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358 卑弥呼 卑弥呼は正始8年(西暦248年)に亡くなっている。 三国史記新羅本紀では「二十年夏五月 倭女王卑彌乎 遣使来聘」で西暦175年のこととされる。 在位期間は73年である。即位したのも175年で20歳であったとしても93歳になる。 魏志倭人伝には女王は年既に長大としているから、景初2年(西暦238年)に、相当の高齢であったであろう。 また、倭人伝には、「その人寿考(倭人の平均的寿命)、あるいは百年、あるいは八、九十年。」とあるから、一般的に割りに長命であったことがことが伺えるから、93歳という年齢が不自然という気もしない。 すると、卑弥呼が仮に20歳で即位したとしてその前は男王があったが住まうこと70~80年で国中が乱れて、互いに戦争していた。 175年の70~80年前ということになると、西暦100年頃だ。 卑弥呼が天照大神だとすると、それを生んだのは伊耶那岐命だ。 伊耶那岐命の尊の治世が70~80年あったとしよう。 伊耶那岐命は必ずしも、混沌を全部納めたわけではなかったのだ。 天照大神の弟、建速須佐之男命は天照大神に反抗してる。卑弥呼に対立する狗奴國の男王、卑弥弓呼に当たる。 伊耶那岐命の治世が西暦100年位に始まったとすると、徐福との年代の差はどうなるか。 徐福はBC220年に40歳だったとして仮に90歳まで活きたとしてもBC170年。 270年差がある。 guuchanは天之常立神を徐福だと見ているから、國之常立神以下6代が伊耶那岐命までの間に入る。 一代辺り平均45年だ。卑弥呼は天照大神だと断定することは出来ないが、可能性を否定する不合理はない。 伊耶那岐命、伊耶那美命と徐福の間をもっと近いものと考えていたが、そうは行かなかったようだ。 しかし、それならそれで、伊耶那岐命、伊耶那美命をそういう時代背景で考えねばならない。 また、270年と言う期間は、徳川300年の間、東照神君家康公が常に活きて支配しているほどの影響を及ぼしているから、徐福の精神は十分に受け継がれていることが考えられる。 神功皇后卑弥呼説は、卑弥呼を天草に居たとかんがえているguuchanにはありえない。 さて、そうなると、古事記と魏志倭人伝がつながったことになる。 果たしてその後はどうなるのか? |
357-1 ホタルブクロ キキョウ科ホタルブクロ属 昨日咲初めをアップしました。 ずん胴であまり格好よくなかったので、一日たったら少し花の形状が良くなるだろうか? と期待していました。 案の定、今日はメリハリがついて色っぽくなりました。 | |
357-2 ホタルブクロの花のうち 下向いてばかりで、顔を覗かせません。 無理やりに顔を上げさせてみると? 花のうちがわがこんなに毛深いとは知りませんでした。羽の生えた虫は花弁を伝って上に行くことは出来ませんね。蜜を吸おうとすればめしべに掴って上に登るしかないでしょう。 そのとき受粉? おしべは奥の方ですね。 | |
357-3 さつき 散歩道の一軒のお家で見かけました。 何というのか知りませんが、源平咲きのようですね。花弁が細く、しかも5枚が均等に円をなすのでなく、3枚と2枚に分かれているようでした。 | |
357-4 さつき その木の隣にこんなのも植わっていました。 | |
357-5 さつき こちらの皐月はM夫人の庭です。 遠くから見ると我が家のツルバラに似ていました。 |
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357-6 ヒイラギナンテン メギ(目木)科 ヒイラギナンテン属 植え込みで、何本も植えてありました。どこかのジャムつくりの好きな人ならジャムにするのではないかと思いました。 いいジャムが出来そうです。美味しそうです。 |
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357-7 コマツイグサ アカバナ科マツヨイグサ属 大きかったので、オオマツヨイグサかと思いましたが、やっぱりコマツヨイグサのようですね。 |