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41 徐福集団の生活習慣 徐福らは、天草で満足するつもりは全くない。 先の7年間の予備調査期間において、倭人の素直さ、聡明さ、明るさなど、その素晴らしい民族性に魅かれていた。 いまだ、国というものに統一されてないこの嶋を、理想の統一国家にしようという思いが湧いていた。 それは、憐れみであったかもしれない。始皇帝に滅ぼされたり、圧迫された王族や豪族が朝鮮半島に逃げ込んだように、やがて、日本列島にもやってくるだろう。良い人たちであれば良いが、ただ隷従させるような暴君だと、秦の二の舞になる。 この純朴な人たちが、みすみすそうなるのを見捨てられない。 また、それは、徐福ら自身の安全にもつながる。彼等の侵入を水際で防がねばならない。 むしろ、朝鮮半島にも天の國をつくり、そこで、南進を阻みたい。日本列島への侵入を許さないようにしたい。 徐福集団の中には、徐福の他にもう一人、優秀な方士が居た。古事記に出てくる國常立神(クニノトコタチノカミ)である。仮にそちらを因(おおくに)國としておこう。 徐福らは天草に根拠を置き、九州およびその南、本州の南東側、従って九州、四国、瀬戸内海に領土を広げていく。 因國は本州の北西側、すなはち山陰側、越後方面そして朝鮮半島を管轄する。 因國の最大の目的は鉄の生産であった。 徐福集団の事前調査で、出雲において砂鉄を発見していたからである。当然因國の本拠は出雲に置くことになる。 方士を中心に100工の中の金属加工に携わるものは多く出雲に行った。 明治の初期でさえ、島根県は全国の鉄の6割を生産していたという。 徐福集団は、各地に分かれて入植することを奨励した。 これが後の国生みの土台になる。 そのために、全国に山伏を多く派遣した。 その目的は入植に適した土地を探すこと、地理を知ること、資源を探すこと。 港、川、水上交通の便、植物、薬草、動物、食糧生産の可能性、防禦の地の利、鉱物資源、地図を作成し記入していくこと。 地図はどのように? 紙がないから布に印した。布に糸で印をつけていく。ある点から見た目標物の方角を放射状に糸で印して行くのみである。 それを他の点から見た同様の物と組合していくと、地図が出来ていく。 そして、その印の意味を竹簡にしたためる。 昔の人は頭いいんだよな~。 |