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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

伏し目がち 燕の夫婦は 屋根の下

2010年06月05日 | 歴史
 昨夜の自治会長さんとの話の中で・・、12・13日に、丸亀市の手島でイベントが行われるで、笠井さんや岡さんが手島へ草刈りに行くというので、私も・・一緒に行くことにした・・。別に・・午前中は用事もないしね・・。魚釣りにも飽きたし・・、活きエサも少なくなってきたし・・。

 だから・・今朝は四時半に起きて、おうちの片付け、お風呂の掃除とかをすませ、朝食とお昼のお弁当づくり・・・。ノートPCやら各種ファイルの片付けもろもろをやっつけて・・。

 

 六時55分のフェリーに乗って手島に向かう・・。岡さんと笠井さんに会うが・・「あ、手島へ散歩に・・・」みおたいな会話をしておいて・・。

 手島もすっかりと過疎の島になって・・。ここは居酒屋さんだったところもすっかりと錆び付いてしまっていて・・。この島には・・自動販売機すらないのだからねぇ・・。唯一のお店も開店休業状態・・・。

 その後・・お二人と合流して草刈りをやってると、島の有志の方が集まってきてくれて・・七人ばかりが力を合わせて港周辺の草刈り作業・・・。ありがたいねぇ・・。

 

 私は・・この植え込み周辺の除草やら選定作業やらをこなしておく。重いからと思って草刈り機を持って来なかったんだ・・。燃料も残り少なかったし・・。

 

 午前中で・・ほぼ、港周辺の草刈りはおしまい・。あとは島の方々にお任せして、笠井さんは・・高速艇で広島へお帰り・・。

 

 私と岡さんは・・よこせ丸にお迎えに来てもらって・・粟島へ向かう・・。船の上でお弁当を食べながら・・海上ドライブ・・。

 

 途中で・・佐柳島へ足を伸ばして・・・。八幡宮へ拝礼・・・。いや、ここの港にある「ポンツーン:浮き桟橋」の調査・・。ここや高見は立派なポンツーンがあるんだけれど、丸亀港や広島の江の浦港には簡易型の浮き桟橋しかない・・。その構造とかを確認するために・・。

 

 これが佐柳のポンツーン・・。四方を太い鉄柱で支える構造で、その間を水平にローラーで上下する構造・・。丸亀港や江の浦港は・・四角い浮き桟橋が浮いているだけ・・。そこに傾斜のある鉄板が乗っているだけ・・。強い風とか波があれば・・ふらふらと揺れている・・。

 だから、強風でも高波でも平気な構造の浮き桟橋が欲しいらしい・・。

 その後・・一行は・・海洋記念公園・・、昔の「国立粟島海員学校」での「船の祭典2010」の討論会を聞きに行く・・。

 

 けっこう・・大勢の方がお話を聞きに来ていた・・。熱心な方が多いね・・・。私は・・そんなに珍しい場所でもないし、珍しいお話でもないし・・・、咸臨丸に関係したお話でもないので・・・、海とか・・・島内の路地裏を散策してあるいてみた・・。

 

 三時半には会場をあとにし、さぬき広島に戻り、荷物を代えて・・・おみやげのお魚なんぞを提げて・・・四時40分の高速艇に乗って島を出た・・・。

 

 で、六時半には我が家について・・やれやれだわ・・。明日にはまた、サンポートへ「しんかい6500」をはやてちゃんらと見に行く予定・・。

 で、月曜日が県立病院での・・術後の観察と・・一ヶ月定期検診・・・。これが終われば・・ようやくに・・ひとまずはOKかな・・。

そんなんで、また、明日、会えるといいね。

【初音ミク 鏡音リン】太平洋行進曲【 戦時歌謡】

2010年05月13日 | 歴史
【初音ミク 鏡音リン】太平洋行進曲


 今日は元気一日に行進曲で明るく楽しくゆきたいもの・・。このミクちゃんらの歌がかろやかで、昔の戦争の歌・・という雰囲気は・・・軽くなったかな。

 冗談なのか、ホントの話なのだかどうなんだか・・。今日は「メイストームデー(5月の嵐の日)」だというのだ。「バレンタインデー」から88日目、「八十八夜の別れ霜」ということで、別れ話を切り出すのに最適とされる日。

 2月14日の「バレンタインデー」、3月14日の「ホワイトデー」、4月14日の「オレンジデー」と、14日あたりは恋人に関連した記念日が続く。これを乗り切れば、6月12日には「恋人の日」が待っている。

 関連した記念日には、聖バレンタインデー <2月14日>•ホワイトデー <3月14日>•オレンジデー <4月14日>•恋人の日 <6月12日>•サマーバレンタイン <7月7日>•セプテンバーバレンタイン・メンズバレンタイン <9月14日>•恋人達の日(くつしたの日) <11月11日>•ダズンローズデー <12月12日>・・・と目白押し。ついでに•遠距離恋愛の日 <12月21日>というものもある。

 

じゃぁ、また、来週には会えるといいね。

横須賀市浦賀の旅:四月26日(月曜日)

2010年04月27日 | 歴史
 さてだ・・。弟の家で泊まって・・朝の散歩に出た・・。で、向かったのが川崎大師だ。それも中途半端な距離やないのに、弟はこともなげに歩いて行く。私も連日だからねぇ・・。

 

 でも、往復して戻っても一時間ほどだったのかなぁ・・。ずいぶんと遠くまで歩いたと思ったのだけれど・・。で・・、今日は・・船の科学館に行く予定にしていたのだけれど・・出かける直前になって、甥が・・「今日は休みやでぇ・・」という。そうだ・・月曜日なんだ・・・。

 でも・・仕方がないから・・横浜の「氷川丸」を見に行こうということになった。で、電車を乗り継いで石川町とかで降りて・・・「外交官の家」に行こうという。ま、安易な名前の家やなぁと思ってついて行くが、横浜の町は坂道が多くて・・・。

 

 なんか・・神戸の異人館、長崎のグラバー邸みたいな洋館風の建物を見て・・・。山手の立派な教会だの学校だのを見ながら「海の見える公園」というこれまた、安易な名前の公園へ・・。その途中にある建物を見ながら行くと・・。

 

 こんなものが・・。昔の公衆電話ボックス・・。で、中身は・・・。

 

 やるもんだね・・。そんなことに感心しながら行くと・・・。

 

 歌に出てくる・・「外人墓地」だ・・。それならば、「赤いくつ人形はどこや?」って聞くと「知らない・・」という。それから・・海の見える公園から下へおりて山の下にある「山下公園」におりて、氷川丸を見学に行ったのだが・・・。

 

 これが昔の「日本郵船」の氷川丸だが・・、ここも月曜日で休館。なんじゃ、それは・・。

 で、お昼を横浜中華街で食べて・・・日本丸を見に行こうということになった。途中・・赤レンガ倉庫やら、横浜税関の建物などを見ながら行くと・・。

 

 これが赤レンガ倉庫やけれど、中はショップになっていてバッグだの帽子だの洋服だのを売ってるお店らしい・・。そういうものには全く興味のない男性三人組・・。

 で、これだ・・。

 
 
 北朝鮮の工作船を展示してある建物らしいが、ここも月曜日で休館日。どこに行ってもお休みだらけだ・・。でも、ここにある巡視船はでかい・・。

 

 外洋・・・太平洋を走る船だからかねぇ・・。瀬戸内海を走ってる海保の巡視船とは親子みたいに違う・・・。ゼニもかかってるんやろうなぁと、いらぬ心配をしてしまう・・。

 で・・、散々歩いたあげく・・・。

 

 ようやくにたどり着いた・・「日本丸」だったのだけれど、ここもまた・・「お休み」・・・。この練習船「日本丸」は初代船で、今、航海実習をやってる船は二代目なのだと・・・。

 これで・・横浜巡りはおしまい・・。パワーが切れた・・・。

 仕方がないので、甥っこは川崎駅でお別れ。弟と私は時間があり余ってるけれど、羽田空港に行って座り込みたい気分・・・。ま、お茶などしながら反省会・・。

 搭乗予定時間が来たので、弟とも別れして検査所へ・・。

 で、定刻通りに・・・17時05分出発・・。18時20分着・・・。19時には我が家についてお風呂に入り・・・ビールを飲んで・・・ばたんきゅ~・・・。

そんなんで、また、明日。

山吹の 日はとろとろと 江戸城下

2010年04月26日 | 歴史
エーゲ海の真珠 ポール・モーリア(Paul Mauriat)


 今日もユーチューブが掲示されているから不在の証拠で、これもまた予約投稿ということになって、時間が来ると、自動的にサーバーから自動送信されることになっている。

 咸臨丸フェスティバルを終えて、資料を片付けて浦賀を出た・・・。ようやくに大きな峠を越えた感じだ。

 

 浦賀ドックという大きな施設も見ることができたし、大きく・・咸臨丸に近づいたかなぁと思った。何の縁もゆかりもなこの私が、こんなにも「咸臨丸」に関わるようになったのか、考えれば不思議な気持ちになった。

 

 今日は予定を変更して、東京方面の観光をして、夕方の17時05分発のANA537便に搭乗して高松に戻る・・・。高松着は18時20分。東京では「船の科学館」ほかを見学する。

 

 で、五月22日からは香川県下で船の祭典2010が始まる。塩飽諸島でも講演会そのほかが行われる予定・・・。そして、八月末にはアメリカ・サンフランシスコに行き、咸臨丸乗組員三人のお墓に参拝する旅も予定されている。全く・・・咸臨丸にどっぷりの今年になる。

 

 そして、秋の11月には塩飽諸島で咸臨丸関係の展示や講演会も予定されている。文字通り、今年は咸臨丸イヤーになってしまった・・。

 

 そうこうすれば、今年もあっという間に終わってしまうような時期になる。そうそう、四月もあっという間に終わってしまうし・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

横須賀市浦賀の旅:四月25日(日曜日)

2010年04月25日 | 歴史
 さて・・、日曜日の朝には、各自、チェックアウトして八時にロビーに集合。皆さんは最終日。天候は土曜も日曜もよく晴れていい天気。でも、朝方の空気は冷たい・・。

 

 で、宿舎前で記念撮影・・。これでも子孫の会のごく一部。横須賀とか横浜で宿泊した人もいるらしい・・・。

 で、朝食はいつもの宴会場の梅本さん。この梅本といううなぎ屋さんは、あの、勝海舟がのれんをくぐったといううなぎ屋さんなのだとか。だから、こういうメンバーが集まるものらしい・・。

 

 宿舎は日曜日は朝食がないので、ここに特別にお願いしたものらしい・・・。

 で、またまた・・記念撮影。

 

 で、午前中は、咸臨丸子孫の会事務局長の小杉さんの講演会で「咸臨丸の歴史」。午後からは郷土史家の山本さんの講演会で、「150年前の浦賀」。

 その合間の昼食でも生ビールとおうどん・・。

 

 ま、お世辞にもおいしいとはいえないけれど、やはりおうどんがないと落ち着かない。その合間に、いろんな展示やフリーマーケット、艦船ウォッチングのを楽しむ・・。

 

 海上保安庁の「たかとり」や海上自衛隊の掃海艇「つのしま」などの一般公開も行われた。これがジャパン・コースト・ガードのたかとり。巡視船兼消防艇。排水量は600トン。

 

 これが掃海艇の「つのしま」の前部機銃座。これで威嚇発砲するらしい。掃海艇というのは機雷を除去する作業船。ここに装備されている双眼鏡がすごい。数キロ離れている人の顔がはっきりと見える。さすが業務用というか軍事用はすごい・・・。みんなが驚いていた・・・。

 

 これがブリッジの操船卓。ここで艦を操船する。つのしまの排水量は510トンで木造艦。鉄鋼船だと機雷が反応して沈没してしまうからだ。全長は54m、全幅9.4m。前にあった機銃は20mm機関砲。

 

 艦船ウォッチングを楽しんだ後は講演会を聞き、その後は片付けモードに入る。

 

 この掲示してあるものを、観客がいなくなれば即座に外し、それをケースに詰めて、民さんに挨拶して・・・、解散・・・。おつかれさまでした・・・。

 私は弟の家に向かい、その夜は弟の家で宴会・・・。朝の一時半まで飲んでおりました・・。

じゃぁ、また。

 

野遊びの 続きのように 船に乗り

2010年04月25日 | 歴史
かもめの水兵さん - 近藤圭子


 ということで、今日も「咸臨丸フェスティバル」が行われる。

 場所は住友重機械工業(株)浦賀工場内をメイン会場にして、浦賀港その周辺の地域など。ここは咸臨丸がアメリカのサンフランシスコへと出発した地点。

 

 イベントの内容も盛りだくさんで、「水恋乞いレース」という水運び競争、模擬店、フリーマーケット、屋台の出店、浦賀港一週スタンプラリー、浦賀○×クイズ、よこすかカレーの即売、浦賀ギャラリー、 浦賀屯営跡の碑一般公開、艦船ウォッチ、150年前の歴史・文化展示会、友好国・有効市町村交流展示会、咸臨丸の歴史についての講演会、昔の浦賀の講演会、音楽演奏会、浦賀史跡案内、巡視船体験航海(これは外れた)、ヨットクルー体験(これはパスした)、浦賀の渡し「愛宕丸」無料乗船、海上保安庁PRブース、海上自衛隊PRブース、・・・・覚えられないほどのイベントが目白押し。

 

 ま、実行委員会から送られてきた文書を片手に講演会とか歴史展示とか・・艦船ウォッチとか史跡巡りとからは興味があるかな・・。

 

 最初は・・・。だから、どこに行けばいいのかと思ったのだけれど、ようやく事情が飲み込めるようになってきた。町全体のイメージが見えてきたように思う・・。

 

 でも、少しばかり・・疲れも出てきたような時期かも知れないね・・。日頃の運動不足がこたえる時期なのかも・・・。
  
 

 ま、咸臨丸子孫の会ほかの講演や咸臨丸に関する展示などを見るだけでも、けっこう情報量が多くて・・・やや、知恵熱が出るような気もするし・・。

 そんなんで、25日も浦賀の街を楽しんできますね。

 

じゃぁ、また、来週に会えるといいね。
 

横須賀市浦賀の旅:四月24日(土曜日)

2010年04月24日 | 歴史
 さて、昨夜の懇親会も盛り上がって・・・。朝食を食べてから、思い思いの散歩に出たりした・・。式典は11時からだから、時間はたっぷりとあった。

 

 私は一人でその付近を散歩してみた・・。古い「浦賀街道」には古い神社とかお寺とか土蔵とか古い民家などがあって、ぶらぶらと・・そのたりを歩いてみた。

 

 これが村社であった西叶神社。そこから東福寺・常福寺などを見たあと、愛宕山公園へ。ここには山上に「咸臨丸出港の地」の石碑があった。その先には陸軍桟橋というものもあった。そのあたりで引き返して・・浦賀の渡しを見た。こちら側に船がないのでそのまま・・戻った。

 

 で、式典の行われる住友重機械工業浦賀ドック跡に向かう。ここには普段には見ることのできない「レンガドック」がある。昔には軍艦や青函連絡船なども作られた場所。今は閉鎖されているが貴重な歴史資産の一つ。

 

 で、十時半にはみんなで集合してセレモニー会場へ・・。胸には「咸臨丸子孫の会」のリボンをつけてもらって・・。

 

 会場には横須賀基地の米軍関係者とか海上自衛隊横須賀基地の関係者とか・・、そうそう・・小泉Jrの進二郎さんとかも・・・。オランダ国歌・米国国歌・日本国歌が演奏され、花輪が供えられてスピーチがある。

 

 これはオランダ大使館からの挨拶。手話のサービス付き。その後はレセプション。

 

 ま、こんな場所で食べたり飲んだりはできないので、早々に外に出て、模擬店での生ビールにおうどん・・・。私はこういうほうが気楽でいい。そして・・名物の海軍カレー。これが実においしかった。横須賀では千円もするが、ここでは300円。やや、ほかのお店に遠慮して、量を少なくしてるらしい。うどん屋とか焼きそば屋がもうけにならないと困るからだとか・・。

 
 
 お昼からは予定がないので、弟と横須賀に出かけて、「戦艦三笠」の見学。あの・・坂の上の雲に出てくる戦艦で、日露戦争に使われたもので、秋山真之も乗った船。東郷平八郎の敵前回頭・・・で有名な船だ。

  

 この当時としてはばかでかい船だっただろうと思う・・。

 

 船橋(ブリッジ)にもあがったり、大砲のある部屋とか居住区とかを見学したり、資料室を見たりする・・。

 

 このマストに掲揚されているのが「Z旗」、「皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ・・」という意味の暗号旗。

 で、私のあかつき丸にも掲揚しようと、軍艦旗とZ旗と戦闘帽を買った・・・。私へのおみやげ・・、3600円。

 

 その夜もまたまた・・懇親会になった・・・。

じゃぁ、また。

うらうらと 船の並んで をりにけり

2010年04月24日 | 歴史
日本昔話エンディング


 ということで、今日から「咸臨丸フェスティバル」が始まる。

 場所は住友重機械工業(株)浦賀工場内とその周辺の浦賀の街・・、浦賀港など。
 
 
 
 イベントの内容も盛りだくさんで、「水恋乞いレース」という水運び競争、模擬店、フリーマーケット、屋台の出店、浦賀港一週スタンプラリー、浦賀史跡案内、巡視船体験航海(これは外れた)、ヨットクルー体験(これはパスした)、浦賀の渡し「愛宕丸」無料乗船、海上保安庁PRブース、海上自衛隊PRブース、浦賀○×クイズ、よこすかカレーの即売、浦賀ギャラリー、 浦賀屯営跡の碑一般公開、艦船ウォッチ、150年前の歴史・文化展示会、友好国・有効市町村交流展示会、咸臨丸の歴史についての講演会、昔の浦賀の講演会、音楽演奏会・・・・・書き切れないほどのイベントが目白押し。

 

 ま、実行委員会から送られてきた文書によれば・・・盛りだくさんの行事がいっぱい。ま、たまごつかみとか○×クイズなんていうものはどうでもいいし、水運びレースもパスだけど、講演会とか歴史展示とか・・艦船ウォッチとか史跡巡りとかいは興味があるかな・・。

 

 最初は・・横須賀がどこにあるものか、浦賀という街がどこにあるのかもわからずに、本屋さんで関係するような本を探してみたんだけれど、横浜の情報は多くあるけれど、浦賀に関する情報はほとんどなかった・・。だから、どこに行けばいいのかと思ったのだけれど、最近は押し寄せる情報に、ようやく事情が飲み込めるようになった。

 

 でも、案外と広い浦賀の街を・・・あちらこちらと歩くと、この前のお大師まいりの時のように、足がパンパンになりそうな気もするな・・・。狭い街のように見えるんだけれど、メイン会場kら浦賀港や宿舎の浦賀クラブまで歩いても、それだけで・・ずいぶんと歩くような気がする・・。

 

 ま、咸臨丸子孫の会の小杉さんの講演や咸臨丸に関する展示などを見るだけでも、けっこう情報量が多いような気もするし・・。

 そんなんで、24日、25日は浦賀の街を楽しんできますね。

 

じゃぁ、また、来週に会えるといいね。
 

横須賀の どこかで春が 光る空

2010年04月23日 | 歴史
どこかで春が


 こういう・・画面が出ると・・・時限装置が働いて、予約投稿ということで、私が不在・・・っていう証拠なんだ・・。 

 先に・・・案内の通り、24日25日と横須賀市浦賀で「咸臨丸フェスティバル」が行われる。そのイベントに丸亀市を代表して(?)展示物を持って行って来ることになった。とはいうても・・丸亀市から出張旅費が出る訳ではない。その準備のために、23日からの出発ということになった。

 

 このフェスティバルに、昨年の秋の島の文化祭に展示をした、私の咸臨丸乗り組み水夫のお墓マップを展示したいとおっしゃるもので・・。このマップを持参して行こうというもの。

 

 この模造紙二枚を、このような書類ホルダーに丸めて運ぼうという計画。だから、展示の前日に搬入して、展示が終わった25日の夕方にこれをまた、ホルダーに詰めて、翌日の26日に持って帰るという計画。

 

 で、23日は、高松空港発の九時四十分のANA534便で羽田に向かう。で、11時ごろに羽田に着いて、そこから京急電車で浦賀に向かう予定・・。

 お江戸に行くなんていうことは・・ずいぶんと久しぶりだから大丈夫かなぁ・・。とにかく・・方向音痴なものだからね。

 

 それだし、ここんところ天候が不順だしね。ま、これだけ雨が降ってくれたら、この週末には晴れてくれるかも・・・と、かすかな期待・・・。雨が降れば・・見学も少なくなるし、史跡巡りもできないだろうし、艦船ウォッチングも楽しくないものね。ま、お天気次第なんだけれど。

 

 で、お昼過ぎに浦賀について、お昼を食べて・・・。しばらくは市内の散策かな・・。宿舎は咸臨丸子孫の会のほうで用意してくれた、三菱重機械工業の浦賀クラブという所に、関係者一同が泊まる予定。その夜は・・懇親会らしい・・。

 

 ご存じの通り、あのペリー提督の乗った黒船がやてきて、上陸したのが、この浦賀の久里浜というところ。そしてまた、咸臨丸が品川を出て、横浜に立ち寄り、最終の物資の積み込みをしてアメリカに向かったのが、ここ、浦賀ということになっている。

そんなんで、また、来週に会えるといいね。

横須賀市浦賀の旅:四月23日(金曜日)

2010年04月22日 | 歴史
 今日は春の嵐になった様子。「春眠暁を覚えず  処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知んぬ多少ぞ 」の夜来風の声・・・というか、夜来風雨の音・・だった。

 さて・・簡単に今回の旅の報告をば・・。

 我が家を八時前に出て・・・空港には九時前に到着。まずは軽く生ビールを飲み干して搭乗手続き。ここいらはスムーズに進んだ。で、定刻通りの九時40分に高松空港を離陸。

 窓からは雲しか見えない・・。

 

 羽田には11時前に到着。そこから京急電鉄の羽田から特急電車で浦賀駅まで一時間ちょっと。正午過ぎには浦賀駅に着いた。全くの乗り換えなし・・。途中で電車を接続したり、切り離ししたりはするが、乗った車両はそのまま・・浦賀に着いた。

 

 で、役所も昼休みだろうからと・・その間に昼食。さすがに・・このあたりのおうどんは食べたくない。そこで、駅前の中華料理店で生ビールを飲んで。。この・海鮮そば・・なるものを食べた。メインはラーメンでエビとかイカが乗ってるもの・・850円。ま、おうどん代わりだな・・。

 

 駅前からは道路が一直線・・・。右手にはお店が並び、左手には住友重工の工場の塀が続く・・。その壁面にこんな表示が・・・。

 

 で、実行委員会がある「行政センター」へ、今回の主賓であるお墓マップを届けに行く。で、二階の会場にマップを掲示したり、展示物を並べたりのお手伝い・・・。

 

 これが、丸亀市のコーナー。お隣には坂出市と宇多津町のコーナーもある。会津とか北海道の木古内や土佐清水や長崎のコーナー、オランダやサンフランシスコのコーナーとかも。

 これは、この浦賀の叶神社に奉納されている、塩飽の船乗りが奉納した羅針盤の模型。

 

 その後、実行委員会の大会関係者と会場巡りやら準備の確認作業・・・。こういう模型を倉庫から出して、会場前に展示をしたり・・・。あいにくとこの日は雨模様。小雨の中での作業になった。

 

 夕方には・・宿舎の住金の浦賀クラブへチェックイン。昭和中期を思わせる・・市営住宅か社宅風の五階建ての建物。その五階に宿泊・・・。ちゃんとエレベータもあるし、バストイレ付きのシングルルーム。

 

 夕方の十八時からは、咸臨丸子孫の会の懇親会・・・。楽しい一夜を過ごしたものでありました・・。

 

じゃぁ、また、引き続いて・・・。

神田川  花いかだ浮く 春の夕

2010年04月04日 | 歴史
神田川 : かぐや姫


 四月四日はいろんなことがある日。今日は、けいこばぁのお父さんの寅衛さんの一周忌法要・・・。亡くなったのは昨年の四月二十九日だった・・・。そんなんで、今は神戸におります。

 

 今日は「沖縄県誕生の日」で、1879(明治12)年のこの日、琉球藩を廃し沖縄県とすることが布告され、沖縄県が誕生した。

 また、「交通反戦デー」でもあるらしい。1989(平成元)年のこの日、東京都の交通遺児を励ます会が交通反戦大会を開き、この日を「交通反戦デー」とすることを決めた。耳なじみのない記念日やね・・。児童や生徒も参加できる春休み期間中の覚えやすい日で、また、「死(4)死(4)を返上」の語呂合せかららしい。

 

 さらに・・「トランスジェンダーの日」は、1999(平成11)年2月に性同一性障害者の自助グループ・TSとTGを支える人々の会が制定。「男と女」だけではとらえきれない性の多様性について、広く社会的な理解を深める日んだとか。

 「おかまの日」というのは、3月3日の女の子の節句と5月5日の男の子の節句の中間の日であることから。その「おかまの日」と言われていた日をそのまま「トランスジェンダーの日」としたことにより、「おかま=トランスジェンダー」という誤った認識がなされる恐れがあることから、当事者の間で日附を変更もしくは廃止すべきという声が上がっているのだとか。

 

 それから・・・「ピアノ調律の日」とは、国際ピアノ調律製造技師協会が1993(平成4)年に制定。日本では日本ピアノ調律師協会(ニッピ)が1994(平成6)年から実施したもの。Aprilの頭文字が調律の基準音Aと同じで、その周波数が440Hzであることから・・なのだとか。

 

 さらに・・「あんぱんの日」は、1875(明治8)年のこの日、明治天皇が水戸邸の下屋敷を訪れる際に、木村屋のあんぱんが出された。木村屋の木村安兵衛が当時の侍従・山岡鉄舟に「これまでは京都の和菓子をお出しすることが多かったが、純日本製のパンをお出ししたらどうか」ともちかけられた。木村安兵衛は、それまでのあんぱんに工夫をこらし、日本を代表する花である八重桜の塩漬をいれた桜あんぱんを開発したもの。

 関連したものに、「どらやきの日」がある。米子市の丸京製菓が制定したもので、「桃の節句」と「端午の節句」に「はさまれた」日であることと、「みんなで食べて、みんなで幸せ(4合わせ)」の語呂合せから。

 

 さらにはこんなものまで。「ヨーヨーの日」は、「ハイパーヨーヨー」を製造しているおもちゃメーカーのバンダイが制定したもので、「ヨー(4)ヨー(4)」の語呂合せ。1998(平成10)年のこの日には、ジャパンヨーヨーアソシエーション(JYYA)が設立された。この日とは別に、ヨーヨーを世界的に有名にした立役者であるドナルド・F.ダンカンの誕生日6月6日もヨーヨーの日になっている。

 「獅子の日」は、単に「し(4)し(4)」の語呂合せ。

 「写真シールの日」は、写真シール機「美写」を開発している日立ソフトウェアエンジニアリングが制定。「しゃ(4)しん(4)」の語呂合せ。写真シール機は「プリクラ」の通称で知られているが、プリクラは「プリント倶楽部」を開発したアトラスの商標となっている。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

久々に 街のあかりや 春の宵

2010年03月20日 | 歴史
 今、丸亀市内のホテルからです。島の我が家よりか快適なお部屋やね・・。

 さて・・・まさに泥縄・・・。泥縄って今の人にわかるんだろうか・・。泥棒がきてから、その泥棒を捕まえる縄を作る・・・っていうことで、にわか仕立て・・みたいな意味やろうか・・。間に合わない・・・っていう意味やろうか・・。

 ※ 泥縄とは「泥棒を捕らえてから縄を綯う(なう)」を略したもの。泥棒を捕まえてから、慌てて(泥棒を)縛るための縄を作ることで、事が起きてから慌てて準備することを意味する。泥縄は後手になったり、その場しのぎな政治や経営の他、様々なそうした事象に対して使われ、「泥縄状態」「泥縄式○○」という言葉もある。

  

 一ヶ月も前から講演会の依頼を受けているのに、なんだかんだとやっていて、ようやく、今朝になって資料の印刷だ・・・。何をやってるんだか・・。

 それだし・・何を話せばいいのかすらわかっていない。奥方のけいこばぁが・・「言葉を失って、頭をかくなんて、ぶざまなことはせんとってよ!」と、きつぅぅいお言葉。最近は、そういうこともあるかなぁ・・という不安もあった・・。

 

 そういうことで、丸亀港に車を置いて、徒歩でJRの丸亀駅へ・・。ここが・・十時半くらいやっただろうか。そんなに早く行ってもなぁ・・ということで、ここでおうどんを食べることにした。

 で、入ったのがここ・・。

 

 「将八うどん・丸亀店」。JRの高架下にあるお店。お店があるのは知っているのだけれど、なんか・・高そうなイメージがあったし、車を止める場所も面倒だったし・・・。でも、今日は徒歩だし・・ということで入ってみた。

 

 ここは一般店で・・・高いものは高いけれど・・・安いものはそれなりのお値段だから心配するほどのお店でもなかった・・。

 

 で・・・ここの名産・・というほどのものではないが、「しょうちくうどん」を注文した。「しょうゆうどん+ちくわ天入り」ってことか。ちくわの天ぷらが乗った・・・しょうゆうどんだ。

 

 ま、珍しい・・って、ものかな。天かすが・・しょうゆとまざって・・なんかもぞもぞとする感じ。麺はさすがいおいしいのだろうが、天かす団子・・みたいなどろどろになって。本当は・・450円らしいが、420円でいいという。何かのサービスがついたのかな。

 その後、JRに乗って坂出駅へ・・・。普段は車ばっかりだから・・・JRに乗るのは面倒だし、時間が浪費されるし・・こういう移動もたいへんだね。なれたら、こっちのほうが便利なんだろうけれど。

 

 会場に着いてみると、こんなものまで・・・。そんな・・大げさな話じゃないのだけれど。「講談師、みてきたような ウソをつき・・」みたいな話だし、「坊さんは 地獄極楽 みてきたか」みたいな調子・・。ま、誰も幕末のころは知らないのだから・・「話したもの勝ち・・・」みたいなもんか・・。ま、そんな失礼なお話ではないのだからね・・。

 

 でもだ・・。この・・左から・・野藤先生、島本先生・・さらには・・西山先生までもが・・・。大先輩を前にして・・・私が何を話せばいいんよ・・・みたいな・・。アセ・アセ・・・。汗まみれの講演会・・・。新調のワイシャツが汗まみれになったぞ・・。

 

 その後、会場を移動して・・懇親会。懇親会というても・・夕方前の三時過ぎからからだかねぇ・・。なかなかにパワーが出なくて・・・。

 17時過ぎにお開きになって、私はJRで丸亀駅までもどり、市内のホテルに入って・・風呂に入り・・ビールを飲んで・・・ブログの更新・・。

 ま、評価はどうかはわからんけれど、ま、一つ、宿題は終わった感じ。明日は、にゃんさんからの宿題をかたづけないといけないので、連合自治会長さんにアポを入れて、明日、会談することになった・・・。

 

 ま、おばかさんになる前に、お約束を一つひとつ、こなしておかねば・・と思う昨今である・・。

じゃぁ、また。
 

うららかに 暮れてくれよと 夜の友

2010年03月20日 | 歴史

   

  いきなりで失礼しました。今日は「讃岐龍馬会塩飽社中」の定期総会が行われる日。  私はお昼の一時前に坂出市内の会場に行けばいいのですが、まだ・・レジュメというか、資料ができておらんのです。ま、そんなで・・・大慌て中・・・。代わりに、龍馬さんに がんばってもろちゅうところですきに・・・。  

 そんなんで、今日は・・・「咸臨丸と塩飽」という話題で、およそ、一時間近くお話させてもらって、その後、場所を代えて、坂出市内で反省会兼懇親会があって、それが終われば・・・丸亀駅近くのホテルで宿泊・・・。  日曜日の朝、ゆっくりとホテルを出て・・・さぬき広島に戻り、休息兼なんだかんだのお片付け・・・。天候がいいと釣りもしたいし、車の点検もしたいし、船の調子も見ておきたいし・・・。どんなやろうか・・。

 

 私は・・・あいにくと、この坂本さんをあんまりよく知らないのですわ・・・。何をした人なのかね・・。何かをやろうとしたのはわかるんだけれど・・・。ま、そういうお話を含めて・・・いろいろとお勉強をしたいもんです。    

 この紋所ね・・。実は内緒ですが、私の携帯電話にも貼り付けてあるんです・・。この坂本さんの紋所とは知らずにね・・・。あ、いいなぁと思って張ったものの、意味を知らなかったんですが、本屋さんでみた坂本さんの紋とおなじなのでびっくりしたって訳ですよ。

  じゃぁ、また。


大いなる 旅があったか 二月尽

2010年02月26日 | 歴史
 本日、2月26日は「咸臨丸の日」という記念すべき日である。

 

 今からちょうど150年前の・・万延元(1860)年のこの日、日本幕府が派遣した使節団の随伴艦としての「咸臨丸」が、三十七日間の太平洋横断航海を終えてサンフランシスコ港に到着した。

 で、2月26日(金)の11:55~13:55 NTV系番組「おもいッきりDON!」の「きょうは何の日」コーナーで咸臨丸が取り上げられるので、皆さんもお時間を調整してご覧くださいますように・・・。

 

 この番組には乗組員子孫がインタビュー出演するそうだし、咸臨丸終焉の地、北海道の木古内町も紹介される見込みらしい・・。 お時間があれば・・見て下さいな。

 

 で、これとは全く関係ないのだが、「2.26事件の日」でもある。これは、「に・に・ろく」事件と呼んでいる。「に てん にーろく」とは言わない。昭和11(1936)年のこの日、2.26事件が勃発した。

 

 陸軍の皇道派の青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指して、約1500名の部隊を率いて首相官邸等を襲撃したもので、内大臣・大蔵大臣などが殺害され、永田町一帯が占拠された。

 

 当初、陸軍の首脳部は青年将校たちの行動を容認する態度をとっていたが、海軍が鎮圧を要求し、天皇も同様の立場をとったので、29日に鎮圧を開始した。飛行機から「下士官兵ニ告グ」のビラを撒いて帰順を勧め、「今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ」との投降を呼びかけるラジオ放送を行った。形勢が不利になったと判断した将校たちは兵を原隊に帰し、2名が自決、残りの者が自首して、その日のうちに鎮定された。

 

 そのほかの事柄については・・・流し読みをしてくださいな・・。

 ○「脱出の日」 1815年のこの日、エルバ島に流刑されていたナポレオンが島を脱出してパリに向かった。

 ○「パナマ運河開通記念日」 1914(大正2)年のこの日、太平洋と大西洋を連絡するパナマ運河が開通した。

 パナマ運河は、中央アメリカのパナマ地峡を開削した閘門[こうもん]式運河で、当初はスエズ運河を開削したフランス人技師レセップスが工事を進めていたが、作業員がマラリア等の病気にかかる等で失敗し、その後をアメリカが継いで完成させた。

 ○「血液銀行開業記念日」 1951(昭和26)年のこの日、日本初の血液銀行・日本ブラッドバンク(後のミドリ十字。吉富製薬と合併する等して現在は田辺三菱製薬)が大阪に設立された。例の・・「ミドリ十字」やねぇ・・。今はなくなってしまったけれど、名前を変えて、どこかで生き延びているのかも知れないな・・・。

 ※「良忍上人忌」 平安時代後期の僧で融通念仏宗の祖・良忍の法要の日。

 

 亡くなったのは 長承元(1132)年2月1日であるが、法要はこの日に行われる。安永2(1773)年に聖応大師の諡号を贈られた。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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