された俵に押し込まれていた紙くずを調べているという訳である。現在は寒川家の俵から発見された紙くずを丹念に調べている。

 

 これなどは、まだ、マシなほうの紙くず。これの分類名は「六十六部」となっている。 「六十六部」は六部ともいわれ、六十六部廻国聖のことを指している。これは、日本全国66カ国を巡礼し、1国1カ所の霊場に法華経を1部ずつ納める宗教者である。中世には専業宗教者が一般的だったが、山伏などと区別のつかない場合も少なくなかった。また、近世には俗人が行う廻国巡礼も見られたという。 なお、奉納経典66部のことを指して六十六部という場合もあった。

 

 六十六部廻国巡礼の風習がいつ、どのように始まったのかは、はっきりしない。縁起としてよく知られているのは、『太平記』巻第五「時政参籠榎嶋事」である。北条時政の前世は法華経66部を66カ国の霊地に奉納した箱根法師で、その善根により再び生を受けたと説くのだった。また、中世後期から近世にかけて、 源頼朝、北条時政、梶原景時など、鎌倉幕府成立期の有力者の前世を六十六部廻国聖とする伝承が定着していた。これらは、六十六部廻国巡礼の起源が関東にある可能性を示唆している。

 

 六十六部廻国聖による納経は、その名の由来どおり1国1カ所が原則的だったが、なかには1国内で66カ所をめぐった簡略形もあったし、逆に1国66カ所を66カ国分納経した例もあったという。いずれにせよ、固定された納経霊場がないのが特徴だった。

 

 それが終わると、「神符」の整理に入った。神符というのは神社などが発行する護符・お札・お守りなどのたぐいである。

 

 神札を守札、神符と呼ぶ神社もある。下賜されるものは他に「御守」(「お守り」「守札」)、「撤饌」(「おさがり」) があるが、撤饌は一般にはおふだとおまもりを除き、また神様に供えた供物(食物)を指すことが多い。神札は紙製であることが多いが、神社によっては木製、 金属製のものもある。また紙1枚のものもあれば、和紙に折りたたんで中に神札を封印してあるものあるが、この場合は開封は厳禁とされている。表面には神社名や祭神名が書かれている。

 

 今日もいつものメンバーでの作業となった。男性陣は区分けされたものを整理しながら「ナンバリング(一連番号付与)」をしながら、年号や氏名などを確認し記録していく。女性陣は紙くずのしわ伸ばし・・・。

 

 お医者さんもいない、薬屋さんもない、農業試験場もない時代に、人びとがすがったのが神さんや佛さんだったのだろう。今だって受検シーズになると天神さんにお参りして絵馬を奉納したり、入学祈願でJRの学駅の入場券を買ったり、蒸気機関車の滑り止めの砂を買い求めたりするのだから・・・。

 

 これの分類がわからないのだが、こんぴらさんの絵地図にはなっているが、単なる観光案内地図ではなさそう。ちゃんとご朱印が押してあるのだから。

 

 今月の20日あたりから、島の家にお客さんが遊びに来るというので、明日から草刈りやら室内のお掃除に行くのだが、明日も激しい雨が降る予想。「さあて、どうしたもんじゃろうかいのぉ~」。あさっての15日には晴れそうだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。全く、今日の日記とは関係ないのだけれど、「失敗はありがたい 失敗して自分を知る 他人を知る 人生を知る」というもの。「失敗もおかげである 失敗して自分を知る 他人を知る 人生を知る みんなありがたい」という倉科良俊さんの言葉からのようである。しかしながら、その倉科良俊さんがどのような人なのかは分からなかった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


赤とんぼ 夕焼け空は 遠そうだ

2016年09月06日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇り、雨や雷雨となっている所があるらしい。気温は25.1度から30.1度、湿度は94%から78%、風は0mから3mの東の風が少しばかり。明日の7日は、引き続き湿った空気が流れ込むため、概ね雨で雷を伴う所があるらしい。

 

 この花おくら、毎日毎日、15個から20個くらいの花をつけるが一日限り。咲いては落ち、咲いては落ちていく。もう、わが家では食べ飽きたし、介護施設にもあげ尽くしたということで、今日は前山の俵札調査のおねえさん方に持って行ってあげることにした。

 

 いくら、おいしいと言うても、毎食毎食ともなれば飽きてくる。サラダにしたり酢の物にしたけれど、そうそうは花オクラばかりもは食べられない。

 

 つかさの会のおばさまたちはまだ二度目だから新鮮そうにのぞき込んでいた。このネバネバ感がいいのよね~・・と言うていたので、来週もOKかも知れない。

 

 で、今日は恒例の火曜日出勤の日。例の「俵札調査」の日である。寒川家、飯田家、田淵家の三家にあった俵札の中身を調べているのだけれど、遍路札と呼ばれる「納め札」については調査が終わり、現在、ここで展示をされている。

 

 で、今度は、寒川家の俵に収められていた「その他」の紙くずの調べである。先週は「お守り札」の整理を行い、ナンバリングという一連の番号を振り当てて整理をしていく作業に入った。

 

 で、たまたま掴んだ箱の中身は「寺院札」というジャンルだった。どういう基準で選んだのか不明だが、とにかく、四国霊場の札所が発行したお札のようだ。これは版木に墨を載せて印刷した「版刷り」と呼ばれるものに朱印を押したもの。大窪寺は薬師如来が本尊で有名であるが、十二神将もいたのか・・・。

 

 これは素戔嗚尊(スサノオノミコト)の神像ではないのかと、よくよく見ると、御誕生所 善通寺とある。75番札所の善通寺さんのもので、空海さんの子供の頃の「御影(みえい)」である。空海さん、子供の頃は「佐伯真魚」と言ったらしい。真魚は宝亀5年(774)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれた。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀大足の娘(あるいは妹)。真言宗の伝承では空海の誕生日を6月15日とするが、これは中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承によるもので、正確な誕生日は不明である。

 

 これなんぞは、お札(紙切れ)の部分であるが、四国霊場の「結」願所・・と言えば「大窪寺」であるので、紙切れではあるが、「大窪寺発行の祈祷札であることが知れる。なお、大窪寺の本尊は「薬師如来」であるので符合する。

 

 渡邊会長は「梵字札」を解読している。持っている本は「梵字辞典」。私は梵字はさっぱりである。

 

 多田先生は整理の済んだ資料をデジタル・カメラで画像としてデータ格納している。

 

 台風12号が消滅したと思えば、新たな13号が発生した模様。で、明日からあさってにかけて西日本から東日本に接近する恐れがあるそうな・・・。雨は欲しいが災害は欲しくない。欲しくないというても、こればっかりはどうしようもないのだけれど。

 

 今月はのんびりと、自由研究ができるかなぁと思ったけれど、この週末から来週末あたりに予定が入ってきている。なかなかに自由研究にも手がつけられそうにもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「君が自分の目で確かめたか。自分の足で歩いたか。自分の手で触ってみたか」という松下幸之助さんの言葉から。私が現役の頃、朝のミーティングで、「現地に行こう、現物にさわろう」というようなことを唱和したことがある。会議の席上ではいろんなことが言えるし、提案もできる。しかしのかかし、現地を知らず、現場を知らないでいくら議論を重ねても意味はない。自分の目で確認し、自分の足で現地を歩き回り、自分の手で現物に触ってこその発言は重すぎるほどに重い。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雲切れて 台風一過の 雨宿り

2016年09月05日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は台風から変わった熱帯低気圧や湿った空気の影響で、曇りや雨となり、雷を伴う所があるらしい。昼前から小雨、弱雨となった。気温は22.2度から28.5度、湿度は88%から82%、降雨量は0-3mm/hの夕立程度。風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の6日は、引き続き、湿った空気が流れ込むため、概ね曇りで未明まで雨が降る見込みらしい。

 

 台風が来るというので、家中の雨戸を閉め切って雨を待っていたのだが、お湿り程度の雨で終わってしまった。

 

 9月1日(木)午前9時に沖縄の南で発生した台風12号は、今日、9月5日(月)午前9時、台風12号「ナムセーウン」は、対馬近海で熱帯低気圧に変わったらしい。しかし、熱帯低気圧に変わったからといって、油断はできないという。南から湿った空気が流れ込み、熱帯低気圧から離れた地域でも、局地的には大雨となる恐れがあるらしい。

 

 朝の間、彼岸花を探して、さぬき市南部から東かがわ市あたりの山間部を走ってきたが、今年は全く、彼岸花を見かけなかった。時期的にはそろそろと彼岸花が見える筈。お彼岸までには三週間はあるが、少しは顔を見せてもいいころだと思うのだが。

 

 途中、路上にサルの一団がいる・・と思ったら、栗の枝を折って中身を上手に食べている。まだまだ、栗の実は小さくて未熟なのだが、それを選んで食べている様子。そのほうが柔らかくて食べやすいのかも知れない。

 

 途中で見かけたのは、この「夏水仙」と呼ばれる「リコリス」ばかり。彼岸花とは花の形がまるきり違う。

 

 これは一昨年の9月5日の風景である。二年前には、こんな彼岸花が見られたのである。今年はまだまだ気温が高いのだろうか。

 

 お昼前になって、雨らしい雨にはなったのだが、それもしばらくの間だけ。

 

 うちの奥方が野菜を作ったりお花を育てたりしているので、雨が欲しい、雨が欲しいと言うていたが、私は雨なんぞ少しも欲しくはない。さぬき市の情勢には詳しくないのだが、この私の住んでいる「大川町」で、「浄水池」というものを見た記憶はないし、「浄水場」という言葉も聞いたことがない。

 

 雨はしばらくしてあがってしまい、薄陽すらさしてきた。市役所の中に「水道課」という係があることは知っているが、私たちの使う上水道は、どこに蓄えられて、どういう経路で供給されているのかは全く知らない。まさか、高知県の早明浦ダムの水が供給されていることはないと思うが、水源はどこなんだろうかと考えてみたこともない。水不足だ、断水だという話も聞いたことがないのだし・・・。

 

 ということで、「晴耕雨読」ならぬ「晴走雨学」でお勉強。秋に出版予定の「さぬき市教育委員会版」の報告書は一応の完成をみているので、今度は、秋の文化祭用の「まほろば工房版」の報告書の作成をやっていた。

 

  ま、できることからコツコツと・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦をまぬがれるには その苦を生かしていく道を学ぶことです」という、蓬茨祖運(ほうしそうん)先生の言葉から。蓬茨祖運先生は、浄土真宗の僧侶で仏教学者。 石川県出身で大谷大学卒。真宗大谷派参務。1970年九州大谷短期大学教授、二代目学長。賢隆寺住職。宇宙物理学者・蓬茨霊運は長男である。人生には4つの約束事があるという。「繰り返すことができない」「誰にも代わってもらえない」「かならず終わりが来る」、そして「その終わりがいつくるか わからない」。仏教の基本的な教えである四法印、すなわち諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静はこのことを私たちに教えようとしている。この生老病死の現実を前に、私たちはまさに無力と云うほかない事柄にしばしば直面し、苦悩する。蓬茨祖運先生は「苦しみをまぬがれるには、その苦しみを生かしていく道を学ぶこと」と云われた。心の闇が照らされて、闇を闇と知らされる。苦は消せるものではなく、照らされ開かれるものだと教えてくれたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の空 それほどでもないか こころざし

2016年08月30日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、上空の寒気や湿った空気の影響で夕方からは雨の降る所があるらしい。気温は22.5度から30.1度、湿度は82%から60%、ようやくに涼しくなって秋らしくなってきた。風は5mから7mの西の風が吹き荒れていた。明日の31日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝は水道の水が冷たい・・・と感じるほどに涼しくなった。台風の影響だろうか、空気自体も澄んでさわやかになってきた。

 

 今日は全国的に火曜日だということで、恒例の「おへんろ交流サロン」への出勤になった。相も変わらずの「俵札調査」である。

 

 一応、遍路札(納札)の調査が終わって展示をやっているので、今度は、その他の書類、紙くずの整理である。紙くずの中には、子供の落書きからお習字の練習、借用書、予防接種の案内状らに混じって、お守り、祈祷札、御影、仏画、弘法大師の掛け軸、伊勢暦など多種多様な紙くず・・・。

 

 私がたまたま掴んだ箱の中身は「お守り(寺院発行分)」だった。一枚一枚、毛筆による手書きのお守り札である。お寺のみんなでせっせと書いて授与したものだろうか。これに整理番号を記して、ファイリングしていく。これを別の先生が画像に処理するのである。

 

 あの有名な「こんぴらさん」は、元「象頭山金光院松尾寺」で、本尊は「金毘羅大権現」だった。明治の廃仏毀釈で、「金刀比羅宮」と改組し、主祭神を「大物主神」とした。現在の松尾寺は、旧松尾寺の塔頭であった普門院が松尾寺の法灯を継承したものである。

 

 作業は簡単なように思えたけれど、お守り札と祈祷札の違いがはっきりとしない。御影(おみえ)と仏画の境界はどこだろうか。ま、分類する方の認識も違えば、それを整理するものの認識も違うから、「その他」とか、「分類不詳」とかの箱が一杯になる。

 

 いや、皆さん、真剣に分類をされているのだけれど、「なんで、こんなものがお守りになるん??」というようなものが入っていたりする。

 

 こういうものは、はっきりと「御影(おみえ)」に分類できるのだけれど、これがお不動さんだったり、お地蔵さんだったりすると、御影にも見えるし、仏画にも見えるし・・と。

 

 今日はもう、エアコンのいらない作業場になった。

 

 今日のお昼はこれ。なんだかんだと、八月は忙しかった。来る九月もなかなかに忙しそう。今日はお昼寝でもしてのんびりと・・・。

 

 ふむ、思ったよりそうでもないか・・・。ま、夏休みの自由研究がゆったりとできぞうな月になりそう。

 

 ま、言うと言わんと、朝夕が涼しくなったのは身体に楽な季節になった。それに虫の数も減った。朝方は肌寒ささえ覚えるようになって、ゆっくりと寝ていたい気分になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「前向きな心には何ひとつ無駄はない 苦しみも悲しみも成長の糧となる」というもの。京都府福知山市にある丹波あじさい寺・観音寺の住職「小籔実英」さんの言葉がとても温かく心安らぐと評判らしい。人生で少し疲れた時、悩みや迷いがある時、悲しい時、辛い時、そんな時にぜひ思い出してほしい言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


新しく 夢を踏み出す 萩の花

2016年08月29日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇りで、夕方まで雨の降るところがあるらしい。気温は25.4度から29.4度、湿度は93%から74%、風は2mから5mの西の風がやや強かった。明日の30日は高圧部となり晴れる見込みらしい。

 

 朝方はすさまじい雷鳴と豪雨で賑やかだったが、だからと言って私たちではどうにもならないので、ただ、ふとんにくるまっているしかなかった。時の過ぎるのを待つだけである。

 

 迷走台風の影響なのだかどうか知らないのだが、まぁ、四国にすればありがたい雨ではあった。でも、四国の水がめ、早明浦ダム上流では、そんなにも雨が降らなかった様子。

 

 夜が明けると雷鳴は聞こえなくなり、雨も小降りになってきた。

 

 さて、八月のお仕事も片付いたので、秋の文化祭に向けての「夏休みの自由研究」のスタートである。その第一弾として、この俵である。これが、高松市文化財保護協会の中島先生が担当している「飯田家の俵札調査」。

 

 この俵札は、86番札所の志度寺さんから87番札所の長尾寺さんに向かう遍路道のちょうど中間地点にある桃農家の飯田農園(オレンジの星印)さんが保管していた俵である。

 

 この俵札の中に収められていた紙くずを整理したものが「飯田家俵札」で、納め札は1073枚であった。担当の中島先生は正規の調査を実施し、整理段階にあるらしいのだが、側面からその調査のお手伝いをするもの。

 

 手書きが861枚、版刷りが148枚、版刷り+手書きが18枚、印刷が23枚、印刷+手書きが23枚という結果だった。やはり、江戸時代後期のものは筆文字による手書きであった。江戸時代後期では文字の読み書きのできない者が多かったという予想よりも、達筆な筆文字が多く、その上手さに驚いたものだった。

 

 飯田家のものは、文政13年(1830)から大正7年(1918)までで、第一次ピークが天保12年(1841)、第二次ピークが明治38年(1905)であった。第一ピークは、有名な天保の大飢饉の直後で、食べられなかった農民が大挙して四国に流れ込んだことを証明している。第二ピークは、日露戦争後、肉親や知人友人らの供養のためであった。

 

 今日のお昼は「白熊君」。中にいろいろと入っているのが邪魔だった。あっさりとしたものがおいしいと感じる年になったのかも知れない。

 

 出身地調査でも、香川・徳島・愛媛や対岸の岡山・広島・京阪神の兵庫・大阪・和歌山が多いのは、どの調査でもにたり寄ったりである。

 

 ま、こういうデータを集めて整理をして一冊の本にまとめる作業である。私の「田淵家調査」は終わっているので、この「飯田家」と「寒川家」の三つをまとめたら大作になりそうな気がする。

 

 午後からはミンミン蝉が鳴き出してきたし、青空も広がってきた。いよいよ、八月もおしまいに近くなって、秋らしい空気が流れるようになってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「「思えば叶う」そうなりたい そうなると信じる そうなるように努力する そうすればそうなる」というもの。車が欲しいと思えば貯金をする ローンを組む、そうすれば車にも乗れるようになる 家が欲しいと思えば貯金をする ローンを組む そうすればマイホームも手に入る。「そうなりたい」という「願」と、そうなるように努力する「行」とが揃ってこそ、「願行具足」でものごとは成就する。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。 


日が落ちて つくつく法師の お説教

2016年08月23日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.2度から33.6度、湿度は88%から66%。風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の24日も、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。雨が降る降る・・と言いながら一滴の雨さえ降ってはくれない。

 

 この集落内の稲は全て刈り取ってしまった。だから、プロの猟師さんの散弾銃も発射されなくなった。そうなると、山猿は大手を振って県道やさぬき市道を闊歩する。刈り取った水田の落ち穂なんぞを拾いに集まって来るものらしい。

 

 山栗とかも格好のエサになるらしい。そこで、ジェット花火を数発発射して撃退をするが、敵もサルもの・・・引いては返し、引いては返し・・。全く、懲りない連中である。

 

 さて、久しぶりに「おへんろ交流サロン」にやってきた。例の俵札調査の夏休みが終わって、今週から作業再開・・・ということであったのだが、

 

 急遽、さぬき市教育委員会の会合が入ったとかで、いつもの作業場の研修室が使えない。で、お遍路さんが休憩するお部屋での打ち合わせになったが、コンセントが使えない、お茶が沸かせない・・、資料が開けない・・ということで、簡単な打ち合わせになってしまった。

 

 女性陣は、全く資料に触れないので、もっぱら井戸端会議になってしまった。

 

 私たち男性陣は、この秋の研究成果発表の報告書造りの打ち合わせ。まだ、会長の寒川家の調査集計も、中島先生の飯田家のデータ修正も終わっていない様子。私の作った報告書を参考にして、作業していただくことになった。

 

 データさえ修正できたら、私も作業を分担することにして、今日は10時で散会になった。

 

 とにかく、現物に触れないのでは何の作業もできないのだから仕方がない。私たち男性陣は、現物のデータをパソコン内部に持っているから、自宅でも作業はできるのだけれど。

 

 今週の法話会が終われば、今度は、私個人の「遍路札調査研究報告書」を作成する予定。役所の紐付き資金をもらわない研究報告書である。

 

 んで、来月の歴史講演会の基礎資料を、草創の会の会長さんや幹事さんに送るために印刷し、製本した。

 

 この9月中旬の歴史講演会が終わればお彼岸になる。そうなれば、暑さ寒さも彼岸まで。暑さが収まれば、志度寺から大窪寺までの遍路道にある「遍路墓」の個別調査を始めるつもり。基礎資料は「おへんろつかさ養成講座」の時に頂いているし、遍路道研修の時に、おおよその遍路墓の位置は教えていただいている。これを一個一個、歩いて調べて写真に収めて整理する積もり。

 

 とにかく、この暑さがあるうちは、室内でのパソコン作業。今まで勉強してきた、納め札・遍路札・俵札を個人的にまとめておきたいと考えている。さぬき市教育委員会用のものは「アカデミック」に、私用のものは「マニアック」に仕上げてみようと考えている。

 

 今日は「台風一過」のようなさわやかな天候になった。昨日までの、蒸し暑い「サウナ状態」ではなくなって、さわやかな風が吹き抜ける秋みたいな空気になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「何もできない自分がダメなのではない 何もできないと思ってしまう自分がダメなのである」というもの。京都府福知山市にある丹波あじさい寺・観音寺の住職「小籔実英」さんの言葉がとても温かく心安らぐ。人生で少し疲れた時、悩みや迷いがある時、悲しい時、辛い時、そんな時にぜひ思い出してほしい言葉である。五月初めの藤、梅雨の時期にはあじさい、晩秋には紅葉、立春の頃には蝋梅…と、一年を通じて花や古木、紅葉が境内を美しく彩るという。花が満開になる時期には特にご参拝の方が多く、はるか遠方からもお参りがあるという。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


父想う 珊瑚刺桐の 花の赤

2016年07月30日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は25.2度から32.9度、湿度は55%から70%、風は0mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の31日も引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、連日の猛勉強と頑張りによって、7月末を目途に進めてきた「遍路札調査研究報告書」作成のミッションが終わった。

 

 これが、A4版100ページの「プロトタイプ=試作版」である。教育委員会仕様の「白書タイプ」に仕上げてみた。

 

 中身も両面印刷で本物らしく仕上げてある。

 

 ま、「ここはこうしたほうが良い」とか、「あそこはこうしたい」という部分はいくらもあるが、それをやっていたらキリがない。ということで、この件は、ここでひとまず完結ということで封印する。パソコン画面の「遍路札研究」というショートカットも削除した。

 

 さて、私が若い頃に勤めていた神戸都市管理部兵庫電話局である。今は「NTT西日本兵庫別館」というらしい。三階建て一部四階が機械棟と白い手すり部分が事務室や営業室とか食堂になっていた。その手前の平屋部分が私たちの「ラインマンセンター」になっていた。

 

 その頃の私である。バックのタイル壁は少し色が変化しているように見えるが同じタイル壁である。当時は「若竹色」という色で、この車のような色をしていたと思う。

 

 そんな頃、親父が入院した。「患者さんは自家用車を置かないでください」ということで、仕方なく、この父の車を神戸まで乗って帰っていた。この車で、すぐ下の弟「よっくん」と、いとこの「RRT(コールサイン)」を誘って高知県中村市へ遊びに行くことにして、出かけたのが昭和45年の8月1日のことだった。昔のことだから高速道路なんてなかったので、国道2号線をトコトコ走って、神戸から岡山経由で高松に渡った。

 

 46年前の高松日赤は、まだ、木造の病棟だった。父の見舞いがてらに病院に入ると、「早く。早く・・」と呼び込まれた病室で父は亡くなった。電気パッドやら心臓マッサージが行われたが、父の呼吸は回復しなかった。職場から預かった「お見舞い」の熨斗袋があたりに散らばった。

 

 父と母の結婚式の写真らしい。

 

 楽しい夏休みを四万十の清流で過ごす予定が、真夏の父の葬儀に変わった。まだ、私は22才、弟といとこの「RRT」は20才。下の弟は18才の高校生だった。

 

 手次寺の勝覚寺の先代住職が導師を勤めてくださった。

 

 親戚一同が集まっての葬儀となった。もう、この写真の中の半数以上の方々がお浄土にお帰りになった。とにかく、暑い一日であったことを覚えている。

 

 骨壺を持っているのが母。野辺位牌を持っているのが喪主の私。写真を持っているのが「よっくん」。三男の「たっくん」は就職試験でいなかった。試験から戻ってきて父の死を知らされて大泣きに泣いた。

 

 あれから46年。親父の生き切った年月が過ぎた。そして、私は68才になった。

 

 奥方のけいこばぁは、明日の「祥月命日」の法要のための買い出しに出かけた。明日もきっと暑くなることだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「あなたが生まれなければ、この世に生まれなかったものがある」というもの。アミューズメントメディア総合学院 のコピーらしい。「夢を夢で終わらせない」。この言葉は、いつも私の中に生きている。「世界に一冊だけの本を作る」「どこの本屋にもない本を作る」それが、わたしの「まほろば工房」なのである。何かを生み出したいと苦しんでいる私たちには勇気づけられる言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


学校は 静かに過ごす 夏水仙

2016年07月29日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、午後は大気の状態が不安定になるため、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みなのだとか。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとりたいものである。気温は24.9度から31.7度、湿度は90%から74%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の30日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れるらしい。

 

 いよいよ、7月も押し迫ってきた。残るは今日と明日だけになった。31日には亡父の祥月命日の法要日。遍路札の最終仕上げ段階で、ページ会わせやら目次作成なんぞをやっていた。

 

 午前中はエアコンなしで作業ができていた。

 

 田淵家に残された遍路札の出身地別表である。地元香川、隣の徳島、愛媛が多い。岡山や大阪も隣と言えばとなりになる。広島も・・・。

 

 論文の表に書く「例言」に、我がチームのメンバー名を表記するのだが、女性の名前なんぞ知らないでいたことに気がついた。おばさまの名前なんぞ覚えても仕方がないと、そのままになっていたが、大慌てで、おへんろ交流サロンの出勤名簿を見せていただきにやってきたという訳。

 

 その帰り、ふと、上空がにぎやかなことに気がついた。ヘリの爆音だった。さぬき市寒川町にある県営門入ダムでの防災訓練だった。

 

 これが香川県の防災ヘリ「オリーブⅡ」である。

 

 「DMAT」ディーマットって、何だ。狙撃隊ではないだろうし・・と眺めていたら、「災害派遣医療チーム」のことらしい。今日は、DMATも加わっての防災訓練らしい。消防隊も加わっていた。

 

 こういうグラフも巻末資料に加えてみた。ま、たぶん、最終稿あたりで予算上で削除されるのだろうけれど、うまくいけばうまくいくかも。

 

 ま、最初は豊富な資料をどんどんと並べておきたいものだ。

 

 食後にアイスクリーム、

 

 しばらくして、昨日の残りのスイカを食べてみた。今回のスイカは山形県産とのこと。近くの岡山とか熊本とかにはスイカはないのじゃろうか。ま、利尿剤がよく効くので水分補給はしっかりとやっておかないと熱中症になってしまうし、脱水症状になるのだとか。そのあんばいが難しい。

 

 今夜も22時近くまでかかりそう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない」というもの。出典は「仏教伝道協会編『仏教聖典』」からである。普通は「お釈迦様のことば」として紹介されている。以下、今日すべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。信は人のよき友、智慧【ちえ】は人のよき導き手である。さとりの光を求めて、苦しみの闇【やみ】を免れるようにしなければならない。信は最上の富、誠は最上の味、功徳を積むのは、この世の最上の営みである。教えの示すとおりに身と心とを修めて、安らかさを得よ。信はこの世の旅の糧【かて】、功徳は人の貴い住みか、智慧はこの世の光、正しい思いは夜の守りである。汚れない人の生活は滅びず、欲に打ち勝ってこそ、自由の人といわれる。と続いている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


せみ啼いて 山のお堂の 蜘蛛の糸

2016年07月28日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた気温は25.5度から31.6度、湿度は94%から76%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の29日は引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は肌寒いくらいに涼しくてさわやかなのだが、9時を過ぎると気温が急上昇してくるし、蒸し暑くもなってきた。

 

 今日は空き瓶の回収日。これで7月のカレンダー行事はおしまい。いよいよ、気分は8月に入るのだが・・。

 

 涼しい間に茗荷を収穫した。わが家の土地は、お隣さんのミョウガ畑を安く譲っていただいたもの。だから、未だにミョウガが吹き出してくる。

 

 野菜もサルに食べられないうちに収穫しておく。

 

 先月に、同じ「組(そ)」の赤松先生が貸してくださったこの本、さすがにスキャナーには掛けられないので、あちこち探して注文して、ようやくに入荷をしたというので郵送されてきた。

 

 国立国会図書館あたりでは「三田老人物語」というらしいのだが、この本は「信者めぐり」になっている。

 

 さて、例の「遍路札調査報告書」だが、どうにも、こういう形式で「遍路札」を掲載したのでは、文字が小さくなって読めないことがわかった。

 

 で、画像処理ソフトを使って、遍路札だけを切り出すことにした。こうなると、「縁が切れる」ということで、どこの誰のものかがわからなくなる。だから、画像に通し番号を付けてファイル名にしたが、それはそれで意味不明になってしまう。

 

 だから、左のデスクトップPCで一覧表を開いておいて、真ん中のノートPCで編集をしていく。右の画面は確認用のディスプレー。こうすることで、1ページに5枚の遍路札を掲載するようにした。少しは札が大きく見えるようになった。

 

 それはそれでまた、辛気くさい仕事になった。

 

 とにかく、今週中には原稿を上げてしまわねばならないので、辛気くさいけれどやるしかない。

 

 今日の掲示板はこれ。「よく噛んでみると はじめてその味がわかるでも、その味は人それぞれ 学びとはそんな食べ物です。」というもの。これまた、どこの誰の言葉かわからない。ただ、学びに限らず、肉だって魚だって、米だってうどんだって、よく噛んでみると、初めてその味が分かることが多い。噛みしめてみて、「ああ、こういうことだったのか・・」と思うことはいくらもある。でも、その味の感じ方は千差万別で、人の感覚次第、感じ方次第。同 じ店の同じうどんでも、「旨い」という人もいれば「こんなまずいものを」という人がいる。別に「学び」に限ったことでもないと思うのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


朝夕は 涼しさ満ちる 蓮の花

2016年07月27日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、東部や瀬戸内側を中心に湿った空気の影響で曇りとなっている。夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。気温は24.6度から32.8度、湿度は90%から72%、風は0mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の28日は高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日も朝方は涼しくていい気分の夜明けだったが、昼前になると蒸し暑くなってきた。

 

 さて、県立図書館で借りていた本の返却期間が過ぎそうになってきたので、ようやく重い腰を上げて図書館にやってきた。今日は何かの講習会でもあるのか、大勢の先生らしい人たちが集まっていた。

 

 だから、図書館の中はひっそりとしたもの。二階だかの研修室に吸い込まれて行ってしまったみたい。

 

 納め札や遍路研究の書籍に「喜代吉 永徳」という人の名前が出て来るが、調べてみてもよくわからない。で、あれこれ調べて、ようやくに、この本を見つけてきた。その、「喜代吉 永徳」さんの著書である。「きよし・えいとく」さんと読むらしい。

 

 でも、せっかく、探してきた本だけれど、参考にすらならなかった。

 

 ほぼ、遍路札研究の報告書が出来上がった。で、印刷にかかろうとすると、決まって、「トナーがなくなりました」とか「用紙がなくなりました」という、お節介なメッセージが出る。

 

 で、トナーを交換するのだが・・・

 

 ぽんと置いたのはいいけれど、どちらが古いのだか、どちらが新品なのかが分からなくなった。「えい、ままよ。」と、奥側のものを差し替えたら、文句もいわずに受け取ってくれた。悪くなれば、エラーメッセージが出るわずだ。

 

 これが、「さぬき市教育委員会」発行予定の報告書である。役所風に「白書」にしてみた。

 

 私用のものはカラー版で、写真や画像がふんだんに入っている。言うては悪いが、グラフや写真を多用するとコストが高くなるのでカットされてしまうのだそうだ。

  

 さすがに連日のPC作業で、首筋や肩の筋が張って痛みが走る。熱中症かと思って水分を大目に飲んだが、そのせいでもないらしい。作業が一段落したら、少しばかり休憩だ。

 

 で、思い出したようにハーモニカを取り出してきた。C, C#, A, Am, G,の五本組み。でも、なかなかに2本でも吹きこなせない。3本になると、頭が真っ白になってしまう・・。

 

 赤とんぼくらいはすいすいと吹けるのだけれど・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「涼しさや 弥陀成仏のこのかたは」という小林一茶の俳句から。地球温暖化だ、環境保護だと騒ぐことは簡単だが、もはや文明生活を手中にした限り、私たちがそれを手放すことは容易ではない。いまさら、ろうそくや井戸水の生活には戻れないのは百も承知だ。阿弥陀さんはそんな私たちのありさまを救おうと、五劫という永い間、ひたすら思惟してくださり、成仏されたという。人間の思考や歩みをはるかに越えた、悠久の過去から、そしてまだ見ぬ未来へ向けて大きな願い(本願)をかけてくださっ ているのだとも言う。しかしながら、今のごとき念仏なき生活からは一茶の感じた風ほども聞きとることはできないかもしれないなぁと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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