住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

360 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (48)

2007-05-21 16:12:52 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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360 三貴子

三貴子を生んだ時、禊のためにイザナギはどこに居たか?
故吾者爲御身之禊而 到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐【此三字以音】原而 禊祓也

竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐(あはき)原とはどこか。
九州の日向となれば宮崎県あたり、橘の小戸の阿波岐という所が存在するかだ。
日向が九州の日の当たる側、すなわち山陽という意味だとすると九州の東側をいうことになり、大分、別府辺りに小戸の阿波岐に相当すると思われるところがあるとすると、有力な候補地かもしれない。

ちなみに伊耶那美命が葬られているのは出雲だ。
それぞれの出身地は、日向と出雲ということになるのかもしれない。

さて三貴子だ。天照大神、月讀命、須佐之男命のことを伊耶那岐命自身が三貴子と言っている。
天照大神と須佐之男の尊はよく知られている。しかし、月讀命については「汝命者所知夜之食國矣」
汝の命は夜之食國をしろしめすところなりととあるだけだ。
夜食は案外大事だったかも知れないなどと、書いているものもあるが食は食べることと関係があったのだろうか?
食は日食、月食と関係が有ったのかもしれない。

guuchanには月讀命は天体観測、暦の制定などの仕事と関係していると思う。
その名の通り、月を読まねばならぬ。純粋に陰暦で行っていると、1年に約10日季節がずれてくる。
修正しなければ農作業は出来ない。
また、来年の約束を、するのに日が決まらない。

月讀命は、金属加工技術の発達していた出雲にいった可能性は十分ある。
出雲には多数の銅鐸が出ている。これは一年の日を決めえる重要な道具らしいという研究がなされている。
神在祭の起源

現代人が空の星や月を見ても、何も読めないからと言って、古代人も読めなっただろうと思うのは浅慮に過ぎる。
わたしたちは、時計を持ちTVラジオがあるから、今日は何月何日というのは知ろうと思えば簡単だ。
いや、驚くべきことに、毎朝、今日の運勢をTVでやっている。
「○○座生まれの人は今日はうんぬん、、、。」
古代人が見たら、現代人の幼稚さ加減をきっと馬鹿にするだろう。

天人たちは、日本の各地に散らばって居たが、一年に一度集まろうということになっった。
来年の約束の日をどう決めただろう?そしてそれをどうして知っただろう?
神無月だから10月になるが、旧暦の神無月と言うと、今の11月くらいになる。
季節から言うと今の10月の方が旅行にいいのではないか。季節が遅くなって、冬の季節風でも吹くようになると北の方の人が心配だ。
秋分の日から1朔望月(さくぼうげつ、月の満欠けの周期)位がいいところだ。
國と國との約束、あるいは取引の約束なども、期限は大事である。
それが言った言わない、日限が違うなどとなれば、戦争にもなりかねないこともある。

一日の時間も、何月何日も、全て天体の動きから得ていたのだ。
天体観測は極めて重要であり、高度の知識を要した。
だから月讀命が必要だったのだ。

とguuchanは思う。

因みに、暦(コヨミ)は日読(かよみ)から来ていると言う説もある。
guuchanもそう思う。
月読みより詳しくなったから日読みにしたが「ひよみ」ではなんだか新鮮味が無い。日常語では紛らわしい、そこで「かよみ」と商品名をつけて売り出した。
月讀は古代の天文台以上の研究センターであったと思われる。