住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

363  「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (50)

2007-05-24 23:56:32 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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363 ニニギノ尊

天孫降臨までにはまだまだ沢山のことがあるのだが、先が長いので早く降臨させることとした。

ニニギノ命は、高千穗(たかちほ)の久(く)士(じ)布(ふ)流(る)多(た)氣(け)に天下る。
高千穂の峰という解釈が一般的なようだが、guuchanはクジフルタケに注目した。
その音から、九重山である。高千穂は、九州の中央の高い山々を指している。
クジフルという意味は、感動的と言うことだ。
天草から、九重山に上ってきて天下ると言うのはおかしいではないかというだろう。

そうではない。天草は長年天族の根拠であった。そこを出て、天の支配地全域を直接統治しようと言うのだ。
それまでは、国々を多くの別に別けて半ば任せていた。

その手始めが、九州の一番高い山に登って、国見をするのだ。

天の石位(いわくら)を離れ、天の八重の多(た)那(な)【此の二字は音を以ちてす】雲を押し分けて、伊(い)都(つ)能(の)知(ち)和(わ)岐(き)知(ち)和(わ)岐(き)弖(て)【伊より下の十字は音を以ちてす】、天の浮橋(うきはし)に宇(う)岐(き)士(じ)摩(ま)理(り)蘇(そ)理(り)多(た)多(た)斯(し)弖(て)【宇より下の十一字は音を以ちてす】、竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の高千穗(たかちほ)の久(く)士(じ)布(ふ)流(る)多(た)氣(け)【久より下の六字は音を以ちてす】に天降り坐しき。

伊(い)都(つ)能(の)知(ち)和(わ)岐(き)知(ち)和(わ)岐(き)弖(て)を一般的にどう解釈しているか知らないが、伊都国の伊都かもしれない。筑後川の河口は伊都国である可能性はある。伊都国は天が設けていた、北方を治める大きな役所を置いていたところである。
何処の地別地別けてかもしれない。

天の浮橋(うきはし)に宇(う)岐(き)士(じ)摩(ま)理(り)蘇(そ)理(り)多(た)多(た)斯(し)弖(て)【宇より下の十一字は音を以ちてす】、竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の高千穗(たかちほ)の久(く)士(じ)布(ふ)流(る)多(た)氣(け)【久より下の六字は音を以ちてす】に天降り坐しき。


浪花節でも聞くようだ。
天の浮き橋は、中国式の堅牢なジャンク船だ。胸を張ってカッコよく船上に立っている姿が、目に浮かぶようだ。

天の浮き橋でやって来たのだから、天草から筑後川を遡って出切るだけ上流に来ただろう。

そして途中、天之八衢(あめのやちまた)に居て、上(かみ)は高天原を光(てら)し、下(しも)は葦原中國を光(てら)す、是れ有り。

猿田毘古(さるたびこ)という名の神がいた。

おかしな名のようだが、後に大伴狭手彦という重臣が現れる。九州北部の遠賀川沿いに上流まで勢力を持っていた有力な天の一族だったろう。
大伴連は神武東征に従っていき、大きな力となっている。
天之八衢(あめのやちまた)とは、筑後川の上流、遠賀川の上流、山国川の上流で各地への交通の要衝と言うことになる。
古くからの天領、日田市辺りではなかろうか。