住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

368 もしも、徐福が日本に来ていたら」 (52)

2007-05-30 08:58:45 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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368 ニニギノ尊(3)

ニニギノ命が宮をどこに建てようが神の世界の話ならどこでもいいのだが、guuchanは、実在の話と考えている。
この世のどこかに在るはずだと考えて探している。
高千穂の久住に登って国見をしたニニギノ命はどうするか?

天は船を大事にしてきた。それには天草が中国にも近く、有明海の出口に有って、出て行くのにも入ってくるのにも、船の交通の要衝で有利であった。
しかし、それは徐福が来日した当初で、数百年も経って来ると事情は変わってきた。

倭人伝の頃までに倭人は100ケ國位も魏の国に朝貢している。
九州中心に分散して住み始めた彼等は、新植民地であっても、秦の始皇帝の権威で、秩序を維持しようとした。
始皇帝が亡くなった後は、中国を統一する新しい皇帝の権威に認められることによって、植民地における地位の安定、地方国家の安定を求めてきた。

また、文明の取り入れ口でもある。
若者を中国に留学させて、多くのことを学ばせて来る必要があった。それは徐福らの遺言でもあったろう。
植民地における文化水準の維持向上のためであったが、他の氏族に遅れを取らないためということもあったのである。

しかし、天集団の色々な枝が、九州および日本の各地に広がっていくと、常に船で往来と言うのも限度があった。
船舶の質も劣ってきていた。大型の外洋船を建造する技術、財力、航海技術の継承など全ての点で困難になってきたのだ。
各々の小国家にとっては、その地域で力を持ってくると、天との関係はそれほど重要性は無くなって来た。

天族の力を借りなくても、実力で地方国家の権威を維持できたからだ。
そして、海上の危険を冒して、定期的に天詣(あまもうで)でする意味が薄れ、また負担にもなってきた。
税金を取り立てるのなら、自分で取に来いと、開き直って滞納する者たちが現れてきた。

天は滞納国家の近隣の国の力を借りて服従させようと圧力を掛けたが、それは近隣国家間の緊張を高め、軍備競争と紛争の時代に突入して行った。
国々は城郭、武器、武術の訓練などに多くの労力や財力を消耗した。
多くの奴隷を取り込むために領土の拡大競争も生じた。

天一族の権威を保つためには、天の王族を中心とする血縁集団の、直轄領を拡大し、大きな力を作り出す必要があった。

天族の中核はついに天草を出て、船中心、海洋中心政策から方針を転換し、陸上に天一族中心(徐福集団の中の王族中心)の統一国家を作り出す決心をし、緩んだたがを締めなおすことにしたのだ。
時代の流れだと判断したのだ。

その手始めがニニギノ命の降臨である。空から降りたのでなく、船から降りたのだ。天草と言う安全地帯から、危険を伴う広い国土の中に降り立ったのだ。

降り立つに当たって、九州北部の実効支配者がどういう態度を取るかが大きな問題だった。
その一つが猿田彦神であろう。
猿田彦神は高天原から葦原の中津国までに光っているとある。
高天原は天草としても、葦原の中津国とはどこだろう。
高天原が天上で、黄泉の国が地下で、葦原の中つ国が地上でという解釈なら、高天原から葦原の中津国の神まで光っているいう表現にはならないだろう。
中津国だけで十分である。

八衢(やちまた)に居るというのも具体的である。
前回八衢は日田ではないかと書いた。
ついでに言うと、日田は弥生時代の遺跡も多く、その一つから鉄の鏡(極めて珍しく、中国の王族クラスの持ち物だとか)が出ており、邪馬台国だったと言う説もある。
そして、天の八衢は日田であるという説が、既に日田にお先に存在していた。

そうすると、現在の大分県中津市がそのままの中津國である可能性が高い。
山国川の河口にあって、広い中津平野である。

さて久住山(クジュウサン)に登って国見をした後、どこに都を定めたか、久住山でここは良いところだと詔られたのだから、あまり遠くではない。
しかし、山の天辺では不便だ。
そうすると、久住山の近くで交通の要衝、そしてすでに通過して見てきたところである。
温泉も出る日田(八衢(やちまた))は都を定めるのに絶好だ。
北部九州の中心となる。筑後川を下れば有明海。遠賀川を下れば、北九州。山国川を下れば葦原の中つ国。
豊前、豊後に近い。

日田近辺は良い木材を出す。
それを、筑後川、遠賀川、山国川に流し、船の建造をする。
東征のためには沢山の船が必要だ。

ニニギノ命が底津石根に太い柱を立て、高床の宮を建てたのは日田ではないかとguuchanは推定する。