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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

山椿 うれしいことは 小声にて

2017年01月26日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は0.4度から9.8度、湿度は90%から61%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の27日は引き続き、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で、昼前から夕方は曇る見込みらしい。

 

 今日は風もなく晴天のいい天気になったもので、さぬき市の北部、さぬき市志度から鴨庄、大串、苫張、小田・・・という海岸線をドライブしてきた。

 

 日当たりがいいものか、早くも梅が咲いている。ほんに、今日は春のような陽気になった。

 

 すると、こんなものが目についた。一般的には「火の見櫓」というのだが、

 

 ここでは、「警鐘台(けいしょうだい)」と書いてある。なになに、「護衛空母・しまね丸」だって?? しまね丸は、全長160.5メートル、幅20メートル、排水量20.469トン、速力18.5ノットの大型油槽船で、飛行甲板を取り付けて対潜哨戒機の発着を可能とした民間籍(石原汽船)の空母であった。船団に加わり、自ら油を運びつつ護衛空母も兼ねようというもの。九三式中間練習機12機が搭載可能であった。

 

 ほほう・・、これが機銃による弾丸の跡か・・・。昭和20年2月28日、神戸の川崎重工で完成後、使用の機会の無いまま同年4月3日志度湾の長浜沖に隠された。このころから本格的な連合軍の空襲が始まり、7月4日は高松空襲、次いで7月27日にしまね丸は4隻の英空母艦載機の集中攻撃を受け二つに折れ沈没した。

 

 昭和23年、現場で解体されることとなり、その際、地元・志度町の有志が貰い受け警鐘台として活用してきたものである。

 

 油を運ぶために作られた「油槽船」だったが、完成した時点では燃料不足で動かすことができなかったというのは悲しい話だ。で、田舎の小さな湾に隠し、植木や迷彩を施したのだが、空から見ればすぐに発見されてしまったというのもお粗末な話でもある。

 

 ところがである。高松市屋島東町にある民家博物館「四国村」にも似たようなものがある。「この警鐘台は、もと護衛空母「しまね丸」の無線マストだったもの。「志度町消防団 鴨庄台部屯所」前にあったのを移設。」という説明看板がある。上の図面を見ても、無線マストは1本である。では、これはレプリカなんだろうか・・・。

 

 大串半島の先っぽに、こんなものがある。大串狼煙場跡で、案内看板によると・・・

 

 大串岬の頂上に、直径約5mの円形上に、高さ約4mの地石を積み重ねた、見事な狼煙場跡があった。狼煙場は、戦争の合図や事件が起こった知らせとして、火をたいて煙を上げ、海上の警備と島や船との連絡機関として各地に設けられたもので、東讃においては、安戸・蕪越(かぶらごし)・松原・三本松・鶴羽・馬が鼻・大串岬・鎌野などに設けられていた。この狼煙場跡は江戸中期以降高松藩が構築したもので、ほぼ完全に残っている大串岬の狼煙場跡は珍しく貴重なものである。昭和59年に元の位置から北、約100mのこの地に移転修復した。元の位置というのは、大串半島の最高部で、温泉を建てる際に、解体移築されたもの。

 

 江戸時代後期、外国船の侵入を見張るために作られたものらしい。

 

 野外音楽劇場「テアトロン」の近くにある。

 

 帰りに立ち寄ったスーパーの文具売り場に、こんなものがあった。「カーボン紙」である。まだ、こんなものを使っている人がいるのだろうか。需要があるから置いてあるのだろうが、カーボン紙を使っていたのは、パソコンやコピー機が導入される前だから、30数年も昔のことのような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。 節分には少し早いのだけれど、町内のお寺にあったもので、「福願う 心の裏に 鬼の顔」というもの。本夛恵『いのちのことば ―南御堂掲示板から。いろんなことばを並べては消し、並べては消ししたこのことば。いまさら、あれこれ云わなくともいいと思った。この言葉通りなのだから・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


三日目に 独楽が止まって 酒が尽き

2017年01月03日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は7.4度から14.0度、湿度は86%から58%、風は4mから5mの西の風が一時は強かった。明日の4日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、夕方からは寒気の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 昨夜、お泊まりだった人も朝食を食べて次々とお帰りになった。奥方も今日からお仕事だと出て行ってしまい、最後に娘家族ら四人が帰ってしまうと私一人になった。空き缶やら空き瓶やらを片付け、台所を片付けたら10時になった。

 

 今日は東かがわ市にある白鳥(しろとり)神社で「新年弓道大会」が行われるというので行って来た。

 

 アルバイトの巫女さんが境内のお掃除をしている。ここも有名な神社なんだが、露店はいつも一軒だけ。

 

 ここの名物となった大絵馬。普通、酉年と言えばニワトリなのだが、ここは白鳥(しろとり)にちなんで鶴になっている。そういえば随神門には鶴がいた。

 

 お遊びでみくじを引いたら、こんなものが出てきた。

 

 これが弓道大会である。高校生がきりりとして弓を射ている。基本に忠実にお作法通りに弓を構える姿は凛々しくて気持ちがいい。

 

 ずっと練習している高校生の部活の延長みたいだけれど、案外と的に当たらないものだ。

 

 その後、所属寺院の海暁閣勝覚寺に「初詣」。

 

 妙好人「庄松同行」にも新年のご挨拶。

 

 その後、庄松同行墓所、小砂(こざれ)説教所跡にも初詣。

 

 地元の方がお花やお供え物をしてくれている。中央がご本尊さまの阿弥陀如来。左側三間が庄松さんの資料である。

 

 一人静かにお念仏してきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分が今どこに向かっているのか わかれば 何をどうすればいいのかがもっと良くわかる」というリンカーンの言葉らしい。船でも自動車でも登山でもそうなのだが、まず、自分の位置を掴むことが先決問題。自分がどこにいるのかがわからなければ方向も方法も決められないのと同じ。物事を始めるにも、イベントを起こすにも、どこにむかって進むのかも、まずは自分の位置を見極めることが大切になる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


見上げれば 葉っぱの落ちた 空がある

2016年11月22日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は大陸の高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気や寒気の影響で、夜は雲が広がる見込みらしい。気温は14.3度から19.5度、湿度は91%から72%、風は3mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の23日は、湿った空気や寒気の影響で曇り、夜は雨の降る所があるらしい。

 

 今日は全国的に火曜日なのだが、お仕事場の都合で今日は「おへんろ交流サロン」には出勤しない。日曜日の「もみじまつり」のお荷物が片づかないらしい。ということで、またしても、香川県立図書館にやってきた。

  

 アキニレの小さな葉っぱが雪のように舞い散ってくる。

 

 衛門三郎のことを調べているのだが、どこの何という本で見たのかわからず、適当にそのあたりの本を掴んできた。さがしものはなんですか、みつけにくいものですか・・・、探すのをやめたとき、見つかることもよくある話で、躍りましょう、夢の中へ・・・。そう、探している間には見つからない。用事が終わればすぐに見つかる・・・、そんなもののような気がする。

 

 で、帰ろうとして、車のキーが見つからない。ポケット全部を探したけれど見つからない。カバンの中も探したけれど見つからない・・・。ふと、左手をみたら、車のキーを握りしめている。もうろくしたぜ、おじさんもなぁ・・・。

 

 帰るとメールが入っていて、講演会の資料が開かないので再送して欲しいとのことだった。で、「いきなりpdf」 というアプリでpdf化するのだが、うまくいかない。あれこれやってもうまくいかない。

 

 何度やってもうまくいかない。隣の端末でもハングアップしてしまって動かない。

 

 あれこれとやっていて、こんなものがあるのに気がついた。印刷で、プリンターを選ぶと、こんな、「ikinariPDF Driver」というものがある。これで、「印刷」を選べば、pdfファイルが簡単にできる。いつから、こんなものが入っているんだろう。

 

 ということで、パワーポイント・ファイルを、印刷モードで pdfファイルに変換できて、無事、メールの添付ファイルで送信できた。相手さんからもOKの返事が届いた。

 

 午後からも天気がいいので、またしても「山寺」さんに出かけてみた。すると、途中でこんなものがいた。奥方が何度も見たという「シカ」らしい。とうとう、鹿までも出てきたのか・・・。

 

 山寺さんに行くと、平日だというのに、ものすごい人・・・。明日の休日になると、もっと多くなるんだろうな。

 

 もう、本坊境内の庭園のかえでも散ってしまっていた。一気にはだかになった大イチョウの木やカエデの木が淋しそうに突っ立ているばかり。でも、「まぁ、もみじの絨毯よ~・・」などと娘さんたちは大はしゃぎ。

 

 残りわずかになった紅葉をすばやくカメラに納めて帰ろうとすると大きな悲鳴が・・・。

 

 みれば、老夫婦の乗った乗用車が道から外れて動けなくなっている。ハンドルを切り損ねたみたいだ。早速に、八十八庵(やそばあん)のお兄ちゃんたちが駆けつけて、まわりのみんなも応援して、あっという間に担ぎ上げて元に戻して一件落着・・・。ここはお寺用の道だから、一般の方は入れないところなんだけれどなぁ・・・。お寺や神社はテーマパークや公園ではないということを忘れてしまっているような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「「思えば叶う」そうなりたい そうなりたいと信じる そのように努力をする そうすればそうなる」という高橋福八さんのことばから。そうなりたいと願い=願と、そのように努力する=行とが揃えば、「願行具足」ということで、ものごとは成就する。願いだけでは物事は叶わない。努力ばかり でも物事は叶わない。そうなりたいという願望と、そうしたいという行為があってこそ、物事が叶うのだと、高橋さんは言うているのである。でも、そうならない場合もあるなぁと、思った今日であった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


イチョウ散る 外国遍路の 手にスマホ

2016年11月18日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から雲が広がり、夜には雨の降る所があるらしい。気温は9.9度から18.4度、湿度は92%から68%、風は2mから3mの東の風が少しばかり。明日の19日は、低気圧や前線の影響で雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 さぬき市多和にある元多和小学校跡地にあるイチョウの木を見た。もう、すっかりと葉っぱを落としていたし、ハラハラと黄色い葉っぱが舞い落ちている。

 

 あたりはすっかりと黄色い絨毯になっている。この木の下に小さなオリが置いてあって、小さなイノシシが三頭いた。カメラを向けると驚いて走り回った。

 

 その後、いつもの山寺に寄ってみた。ここのイチョウもすっかりと散ってしまった。このおじさんは写真屋さんだが、お遍路さんの記念写真を撮る場所を、きれいに掃き清めていた。

 

 イチョウの木の下には舞い落ちた葉っぱがこんなにも溜まっている。

 

 本坊境内のほうのモミジはまだまだ真っ赤だった。相変わらず、大きなカメラを何台も提げて三脚を構える人が多い。

 

 朝夕が冷え込むようになって、紅葉真っ盛りの大窪寺である。

 

 院代さんのお勧めの「穴場」にやってきた。しかし、気がつかなかったけれど電線がしっかりと映り込んでいる。これがなければなぁ・・。

 

 そういう「穴場」を知ってのことか、おじさんが一人スケッチをしていた。最近はこうした三脚を使うのが流行っているらしい。

 

 さて、amazon.comを使うのが多くなった昨今だが、わが家のインターフォンはリビングにつながるようになっている。これだと、二階の事務所までには聞こえない。だから、連絡票とか再配達通知書とかが多くなってきている。それだし、来月からは大切なお役目が始まることになっている。だから、もう、何人もの方がおいでになっても、聞こえないから帰ってしまっているらしい。

 

 そこで、母の介護のために使っていた、ワイヤレス・チャイムを使おうとしたら、これが鳴らなくなってしまっている。電池を新しいものと交換しても鳴ってはくれない。

 

 そこで、またまた出費である。新しいワイヤレス・チャイムを買ってきた。この受信機は固定にせず、私のいる場所に持ち運べるようにした。

 

 ところが、これはドア開閉式感知用だった。ドアを開けると音楽が鳴る仕組みになっている。これでは、鍵が掛かっていると役には立たない。仕方がないから、またホームセンターに走って、増設用の押しボタンを買ってきた。でも、簡単に受信機に接続できて、工事不要というのはありがたい。ドアセンサーは音楽が流れるようにして、玄関の押しボタンは、普通のピンポーンと鳴るようにした。30通りの音が出るらしい。

 

 このインターホンもカラー画像が見られたのだが、10年もすれば、その画像も見えなくなって、普通のチャイムになってしまっている。だから「故障中」の張り紙でもしておくか。

 

 今日の掲示板はこれ。「交差点で信号が黄色にかわった ブレーキを踏みながらチクショーと舌打ちした。あさましや 畜生は車の中にいた」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。最近の人たちは、黄色でも赤になっても平気で交差点を走り抜けるようになった。おじいさんはもとより、若い娘さんでもおばちゃんでも、平気で走り抜ける。スマホ見ながら交差点に入るのだから、まさに狂気の沙汰だ。一方、青になっても、スマホや化粧に夢中な運転手もまた恐ろしい。まさしくまさしく、畜生は車の中に陣取っている。 

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


色づかぬ そのままの葉で 今日を終え

2016年11月13日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方からは雲が広がってきた。気温は11.2度から19.5度、湿度は92%から72%。風は1mから3mの北東の風が少しばかり。今日も「小春日和」の一日になった。明日の14日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降る見込みらしい。

 

 昨夜は孫のはやて君がお泊まりに来ていて、今日も部活があるからと、5時半起きの6時出発で屋島の家まで送っていって・・・

 

 高松市鬼無町にある高校まで送って行った。ここまで来たのだからと、五色台の紅葉でも見て帰ることにした。今日の予定がキャンセルになって来週に伸びたので、今日は全く予定がなかったこともある。

 

 で、やってきたのが根香寺さんであるが、ここには次のような伝説がある。昔、青峯山には人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が棲んでいた。村人は、弓の名人、山田蔵人高清に頼んで退治してもらうことにした。しかし、高清が山へ入るけれど、なかなか牛鬼が現れない。そこで高清は根香寺の本尊に願をかけたのである。

 

 すると21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ、高清の放った矢が口の中に命中。逃げる牛鬼を追うと2kmほど西の定ヶ渕で死んでいるのを発見した。高清は牛鬼の角を切り取り、寺に奉納した。その角は今でも寺に保存されている。また牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれている。

 

 ここの紅葉は今月の下旬ごろが見頃。今はまだまだほんの一部分だけ。五色台の主峰、青峯山に佇ずむ、かつての巨刹。五つの山に金剛界曼荼羅の五智如来を感じた弘法大師は、密教修行の地として青峯に「花蔵院」を建立された。後に大師の甥にあたる智証大師が訪れた際、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げを受けた。

 

 智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、「千手院」を建てて安置した。この霊木の切り株から芳香を放ち続けたことから「花蔵院」、「千手院」を総称して根香寺と名づけられたといわれている。後に、高松藩主らにより再興され、この時に天台宗へ改宗されている。

 

 ものはついでだからと、もう一つのお寺、「白峯寺」にも寄ってみた。青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の五色山のうち、白峯にある静かな古刹である。弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が創建されたとされている。弘仁6年、白峯山の山頂に、如意宝珠を埋め井戸を掘り、衆生済度を祈願に堂宇を建立した。後に智証大師は、山頂できらめく光を見つけて登頂。山の神である白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊にしたと伝えられている。

 

 ここの紅葉もまだまだ。カメラマンたちも下見の段階らしく手持ちぶさたでたたずんでいた。

 

  「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ山ほととぎす」これは保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇の歌だという。上皇は都へ帰りたいという思いが叶わぬまま寂しくこの地で亡くなられたが、その三年後、上皇と親しかった西行法師が詣でた話は上田秋成作「雨月物語」の伝説で有名。その後も都では異変が相次いだため、後小松帝は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺殿」の勅額を奉納。また、悲話を伝える玉章木(たまずさのき)も佇んでいる。

 

 こちらが、崇徳上皇白峯稜である。長寛二年(1164)8月26日、46歳で崩御された崇徳上皇は,遺体を八十場の泉に浸された後、9月16日に白峰山で荼毘に付され、その場に埋葬された。お墓である御陵は,積み石の方墳であったといわれている。都から遠く離れた地の御陵であったため,江戸時代には荒廃していたといわれているが、初代高松藩主松平頼重、五代頼恭、十一代頼聡らにより修復が重ねられ、参拝口を現在の南面に改めるなど、今日みられるように整備されてきた。

 

 周囲の紅葉はまだまだというところだった。

 

 五色台を下る時、年のせいか、車が吸い込まれそうで恐ろしくて20Kmほどで下りてきたが、最近の車のブレーキは大丈夫なんだろうか。少し前までは、このような待避所があったが、近年は全く見なくなった。ブレーキが効かなくなった時、ここに乗り上げて車を停める・・・というものだったが、すっかりと姿を消してしまった。オートマチック車にはエンジンブレーキなんてないと思うのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「葉を落とし 凛と冬待つ 桜かな」というもの。私には落とす物もなく捨てる物もなく、煩悩や欲望を抱えたまんまで漫然と冬を待っている。秋が過ぎるなら過ぎるでいい。冬が来るなら来るでいい。桜のように生きられないのは覚悟の上だ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の寺 カメラばかりが 威張り出す

2016年11月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われているため、晴れていた。気温は10.0度から17.8度、湿度は96%から64%、風は1mから4mの西北西の風が一時は強かった。明日の12日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、夜は気圧の谷の影響で曇る見込みらしい。

 

 今日は天気がいいので、久々に布団を干した。洗濯物も干した。二階部分に掃除機も掛けた。その後、またしても「山寺」に行ってみた。

 

 本坊庭園の方に回ってみると、三脚を立て、大きなカメラを据えているカメラマンが十数人。まだ、多い数ではないが本格派の人がいる。

 

 最近の冷え込みで紅葉が一段と進んだ様子。

 

 私は面倒くさいのが大嫌いだから、車には三脚も大中小と三本も積んではあるが、一度も立てたことがない。とにかく、流し打ちの速射連続撮影。ガチガチガチ・・・・と、シャッターを押し続ける。ぶれたら削除したらいい。気に入ったものだけ使えばいい。フィルムじゃないのだから、二千枚も三千枚も撮せるのだ。遠慮なんかいるものか。

 

 今日は暖かくなるという予報だったが、山寺さんはさすがに空気が冷たい。速射連写でポイントを押さえて撮って、すばやく山を下りる算段。

 

 風が吹くとハラハラと葉っぱは落ちるが、そんなにたくさんの落ち葉がある訳ではない。

 

 お掃除が終わった後なのか、落ち葉を探すのに苦労するくらい。

 

 本堂で太鼓の音がすると思えば、院代さんがお遍路さんとの勤行らしい。「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇  我今見聞得受持  願解如来真実義・・・」

 

 平日でも時候がいいからか、お遍路さんも多い。「歩き」のお遍路さんもよく見かける。

 

 バス停前のサザンカもいい。

 

 帰りに寄ってみた、「旧五名小学校」。まだ、解体工事は始まっていない。

 

 校庭脇のイチョウはようやく、紅葉が始まったばかり。

 

 明日は、「おへんろつかさの会」のイベントである「讃岐一国逆打ちへんろ」で、JR詫間駅から70番本山寺・69番観音寺・68番神恵院から67番大興寺まで歩くらしい。私は、その取材と後方支援・輸送係としてサポート役。マイカーでポイントポイントで待ち受けるのである。今日は、その準備。

 

 今日の掲示板はこれ。「今今と 今という間に今ぞなく 今という間に 今ぞ過ぎ行く」というもの。昨日の谷上先生のコメント、「一休さんが蓮如さんに「あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ・・・・とかく人とは忙しきものなり」 みたいな歌だが、道歌というものらしい・・・。「今」と言った瞬間、考えた瞬間には、「今」という時間は「過去」のものとなってしまう。昨日、一昨日、一ヶ月前、一年前……どれだけ振り返ってみても、永遠に「今」という時間を経験しなかった「時」はない。「歴史」は、永遠につづく「今」の連続であり、それが「次の時代」を作りあげてきたとも言える。が、しかし、「歴史」は、一面その時その時、必死に生きた人たちの「歴史」であり、そこには膨大な失敗の積み重ねと、一握りの成功がある。そして、さまざまな人間の生きざまがある。そのことに思いを馳せると、「今」を生きている人、そして「これから」を生きる人の教訓は、すべて「歴史」から汲み取ることができるといっても過言ではないと思う。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あくびする 口の中まで 秋の雨

2016年10月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は16.2度から18.8度、湿度は78%から96%、風は3mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の29日は、気圧の谷や寒気の影響で曇る見込みらしい。

 

 東かがわ市引田(ひけた)の町並み周辺で、恒例となった「世界の人形祭」が今日(10月28日)から30日の日曜日まで行われているというのでのぞいてみた。今年は71カ国1,500体の人形が展示をされているのだという。

 

 まずは麹(こうじ)の匂いたっぷりのかめびし屋さんからのぞいてみたし、ここでスタンプラリーの1番「世」のスタンプをもらう。本当はここのおうどんを食べたかったのだが、まずは先を急いだ。

 

 ここは「手袋ギャラリー」というところで、お花のように見えるのは手袋である。ここにもたくさんのお人形が展示をしてあった。

 

 これが今回のイベントのフライヤー(チラシ)である。今年はドイツ・イヤーだということで、こどもの背丈ほどもあるお人形が準備されている。

 

 これがそのドイツ製の人形らしい。今年は「鳴門市ドイツ館」の協力により、ドイツ館所蔵品も展示してあるし、また子どもによる第九コーラスも開催されるらしい。メイン会場の讃州井筒屋敷ではビールやソーセージなど、ドイツ料理や雑貨などのマルシェを開催されている。ビールが欲しかったが、あいにくと車で来たので仕方がない。

 

 このマップの赤いのが国名、緑地に白い数字がスタンプ・ポイントで①番から⑦番まで。それを右下の番号の所に押して回る。

 

 変わった帽子の人形である。珍しいからとメモした用紙まで景品交換所で回収されてしまってわからなくなってしまった。

 

 今日は平日ということもあってか人出はわずか。テレビ局が2社、取材をしているばかりで、あとはおばさま族ばかり。

 

 聞くところによると、このイベントは、東かがわ市の手袋屋さんが「エスペラント語」のグループをやっていて、その協会が主催しているとのこと。

 

 これはモンゴルの人形だった。1,500体もあれば、何が何だかわからなくなってしまう。

 

 日本のところでは、なぜか雛人形が部屋中に並べられていた。

 

 で、7つのスタンプが集まったので景品交換所に行ったならば・・・。

 

 こういう信玄袋の詰まった段ボールからお好きなものをどうぞ・・・と言う。ま、奥方へのおみやげだな・・・ということで、風神雷神を選んできた。

 

 うーむ、これが「すてきなグッズ」なんか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんな難局にあっても、「どうにかなる」という楽観性と。「自分でどうにかする」という強い意志があれば そこを切り抜けていくことができる」という塩月弥栄子さんの言葉から。生きているとさまざまな難局に出会うものである。その難局との出会いでどのような行動をするかで人間性が表れたりするもの。多くの難局との出会いが人間性を高め、難局に対して的確に処する術が身についていくのではないだろうか。そういう意味においては、難局は歓迎すべきものであると捉えることもできるだろう。難局に対しては楽観性と強い決意を持って臨むことが肝要ではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


小春日に 歴史談義の お茶がある

2016年10月24日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.7度から21.4度、湿度は78%から60%。風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の25日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼前から昼過ぎにかけて雨が降る見込みらしい。

 

 今朝も6時半まで寝ていた。外が明るくなるのが遅くなるので目が覚めないのかもしれない。で、起きてみれば久々に秋晴れのいい天気。

 

 朝一番に、いつもお世話になっている「テクニカルオート石川」」さんに行って、島の軽トラのバッテリーを手配してきた。島の軽トラも古いのだけれど、なかなかに便利なので手入れしながら使っていくしかない。

 

 ついでに、町内にある「みろく自然公園」で行われている菊花展をのぞいてみた。展示が始まってまだ一週間だから期待はせずに寄ってみた。

 

 ぼつぼつと開花し始めてきた。

 

 早いものは立派な大輪となっている。しばらくの間楽しめるように、時期をずらして咲くようにしているのかも知れない。

 

 小菊もきれいに開花してきた。

 

 それでは・・と、やってきたのが大窪寺さん。ここの紅葉は有名。先端部分あたりの紅葉が始まっている。

 

 日当たりのいいところはきれいに紅葉しているが、大部分はまだまだ・・・。

 

 二天門の上では、このように真っ赤になったものも見られた。

 

 境内の大銀杏の紅葉はまだまだ・・・。

 

 今月の30日には、おへんろつかさ養成講座で大窪寺現地研修があるし、11月3日には「さぬき市へんろ88ウォーク」があって、私たちが「大窪寺ガイド」を担当する。11月12日にはつかさ養成講座で「へんろ道現地研修」ということで、86番志度寺から88番大窪寺までの「旧へんろ道」を実地に歩いて研修する予定と、今月・来月は大窪寺がらみの研修が待っている。

 

 大窪寺門前にある「八十八庵」といううどん屋さん兼土産物店がある。今日も大勢のお遍路さんがお買い物をしていたが、評判のお店である。

 

 これはいつのものかは不明だが、右側の屋根がかやぶき屋根であった。お店の様子は変わらないから、屋根を瓦葺きに変更したみたい。

 

 これが昭和40年頃のお店である。私が高校生の頃のお店である。それ以前には、ここに遍路宿があって、中は土間で、雨露をしのげるだけの建物があったように記憶している。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生 くやまず くらべず くにせず くさらず くじけずに」というもの。いつもお世話になっている赤松先生さんの掲示板からだと思うのだが・・・。この語源を調べてみたけれどわからんかった・・・。確かに、これらのことを心がけて生きて行ければいいのだろうけれど、なかなかに難しいことがらばか り・・・。悔やんでも、比べても、苦にしても、くさっても、くじけても、ありのままに、南無阿弥陀仏のお念仏に救われるしかない私たち。風の流れに、雲の 流れにまかせきるしかない私たちであることか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


早い秋 遅い秋あり 里の道

2016年10月19日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は20.2度から24.4度、湿度は90%から76%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の20日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日も蒸し暑い一日になった。気圧のせいか、湿度のせいか、今日も息苦しい一日になった。だんだんと老化というか体力低下が進行しているみたいだ。

 

 いつもは気にもとめていない場所にこんなものがあった。「新川庵経幢」と呼ばれているものである。石造建築物の一つである「石幢」は、中国では唐代に既に建てられていたらしいが、わが国では鎌倉末期のものが最古で、室町時代のものが多いという。

 

 北側(右側)の石幢の高さ2.3m、南側(左)の石幢の高さ1.76mで、もと笠塔婆であったと思われるが、願掛けのために建てられた供養塔と言われている。新川庵にある二つの石幢は風化が激しく刻字の判読は難しく、「閏2月」と「12月」「再2月」、「右近」と「左近」、「無主」と「兵主」などの異論はあるが、北側の石幢の裏側には、「永仁3年(1395)乙未閏2月(再2月)5日(12月5日)願主左(右)近将監無(兵)主守俊敬白」という刻字がある。

 

 ものはついでだと、今度はさぬき市多和にある「細川家住宅」に寄ってみた。さぬき市の多和地区は江戸時代前期の寛永年間(1624年 - 1643年)まで額邑(がくむら)と呼ばれていた。この地は讃岐で生産された塩を志度から阿波に運んでいた街道沿いにある。

 

 細川家は代々この地で居住した農家である。この古民家は1966年(昭和41年)5月の民俗調査で発見されたもので、江戸時代中期の18世紀初頭の建造と推定されている。屋根は、「ツクダレ」と呼ばれ、すべて茅葺き。柱には栗材が使われ、多角形のチョウナ仕上げになっている。ほかの軸部は松材で、小屋組も木が細く古式建築である。

 

 客の接待、家族の団らん、食事などに使われた土座は現在の居間にあたり、囲炉裏を中心にしており、座敷の竹床は、板を作るのに比べて入手が容易なことと、当時の生活習慣との関係から採用されたものと考えられている。細川家住宅は、国の重要文化財に指定されている。

 

 若い頃に「囲炉裏研究」に没頭したことがあって、ここにも何度も何度も足を運んだが、江戸時代あたりでは、囲炉裏は照明であり、暖房であり、煮炊きするにも大切だった。だから、その材料となる薪(たきぎ)や薪(まき)、割木やコクバ(松葉の落ち葉)を集めるのも大事な仕事だった。だから、納屋の裏手に「木納屋(きなや)」という小屋も建てられていた。

 

 「にわ」と呼ばれた土間は夜間や雨天時の作業場にもなったし、藁仕事や夜なべの場であった。また、普段は生活用具を保管する置き場にもなった。柱は曲がったまんま、うまく利用しているのが見てとれる。

 

 こちらが納屋である。農機具などの保管庫であった。

 

 これは昔の便所であった。夜間や雨の日はすこしばかり不便であった。

 

 家に戻ると、タイミング良くさぬき市の広報類が届いていた。毎月の自治会長さんのお役目である。

 

 今月の配付資料は14種類。こういうものを省略するために有線放送とかCATVを導入したと聞いたが、それでもやっぱりペーパーは減らない。事業所だってOA化だIT化だと言いながら、プリンターから大量のペーパーをはき出して積み上げているのだから似たようなものか。

 

 これを個別に区分して袋に詰めて、各家庭の郵便箱に投げ込んでくる。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは すなわち 悩みと共に 歩くことなのです」という枡野俊明さんの言葉から。「いま確かに生きている。その実感を体中で受け止めてください。寒さや暑さ、痛みさえも生きている実感としてとらえてください。悩みが生まれる原因は一つ。それは何かにとらわれているからです。欲望や夢、ときには人間関係にさえも執着してしまう。その執着心にこそ、悩みの発端があるのです。これだけは手放したくない、これは絶対に手に入れたい。この思いが叶わない時に悩みが生まれます。人間の持つ悩みとは、自分自身で生み出しているものが多いのです。(後略)・・・・・」

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


雨上がり まだまだ蕾の 菊花展

2016年10月17日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は朝方は土砂降りだったが、午前中からは高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20.7度から26.4ど、湿度は94%から80%と蒸し暑い一日になった。風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の18日は、湿った空気の影響で、概ね曇る見込みらしい。

 

 恒例の菊花展が10月15日から始まっているというのをニュースで聞いた。そこで、町内にある「みろく自然公園」に寄ってみた。

 

 確かに菊花展は始まってはいるが、菊の花はまだまだ蕾ばかり・・・。だから人影も見えない。

 

 やはり菊花展は11月に入ってからが見頃かも。

 

 それでは・・ということでやって来たのが「公淵(きんぶち)森林公園。公渕森林公園は、香川県高松市東植田町にある公営の森林公園。香川県の制定した公渕森林公園条例によって定義されている。 元は香川県農業試験場の種苗育成場であったが、のち県民の心身の健康の増進並びに森林及び緑化に関する知識の向上を図ることを目的に土地を整備解放し、1978年に条例制定および開園した。(Wikipedia)

 

 こちらも、準備がようやく整った・・というところ。菊の花はパラパラ。

 

 栽培者の高齢化によるものか、寄付金の減少によるものか、菊の花は少しずつ減ってくる。丸く作り上げる「千本菊」とか、懸崖菊などもぐんと下ってきた。

 

 こうした大輪菊はぼつぼつと咲いているが、管物や福助などは固い蕾のままだった。

 

 黄色い大輪はよく目立つ。

 

 こうした小盆栽は蕾がまだまだ硬かった。

 

 帰り道、ものはついでだからと、この「門入(もんにゅう)ダム」に寄ってみた。

 

 通称、「はなたれダム」と言っているダムである。門入ダムは、津田川総合開発事業の一環として洪水調節、流域における水不足の解消、水道水源の確保のために、津田川支川の栴檀川に平成10年度に完成した多目的ダムである。

 

 これが、本日頂いてきた、門入ダムのダムカード。確か、このあたりに、大窪寺の北門があって、その門を入って大窪寺領に入ることから門入となった・・という話を聞いたことがあるが、定かな記憶ではない。ちなみに、カード右上の、「FNW」とは、F=洪水調節、N=流量維持、W=上水道用。右下の「G」は、重量式コンクリートダムの意味である。

 

 ということで、消化不良のような一日になったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「亀は亀のままでいい 兎にならなくていいのだよ」というもの。亀は亀のままでいるしかないし、うさぎはウサギでいるしかない。私は私でしかないし、私はキムタクにはなれないのだが、キムタクもまた私にはなれない。だから、「私は私のまま」でいいのだし、「あなたはあなたのままでいい」のだし。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


アキアカネ ぐうたら午後を のぞき込む

2016年09月10日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で夜は曇るらしい。気温は21.4度から29.2度、湿度は92%から64%と、ややしのぎやすくなってきた。風は0mから3mの東の風が少しばかり。明日の11日は、高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方からは曇る見込みらしい。

 

 さて、香川県は昔から水不足・日照り問題で苦労してきた。今年も四国の水がめ「早明浦ダム」の貯水量が大幅に減少してきて取水制限が行われている。頼みの綱の台風も四国を避けるようにして過ぎてしまった。そこで、今日は「香川用水」というのを調べてきた。

 

 途中、何度かのトイレ休憩をしながらの走行になる。ここはまんのう町にある満濃池下流にある「ほたる見公園」前の公衆トイレに寄ったときのもの。あの橋が「ほたる見橋」である。

 

 およそ、1時間半ほどかかってたどり着いたここが「香川用水記念公園」である。上のマップの赤丸で囲んだ部分。三豊市財田町という住所になる。

 

 この公園地図の上部に描かれている、讃岐山脈を貫いてきたトンネルの出口から流れてきた水を東西に分ける「東西分水工」がメインの設備。高知県大川村の早明浦ダムから徳島県の渓谷を流れてきた水が池田ダムで吉野川と香川分水工に分水されて讃岐山脈を抜けてきた水である。

 

 少し前までは、水の資料館に入ったところにある丸い石のボールが吹き上げてくる水の力でくるくると回っていたのだが、節電のためだとかで、この照明も消され、ボールも回っていなかった。その上には稲わらで作った巨大な龍がいる。龍は水の神なのだとか・・・。こうした設備は、開館した当時は大勢のお客さんでにぎわうが、やがてのことには物置状態になってしまうもの。

 

 この龍も稲ワラで丁寧に作られているが、今は誰も見上げる人もいないのだろう。

 

 みずべ公園ではこどもたちが楽しそうに水遊びをしていた。親御さんもタダで安全で遊べる場所をよく知っている。

 

 東部分水工にはなみなみと水が流れているが、これでも本来の水量ではないのかも知れない。

 

 帰りに宝山湖に寄ってみた。古来よりの水枯れの地である香川県を救う『香川用水』は、高知県早明浦ダムで貯水された水を徳島県池田ダムで阿讃トンネルに分水し、香川県に流している。 トンネルから出た用水をさらに香川県内に貯水するべく新造されたダムが、この『宝山湖』である。その容量は香川用水2週間分。つまりいざ渇水になっても、 これまでよりもさらに断水まで2週間の時間が稼げるようになったということである。頼もしくもあると同時に、香川県民の生活を守る本土決戦最後の砦ででも ある。(四国堰堤ダム88箇所巡りより)本土決戦というのはちとオーバーな表現・・・。

 

 ここの貯水量も安定したもの。農業用水の使用量が少なくなれば、上水道への配分が確保されるかも知れない。

 

 満濃池にも寄ってみたが、ここも渇水状態までもはいかない状態。この秋は乗り切れるのかも。

 

 今日のお昼はここになった。仲多度郡まんのう町吉野にあるプチセルフのお店である。

 

  で、夏らしく、「おんたまぶっかけ小の冷や」をお願いした。単に麺の上に温泉卵が載っているだけ。それにぶっかけ出汁をかけただけ。ネギとおろしショウガはフリートッピング。大型トラックの運転手が一人、おうどんを食べているだけだった。

 

 で、元の地図の紫の楕円で囲った場所が、我が町にある田辺池。この池に一度ポンプアップして貯水する。

 

 これが田辺池である。奥の建物が香川用水の設備らしいが無人で動いている様子。

 

 我が町の「宗延(むねのぶ)」という処にある調整池を経由して、東かがわ市に向かって山の中に向かう。最終は上のマップの緑の楕円に囲まれた「宮奥池」。

 

 高知県大川村の水が、東かがわ市福栄東山まで流れてくるというのも不思議な話だなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は学校である。そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。」というもの。ロシアの評論家、フリーチエの言葉らしい。人生という学校で、人はさまざまな経験から学んでゆくものだが、幸福から学びとることより、不幸から学びとることのほうがずっと大きい。不幸に出会ったときは、不幸を糧にして、人間として成長したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


またも来て 仁尾の店先に 秋風を見る

2016年08月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、大気の状態が不安定となるため、夜は雨や雷雨となる所があるらしい。気温は24.2度から30.4度、湿度は86%から76%、風は2mから4mの東から東北東の風が少しばかり。雨だ、雨だといいながら、とうとう、雨にはならなかった。明日の29日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、夕方まで雨が降る見込みらしい。大気の状態が不安定となるため、雷を伴って激しく降る所があるという予報だった。

 

 夜が明けるのがぐんと遅くなったし、日が暮れるのもぐんと早くなった。昨夜にはコオロギの声がうるさいほどになって、いよいよ、秋らしくなってきたなぁと感じたものだった。

 

 昨日、三豊市観光課で頂いてきた何種類かの観光チラシを置いてあったら、奥方のけいこばぁが、「今日は、ここに行くよ」と言うではないか。まさか、昨日、ここに行って来たとも言えないので、「はぁ~・・・」と答えてしまった。

 

 仕方がないので、昨日とまるきり同じルートで、善通寺市経由で仁尾町に向かうことにした。途中、何カ所かでトイレ休憩。とにかく、利尿剤のおかげで30分ごとにトイレに行かなくてはいけないのが困りもの。

 

 味巡りのパンフレットの地図が、現地とうまくマッチしないので、とりあえず、仁尾町文化会館の駐車場に車を置いて、あたりを歩いてみた。

 

 この仁尾酢という工場はすぐにわかったが、お店がわからない。ここは工場で、日曜日はお休みだというので、すぐ前の酒屋さんで聞いて見た。すると、その酒屋さんに「仁尾酢」があるというので、早速にけいこばぁはお酢を買った。

 

 こういうものだった。米酢だった。

 

 仁尾蒲鉾店も、日曜日はお休みだというので、かまぼこや平天はあきらめた。

 

 次にけいこばぁが選んだのがここ。うどんとそばの「長兵衛」というお店。細い路地沿いにあって、きれいとは思えないレトロなお店。駐車場がないのでパスしようと言うたのだけれど、「こういうお店がいいのよ、さっきの会館に車を預けて歩こうよ」というので、しぶしぶ、ついて行った。

 

 迷路のような港町特有の路地を歩いて探して・・・。

 

 どう見てもうさんくさそうなお店である。

 

 中には、このテーブルと、奥に座敷席のテーブルが一つ置いてあるだけの狭いお店で薄暗い・・・。

 

 けいこばぁは、うどん小ときつねずしを注文したが、きつねずしは売り切れだというのでおうどんだけ。

 

 イリコ出汁がおいしい・・とけいこばぁは言うていた。この七味とうがらしは小さな袋に入っているものをやぶいて振りかける。私は中華そばにしてみた。

 

 鶏のスープだなぁと思った。まぁ、なつかしい味というのだろうか。お店がレトロ(創業70年)なだけに、味もレトロかなぁ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。ツルゲーネフの、「乗りかけた船には ためらわずに乗ってしまえ。」というもの。私的には、若干違和感もあったのだが、人間いったんこうと決めたら、迷わずに突き進むべきだ。決めるまでには熟慮を重ねることが必要だが、決心がついたら、もう思いきって実行するしかない。決断と行動を促す言葉である。「決定して疑いあることなし」の仏教の言葉もある。「顕浄土真実信文類三(教行信証・信)」

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


暑い日を なお暑くする 長崎忌

2016年08月09日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、湿った空気の影響で夕方から曇るらしい。気温は25.4度から35.1度、湿度は92%から66%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の10日も高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日だということなので、香川県立図書館に出かけてみた。まぁ、一般的にこうした施設は月曜日が休館日だからである。そのついでに、国分寺町の「讃岐国分寺跡資料館」にも立ち寄って、忘れてきた帽子を探して来よう・・とも考えていた。

 

 今月下旬に予定されている「定例法座会」の法話の下準備もしなくては・・ということも考えていたが、なかなかに、そういう話題の本はない。

 

 で、思いつくままに目の前にあった香川県の歴史関係の本を五冊、借りて来たが、どれも読んだことのある本ばかりで少しも役には立ちそうにもない。で、家に戻ってきてしまってから、「あれ、帽子を忘れた・・・」と思っても、今更、どうにもならぬほど遅すぎる・・・。

 

 FBFの森重先生が古地図を探してきて云々・・とやっておられるので、今日はこれをつらつらと眺めておった。

 

 古地図・・と言うても、昭和3年の地図らしい。右の半ばに「小学校」があるが、道路はそこでおしまいになっているが、現在は小学校前から役場や裁判所の前を左に向いて県道が突っ走っている。真ん中の道路は、「旧道」ということになる。で、左端に電車の駅ができている。

 

 現代のマップでは、こういうことになる。場所が変わっていないのはお寺くらいなものだ。銀行も郵便局も場所が変わっている。警察署も場所が違っている。

 

 昔の警察署はこんなだったが、長尾警察署になり、今は「長尾交番」になっている。

 

 郵便局の隣にあった「岸呉服店」は「松屋呉服店」になっている。昭和3年ということは、私の生まれる20年前になる。ということは、68+20=88年前という計算になる。やっぱり、昔の地図なんだなぁと思う。

 

 お昼からは、またも、古川阪次郎の部分の追加修正作業をやっていた。どうにも阪次郎さんの部分が短いので追加をしたら、話のつじつまがおかしくなってしまって。

 

 そこを修正すると、またしても話の前後がややこしくなってしまう。

 

 猛暑(もうしょ)とは平常の気温と比べて著しく暑いときのことである。主に夏の天候について用いられる。日本国内では2007年以降、1日の最高気温が35℃以上の日のことを「猛暑日」と言うことになっているらしい。さぬき市でも昨日が36度、今日が35.1度になっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「生涯 初体験の連続である」というもので、町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。これまた、どこの誰の言葉かはわからないが、確かに確かにそうだと思う。毎日毎日が初体験であるし、一時間一時間もまた初体験である。だから毎日がどきどきするし、新鮮であたらしいわけだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


真夏日が 大股で行く へんろ道

2016年08月05日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れている、湿った空気や上空の寒気の影響で雲の広がっている所があった。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みらしい。気温は26度から32.3度、湿度は94%から78%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の6日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所がある見込みなのだとか。

 

 さて、ここ3年ほど、8月5日は仲多度郡多度津町にある「多度津町立資料館」へ出かけて、「戦争資料展」を見る日になっている。取り立てて、案内が来る訳でもお誘いのメールが来る訳ではない。なんとなく出かけたら、戦争資料展をやっていた・・・というイメージだろうか。

 

 これが、多度津町立資料館で、普通の民家風。旧多度津藩士浅見邸跡・・・らしい。

 

 毎年、こういう文字の看板になっている。館長さんの川元さんの字だろうか。

 

 こういうチラシが張ってあった。

 

 この将棋・・・。戦時らしいコマになっている。大将が一番なんだろうか。地雷というのは、どんな動きをするんだろうか。

 

 こちらは、東郷減衰元帥いろはがるた・・・というもの。なるほどな・・と眺めていた。

 

 これは兵隊さんのカバンらしい。わが家にも親父のものがあって、子供のころには珍しい者が入っていていじくり回して遊んでいた記憶がある。

 

 貝殻を使った代用しゃもじとか代用鍋とかもあった。

 

 これは「軍国の母」と教科書にも載った人の書である。

 

 多度津町の桃稜公園の上に立っている像の人で「岡田カメ」さんである。一般的に「一太郎やぁい」として知られている人である。ワープロ・ソフト「一太郎」をお使いの人は一度は訪れたい場所だろう。そういうお話も知る人も少なくなったのかも。

 

 こうした疎開児童の写真やら・・

 

 原爆のコーナーが印象に残ったものだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「どこか何か 人の世狂い 原爆忌」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったことばである。明日はヒロシマの原爆忌。明日も広島は暑いに違いない。私も15回ほど、つまり、15年、ヒロシマの「平和祈念式典」には出掛けたもの。いつもいつも暑い熱いヒロシマだった。こんな暑い夏こそが、広島の夏だなぁと思うことだった。それにしても、最近のニュースは異常だと思う。各地で戦闘は続いているし、爆撃も砲撃も行われている。自死や殺人は後を絶たないし、盗撮や詐欺が日常化し てきている。どこかで私たち人類は「こころ」を失ってしまったのではないか。どこかで、アクセルとブレーキを踏み間違えたのではないのか。「平和」とは一 体、何なのか・・・。そんなことを考えた今日だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


開く夢 閉じる夢あり 花菖蒲 

2016年06月03日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は14.7度から25.3度、湿度は92%から54%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の4日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方から雨が降るらしい。(tenki.jpより)

 

 朝の涼しい間に、わが家の東側の土手の草刈りをやった。その後、作業服を洗濯して物干しに干してからお出かけをした。

 

 今月の12日に、「讃岐一国逆打ちまいり」というウォーキングを予定している。今回はJR木太町駅から歩き出して83番札所の一宮寺を打ち、そこから80番の国分寺までを歩いて、JR国分駅からさぬき市へ戻る計画らしい。

 

 先日の5月31日には、JR木太町駅から一宮寺までの道筋を確認したので、今日は一宮寺から国分寺までの道筋を車で走ってみた。カメラを構えられる場所、車を停められるスペースのある場所などの確認である。つまり、「絵になる場所取り」である。

 

 今回はこのような旧道部分で比較的広い道路がほとんど。

 

 こういう道標などのある場所も確認しておく。

 

 アジサイがきれいだなぁと思って居たら、あじさいの季節の6月になっている。アジサイが咲いていても不思議ではない時期である。生き物は季節には敏感である。ぼんやりしているのは私だけなのか。

 

 国分寺の手前でなつかしいお店が目に入った。現役の頃によくおうどんを食べた「手打ちうどん三嶋」というお店だった。お世辞にもきれいなお店ではないし、スマートなお店でもない。昭和の後半、39年の創業だという。

 

 メニューはそう多くはない。そこで「かけ小」というものを頼んだ。お出汁は自分でかける。この大きなアゲが90円で、かけ小は230円。合計で320円だった。思わず「うまいなぁ・・」と思った。久々のうどんの味だった。

 

 すぐ近くに80番札所の国分寺があった。讃岐国分寺は、香川県高松市国分寺町国分にある真言宗御室派の寺院。四国八十八ヶ所霊場の第80番札所。札所寺院としては単に「国分寺」と称するのが通例である。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、讃岐国国分寺の後継寺院にあたる。

 

 境内をちらり見して先を急ぐ。

 

 ここが目的地のJR国分駅。でも、JR木太町駅から一宮寺を打って、さらにここまで歩くというのは相当きついと思うのだが、みなさん、平気なのかなぁ。私はとてもじゃないけど歩けない。

 

 ものはついでだからと、少しばかり足を伸ばして、坂出市川津町にやってきた。ここに「川津浄水場」という坂出市の浄水施設がある。その使わなくなった浄水池に花ショウブが植えられていて、「かわつ花菖蒲園」になっている。

 

 今日は平日だというのに多くの車が押し寄せていて、近くの池の周辺にも路上駐車がいっぱい・・・。

 

 やはり中高年のおじさん、おばさんが圧倒的に多い。それと介護施設の利用者さんとその介護士さんたち。車いすの方も何人か見かけた。

 

 一般開放は9~16時。期間中、6月5日(日)には、かわつ花菖蒲祭、6月12日(日)には、かわつ花菖蒲茶会が開催されるそうだ。ここには72種類、6万6000本の花菖蒲が植えられているとのこと。駐車場(約30台)が狭いのと道が狭いのが難点。

 

 今日の掲示板はこれ。「どう もがいてもダメなときがある 手を合わせるしかないときがある 本当の目が開くのは そのときである」という相田みつをさんの言葉からである。相田みつをさん(1924~1991・栃木県) 詩人。書家。若いころは陽の目を見なかったが、60歳の時に出版した詩集「にんげんだもの」で世間に知られるようになる。その後、同詩集はミリオンセラー になり、1996年には相田みつお美術館が開館したが、本人はすでに亡くなった後のことであった。シンプルな詩を、独特の書体で書きとめた作品が人々の心を掴んだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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