もうすぐ出発します。 4/30、5/1は教会のお仕事で東広島に出張です。 ブログは休みます。悪しからず。 沢山の方に見に来ていただいていますので、お知らせします。 アリガトウございます。 がんばって昨夜徐福も更新しました。 | |
336-1 ジャーマンアイリス アヤメ科アヤメ属 あやめ(菖蒲、文目、綾目) アヤメ科アヤメ属 わが家の庭に咲きました。今朝蕾を入れたが、他は花が間に合わない恐れがあると言うことで、金曜日頃切花にして暖かいところに置いてあった。 大きな鉢で育っているが、ジャーマンアイリスには水は要らないそうだ。 「この花はアヤメですか?」と聞かれた。guuchanの頭にはアヤメは葉っぱ細く尖って花は青い?というような観念があった。 「ショウブでしょう。」というと。 「サトイモ科ですか?」と聞かれた。 「アヤメ科アヤメ属です。」と答えた。 どうも話がかみ合わない。 guuchanも今一自信がないので、調べてみた。 図鑑を見たら、これを菖蒲(ショウブ)と言う人がいるが、この花は菖蒲と書いてもアヤメと言わなければならないとあった。??? 花菖蒲は(ハナショウブ)で良いらしい。 アヤメ科アヤメ属だ。 菖蒲(ショウブ)というと別の花になる。 | |
336-2 ショウブ(菖蒲) サトイモ科ショウブ属 これがショウブ(菖蒲)だそうだ。菖蒲湯にする菖蒲はこちらだ。 ちなみにこれは、万葉集ではアヤメグサ(菖蒲草)と詠まれている。 アヤメ(菖蒲)はアヤメ科アヤメ属。 ショウブ(菖蒲)はサトイモ科ショウブ属。 ハナショウブ(花菖蒲)はアヤメ科アヤメ属(アヤメとも多少違うらしい) ショウブグサ(菖蒲草)はサトイモ科ショウブ属 やっぱり、guuchanも混乱するはずだ。そしてカキツバタがあり、シャガがる。 これらを全部整理するにはまだまだ年季がいりそうだ。 画像は右ののサイトから借用→山野草・高山植物 | |
336-3 オダマキ(苧環) キンポウゲ科オダマキ属 オダマキも今一満足できる写真が撮れてなかった。 この写真が、オダマキの特徴をもっとも良く捕らえているとは思わないが、 そういう観点を抜きにすると、なんとも微笑ましい。 ゴールデンウィークなのでのびのびと休日を楽しんでいるようだ。 好きだ。壁紙にしたいくらいだ。 | |
336-4 バラ guuchanは黒バラと呼ぶ。 | |
336-5 コバノタツナミ?(小葉の立浪) シソ科 タツナミソウ属 guuchanには経験不足でわからない。さる愛好家の鑑定だ。 葉っぱはミントのようにちりちりしてタツナミソウに似ている。 | |
336-6 コバノタツナミ それにしてもタツナミソウ(立浪草)とはよく言ったもだ。北斎の波の画が思い浮かぶ。 |
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間もなく出発です。 水曜日は、ブログは、多分、御休みです。 御訪問ありがとうございます。 古事記序文 5頁目 於焉惜舊辭之誤忤正先紀 之謬錯以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰録稗田阿礼所誦之 勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨子細採■(手偏+庶、セキ、ひろう)然上古之時言意並 朴敷文構句於字即難已因訓述者詞不逮心全以音連者事 趣更長是以今或一句之中交用音訓或一事之内全以訓録即 辭理■(逮、しんにゅう+台、タイ、およぶ)見以注(經の糸偏でなく言偏、コウ)明意况易解更非注亦於姓日下謂玖沙訶於名 帶字謂多羅斯如此之類隨本不改大抵所記者自天地開闢 始以訖于小治田御世故天御中主神以下日子波限建鵜草葺 不合命以前爲上卷神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前爲 guuchanの読み下し 焉(ここ)に於いて、舊辭之誤を惜しみ、先の紀の謬錯を正すを忤(さから)う。 和銅四年九月十八日臣安萬侶に稗田の阿礼の誦ずる所之勅語舊辭を録し選び以って献上せよと詔有れば、謹(つつし)みて詔(みことのり)の旨に隨いて子細を 採■(手偏+庶、セキ、拾う)(さいせき)す。 然り、上古の時言える意を並朴(へいぼく)して敷文(ふぶん)し、構句(こうく)す。 字に於いては即ち已(や)み難(がた)し、訓に因りて述ぶれ者(ば)、詞(ことば)は心を不逮(つかま)えず。 全て音を以って連ぬれば、事の趣は更に長し。是を以って今或る一句の中に音訓を交え用いる。 或る一時の内、全て訓を以って録し即ち辭理(じり)を(逮、しんにゅう+台、タイ、およぶ)び見て(經の糸偏でなく言偏、コウ)を以って意を明らかにす。 况(いわんや)、解し易き、更に注するに非ず。亦、姓に於いて日下を謂う玖沙訶(くさか)、名に於いて帶字を謂う、多羅斯(たらし)。此の類の如きは本に随い改めず。 大抵記する所は、天地開闢より始まり、小治田の御世を以って訖(おわり)とする。故に天の御中主以下日子波限建鵜草葺不合命以前を上卷と爲す。神倭神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前を中巻と為す。 guuchanの解説 ここに、舊辭之誤を(知りながら、手間隙を)惜しんで、先に発行された日本書紀の誤謬錯覚を正すのを逆らった。 逆らうというと、誰かが誰かに逆らう印象がある。忤(さから)という字は、読みは分かったが、もっと詳しい意味を知りたくて、普通の辞典を見たが、載っていないようだ。正すのを中止したという意味ぐらいにとっておく。 それにしても、中止をしたのは誰だろう? また先の紀は、日本書紀のことと解釈した。既に出来ていたと思われる。 天皇(元明天皇)しかない様に思う。古事記の一応の完成でよしとしたのだ。 先代の天皇が詔して始められた時、すなわち稗田阿礼が28歳だったとすれば、元明天皇が詔してまとめを命じられたときは711年で稗田阿礼が53歳です。 稗田阿礼は720年に62歳で亡くなっています。 25年も仕事をしていたのでは早くまとめさせるのも当然です。 日本書紀の訂正にまで手を付けていたのでは、まとまるものもまとまらなくなってしまうでしょう。 和銅4年9月18日(711年)臣安萬侶に稗田阿礼が口で話す所の勅語舊辭を選び記録して献上せと詔(みことのり)されたので、謹(つつし)んで詔(みことのり)の旨に随って、仔細を採録した。 然り、上古の時の言の意味を朴(ありのまま)に並べて文にし、句を工夫した。 字に於いては、やむを得ず、訓で述べれば、詞(ことば)は心を伝えない。 全て音を以って連ねれば、事の趣は更に長くなる。そういうわけで、今、或る一句の中に音訓を交えて用いたり、或る一事の内に、全て訓を以って記録し即ち辭理を及び見て(經の糸偏でなく言偏、コウ)を以って意味を明らかにした。 況や分かり易いもには更に注はつけなかった。亦、姓に於いて日下は謂う玖沙訶(くさか)と謂う、名に於いて帶字を謂う、多羅斯(たらし)、此の類のものは、本(もと)のとおりとして改めなかった。 大方、記したのは所は、天地開闢より始まり、小治田の御世までとした。故に天の御中主以下日子波限建鵜草葺不合命(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)以前を上巻と為す。 神倭伊波禮毘古(カムヤマトイワレコ)天皇以下品陀御世(ホムダノミヨ)以前を中巻と為す。 |
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今日の所も、始めはどうなるのかと思いましたが、それでも、だんだん、スムースになってきました。 古事記序の4 故 惟(推)撰録帝紀(托の字の手偏でなく人偏、タク、よせる)討覈舊辭削僞定實欲流後葉時有舍 人姓稗田名阿礼年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心即 勅語阿礼令誦習帝皇日繼及先代舊辭然運移世異未行其事矣 伏惟 皇帝陛下得一光(先)宅通三亭育御紫宸而徳被馬蹄 之所極坐玄扈而化照船頭之所逮日浮重暉雲散非 烟連柯并穗之瑞史不絶書列(引)烽重譯之貢府無空月 可謂名高文命(今)徳冠天乙(王)矣 guuchanの読み下し 故に、推しはかって、帝よせるの録を撰ぶ。舊辭(そういう名、または種類の文書があった)の覈(あな)討(う、検討)つ。 僞(いつわり)削り、實を定め、後の葉(世と同じ)に流(伝え)んと欲す。 時に舎人(とねり)有り、姓を稗田名を阿礼。年は是廿八。人は聡明にして度目、誦口、拂耳、勒心に為(おも)わる。 即ち、勅語して阿礼に誦習せしむ、帝皇、日継、及び、先代、舊辭。 然り、運移、世異、未だ行ならず、其の事を俟(のみ)。 伏して惟(おも)ふ、 皇帝陛下に(おかれては)、一先ず得て、宅(やけ)を三亭に通(つう)じ、御紫宸を育くみ、 而うして徳を馬蹄の所に極まりまされんことを。 玄扈(げんご)して而して照を船頭之所に化(托、手偏の代わりに人偏、よせる)せ、 日に逮(およぶ)。重きを浮かし、雲を輝かして散らす。 烟に非ざるを柯に連し并(あわせ)て穗之瑞史を不絶の書とす。 烽を引いて重ねて之を譯すの貢府を無くす。 空の月は謂う可(べ)し、名高き文は今、徳を天の王に冠する矣(のみ)と。 guuchanの解説 故に、推理して帝が集められた記録を選び、舊辭の穴を検討しました。 虚偽を削除し、事実を定めて後の世に伝えたい。 時に姓を稗田、名を阿礼という舎人が居りました。年はこのとき28歳で、人は、聡明で、目は正確に見、口はよく暗誦でき、耳は塵を払って大事なことを聞き取り、心はいつも冷静と思われておりました。 (どうも、太の安萬侶自身のことらしい) すなわち、勅語して阿礼に読ませ習わせた。帝皇、日継(ひつぎ、皇太子のこ)および先代(先の天皇)、及び舊辭。 そうです、運移、世異、が一行も出来ていないのみである。 皇帝陛下は、一先ず、住まいに篭もるのでなく三亭(あずまや、休息所)に通じて休息し、紫宸殿のうちに住む人たちを教育し、徳を馬蹄の隅にまで極まらせられますように。 天皇に従って、船頭(安萬侶のことであろう)のところに照る(有能な人材を)を集め、今日に及びました。 重いものを動かして、雲を照りかがやかして追い払い、怪しい煙でないもは、太い枝に連ならせて、瑞穂の歴史書を絶えることのない書としました。 警戒の烽火(のろし)を引きました(ひきました)。もう一度これを訳すための事務所は必要ないでしょう。 空の月よ言うがよい、「名高き文は、徳を天の王に冠するのみと。」 |
毎日、「古事記」と格闘していました。 お尻が椅子にくっ付きますよと脅かされたので、現代に帰ってきて外を歩いてみました。 今日の写真は、全部、すこしブルーのフィルターがかかっています。 少し冷たいですね。 前回、電灯の下で写真を取ったので、そのモードにしたままだったのです。 失敗ですね。でも、どうなるのかと言うのがわかりましたし、これも勉強です。 今日中に、徐福か古事記をもう一つアップできるか、今からです。 他にしなければならないこともあるし、、。 4/30、5/1は教会のお仕事で東広島に出張です。 その間は確実にブログは休みます。前後は怪しいです。 沢山の方に見に来ていただいていますので、お知らせします。 アリガトウございます。 |
332-1 多肉植物1 次の多肉植物2と少し離れたところにあって、違う種類と思えたので比較してみることにした。 |
332-2 多肉植物2 こちらの方が少し大きいです。 /TD> |
332-3 シラン(紫蘭) 何度も登場していますが、美しく見えました。 |
332-4 つつじ(躑躅) 実は、この家は空き家状態でした。 雨戸はしまっていますが、庭では見事に咲いていました。 びっしりと躑躅咲きけり荒れ空家 そんなに荒れているわけでは有りませんが、雑草が伸びていました。 |
332-5 友田川の改修工事 川幅を広げようとしているだと思います。 今、100年に一度の雨が降ったらどうするのだろうと、思いました。 季節的には降り難い時期かもしれません。しかし、異常気象のこのごろです。 あれは異常気象でしたではすまされません。 川底を深くしているようなので、両岸の石垣の根が無くなっています。 増水すると、一挙に両岸が崩れ、あっという間に川底を浅くし水は溢れるでしょう。 石垣の裏には、鋼矢板が打ってあると思います。 川底の工事よりも前に、両岸の石垣や土を取る方が安全なように思えますが。 |
332-6 ひばり 「葉隠れ」といえば鍋島藩の武士道。こちらは「草隠れの術」、忍術使いのように極意を心得ているようです。、 少し手前から飛んで、この焼け焦げの先に降りました。メンタマ一つ動かしません。 降りたところはどのあたりか分かりましたので、鳥はわからないままあてずっぽうで写真を撮りました。 鳥が真ん中にいるのは写真をトリミングしてあるからです。 |
322-7 木イチゴ キイチゴなのか、カジイチゴ(構イチゴ)なのか草イチゴなのかわかりません。 花弁はいくらかハート型をしているようです。直系が4~5cmと大型でした。 実もこんなに大きいといいですがね。 |
332-8 ソラマメ ほんとにみな元気よく、実が空を向いてついていました。 草丈も、人の高さぐらいあって、りっぱでした。 |
332-9 住宅の石垣の外の道端に咲いていました。 可愛い花でしたが、少し青みがかって凄みがでましたね。 もう一度撮り直してやらないと、可哀想です。 |