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我が家のアジサイがやっと咲き始めました。梅雨の季節迫っていますね。 さて、徐福は? 369 ニニギノ尊(4) 於是天津日高 日子番能邇邇藝能命於笠紗御前遇麗美人爾問誰女答 白之大山津見神之女名神阿多都比賣此神名以音亦名謂木花之佐久 夜毘賣此五字以音又問有汝之兄弟乎答白我姉石長比賣在也爾詔 吾欲目合汝奈何答白僕不得白僕父大山津見神將白故乞遣 其父大山津見神之時大歡喜而副其姉石長比賣令持百取机 代之物奉出故爾其姉者因甚凶醜見畏而返送唯留其弟木花 之佐久夜毘賣以一宿爲婚爾大山津見神因返石長比賣而大恥白 送言我之女二並立奉由者使石長比賣者天神御子之命雖雪 零風吹恆如石而常堅不動坐亦使木花之佐久夜毘賣者如 木花之榮榮坐宇氣比弖自宇下四字以音貢進此令返石長比賣而獨留 木花之佐久夜毘賣故天神御子之御壽者木花之阿摩比能微 此五字以音坐故是以至于今天皇命等之御命不長也 ニニギノ命は、北部九州には強い地盤があったが、南の力を結集するためには政略結婚が必要であった。 肥後の国(熊本)は、須佐之男命の地盤と思われるので仲が悪い。(卑弥呼と仲の悪い、狗古智卑狗の狗奴國有り。) その南は投馬國(ツマコク)がある。 guuchanはこれをサツマ国と思っている。 当時のツマコクは魏志倭人ででは5万戸である。女王国が7万戸である。 1戸と言うのがどれ位の人数だろう。 1戸を構えると言うことは立派なことで、下男や召使は一戸を構えることは出来なかったろうから、1戸は10人くらい有ったのではないかと思う。 平均10人とする。7万戸は70万人、5万戸は50万人、これは相当の人数だ。 女王国は、長崎県、佐賀県、福岡県、大分県が主たる国土とすると、その人口を合わせての数値と思う。 つまり奴国の2万戸、末盧國4千戸などの入った数字と思う。 ツマコクは宮崎、鹿児島である。ツマコクは郡(帯方郡の魏の役所があるところ、現在の韓国の郡山)に直接使節を送っていたと思う。 郡から水行20日である。 ツマコクも徐福一行の一部だと思われるが、非常に繁栄しているので、糾合するにはあらためて姻戚関係を結び、絆を強くする必要があった。 ツマコクの首都はどこにあったであろうか? 鹿児島と宮崎の中間の平野、都城あたりか? 多くの古墳のある大分よりの西都原あたりか? 鹿児島市付近か? 中心勢力がどこにあったかであるが、今日でも鹿児島の持つ力が大きいところから見ると、ツマコクの中心は鹿児島付近であろう。 サツマ半島には笠沙という御崎がある。 薩摩半島全体を笠沙と呼んでいたかも知れぬ。 政略結婚のためにツマコクを訪れたニニギノ命は、大山津見之女(オオヤマヅミノカミノムスメ)神阿多都比賣(カムアタトヒメ)またの名を木花之佐久夜毘賣(コノハナサクヤヒメ) と出会って結婚する。 |