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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨明けが近い 野の花のつぶやき

2015年07月20日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所がある見込みらしい。気温は25度から33度、湿度は88%から66%、風は4mから6mの南南東の風がやや強かった。昨日には関東甲信地方が、今日には中国・近畿・東海が梅雨明けしたらしいが、九州南部と四国がお預けを食っているみたい。明日の21日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 朝方は湿度も低く気温も高くなくて、さわやかな夏の朝になった。まるで、子供の頃の夏休みの朝を思い出して懐かしくなった。しかしのかかし、朝の4時過ぎから、「カナカナカナ・・・」というヒグラシの音はどうにかならないか。あの声は、夏休みの終わりを告げるもの悲しい鳴き声だったのに・・・。

 

 ともかく、夏らしい朝になったので、「暑中お見舞い申し上げます」のご挨拶をば。その、朝の涼しい間にと、今日はここにやってきた。

 

 香川県中部、仲多度郡まんのう町にある「満濃池」である。この池は、日本最大の灌漑用のため池で、空海さんが改修したとも言われる池で、周囲約20km、貯水量1,540万tである。先日の台風の影響か、満水状態になっている。

 

 でも、ここの池の水が、遠く瀬戸内海の海底を通って、しわく広島のわが家にまで届いている・・・というのは夢のような話で、讃岐各地が水不足で断水だの給水制限だのと大騒ぎになっても、島の家で水道が使えなかった・・・というのは一度も無い。全く、ありがたい、この池のおかげである。

 

 この池の水門は閉じられているようで、わずかしか放流されていないが、この茶色い水はどこから流れてきているものだろうか。周囲の谷水が流されているのだろうか。

 

 アイスクリームだかアイスクリーン売りだかのおじさんはヒマそうに昼寝をしている。

 

 ものはついでだからと、旧仲南町帆の山地区のひまわり畑に行ってみた。先日の台風で、これ、この通り・・・。

 

 全てのひまわりが倒れてしまっている姿は哀れを誘う・・・。

 

 本来ならば、このようになっている筈なのに・・・。おかげで先日の「ひまわりまつり」は中止になってしまったのだとか。この状態では仕方が無いというものだ。

 

 さて、今日は「海の日」という休日になっていて、世の中は三連休になっているらしい。私も会社員の頃には大喜びでこの日を待ったものだった。ただ、あの頃は、単に「7月20日」が海の日という休日だけであったように思う。

 

 海の日はもともと、『海の記念日』という民間の記念日であった。この海の記念日というのは明治天皇が明治9年に船によって東北地方をご巡幸(天皇が各地を回られること)された事に由来したもの。それまで軍艦によるご巡幸はあったのだが、軍艦以外の船にお乗りになるのはこの時が初めてで、蒸気船である『明治丸』で海をお渡りになって、7月20日に横浜港にご帰着された。そのことから昭和16年、この日を記念して『海の記念日』としたのだという。ちなみにこの明治丸は、灯台の点検などを行なうための船として日本政府がイギリスに発注したもので、現在でも東京海洋大学に保存されているそうである。

 

 ところが、この海の記念日は当初は一般市民にはあまり知られておらず、海の仕事に従事する人々の間で行事が行なわれるぐらいのものでしかなかったらしい。しかし、そういった海運関係者による海の記念日を国民の祝日にしようとする運動や、そして何よりも皇室を由来にしたものであったことが理由で、1996年に『海の日』として国民の祝日に制定される事になったのである。その趣旨は「海の恩恵に感謝し、海洋国家日本の繁栄を祝う」というものであった。

 

 この海の日は制定された1996年から2002年までは、定められた本来の日付である7月20日に祝われていた。ところが、2003年からは『ハッピーマンデー』という訳の分らない制度のため、海の日は7月の第3月曜日となってしまったのである。本当は、三連休になって大喜びしたのが本音ではあったのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日の成果は、過去の努力の成果であり、未来はこれからの努力で決まる。」という稲森和夫氏の言葉からである。今やっていることの結果が、何ヵ月後、何年後に表れてくる。未来を自分の描いたようにしたいと思うのなら、今そのための種まきや行動をしていなくてはいけない。過去の教訓を未来に生かしていきたいものである。そうは言いつつも、「今日の成果は過去の怠惰の結果であり、明日はいつも通りの怠惰で決まる」という結果になりそうな気がしてならない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あじさいに 明日の行き場を 聞いてみる

2015年06月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で山間部などでは雲が広がっていた。気温は19度から27度、湿度は82%から56%、風は4mから1mの北西の風が一時強かった。降水量はゼロだった。明日の29日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

  

 涼しい間に山の旧宅の草刈りでもしようと思ったが、「日曜日くらい休めばいいのに・・」なんて考えると簡単にやめてしまう「自由人」でもあり、「優柔不断」な男でもある。別に、毎日が日曜日なのだから、ことさらカレンダーの日曜日にこだわる必要はさらさらない。

 

 で、アジサイもそろそろ最後かなぁということで、さぬき市多和兼割という所にあるアジサイ園にやってきた。案内看板には「6月上旬~7月上旬」と書いてある。まだ、来週あたりでもOKなんか・・・みたいなことで。

 

 期間中に大勢の人が来園したようで、山道がきれいに踏み固められている。出てきたタケノコやらワラビやらも、しっかりと踏み固められていた。

 

 このアジサイ園は入園無料で見学は自由なんだけれど、なぜだか「入園券」が必要。案内看板の説明では「入園者把握のため」と書いてあるが、全くの自由にすると、お客さん以外の方もどんどんと入ってきて、マナーが悪くなってしまうためだと思った。ここにあるのは、シャクナゲとかアジサイとかというデリケートな植物だから。

 

 町の人は、「山」にあるものは自然に生えたものだから誰の物でもないという意識があるらしい。だから、ワラビでもゼンマイでもタケノコでも、みんな、みんなの物だと思っている。だから、なんでも自由に持ち帰ってもいいと考えている。それは違うでしょ。

 

 こうして、八十八庵(やそばあん)の先代店長の井川さんが山を切り開いてサザンカ園やシャクナゲ園を作った。今、こうして、それらが花をつけるようになった。とにかく、この谷一帯がアジサイ園なのである。

 

 ガクアジサイや、西洋アジサイ、ヤマアジサイなど約1,500本の色彩豊かな大輪の花が、6月中旬~7月上旬に見ごろを迎えるという。満開のアジサイを愛でながら、遊歩路をゆっくり散策。女体山を借景にアジサイ園を上から臨むことができるのも大きな魅力である。

 

 ここは奥山ということもあってか、まだまだ花はきれい。来週あたりでも十分に楽しめると思う。

 

 アジサイ園の山を下りてきたのは10時前だったので、今日はここでのおうどんはなし。

 

 ぐるりと境内を一回りして帰途についた。次第に気温が上がり始めてきている。もう、今週半ばからは七月である。

 

 家に帰って驚いた。またしてもamazonから届いた本は・・・前にも買った本である。

 

 さらに、これも・・・。最近、私のオツムはおかしくなっている。どうして、同じ本ばかりを買うのだろう。それにだ、買った本は本棚に積み込んだまんまで読んだ形跡がない。読んだ記憶が無いから、またしても注文してしまうのかも知れない。むむむ・・・、重傷だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「うかうか歩いていれば この道くもり ふと我にかえれば この道晴れてくる」というもの。煩悩によって、こころの目が曇っていれば歩いて行く道を迷い、ふと、心理に目覚めたら私の進む道が晴れてくるということだろう。別に「うかうか」と歩いているつもりはないのだけれど、「なんだかなぁ・・」と思う昨今ではある。明日にははっきりと進む道を見つけてこなければ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


睡蓮に 寝ぼけ眼の 目をこする

2015年06月14日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雲が広がり、昼過ぎまで雨の降る所があった。気温は19度から25度、湿度は92%から78%、風は1mから6mの南南東の風が少しばかり。明日の15日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 というご案内を受けていたのだが、奥方のけいこばぁが、「勝手に行ってはダメよ♪」というので、今日まで待っていた。なかなかに、奥方の自由時間と私の手空きの時間がかみ合わない。それで、ご近所のおばさま二人も誘って行くことになった。

 

 訳の分からない「おじゅっさん」の言葉展だけでは面白くないだろうからと、四国霊場八番札所の「熊谷寺」に寄ってみたが、おばさまたちは、「石段はいや」「坂道はいや」と仰せになる。そんなことを云うたならば、どこにも行けなくなるではないか・・・。

 

 「ここは、石段の横に舗装道路がありますから・・」とかと励ましながら、しばらく境内を歩いてもらった。こちらにも時間配分というものがあるのだけれど、念仏屋のおばさまたちは、観音さんやお大師さまには、とんと興味を示さない。

 

 それでは・・・ということで、JAさんの産直市場に寄ってみた。こういうおばさまは「おみやげ」を買うのも楽しみの一つらしい・・・。らしいのだが、そのおばさま二人は、このカボチャを一個ずつ買っただけ・・・。今夜のおかずにするそうだ。たった、一人なんだから、こんなものでも大丈夫なんだ・・・。

 

 で、この喫茶店のオープンが午前10時だというので、10時05分に、ここに到着した。綿密な計画と緻密な時間配分の結果・・・。ま、たまたまなんだけれども。

 

 「今回は、悩みや悲しみを抱えた人に伝えたい言葉が中心。会場となるギャラリーカフェ・ブリッサは遍路道沿いにあるので、何かを求めて巡礼してるお遍路さんの心にも響けばいいなと思っております。得意げ そして今回は、ただ言葉を額に入れて飾るだけじゃなく、なんというか・・・

 

 アート作品 的なものも何点か展示しておりますビックリマーク。この作品展は明日10日から21日まで、徳島県板野郡板野町羅漢字前田18-1のギャラリーカフェ・ブリッサにて開催されております。15・16日は定休日ですが10時から18時まで営業しておりますので、是非ぜひ足をお運びくださいね。音譜」と、「おじゅっさんの日々」というブログには書いてある。

http://ameblo.jp/daido22/entry-12036989474.html

 

 この二人が、近所のおばさま。ともにご主人を亡くされて一人住まい。退屈をしているというのでお誘いしたもの。ま、昨今だと、テレビを見ても面白くない。新聞ラジオも片付けてしまった。野菜を作ってもサルとイノシシのせいで収穫はない。だから、毎日がつまらないと仰る。何日も会話をしない日があるという。田舎の生活って、そんなものだ。

 

 で、こういう機会に、こういう言葉を見て頂いて、少しでも明るくなってくれれば・・・と、けいこばぁは考えているのだという。

 

 「まぁ、ええやん 苦が軽くなる あいことば」。「まぁ、ええやん」ということで、こころが少しでも軽くなればいいのだけれど。永年生きた、おばさまたちの「煩悩の炎」は強い。少々では軽くはならないが、気休めくらいにはなっただろうか。

 

 ルート上、四国霊場第8番札所、熊谷寺、7番十楽寺、6番安楽寺、5番地蔵寺、五百羅漢堂、4番大日寺、3番金泉寺、2番極楽寺、1番霊山寺をご案内したが、真宗念仏屋のおばさまたちは境内を一瞥しただけ・・・。あと、通りがかったスーパーでお弁当とお茶を買って、北灘の海岸線でお弁当を食べて戻って来た。それでも、おばさまたちは楽しそう・・・。まるで、子供の遠足だ。

 

 雨が降りそうなお天気ではあったけれど、どうにか、雨も降らず、照りつけもせず、暑くもなく、寒くもなく、徳島を旅してきたことであった。

 

 今日の掲示板はこれ。「心配しても仕方のないことを 心配しても仕方ないよ」という中原大道さんの言葉から。極めて単純明確な言葉である。心配しても仕方のないことを、あれこれと心配しても意味のないこと。今があることに感謝して、ありがとうと云えばそれでいい。昨日のことは済んだこと。明日のことは明日のこと。今日のいのちにありがとう。ただ、それだけでありがたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


睡蓮の その張り切りように 励まされ

2015年06月12日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雲の広がっている所があったが、午後からは高気圧に覆われるため晴れてきた。高松気象台では高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するように呼びかけている。気温は20度から31度、湿度は98%から50%、風は1mから3mの南西の風が少しばかり。明日の13日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 香川県のアジサイの名所を探したら、こんな画面が出てきた。これは古い情報だなぁと思いつつ、この「勝名寺」を訪ねることにした。高松市西植田町である。

 

 ここは「花の寺」として有名なところ。5月のつつじ、さつき、6月のあじさい、7月の蓮と睡蓮、10月には萩の花が咲き乱れる・・・。今の時期には、あじさいが20種類1,500株があるという。詳しい数は数えられないからわからない・・・。

 

 とにかく、お寺の東から南に掛けてはアジサイ畑。確かに本数はすごいと思う。ちなみに、香川県第1位は、讃岐まんのう公園の40種2万株、2位は善通寺の出釈迦寺で1万株、3位は観音寺市の粟井神社の3,000株、4位は三豊市の紫雲出山の2,000株、で、5位がここ勝名寺の1,500株と八十八庵の1,500株・・・らしい。少し古い数字だから確証はない。

 

 とにかく、本堂にお参りをしておかねばと、駐車場から本堂に向かう。なんまんだんぶ。

 

 すると、いきなり、こんなものが・・。梵鐘。釣り鐘である。それと本堂の鬼瓦らしい瓦の数々・・・。

 

 こちらが、鐘楼である。

 

 こちらが本堂である。「不動山勝名寺」といい、真宗興正派の寺院さんである。

 

 こちらが、「寺務所」で、しっとりと落ち着いた気分のお寺さんになっている。

 

 上の駐車場から見た、鐘楼・寺務所・本堂などの位置関係。

 

 道路脇のお堀には睡蓮の花が咲いている。

 

 ここの睡蓮は黄色いなぁと思ったことである。

 

 駐車場には入れ替わり立ち替わり乗用車がやってきて、家族連れやおばさまたちがやっては来るが、どなたも本堂にはお参りには下りていかない。ま、真宗寺院というのは門徒さん以外は立ち入れないような雰囲気があるのは確か。本堂のお扉が少しでも開いていれば、気分的にも楽になるかなぁとは思ったりする。

 

 でも、ここは、広い駐車場に休憩所やトイレなども整備されていて、お参りはしやすそうなお寺さんだなぁと思うことである。

 

 今日の掲示板はこれ。「この泥が あればこそ咲く 蓮の華」というもの。「この泥が あればこそ咲け 蓮の花」と詠んだのは与謝蕪村。似たような句である。「蓮の花」は 泥の中に根付くというか、泥がなければ根付かない。泥の中であろうと 澱んだ水であろうと、蓮は、澱んだ水を突き抜けて水面に花を咲かせる。ひとの世も同じ。この世は「泥」、澱む水は人々。そんな「泥の世」で、「よろこびの華」を探すことは容易なことではないが、泥の中だからといって後ずさりし、ひるむのではなく、怠らず、たゆむことなく励んで、力を超えたところの力が与えられることを信じ、自分を信じ、自分を支えてくれる周りの人々を信じ、ただひたすらに「生かされている」ことを感謝しながら生きてゆきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


花しょうぶ 水の重さを 知らされる

2015年06月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雨が降っている。雷も鳴るらしいが、今のところ、それはまだない。気温は18度から23度、湿度は84度から96%、風は2mから4mの南南西の風が少しばかり。明日の12日は、雲が広がり明け方まで雨の降る所があるらしいが、次第に高気圧に覆われるため、昼前からは晴れてくる見込みらしい。

 

 雨が降っては仕方が無いと、香川県立図書館へやってきた。数日前に借りた本を返却するためである。いくらなんでも、子供用の「くもの糸」を五冊も借りても、中身は同じものだし、イラストが違うくらいなもの。何の意味もありやしない・・・。

 

 で、またも、香川の民話集とか・・・

 

 香川の民衆史とか、訳のわからん本を五冊ばかり借りた。でも、難しい本ではないので、気楽には読めそう・・・。

 

 空を見ると、雨も落ちてきていないので、この時とぞばかりに、坂出市に向かって走り出した。目指すは、この、「かわつ花菖蒲園」。期限はこの日曜日までだ。

 

 そのすぐ手前にあった、セルフのおうどん屋さん、「まいどまいど」に寄ってみた。剛麺というのか、力強い麺のおうどん。今日は、「ぶっかけ小の冷や」をお願いしたので、太くてしっかりとした麺がそのまんま出てくるので、かみ応えがあるというか、のどごしがたくましいというか・・・。

 

 これは・・「通」が好きそうな麺やなぁ・・・。エッジがしっかりと立ってるわな・・・。でも、なんやかんやと考えている間に食べてしまったのだけれど。これで280円。

 

 これが坂出市水道局の「川津浄水場」跡。今は「浄水場」としては使われていないらしい。その、四つの浄水池に、72種17,000株、約10万本の花菖蒲が植え付けられているのだと。

 

 場所的に、広くもないし、駐車場も広くないが、このあたりでは珍しい場所だから、ご婦人たちがわんさかと押し寄せているし、介護施設やデイサービスセンターなんかの施設からの見学者が多い。

 

 かわつ花菖蒲園では毎年、早生(わせ)・晩生(おくて)など、開花時期の違う品種を混生させていることにより、開放期間中、咲き具合が移り変わっていく様子を楽しむことができるようになっている。期間中、何度でも出かけても、時期時期の花が見られるという。新品種は小桜姫(コサクラヒメ)、金星(キンセイ)、立待月(タチマチツキ)、夢の羽衣などがあるという。

 

 これも、当時の上水道施設の何かなんだろうと思う。

 

 この地図にある「鎌田池」や、坂出中学校も元は池で、坂出市の重要な水源だったようで、あの、久米通賢が築造したとも聞いた。現在の坂出市あたりは元は塩田地帯の跡で、昔は非常に水に困ったところだったらしい。で、この鎌田池から大きな木の桶に水を汲んで荷車で水を売る「水売りさん」がいたという。だから、現在の川津浄水場や、その東にある「貯水池」も、坂出市の水を確保する大切な場所だったに違いない。

 

 今はどうやって水を確保しているのかは知らないが、讃岐は昔から水との闘いの連続だった。その記念碑が、ここの浄水場跡なんだろうなぁと感じたことだった。

 

 人々は、すっかりと、そんなことを忘れてしまって無邪気に花の写真を撮ってばかりいるけれど、こうして、浄水場の跡地に花しょうぶを植えて世話している人々の苦労を少しは考えてみたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「この秋は、雨かあらしか知らねども きょうの務めに田草とるなり」というもの。横山丸三という人の「道歌」だとされているが、一方では「二宮尊徳」の歌だとする説もある。いずれにせよ、秋になれば雨が降ったり、嵐が来たりで、稲がどうなってしまうか分からないけれど、今はとにかく、目の前の雑草を取り除くことが大切なんだよと云うてるのであろう。今は、省力化などで、田草を取る光景も見なくなってしまったが、子供の頃には、「草突き器」とかで、草を取らされたものであった。

 

 さまざまな問題に対して、こうすれば大丈夫だとか、こうしておけば安心だとかといった確信が持てれば安心もできるが、逆に保証がない場合には不安に押しつぶされそうになってしまう。大きな問題にぶつかっている時にこそ、今、足下のことに全力でぶつかっていくようにしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨もまた 旅の土産と してみたい

2015年06月10日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れてはいたが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲の広がっている所があった。気温は18度から25度、湿度は88%から46%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり・・・。明日の11日は、四国の南海上に停滞している梅雨前線が北上するため、雲が広がり雨が降りやすい見込みらしい。

 

 この前から、「おへんろつかさの会」のホームページを担当しているが、そのトップ・ページのタイトル写真がいまだに桜の下を歩くお遍路さんの写真のまんまである。

 

 いつまでも、それではおかしいやろ・・ということで、夏の大窪寺あたりの画像が欲しいと思って出かけようとした。すると、奥方が、「そんな、勝手なことはやめて頂戴!!」と仰る。だって、おかみさんはピアノの練習でしょ。「ピアノは午前中で終わるの!!」だって・・・。

 

 結局の薬局で、お昼まで待たされて、しかも、おとなりのおばさままで連れて大窪寺へ行くのだという。<それは、無理やでぇ・・・>と思ったけれど、言い出したら聞かないのだから仕方が無い。

 

 大窪寺の門前にある「八十八庵(やそばあん)」に着いたのが11時58分。すぐにおうどんを注文した。今日は夏だから「団蔵うどん」を三人分頼んだら、「ここへ来たら、打ち込みうどんでしょう・・」などと通ぶって、奥方は打ち込みうどんを頼んでしまった。

 

 案の定・・・「熱い・・・」「あつい・・・」を連発して・・30分以上もおうどんと格闘していた。私はものの数分でざるうどんの「団蔵」を食べてしまって、境内の写真撮影を済ませて戻って来たのに、まだ、食べてはる・・・。「だから、云ったじゃないの・・・」

 

 今日のメインはこれ・・・。あじさい園の見学である。

 

 三人分の「無料入園券」を頂いて、裏山のアジサイ園に向かうが、おばさま二人はゆっくり・・・ゆっくり・・・。まるで、でんでん虫の行進みたいなものだ。

 

 ここが入り口のゲートである。入園は無料だけれど、入園券が必要。ま、整理券みたいなものだろうか。八十八庵で申し出たら、人数分の入園券を渡してくれる。むろん、おうどんを食べなくても、お土産をかわなくても大丈夫。大丈夫だけれど、おうどんも食べず、おみやげも買わずに、「入園券をくださいな」というのは、ちと、言いづらい。

 

 お店からあじさい園までは500mほどもあるだろうか。細くてなだらかな山道を右に左に進んでいくと、「入園券入れ」がある。

 

 お店の説明では、「入園者を確認するために入園券を入れてください」となっているが、入園者は、この数倍はいるような気がする・・・。

 

 とにかく、山いっぱいにあじさいの群れ・・・。人間様が、あんなに小さく見える・・・。

 

 お遍路さんも歩いて居るし、老人会らしい一団も歩いて居る。「新聞で見た」とか、「テレビで見たのはどこやろか・・」という人たちもいる。「まつたけはどこやろ・・」というトンチンカンなお方もおいでになる。

 

 ここの見頃は、この週末か、来週の半ば頃かなぁと云うていた。ま、あじさいの本数では、この近辺では随一かもしれない。奥方とおとなりのおばさまは足が痛くなった・・と、早めに寝てしまったということだった。だから、云わないことじゃない。

 

 今日の掲示板はこれ。「あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である。」という、『新約聖書』マタイによる福音書第6章からの言葉らしい。私達人間はいろいろな悩みを抱えながら生きている。しかし、過ぎ去った出来事をいつまでも悔やんだり、遠い未来を思い煩ったりするうちに、大切な現在を見失ってしまうことがある。

 それゆえ、あなたがたに言っておく。命のために何を食べ、何を飲もうか、また体のために何を着ようかと、思い煩(わずら)ってはならない。命は食べ物にまさり、体は着る物にまさっているではないか。

 空の鳥をみなさい。種をまくことも刈り入れることもせず、また倉に納めることもしない。それなのにあなたがたの天の父は、これを養ってくださるのである。あなたがたは鳥よりもはるかにすぐれているではないか。

 あなたがたが思い煩ったからといって、寿命を一刻でも延ばすことができるだろうか。着る物のことをなぜ思い煩(わずら)うのか。野のゆりがどのように育つかをよく見なさい。ほねおることも、紡ぐこともしない。あなたがたに言っておく。栄華をきわめたソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草をさえ、神はこのように装ってくださるのだから、ましてあなたがたに対しては、なおさらのことではないか。

 だから、あなたがたは、『何を食べようか』、『何を飲もうか』、『何を着ようか』と思い煩ってはならない。あなたがたの天の父は、これらのものが皆、必要であることを知っておられる。

 まず、神の国とそのみ旨(むね)を行う生活を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて、あなたがたに与えられるであろう。

 だから、あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


花しょうぶ 雨が欲しいと うなだれる

2015年06月07日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、前線の影響で雲が広がってきた。気温は14度から25度、湿度は92%から62%、風は2mから4mの南東の風が少しばかり。明日の8日は、前線の影響で雲が広がり、昼前から雨が降る見込みらしい。

 

 そろそろと、「みろく自然公園」の蓮の花が開く頃かなぁ・・ということで、出かけてみた。咲くには咲いていたが数輪ほどの花だった。まだまだ、これからだなぁと思ったことだった。

 

 蓮の花がまだだったら、どこに行こうか・・・と考えて、早めに、亀鶴公園の「花しょうぶ園」を見ておこうか・・・ということで、さぬき市長尾東にある、「亀鶴公園」にやってきた。ようやくに警備員が配置について誘導を始める前だったので、入りやすくて出やすい場所に車を停めた。

 

 時計をみると、まだ、8時20分過ぎだったので、人ではパラパラと言う程度。じっくりと、花菖蒲を見ることができた。

 

 このおじいさん、変わったカメラを持っている。なんとも旧式らしくて、フィルムカメラみたいだったので、声を掛けてみた。

 

 こういうカメラだった。もちろん、デジタルカメラだった。Fuji-Filmの、FX X100Sというらしくて、10万円以上もするらしい。それを先ほど、コンクリートの床の上に落として、調子が悪くなったと悔やんでいた。おじいさんだと思って油断をしていたら、写真の大家だということだった。A3版に引き延ばしても、このカメラは耐えられるとかなんとかの講義をしばらく受けた・・・。

 

 このおじさんは、さぬき市ケーブル・テレビのカメラマンらしい。8時半を過ぎたら、もう、手前の駐車場は一杯になってきたし、人の数もぐんと増えた。

 

 手前がさぬき市のマスコットの「サッキー」。あと二体は徳島県からのお客様らしい。

 

 こちらは、浴衣を着た「かぐや姫」である。なんで、かぐや姫なのかはわからなかった。ただ、この町(旧長尾町)は「竹の町」ということで、竹製品などの「加工品」が多い。そこで、竹から連想する「かぐや姫」を担ぎ出して、「かぐや姫カーニバル」というイベントが秋には予定されている。そのかぐや姫と、関係あるのだろうか。

 

 で、オープニングは、テープカットならぬ「しょうぶカット」で始まる。鉢植えのしょうぶを、鎌で刈り取る・・・というワイルドさ・・・。この来賓の方は国会議員さんや県議や市議の先生方や市長さんら・・・。

 

 その後、国分寺太鼓の演奏やら、「さぬき舞人」によるヨサコイソーランの演舞などが行われる。

 

 これが、その「国分寺太鼓」で、女性が中心の太鼓チームらしい。

 

 会場には、アイスやらおでんやら、おうどんやらの模擬店も出ていてにぎやかだった。ものはついで・・・ということで、「きつねうどん」を注文した。300円だった。

 

 これが、その「きつねうどん」である。こういう場所で、みんなで食べるからおいしいのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「ほんとに忙しい人は 忙しいなんて云わないものだよ」という、荒了寛さんの言葉から。ついつい、「忙しいから」とか「忙しくって・・」と云うと、必ず、この言葉が返ってくる。「本当に忙しい人は、忙しいなんて云わないよ」って。そう、言われると、「だって、忙しいんだもの・・」と思ってしまうのだけれど、実際はどうなんだろうか。本当に忙しい人は、「忙しいと」気づかないんだろうか。ヒマだから「忙しいと」感じるんだろうか・・。忙しいときには忙しいんだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


夏が来た 睡蓮池に 午睡する

2015年05月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で薄雲が広がっている。気温は17度から29度、湿度は84%から59%、風は2mから5mの南南東の風が少しばかり。明日の29日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 香川県立図書館で借りていた本も、読み切れていないのだが、来週は京都に行くこともあって、本の返却をしておかねばと思って出かけてみた。旅先で何事があるかも知れないってことで、公共の本は、ひとまずお返ししておいたほうが良い。

 

 日本一、狭い県の香川県だけれど、調べ上げたらずいぶんといろんな人がいるもんだ。ま、とりあえず、「向山周慶」とか「軒原庄蔵」とか「平賀源内」、「久米通賢」とか「丸尾五左衛門」なんぞを調べていた。

 

 よせばいいのに、またしても、こんな分厚い町史を借りて来た。ここには、文庫本1冊にもなりそうなほどの「讃岐製糖業」の情報がたっぷりと・・。さすが、専門家、学者さんやね。事細かに調べあげてくれている。

 

 で、今日はここにやってきた。高松市仏生山町にある「仏生山来迎院法然寺」さん。来週に、法然上人の研究発表会があるので、そのご挨拶までに。

 

 ここは、歴代高松藩主の位牌が納めてある「松平家御霊屋(みたまや)」というお部屋。世が世ならば、こんな所に入ったら「無礼打ち」とか「打ち首獄門」になるかも知れない。昔はここから、裏山の「般若台」まで秘密の抜け道があったそうだが、度重なる地震とかで埋まってしまったとか聞いた。

 

 この御霊屋の右手前に、こんな人がいた・・・。「高松松平藩初代藩主・松平重公」であらせられる。合掌お念仏して、失礼した。ここは、一般の拝観コースには入っていなかったが、扉が開いていたのでお邪魔した。

 

 ここが本堂で、本尊は阿弥陀如来さまである。この右側には「善導大師」さま、左手には、法然上人さま、親鸞聖人さまの「お木像」が並ぶ・・・。

 

 この大きなお厨子が「法然上人」さまで、左手が「親鸞聖人」さまである。ここで、「来週は京都で研究発表を行いますので・・」と、ご挨拶申し上げておいた。内陣の、このすぐ前で合掌・礼拝(らいはい)しておいた。

 

 本堂の次は「納骨堂」。ここには、「骨仏」というものが安置されている。この三体が、それ。その反対側に、初代の「聖観音像」がある。つまり、四体の「骨仏」があるということになる。この手前の真新しい物が、近年に制作されたものという。納骨された「遺骨」を、この像に塗り込めてあるのだという・・・。

 

 これが、「平成二十六年」に開眼供養された阿弥陀如来像の「骨仏」である。

  

 で、ここからが、祖師堂である。建物は「三仏堂」と呼ばれているが、ここには歴代の住職上人のお木像が並んでいる。この手前の方は「法然上人」さまである。

 

 私が子供頃には、薄汚いものが並んでいただけだったが、近年には床も天上も、上人像も修復されてきれいになっている。こういうものが、南北にわたって東西に並んでいる。その要所を守るのは「四天王」である。

 

 その人たちに守られて、中央にあるものが、この涅槃像である。正面に阿弥陀三尊像が安置されているので、「三仏堂」とか「涅槃堂」とか呼ばれている。

 

 昭和の中頃までは、みんなで、この涅槃像のすぐそばまでお参りできて、腕とか、目とかは色が変わってしまっていて、まるでお釈迦様が目を開けて生きているよう・・・。

 

 天上から、お母さんの「マーヤ夫人」が薬を投げたが、木の枝に引っかかって、お釈迦様のところには届かなかったのだという。このことから「投薬」という言葉が生まれた・・・とか聞いた。

 

 ふと、見れば、時計は11時を少し過ぎていた。そこで、境内にある、この「竜雲うどんん」に入ってみたら、もう、早くも満席状態・・・。私は一人だから、ゆっくりと座ることができた。

 

 席に着くと、後から後からお客さんが入ってきて、すぐに満席になった。私は、この、「担々つけうどん小」をお願いした。580円だった。まだ、義歯がなじまないので、何を食べてもおいしくはない。

 

 ザルうどんを、このつけ出汁につけて食べる。最後に、このお出汁を、ご飯の上に掛けて食べる方式である。隣の席では、大阪のおばちゃんを讃岐の人が連れてきたのだが、大阪のおばちゃんは「中華そば!!3つやで~」と言うてはる。讃岐のおばちゃんが、「ここは讃岐やで、おうどんを食べてよぉ~」と言うのだが、「かまへん、かまへん。うちらは、中華そばや」と賑やかなこと。かなわんなぁ・・・。

 

 今日の掲示板は、途中のお寺でみつけたもの。「拝まないものも拝まれている 拝まない時にも 拝まれている」というもの。東井義雄さ先生の詩からである。仏さまに背を向けているような私であっても、仏さまは常に私を照らし続けてくださっている。私が仏さまを拝むより前に、仏さまの方が私を拝み続けてくださっていたというのである。私達の中の拝む心に先立って、亡き人・先祖から拝まれているのだと東井先生は言うのである。私達が忙しい忙しいとあくせく働いている日々の中で、亡き人を拝む心を忘れている時にも、常に思いがかけられていたんだと。しかも拝まない者にも「どうか手を合わせ拝む人間になってくれよ、そして迷わず正しい道を歩めよ」と願っておられるのだと言う。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


まだ慣れぬ 山ほとぎす 鐘ひとつ

2015年05月24日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がるけれど、その後は高気圧に覆われるため、昼過ぎから晴れていた。気温は16度から24度、湿度は89%から44%、風は3mから1mの南南西の風が少しばかり・・・。明日の25日は、高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後からは大気の状態が不安定となり、雨の降る所があるらしい。

 

 今日は、天気がいいからか、朝から、「テッペンカケタカ」「テッペンカケタカ」の声がうるさいほど・・。まだ、「東京特許許可局」には聞こえない。「テッペン、駆け寄る」「テッペン、カケヨル」程度・・・。のど自慢なら、鐘一つ・・・。

 

 さて、天気もいいし・・ということで、今日は善通寺市西部に行ってみた。すぐそこは、弥谷寺が近い場所。山道を進んだら、弥谷寺に入っていきそうな場所・・。この地下道みたいな所は、上を高松自動車道が走っていて、鳥坂(とっさか)峠がすぐそこ・・・。

 

 そんな遍路道みたいな場所に、こんな怪しげな場所がある。

 

 見上げた上には、こんなものが・・・。これは、何を意味するものであろうか・・・。とにかく、行ったり来たり、戻ったり・・・。ここは、一体、何が有名で、何が特徴なのか・・。

 

 昔の人は「巧者」なものだ。何か、仏様でも彫ってあるみたいだけれど・・。地元の人は、「蛇石」だというのだが、何が、どう、「蛇」なのかわからない・・・。とにかく、知らないものは、知っている人の半分も知らない・・・。

 

 これが、その供養石と言われるものである。法然上人さんがここを通りかかった時、弟子に汝の父が蛇になって、この岩の中で苦しんでいると言って、岩を割らせて、これを救い出したと伝えられているらしい。

 

 これが、供養碑に刻まれている歌の拓本であるが・・・。「さむくとも 袂にいれよ 西の風 弥陀の国より ふくと思えば」という歌らしいが、なんで、この歌がここにあるのだろうか。この歌は、親鸞聖人が、越後から常陸国をご教化の際に、懐かしさのあまり、お弟子二人を伴って、大雪の中、日野左衛門の館を訪ねたのが、建暦2年(1212)旧暦11月27日の夕方であった。主はそれとは知らず、一夜の宿も貸さぬばかりか、仏道修行をする者は身命を惜しまず野や山に寝るのがあたりまえ、雪や嵐を苦にして安楽に宿をとるとは何事か、と悪口を申して門前まで追い出してしまった。聖人は、日野左衛門のこのような態度に腹も立てず、自分を戒め、日野左衛門のみ教えの未熟さを歎かれ、この者をここで救わなかったなら、彼は一生苦しむであろう、あの邪険驕慢な態度を直して救うのが私の務めだ、と決心された。厳冬の夜、降り積む雪の中では、いくら修行の身とはいえ、寒さが身にしむので、心配したお弟子がお声をかけると、「寒くとも袂(たもと)に入れよ西の風 弥陀の国より吹くと思えば」と読まれ、二人のお弟子を諭し、門の扉止めの石を引き寄せて休まれたという。その扉石が「お枕石」であり、「枕石寺」というこの寺の名前になったと伝えられているが、その親鸞聖人の歌が、なんで、ここに刻まれているのであろうか。

  

こうして見ると、まさしく、蛇が口を開けて襲いかかってくるようである。それをさせじ・・・と、法然上人が、供養碑を口に建てて、噛みつくのを防いでいるようにも見える。

 

 こちらは、全く、逆方向にあたる、旧の仲南町十郷買田という地区。土地勘がまるきりないので、これを、どう、読むのかはわからない。琴平町から、宮田の法然堂に向かう川の中にあるものだが、ここを、「法然上人腰掛け石」と呼んでいる。「南無阿弥陀仏」と刻まれた「名号石」以外には何も見えない。まさか、この「名号石」に腰を掛けた訳でもあるまいに・・・。

 

 これでは、まるで、どなたかのお墓みたいではないか・・・。法然上人は、どこに腰を掛けたんじゃろうか・・・と、見回すこと10分余・・・。

 

 あれじゃろうか・・、これじゃろうか・・。ま、これが一番に近いから、これだろうかと思うばかり・・・。

 

 さて、午後からは、例によって例のごとくに、「おへんろつかさの会ホームページ」の作成をやっておく。ホームページ・ビルダーのクラシック版では「公式ホームページ」を。SP版では、「WordPress」仕様を、ほぼ、カスタマイズできた。

 

 で、出来上がったものを、「ドキュメント化」しておく。「コンピュータ 電気なければタダの箱」にならぬように、証拠を紙に残しておくという、相変わらずのおじさん手法・・・。

 

 余った時間で、「向山周慶」の別視点からの「パワーポイント化」もやっておく。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は いろいろあるから 退屈せんでよい」という 曹洞宗の僧侶、余語翠巖(よごすいがん)さん(1912-1996)の言葉から。確かに永い人生に於いて様々なことが起きては過ぎる。それを退屈せずに楽しむか、退屈しながら漫然と過ごすかで人生の味わい方は大きく違う。有り難いと思って過ごすのか、苦痛だと思って過ごすのかでも人生は大きく違う・・・。その選択で、人生の味付けも変わってくる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


麦秋を 分けて来て見る 法然堂

2015年05月15日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっている。夜遅くには前線の影響で雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。気温は15度から27度、湿度は94%から70%、風は2mから4mの南南東の風が少しの蒸し暑い一日になった。明日の16日は、前線の影響で雲が広がり、明け方まで雨となる見込みらしい。

   

 で、今日はまたしても「法然上人の足跡」を再確認するために、綾歌郡まんのう町にやってきた。ここは、まんのう町四條というところにある、「真福寺森跡」。正面にある農具倉庫あたりに真福寺があったらしい。今は小さな五輪塔などが残るばかり・・。正面の山が「象頭山」こんぴらさんの「旭社」がかすかに見える。

 

 ここが、法然上人が止住したという「正福寺跡」らしい「西念寺」さん。このあたり一帯を「小松之庄」と呼んでいた。

 

 近くにあった、セミセルフのお店でお昼になった。ここは、セルフなのか、一般店なのかよくわからない。

 

 で、今日は蒸し暑いもんだで、「冷やかけ小」で200円・・・。あっさりと呑み込んでしまった。

 

 で、トイレ休憩を兼ねて、ここに寄った。国道32号線、もみの木の群生から『もみの木峠』と名付けられた峠沿いにある道の駅。仲南地区は飛行機発明の祖、二宮忠八が世界で初めて飛行原理を着想した地で、駅には、忠八翁が考案した玉虫型飛行器を復元した原寸大模型を展示している。

 

 これが、「二宮忠八飛行館」。 ライト兄弟が有人動力飛行に成功する14年前、世界で初めて飛行原理を着想した二宮忠八。子供時代から好奇心旺盛で、製図や漢文、絵画など進んで勉強していた。大空への夢を馳せながら何度も努力し続けた忠八。夢の実現に向けてカラス型飛行器や玉虫型飛行器を製作していったアイデアの発想のすばらしさに気づくとともに、各種のデジタルコンテンツなどを通して、「21世紀を担う子供達に夢見る力を育む」をテーマに展示を行なっている。(同館HPより)

 

 これが、「玉虫型飛行器」、飛行機ではなくて、「飛行器」である。

 

 こちらが、「カラス形飛行器」。

陸軍従軍中の1889年、「飛行器」を考案。その翌年には、ゴム動力による「模型飛行器」を製作。軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ二度行なうも理解されず、以後は独自に人間が乗れる実機の開発を目指したが、完成には至らなかった。なお、「飛行器」とは忠八本人の命名による。また、忠八の死から18年後の1954年、英国王立航空協会は自国の展示場へ忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している。

 

 1887年(明治20年)、忠八は徴兵され、香川県の丸亀歩兵12連帯第1大隊に入隊した。ある日(1889年11月のことという)、忠八は野外演習の休憩で昼食の弁当を取っているときに滑空して来るカラスを見て、羽ばたいていないのに気付く。そして、翼で向かってくる風を受けとめることができれば、空を飛べるのではないかと考えた(固定翼の着想)。

 

 それを基に忠八は、「模型飛行器」を作成。これがいわゆる「烏(からす)型飛行器」である。主翼は単葉で上反角を持ち、翼幅は45cm。全長は35cm。機尾に水平尾翼、機首に垂直安定板があった。また三輪を備えていた。推進力はゴムひも(陸軍病院勤務であった忠八は聴診器のゴム管を流用した)で駆動される推進式の四枚羽プロペラであった。しかし、軍部の対応は冷たく、忠八は開発をあきらめて製薬会社を興した。

 

 大正8年、同郷の陸軍中将白川義則と懇談後、ようやく軍部は忠八の研究を評価し、大正11年(1922年)、忠八を表彰、その後も数々の表彰を受けた。1925年(大正14年)9月、逓信大臣から銀瓶1対を授与され、大正15年5月、帝国飛行協会総裁から有功章を受章、昭和2年勲六等に叙せられ、昭和12年度から国定教科書に掲載された。すでに陸軍を退役していた長岡外史は直接忠八のもとを訪れ、謝罪した。忠八はその後、飛行機事故で死去した多くの人を弔うために飛行神社を設立、自ら神主にもなっている。

 

 旧仲南町のマンホールである。カラス形飛行器と特産のタケノコと梅があしらってある。

 

 今日の掲示板はこれ。「まっすぐな木はまっすぐ使え 曲がった木は曲がったまま生かせ」という、いつもの荒了寛さんの言葉から。世の中には不遇な人がいるもので、曲がった木は役に立たぬと捨てられてしまう。二宮忠八もその一人。「戦時中だから・・」と、言われ、「衛生兵の考えることではない」と却下もされた。ようやくに自費で飛行機を作り上げた時、すでにライト兄弟に先を越されていた。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


雲のない 空いっぱいに ホトトギス

2015年05月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から次第に雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は11度から25度、湿度は80%から45%、風は2mから6mの南南東の風が少しばかり・・。明日の12日は、低気圧や前線の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 掛かり付けの歯医者さんから、「そろそろ虫歯の治療をしましょうか」と言われたので、出かけることになった。今のところ、痛みも自覚症状もないのだが、そろそろ、歯が危なそう・・・というので、仕方なく出かけたが・・・。

 

 下の前歯が虫歯になっていて、折れそうで危ないというのだが、ヘタに触ると折れてしまいそう・・・ということで、あれこれやってみたが、今の段階では、このまま置いておこうか・・ということになった。痛みが出るか、折れてしまったら、そのときに対処することにして、治療はやめになった。なんじゃらほいほい、なんじゃらほい。

 

 で、久々に、ここにやってきた。東かがわ市小砂(こざれ)にある、「庄松同行墓所」またの名を「小砂説教所(跡)」である。昨日も観光バス2台がやってきた・・・と、地元の方が教えてくれた。その割に、芳名録には一人分の署名しかなかったのだが・・・。

 

 これが、「釋正真信士墓」と刻まれた、庄松(しょうま)同行のお墓である。このお墓は追善供養の墓ではなくて、報恩感謝の石碑である。没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。

  

 右一間は本尊阿弥陀如来立像で、左三間が庄松同行に関する祭礼壇である。読経拝礼は、この尊前前で行われる。

 

 これが、その「庄松同行」の似顔絵である。庄松同行は讃岐の国大川郡(ごおり)丹生(にぶ)村土居(現・香川県東かがわ市土居(どい))に生まれて、父を谷口清七といい、真宗興正派の同市三本松にある海暁山海暁閣勝覚寺の門徒であった。世にも稀な信者で、頑愚無欲で一生涯を独身で暮らし、東西に遊化し、よく人を諭したと伝わる。その言うところは質素ぼくとつ、ありのままにして、しかもご法義にかない、おもしろくありがたくあったと言われてきている。

 

 「石田村の一蔵同行が見舞いにきて云えるには、同行が死んだら墓をたててあげましょうと云えば、庄松『己れは石の下には居らぬぞ』と云われた。」絶対の慈悲に浴して、大信をさずかった者には、墓も卒都娑もいらぬ、追善、供養、施餓鬼一切無用である。追善供養は悪道に堕ちた者へする仕業である。庄松は極楽往生は治定の身であるからである。“親鸞聖人は、自分のなきがらは加茂川の魚に与えよ”と仰せられたではないか。「庄松は墓石の下にはいないぞ」である。然し、庄松の墓があるのは、御同行による報恩謝徳のはからいである。御恩報謝の念仏と同じである。供養のためではない。

 さて、ここにも半年ぶりかでやってきた。さぬき市津田にある「さぬきうどん羽立(はりゅう)」さんである。一般店でありながら、早くて安くて旨いお店である。

 

 ここは、こういうカウンター席だけしかなくて18席。それでも、回転が速いから、ここで行列になるのは見たことがない。席に着いて注文して、出来上がれば、カウンターの上に置いてくれるので、それを取って食べる。食べ終われば、上の段に戻して、会計をしておしまい。

 

 今日もあっさりと「わかめうどん」で300円。

 

 第一陣の田植えはあらかた終わったみたい。次は6月上旬から中旬・下旬・・・と続いていく。水利組合の慣行などから、6月10日とか、満濃池のゆる抜きとかが行われてから田植えに入る。このあたりの県営ダムの放水は6月上旬になる。

 

 東かがわ市からさぬき市へ入り、北から北上してさぬき市多和から兼割を経由して大窪寺で休憩。ここの藤の花もおしまいの様子。花の季節も一段落したみたい。

 

 ちょうど、お昼時ともあって、お遍路さんの姿も三々五々。

 

 今日の掲示板はこれ。「庄松いわく また生えにゃよいがのう 角があるまんまと聞こえなんだか」という、小砂説教所跡にあったお皿に描かれた言葉から。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありがたかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいがのぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるままお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


芍薬を 切ったハサミを 持たされる

2015年05月06日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、昼過ぎからは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がってきた。気温は12度から24度、湿度は90%から53%、風は2mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の7日は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、朝まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 娘家族も帰っていって、また、夫婦二人の生活に戻ってしまった。山の旧宅の様子を見に行ってきたが、あの、「竹藪の怪人」の姿が見えなくなった。

 

 タケノコは、布団を脱ぎ飛ばして空を目指して伸び出した。ようやく重い目隠しが取れて気楽になったことだろう。

 

 過去の記録をみると、大窪寺前、八十八庵裏山の「シャクナゲ」が満開になっていることだろうと出かけようとしたが、奥方からのストップがかかって、私も連れて行け・・と仰る。面倒だけれど一緒に行くことになった。その上、ご近所のおばさんまで誘って行くことになった。

 

 ところが、行ってみると「終了しました」との張り紙が・・・。すると、奥方が「穴吹川へ行ってみたい・・」と言い出して、途中のスーパーでお弁当やら飲み物を買って、徳島県美馬市穴吹町に向かって走り出した。大窪寺からは南の方向になる。

 

 穴吹川は剣山に源を発して美馬市山間部の木屋平地区を北流し、穴吹地区で吉野川中流に合流する流程約41kmの河川。流域人口は推定約8千人。比較的小規模な川だが、吉野川の支流として一級河川の扱いをうけている。水質は良好で国土交通省四国地方整備局の一級河川水質調査により「四国一きれいな川」であると認定を受けている。天然の川魚が生息し、天然ものの鮎も吉野川から遡上する。夏休みには大勢の観光客であふれる水系でもある。

 

 早くも何十組の家族連れが川の中で清流を楽しんでいる。ちょうど、食事時ともあって、ここだけでも8組ほどの家族連れが食事を楽しんでいる。

 

 私は「焼き肉弁当」の390円。奥方たちは「シャケ入り竹の子弁当」+「アジの姿寿司」などというご馳走を食べている。

 

 ちょうど、ここは河川改修工事が行われているらしかったが、今日は工事はお休みだった。

 

 子供たちは、早くも裸ん坊になって川の中に入って大はしゃぎをやっている。

 

 これは、「知っていてもしらん・・・」という、紫蘭の花。これが、このあたりに自生しているのだ。どこかから、種か根が流されてきたものだろうか・・・。

 

 元気なこどもたちのはしゃぎ回る姿を目にしながら、穴吹川を後にしたのだった。

 

 次いでやってきたのは、美馬市穴吹町の穴吹川沿いの休耕地に植えられた「ポピー畑」。穴吹ポピー園へは、国道192号線から国道492号線(木屋平方面)へと入り、平ノ内の橋を渡り、県道254号田方穴吹線を数百メートル先右手にある。

 

 個人が運営されているポピー園であるが、駐車場を数箇所設けておられる。入園は無料。毎年沢山のポピーを咲かせて、県内外の観光客の目を楽しませているとのこと。国道492号線から見たポピー園の景観も素晴らしいものだった。

 

 穴吹町から脇町へ戻り、阿波市道の旧道を東進して「阿波の土柱」前を通り、阿波市八坂という集落に入る。その先、尾開(おばり)という集落に、今度は「シャクナゲ花壇」という、シャクナゲ園があった。

 

 ここは、「阿波はくちょう会」というグループが育てている芍薬園らしい。入園料は無料だが、切り花にすると、一本100円から・・・。

 

  新しく生まれた「阿波市八坂」(旧市場町尾開字八坂)に、1,000株の芍薬畑がある。1,000株から10本の茎が出ても、10,000本の花が咲いていそうなものだが、切り花として販売しているから、花の数は多そうには見えない。

 

 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は…」と、美人の形容に使われる牡丹と芍薬の花は 区別が難しいのも事実であるが、その違いについてまとめてみた。

項 目 ボタン(牡丹) シャクヤク(芍薬)
科名・属名 ボタン科・ボタン属 ボタン科・ボタン属
原産地 中国 中国
木本・草本の別 木本性 草本性
小葉の切れこみ あり なし
蕾の形 先が尖る 先が丸い
その他 枝分かれする 枝分かれしない

 つまり、牡丹は木であり、シャクヤクは草である・・・というのが基本的な違いらしい。

 

 今日で大型連休はおしまいの人がほとんどだろう。ま、私は、全く関係ないので、連休らしいことは何一つなかったのだけれど、気分転換に、明日から、島の家に帰ることにする。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間 みな兄弟 よろこびも悲しみも わけあって生きよう 分けあえば よろこびは大きくなる 悲しみは 小さくなる」という東井義雄先生の言葉から。原文は、

よろこびは大きく
人間 みな兄弟
よろこびも 悲しみも
わけあって 生きよう
わけあえば よろこびは大きくなる
悲しみは 小さくなる

 というもの。「愛の力」というものを教えてくれている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


藤棚に 声なき風が 二礼する

2015年05月02日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14度から24度、湿度は94%から64%、風は1mから2mの北東の風が少し。明日の3日は、はじめ晴れるけれど、気圧の谷の接近で次第に雲が広がり、夕方から雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝方は、おこたを片付けて書斎の大掃除。おこたを片付けるには参考書やデスクトップPCやら雑誌のたぐいなんぞを一時避難させておいてでないと作業にならない。いらない書類やらパンフレットなんぞもいつの間にか溜まっている。

 

 9時前にはどうにか片付けが終わったので、けいこばぁとお出かけすることになった。

 

 やってきたのは、香川県立ミュージアム。高松市玉藻町にある歴史博物館である。

 

 「春うらら」と題する「イングリッシュ・ガーデン」の展示会らしい。これをお奥方が是非とも見たいと仰るのだ。

 

 世界最大のボタニカル・アート・コレクションを誇る英国キュー王立植物園の17世紀から現代までの貴重なボタニカルアートの優品を中心に、植物のイメージから生まれた装飾美術やガーデニングの資料などを交え、厳選された約150点を展示している。世界遺産キュー王立植物園のコレクションは、四国初公開なのだという。この絵は、ユリ科の「オオカンユリ」である。こういうスケッチ、絵画などがこれでもか・・と並んでいる。

 

 これは「スイレン」を描いた陶器皿。絵柄の花は、当時出版された植物雑誌のイラストから採用され、19世紀初頭には、東アジアから到来したばかりの魅力的な植物であった。また、英国一の陶磁器会社を創設したウェッジウッド家とダーウィン家とは親戚で、『種の起源』の著者、チャールズ・ダーウィンがこれと同種の食器セットを所有していたという。

 

 肝心のイングリッシュ・ガーデンのコーナーはわずかしかない。とにかくお花に関する洋服、陶磁器、絵画、日本が、洋画のアートなどが並んでいるばかり・・・。少しばかり当て外れ。

 

 それでは・・・ということで、やって来たのは孔雀藤で有名な岩田神社。藤まつりをやっているというので来てみた。

 

 お客さんの言うことには、ここの藤はもう、終わりに近いのだと。へ・・・、盛りはいつだったんだろ。「五月になったら・・・」、「五月に入れば・・」と言うていたのに・・・。

 

 ここにも「春五月には・・・」と書いてあるのに。2メートルにもならぬうちにおしまいなのか・・・。

 

 そうか、もう、おしまいなのか。そういえば、露店が2軒から1軒になっていたな。

 

 近くの幼稚園児が奉納した絵馬だというのだが、幼稚園生が「大金持ちになりたいです」というのは、感心せんなぁ・・。最近は「キラキラ・ネーム」とかいうのが流行っておるらしいが、「かずら」君というのは、どういう字を書くのやら・・。

 

 途中のコンビニでお弁当やお茶を買って・・・。

 

 高松市西植田町にある藤尾神社にやってきた。ここで、フジを見ながらのお弁当。何組かの家族連れが同じようにお弁当を食べながらのフジのお花見。ここもハラハラと花びらが散っていた。

 

 山は新緑。車の中は暑いくらいだった。

 

 五月になればサツキの季節。これを見ると夏になったなぁと思う。世の中はゴールデンウィーク中だが、このあたりでは田植えの真っ最中。会社員はこの休みの間に田植えを済ませてしまう。あちらでも、こちらでも田植え機が走り回っている。

 

 最後は、町内にある「みろく自然公園」の「ふじ園」にやってきたが、けいこばぁは、もう、動かない。これだけフジを見たらもう満腹・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「不幸はすぐわかるが 幸せはなくしてからわかる」という、いつもの「荒了寛」さんの言葉から。普通に暮らしている時は、不幸だとは思うことはないが、特に幸せだと思う事もない。ところが、幸せを気づく瞬間がある。それは、なくした時である。「幸せはなくしてからわかるもの」なのである。なくして初めて気づいた幸せに、感謝するのである。あの時は幸せだったんだ・・・・と。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


若葉切る はさみの音の 鈍い朝

2015年04月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で太平洋側を中心に雲が広がってきた。気温は14度から22度、湿度は84%から55%、風は2mから4mの南南西の風が少しばかり。明日の29日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、昼過ぎから雨の降る所がある見込みだとか。

 

 とある所から講演を頼まれているので、その証拠写真を撮影するために「東かがわ市」に行ってきた。ここは3月だかに開通した「国道11号線大内白鳥バイパス」という新しい道路。このバイパスは、国道11号線の慢性的な渋滞緩和と高松自動車道・白鳥大内ICへのアクセス向上が目的らしい。

 

 これが目的の神社で、

 

 名前は「向良(こうら)神社」と読むらしい。地元では「さとがみさん」という。「砂糖神さん」の意味である。うむ?砂糖の神さんかい・・・。

 

 これは立派な無縫塔。由緒ある人でないと、こういうお墓は建ててもらえない。これが「向山周慶(さきやましゅうけい)」というお医者さんのお墓である。奥方の名前も刻まれているから「夫婦(めおと)墓」である。

 

 こちらが、奄美大島からのお遍路さんだった「当盛喜 改め 薩摩関良介(せき・りょうすけ)」という人のお墓。この二人の名前から「向山」の「向」+「良介」の「良」=「向良」神社になったのだとか。

 

 ここには、生誕の地まである。私の若い頃には古いながらも立派なお屋敷があった。今は、こんな石碑があるばかり・・・。でも、神様になって神社まで造られたのだから偉大な人に違いないが、あんまり、聞いたことのないお名前の二人・・・。そして、民話・伝説の主にまでなっているのである。

 

 そのあたりで、時間をつぶしておいて・・・。

 

 11時前に、昨日の抜歯後の様子を確認するために、歯医者さんにやってきた。今日は、じろりと口の中をのぞいただけでおしまい。あっという間の診察だった。それでも料金は140円。今度は連休後の11日だそうだ・・・。

 

 今日も、山の旧宅、「木村宅や」に行って来たが、さすがにタケノコは一段落したみたい。明日にでも一雨が降れば、またもニョキニョキと出てくるのかもしれない。こちらも、毎日まいにちのタケノコ料理は一休みしたいところ。

 

 午後からは、撮ってきた写真を使ってのスライド作り。今日はまだまだ背骨の段階。30分から40分程度になるように肉付けするのはこれから・・・。

 

 講演はまだまだ先のことだが、忘れぬうちに準備だけはしておこうと思って。今回のお話の外にも2本、3本のお話も用意しておきたいし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなにつらい悲しみにも それにふさわしい幸せがきっとある」という、荒了寛さんの言葉から。この後に、「いまが幸せと思わないと一生幸せになれない」と言う言葉が続く・・・。 こうして一日を大切に生き、揺るぎない座標軸を持てるようになれば、きっと満足できる人生と実感 できるようになるのだろうか。しかしのかかし、それを毎日続けるには、強い精神力が必要なのではないだろうか。そんな力は無い私。まずは、その第一歩と考え、きょう一日をしっかりと生きていくことから始めていきたいと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


一日が あっという間だ 山つつじ

2015年04月25日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は11度から23度、湿度は86%から30%、風は3mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今朝も5時半に起きて、6時から三木町の弟の畑を借りている農園の手入れにかり出された・・・。この豆畑も植えたら植えっぱなしだった。そろそろ、諦めたら・・と言うとひどく叱られた。

 

 畑仕事は1時間ほどで終わったので、気分転換に、またしても香川県立図書館に行って来た。借りた本のうちの二冊が気に入ったのでアマゾンで探したら中古品が安くなっていたので注文した。だから、返却をしてきた。

  

 「香川県のふじの名所」で検索したら、①岩田神社 ②藤尾神社 ③みろく自然公園・・・とあった。岩田神社と藤尾神社には行って来た。灯台もと暗し・・・というころで、町内のみろく自然公園にも藤棚があったのか・・・ということで、ここにやってきた・・・と言う訳。

 

 公園の管理事務所の前に少しばかりの藤棚があった。でも、三分咲き程度・・。これだけの藤棚で、香川県下三位なんか・・・と、案内看板をじっくりと眺めたら・・・。

 

 ふじ園・・・というのが確かにある・・・。250m先だが、歩いて行こうと決めた。少しは歩かないと歩けなくなってしまう。

 

 途中の遊園地には親子連れの子供が大勢で遊んでいる。ここだと車も来ないし、お金もかからないし、安全に遊ぶことが出来る。若いお母さんばかりだった。

 

 しばらく歩くとふじ園があった。あったが・・・二分咲き程度。案内看板には「5月」と書いてあったが、5月にならないと無理か・・・。

 

 日当たりのいいところが開花したばかりみたい。

 

 これは若い藤の木たち。

 

 やっぱり、5月にならないときれいにはならないみたい。

 

 マンサクの花・・・と書いてあったが、詳しいことは知らない。

 

 藤の花は諦めて、この公園の中にある「みろく奥池」を一周してみることにした。先日の病院で、体重が67Kgという数字を表示した。ここの体重計は2Kgほど多く出る・・・・と、私は思う。でも、最近は階段を昇るとき、身体が重いように思う。

 

 だから、少しはしっかりと歩かなければ・・・と思う。季節は寒くなく、暑くなくてちょうどいい時期。

 

 もみじの若葉も鮮やかでいいし、

 

 春もみじの赤もいい。ここいらで一句・・・と思ったけれど想い浮かばない。

 

  午後から、山の家に行って来たが、さすがにタケノコを掘る元気はなかった。「もう、タケノコはいや・・・」。掘るのも、見るのも、食べるのも・・。

 

 寒い寒いと云うていたのに、あたりはすっかりと夏の景色。間もなくエアコンだ、冷房だと云わなければならなくなる。人生はあっという間だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「一生、一度一回限り やり直しのできない 誰にも代わってもらえない それが私のいのちです それがあなたのいのちです」という赤松先生のお寺の掲示板から。一期一会という言葉がある。一生に一度限りと言う意味を簡潔に表現した言葉で、考えてみると、私たちが経験する事柄は場所や時刻の違いまで含めると、どれも一生に一度限りと言える。おそらくそんな事実は誰にとっても当然すぎることであり、一期一会は日常体験では意識されない事実の一つになっているような気もする。しかし、そこに自分のいのちを乗せて考えてみたとき、その尊さと貴重さを思い知らされる。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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