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340 八咫鴉か八咫馬か 古来「八咫鴉(ヤタガラス)」と読ませられてきた。 読ませたのは誰か?と言いたい。 「咫」の音は「シ」である。 意味は、中国、の周、秦時代の長さの単位で18cmである。 八咫というと8×18cm=144cmになる。 八咫の鴉というと、羽を広げた時の幅が144cmというのであろうか? 鴉でなく馬だとすると、144cmの馬と言うと、鞍を置いてその背中にまたがろうとすると結構な高さだ。 昔の馬は現代のようなサラブレッドではないから、八咫の馬なら大馬と言っても良かろう。 次にからすと読まれてきた文字を検証しよう。 次に示す文字は、国宝真福寺本古事記の影印だ。 全ての写本はこの真福寺本が元だから、他でどう書かれていようが問題ではない。
No.1、No.4、No.5、No.8は鴉と読ませているところだ。 No.3、No.7は普通の馬である。 No.2、No.6は「いずくんぞ」、「えん」、「ここ」である。これは焉と言う字で、鳥で黄色い鳳凰でもある。 どう見ても、No.1、No.4、No.5、No.8はNo.2、No.6と同じである。 それ故、少なくとも八咫(はっし)の焉(えん)と読まねばならない。 どう見ても、鴉や、烏ではありえない。 guuchanの読む限り、古事記は最初から神話めいた記述はない。読む方がまともに理解できなくて誤魔化し読みをしてしまって居るのだ。 咫が読めなくて「た」と読ませている。意味は何なんだろう?中国の神話に出てくる「太陽の中に三本足の鴉がいる」というそれだろうか? 果たしてそれは、八咫という漢字がつかわれているだろうか? 古事記にも、日本書紀にも三本足の鴉という記述はない。 いま、八咫の鴉を三本足に書いているのは現代のことだ。 太安萬侶は八咫の意味は分かっていただろうか? 影印の焉の字は馬に良く似ている。画数でいくと馬は10画、焉は11画だ。 もしも、安萬侶が確信を持って焉の字を書くつもりでいたなら、こんな曖昧な字を書かなかっただろう。 安萬侶以前に筆写が行われている間に、このような文字になっていたのではないだろうか? もう一つ気になるのは、No.6だ。 「於焉惜旧辞之誤忤正紀」という記述になっている。 焉(ここ)に於いてと読んでしまえばそれまでだが、焉(からす)に於いてと読むとどうだ。 焉(からす)において、旧辞の誤を惜しみ、紀を正すを忤(さか)らう。 つまり、9分9厘間違いと分かっていたのだが、旧辞の誤りを惜しんだのだ、紀(書紀?)の誤りを正さなかったのだ。 正させなかったのは、天皇だろうか? 焉(ここ)と焉(からす)を掛けた痛烈な皮肉だ。 No.8を見てもらいたい。「其の八咫(はっし)の馬を引いて道に従う」なら、何等の疑いもない、「其の八咫烏を引いて道に従う」とはどういうことだ? 最初に書き留めた人は144cmの高さの馬と書いたものが、いつの間にか鳥に解釈されようとは、夢にも思わなかっただろう。 馬を鹿ならまだ理解できる。焉(いずくんぞ)馬を烏と、トリ違える愚者があろうか。 馬鹿を通り越して、大馬烏者だ。 それが子孫に現れようとは、高天原では、さぞ嘆いていることだろう。 |